二、若者の癒やし
| アルク ハイネンは、八月五日に広島市入りし、原爆資料館を訪れた。旅立つ前からアルクの中には祖父から受け継いだ罪悪感が渦巻いており、『祖父を代わって慰霊するのだ』という使命感によって何とかその均衡を保とうとしていた。もちろん過去の悲惨な事実は、当時のアメリカをはじめとする連合軍によるもので、自分自身が何かをしたという訳ではないのだが、今までアメリカ合衆国の教育現場で言われてきた『第二次世界大戦は原爆投下によって終結できた』ということが偽りであったのは、明白な事実として確信した。そして、原爆ではないにせよ、祖父が爆撃機に乗り、多くの住民の命を奪ったということには、やはり後ろめたさを感じざるを得なかった。そしてそれと同時に、ようやく祖父の悲しみや苦しみが理解できたような気がして涙があふれていた。
(グランパ、ようやく来られたよ。命令とはいえ、兵士じゃない一般市民ばかりを殺すことになってたんだね。代わりに僕が謝罪して、ご冥福を祈らせてもらうから・・・)
資料館を出たアルクは、平和公園を隅々までまわり、全ての慰霊碑に祈りをささげた。
滞在中、アルクは、数人の被爆者からその体験談を聞いた。アメリカ人であるアルクには、恨みの込もったつらい話が語られるものと覚悟を決めていたが、結局、最後までそのような話にはならなかった。語り部の老人達は、『原爆という兵器、そして戦争は憎むが、命令されて落とすことになった人まで憎んでも仕方がない、むしろそれによって、その兵士が苦しんでいるとしたら、その人も被害者なのだ』という趣旨のことを話してくれた。さらに『もう二度と被爆者を生み出さないように核兵器の廃絶を、そして平和な世界を作っていってほしい』と静かに、しかし、力強く訴えていた。そこにいるのは慈悲の心を持った美しい老人達だった。アルクは、それを涙ながらに聞いた。そして、(グランパ、本当に来てよかったよ!)アルクは心の中でそう祖父に報告し、(こんな悲惨な戦争は、二度と繰り返してはいけない!)と誓っていた。
新幹線の中でアルクはなぜか夏都《なつ》に語り続けていた。大好きだった祖父を懐かしむように・・・。
「グランパ、この人達、誰? 」
六歳の頃、アルクは祖父の家の壁に張ってあった写真を見て、祖父や馬と一緒に写っている三人の東洋人のことを聞いた。
「それは、私の大切な古い友人達だよ。サンゴは日本人で、身体は小さかったけど、勇敢で、強くて、やさしくて・・・、林陽鵬と李愛琳は中国人、陽鵬は頭が良くて・・・、愛琳はとてもかわいい娘でサンゴのお嫁さんになるはずだったんだ・・・」
「グランパは彼等が大好きだったから、みんなでよく遊んだんだよ」
祖父のハルク ハイネンはうれしそうな、そして懐かしそうな顔をして答えた。
「ふーん、今、この人達、どうしてるの?」
「サンゴは・・・たぶん、戦争で・・・死んだかな・・・?」
「グランパ、サンゴ達に会いたい?」
「あー、会えるもんならね。でもグランパは、サンゴの国を爆撃したからね・・・」
友人の話をしたときに祖父が見せたうれしそうな顔と、その直後に見せた悲しそうな顔は、「戦争」や「日本」というキーワードに触れる度に、アルクの心の中に幾度となくよみがえってきた。いつのまにか、アルクは日本のアニメや文化に興味を持ち、カルフォルニア大学・大学院の日本語学科に進んだ。そして昨年から日本語学科助手兼非常勤講師として大学勤務を始め、日本語教育とは別に、第二次大戦から敗戦、復興に至る日本国民の状況についての研究にも取りかかろうとしていた。
そんな矢先にハルク ハイネンは死んだ。
「百歳まで生きてやると言ったじゃないか。戦後七十年の夏には、僕が通訳して案内するから日本に行こうと約束も。僕が結婚したら、妻や子供に乗馬を教えてくれるって・・・」
アルクは、大好きだった祖父を失い、悲しみにくれた。そのせいで研究もおろそかになっていった。しかし、年が明け、だんだん夏が近づくにつれて、「戦後七十年」「原爆」「日本」というキーワードがあふれだしてきた。そうした中、アルクは、初の訪日を決めたのだった。