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ようこそオーシャンワールド  作者: М・T
第一章:さんじの仕事
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さんじの仕事!その一

 次の日の朝は憂鬱の一言だった。


 今日から仕事内容も、出勤時間も変わる。まるで違う世界に強制的に転生させられた気分だ。いつも通りに鳴く鳥の声も、心成しか違って聞こえる。


 遅刻でもないのに妙に胸騒ぎがする。落ち着かない。


 そんな居心地の悪い朝だった。





「井上加奈です。今日から飼育担当に配属する事になりました。皆さんどうぞよろしくお願いします」


 朝礼で噛まずに言えた自己紹介も、淡々とした物言いの所為か不愛想なものになってしまったと反省するところから始まった。けれど、スタッフの中でそれについてどうこう言う人はいず、皆加奈に一切の興味を示す事無くそれぞれの持ち場に散っていく。


(………………は?)


 その乾いた対応に加奈は思わず青筋を立てる。


(え、何? 何なのこれ? 興味無しですかそうですか! でもせめて社交辞令程度には挨拶位してくれても良いじゃない!)


 仕事内容も事前に何も聞かされていないし、担当動物も何も解らない中でどう仕事すればいいのか。元々仕事前からそんな不満を抱えていた加奈にとって、この対応は耐え難いものだった。


 喉まで言葉が出かかったところで、ポンと誰かに肩を叩かれハッとする。


「ごめんね井上さん……。ここの所、動物達の状態が優れなくて皆ピリピリしていてさ。別に悪気がある訳じゃないんだよ」

 

 振り向くとそこには加奈と同じ作業服を着た体格の良い男性が苦笑いを浮かべて頬を掻いていた。


 鰹坂 春男。加奈の教育担当で、業務内容等を加奈に指導する事になった男性スタッフ……の筈なのだが、加奈はこの男とこの瞬間まで口を利いた事は愚か、メール等の文書でのやり取りもした事が無い。

会っても無いのに、他人に対して不満を持ったのは初めてだ。と、加奈はこれまでの諸々の意味を込めて


「……悪気が無くても、最低限……挨拶はするべきです」


 むすっと答えた。鰹坂はそんな加奈を前に、たはは……と力無く笑って返したが、加奈からの鋭い視線を受けその笑いさえも消し飛ばされた。


「鰹坂さん。私は今日何をしたらいいんでしょうか。何も聞かされてないんですが」


 本来であれば、昨日の内に済ませられた会話を今する事に沸々とした苛立ちを覚えてしまう。


「ごめんね。でも、そうしたのには理由があって、この業界って頭で覚えるよりも状況に応じて臨機応変で仕事をする事が多いから実際にやりながら覚えてもらおうって思ってさ」


「……それなら、その事情だけを事前に知らせてくれればこっちも納得しますよ。私が言いたいのは連絡無しで今日を迎えたのがおかしいっ事です」


 畳み掛ける加奈に鰹坂は何も答えず困った表情を浮かべるだけだった。


「まあ、いいです……で、私の担当動物は何なんですか?」


「んー、それはまだ決まってないよ。今日一日は通常業務をしてもらうよ。時間が空いたら俺と動物達を見て回ろうと思う」


「通常業務って何ですか?」


「さんじの仕事って聞いた事無い?」


鰹坂に言われ、加奈ははて、と首を傾げる。さんじ? 三時? 何の事やらさっぱりである。


「ああ、そっか。井上さんは違う業界から来たんだもんね。さんじっていうのは飼育業務で最も基本的な三つの業務の事を言うんだ『調餌』『給餌』『掃除』この三つだね」


「何か駄洒落みたいですね」


「こういうのって専門学校の頃に習ったり、偶にテレビで言われたりもするんだけど、井上さんの場合、販売からだもんね」


「鰹坂さんは専門学校生だったんですか?」


「うん。というか、俺以外でも殆どがそうだよ。むしろ井上さんみたいなパターンはイレギュラーかな。皆この仕事に就きたくて目指して来た人ばっかりだから……って、皮肉じゃないからそんなに気にしないでもいいからね?」


 慌てて付け足す鰹坂に、加奈は「いや、別に気にはしないですけど」と低い声で返した。

ともあれ、やる内容は単純で覚えやすい。これならすぐに出来るだろう。と、加奈は安心した表情を浮かべ、それを横目で見た鰹坂は少し心配そうに笑った。





 事務所から少し歩いた先に白いブロックで出来た建物がった。その扉の横には小さく調餌場と書かれている。ここが目的地のようだ。空けてみると中は少しまったりカビ臭く、水と、あと何かまた別の臭いが混じっている。床は少し濡れたリノリウムの為か、気を抜くと滑って転びそうだった。


 室内には計六つのシンクが壁際にずらりと並べられている。


「それじゃ、調餌を始めるよ。オーシャンワールドでの調餌は毎餌時間三十分前に行っている……例えば次は十時からの給餌があるから、その分を作るのは九時半からだ。で、作るのはイルカの分だ」


「三十分で? でも、うちってイルカ十頭もいますよね? 終わるんですか?」


「終わらせるんだよ。それに、俺達二人って訳でも無い。もう一人いるから大丈夫だ」


 その言葉に合わせたかのように、タイミングよく調餌場の扉が開き、眠そうな顔をした茶髪の男が入って来た。


「イルカ担当の墨岡です。……よろしくお願いします」


(え、テンション低い……)


飼育とはいえ、イルカ担当は接客もしていると聞いていた加奈。そんな加奈からして墨岡のそれはとてもではないが接客に向いている等とお世辞にも言えないものだった。


「まあ……今は、眠いんでそういうの勘弁してください」


「墨岡君、朝は弱いからね……まあでも、井上さんもその内気にならなくなるから安心して」


「……気にならなく、ならないですよ。もし墨岡さんが販売にいたら、即刻叩き直しますよ」


 墨岡の眉間が動いたのが見えてから、加奈は今のが失言だったと後悔の念を抱いた。悪い癖が出た。どうしても、こういう納得できない場面では言葉が先に出てしまう。


「……鰹坂さん、先に調餌始めておきますんで……井上さんの事頼みました」


 それだけ言うと、墨岡は調餌場の奥に設置された『冷蔵庫』と書かれた扉の中に消えていった。


「……すみません。私、つい……」


「まあ、取り敢えず、時間も無いし、俺達も墨岡に続こう。冷蔵庫の中にある魚は全部シンクに移してね」


「はい! って、イルカって魚食べるんですね!」


加奈の発言に、冷蔵庫から魚の入った段ボールを抱えて出てきた墨岡と、その隣まで移動していた鰹坂の二人が動きを止め


「……え?」


と、表情を固めて、二人同時に声を漏らした。


「え? あ、あれ? ……違いました?」


それとも編案事を言ったのか、心配になる。実際加奈は変な事を言ったのである。それこそ、小学生で習う足し算を大学生になって教えて貰うくらい、加奈が聞いたのはこの業界で常識だったからだ。


それに対し、鰹坂は苦笑して後頭部を掻いて聞こえないように呟くのだった。


「こりゃ結構井上さんには頑張ってもらわないとな」


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