八、部下達の思い
| 昭和一八年二月四日、三五に赤紙が届いたことを知り、部下達は怒り、そして悲しんだ。しかし、どうすることもできず、せめてもと出兵前夜に壮行会を企画した。
「姫山《(ひめやま》監督、李愛琳さんと林陽鵬さんも呼びましょう」
陳副主任がそう言うと、三五は答えた。
「いや、二人とはもうお別れが済んでいるから呼ぶ必要はないよ・・・ところで、みんな、俺は生きて帰ってこられると思うかい?」
「・・・・・」
部下達は、一瞬、言葉に詰まった。仲間思いの三五は、自分の身を挺してでも他の者を助けようとする性格だということをよく知っていたからだ。
「そうだよな。俺も無理だと思ってる。日本が欧米を相手にして勝てる訳がない。だから愛琳にもそう告げて、陽鵬と一緒になって幸せに暮らすようにってお願いしてきたんだ。だから、もう二人はいいんだ・・・そんなことより、みんなこそ命を大事にしてほしい。俺も生きている限り、みんなの幸せを祈っているからな」
三五の下では、中国人も朝鮮人もロシア人もなかった。そして、自分よりも先ず仲間達のことを考える、三五とはそんな人なのだ。数年間、寝食を共にして、みんなそんな三五を敬愛していた。
「今はロシアとの不可侵条約が保たれているけど、ロシアもいつ攻めてくるか、分からない。俺としては、大好きなモロコフ先輩の国とは戦いたくないんだけどなあ・・・」
三五は、自分より年上でずっと前から勤めていたロシア人の部下にそう言った。
「そのとおりだ・・・わしもそろそろ母国に戻らんといかんが、監督とだけは戦いたくないから、わしは絶対に戦争には行かん。・・・わしらは本当に監督のことが大好きじゃ。だから、お願いだ。人助けをするなとは言わん。だが、あんたも命だけは大切にしてほしい。わしらみんなで、弾があんたを避けて通るように祈ってるから・・・」
「さあ、湿っぽい話はこれくらいで、とにかく乾杯しよう!」
陳副主任のかけ声で乾杯が行われた。そしてそれからは、原野での仕事が終わり営林小屋で夕食をしていた時のように、いつもの大きな笑い声が続いた。みんな、思い出があふれ出て、夜が明けるまで誰一人として帰ろうとする者はいなかった。全ての者が(このまま夜が明けるな)と願っていた。
翌日の正午過ぎ、三五は大連に向かうために駅のホームにいた。三五の出征を見送ろうと部下達だけでなく、署の多くの職員、宿舎や租界に住んでいる職員の家族、友人、知人達であふれかえっていた。しかし、そこに愛琳と陽鵬の姿はなかった。三五が「別れがつらくなるから」と見送りを堅く固辞したからだ。
三五の見送りに万歳はなかった。これも三五の願いだった。前々から(死にに行くのにどこが万歳なんだ)といつもいぶかしく思っていたからだ。
列車が動き出すと、「姫山」「監督」「サンゴさん」と呼ぶ声が、そして、その後に誰かが「死ぬな!」と叫んだ。他のみんなも「死ぬな、生きて帰ってこい!」と続いた。三五は最後まで泣くまいと決めていたが、みんなの声がうれしくて、有り難くて、涙をこぼしながら最敬礼をした。
みんなの姿が見えなくなり、乗降口から座席へ向かおうと振り返ると、突然、一人の女性が抱きついてきた。
愛琳だった。そして、陽鵬もいた。
「三五さん、すまない。どうしても止められなかったよ・・・どうか、次の駅まででいい。許してやってくれ」
「愛琳、陽鵬、ありがとう!」
三五も愛しい愛琳と大好きな陽鵬に会えて、やはりうれしかったのだ。
愛琳は泣きつつも三五に抱きついたまま離れようとしなかった。三五は愛琳の笑顔が見たくて、
「なあ、今頃ハルクはどうしているかな? アメリカの原野を馬で走り回っているのかなあ・・・?」
と言った。するとそれ察した陽鵬が
「いやいや、三五さんに対抗して、きっとアメリカ人女性の尻を追いかけまわしているね!」
とウインクして言った。ようやく愛琳に笑顔を戻った。しかし、時はすぐに過ぎ、次の駅に着いた。
「愛琳、俺はもうこれで思い残すことはないよ」
三五はそう言って、愛琳を抱きしめ、口づけをした。その時、愛琳は、自分がたいへんな過ちを犯したことに初めて気がついた。(あー、私は三五さんに死にゆく覚悟をさせたのかもしれない・・・!)