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三、満州に

|「もう、四年になるのか?」姫山三五ひめやまさんごはつぶやいた。

 姫山家は大分県)玖珠郡引治村おおいたけんくすぐんひきじむらにあった。両親は幼い弟や妹達をかかえ、けっして裕福とは言えなかった。しかし、三五は成績優秀だったため、学校で選抜されて数名の特別教室に入れられた。さらにそこから大分県立師範学校に進学して教員となるように勧められていた。しかし、三五は日田市に寄宿して日田林業高校に進学することにした。そして昭和一一年、卒業と同時に、満州国の営林署に就職した。当時の満州では、内地の二倍以上の給料が支払われており、就職時の給料は内地の校長先生並だったのである。つまり、実家の家計を考え、より高給を得んがための選択だったのだが、実は内地での戦争への不穏な状況、特に出征兵士を村全体で万歳をして送り出していることに三五は違和感を感じていたのである。だから、そんな状況から少しでも離れたいという三五自身の隠れた気持ちもあったのだった。

 満州国では、官・軍・民が相まって鉄道網を広げており、営林署には伏線工事や補修に必要とされる枕木の調達が求められていた。三五は二年前から、山林の買収、伐採、搬送、そして植林を統括する現場責任者として、中国人、朝鮮人(現在の韓国人や北朝鮮人)、ロシア人等の多くの労働者を従えていた。

満州の広大な大地を移動して伐採した木材を搬出するためには、馬はなくてはならないものだった。三五にも就職してすぐに、専用の馬が与えられた。二歳になったばかりで気性の荒い栗毛の牝馬「パイ」だった。一六三cmと身長がそれほど高くない三五には、当初、持て余し気味だったのだが、山野で寝食を共にしながら愛情を注いでいるうちに、実家の飼い犬以上になついて、片時も傍を離れないほどになった。冬場の寒い原野では、三五を風から守るようにパイが身を寄せてくるようになり、いつの間にか三五は最上級の乗り手となっていた。

山野で毎日を過ごす日々ではあったが、休暇も定期的に取れるようになっており、その度に所属営林署と官舎のあるハルビンに戻った。ハルビンでは、給与が出る度に郵便局に向かい、実家に充分な仕送りをした。おかげで、両親と幼い弟妹達は満足な生活が送られるようになっていた。

 国籍に関係なく接する三五は部下達からの信頼も厚かった。部下達の多くもハルビンで雇用されていたため、休暇中にも部下達と共に過ごすことがあった。特に中国人達は、礼節を持ってもてなす慣習があるのか、よく家庭にも招待された。ただ、食事時、部下とその両親と三五が座った食卓には豪華な料理が並ぶのだが、隠れたところにある部下の子供達や弟妹達の食卓には質素な料理しか並ばないことがだんだんと分かってきた。それからは、子供達とも一緒の食卓が囲めるようにと、三五はたくさんの食材をお土産に持っていくようにした。当然、家族みんなからも慕われるようになっていった。三五にとっては、貧しかった自分も多くの方々の助けで今日があると思っていたので、そうするのは当たり前のことだったのだが、他の日本人達はどうも違っていたようだ。特に日本人による中国人、朝鮮人への差別には目にあまるものがあった。

 満州国では関東軍が、武力を背景にした実効支配を強めていた。三五が初めてハルビンに足を踏み入れた昭和一一年頃は、まだまだ中国人を尊重して共に満州を発展させようとの機運があったように思えた。しかし、抗日戦争が広がりを見せる中、このところの軍部の横暴さには、同じ日本人として恥ずかしさを感じていた。

そんな中、ある事件が起きた。四、五歳の中国人の子供が弾んだ手まりを追いかけ道路の真ん中に飛び出した。そこには三、四名の日本陸軍兵がおり、子供は一人の日本兵にぶつかってしまったのだ。怒った日本兵は銃を構え、大声で子供を威嚇した。泣き出す子供と対峙する兵士。すると若い中国人の娘が駆け寄り、子供と兵士の間に割って入った。

「お前から死ぬか?」

今度は銃口が娘の顔面に向けられ、さらなる緊張が走った。ちょうどそこに馬に乗った三五と部下達が通りかかった。三五はすぐに状況を理解した。十数名の部下達を直前に待機させ、すぐに馬から降りて対峙している兵士と娘の方に進んだ。

「兵隊さん、こんなところで娘と子供を撃つなんて大人げないですよ。私は営林署職員で姫山三五と言います」

そして耳元で小さな声でささやいた。

「馬に乗っている中国人の部下達は気性が荒いんで、止めといた方がいいですよ」

「貴様、俺を脅すのか?」

「いえいえ、そうではありません。ただ往来を子供と娘の血で汚すのもどうかと思いますし、私が代わりに謝罪と賠償をさせていただきますので、どうかこの場は納めていただけませんか?」

「うるさい!・・・」

するとそこへ若い金髪の大男がかけより

「ストップ! プリーズ、ストップ!・・・・・」

「えーい、何なんだ、こいつは?」

三五はとっさに機転を利かせて嘘を並べた。

「すみません。こいつは、その先の英国租界に住んでいる私の友人です。我々の租界のすぐそばで発砲事件を起こしたら英国も見過す訳にはいかないと言っています」

「ストップ!・・・・・・!」

「うるさい!・・・分かった。銃を下ろすから静かにさせろ!」

「オーケー、オーケー、セイフだ。シー」

「いいか貴様、今後、気をつけさせるんだぞ!」

兵士は三五に叫び、足早にその場を立ち去っていった。

一瞬の間を置いて、周りの民衆と部下達から大歓声が上がった。そして、三五と金髪の若者、娘と子供を取り囲んだ。金髪の若者は満面の笑顔で三五に堅い握手を求め、肩をバンバンとたたいて笑った。三五もつられて笑っていた。


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