一九、国境を越えた大きな家族
| 平成二八年三月、アルクは再び訪日し、広島大学大学院教育科学研究科に所属し、英語文化教育学分野の客員講師として学生への英会話教育を担いながら、日本近代史研究を進めることになった。
これまでの経緯から、アルクと夏都の婚約は両家の家族から祝福された。ただし時期については、夏都の両親から、早くても夏都の大学卒業が確定してから、つまり二二歳になってからにしてほしいという要望があった。アルクも夏都もそのつもりでいた。
夏都はアメリカから戻り、そして、四月に県立広島大学へ編入してからも、ずっと考えていた。
(三五曾おじいちゃん達の縁のおかげで私は生涯の伴侶を得たよ。これまでは、日本で普通に結婚して家庭に入って、子供を育てて・・・って思ってたのに、国際結婚だなんて、考えてもみなかったけど。一、二年先の生活の場は、たぶん、アメリカになるのかなあ? ・・・これから私は、どう生きていくんだろう? どう生きたいのかなあ?・・・丸山家の皆さんに言われた『平和をまもる』『戦争が起きないように、原爆が二度と使われることがないようにする』っていう思いはあるんだよ。たぶん、アルの日本近代史研究もきっとそれが根底にあるはず・・・? だから、もし私がアルと結婚してアメリカに住むのなら、戦争を起こさないために、日本では見えないけどアメリカにいるからこそ見えてくることなんかをもっと勉強してみたいと思うの・・・。そうしたら、きっと自分の進む道も見つかるような気がするの・・・そうしなきゃ、『姫山三五の曾孫です』って、胸を張って言えないもの・・・、だから、これからも見守っててね)
平成二八年三月、アルクは引っ越しで、夏都は転入でお互いに忙しかった。しかし、梅雨が明ける頃には、それも何とか落ち着きを見せ始めていた。そして、今後のことを話し合ううちに、二人は、結婚する前に中国のハルビンを訪問し、できれば林陽鵬と李愛琳、あるいはその関係者に会えないものかと考え始めた。
アルクは、カルフォルニア大学で中国史や中国語研究をしている元同僚や中国から留学していた学生達に連絡を取ったり、広島大学にもお願いして、その行方探しの協力を仰いだ。すると、さすがに昔とは違い、今やインターネットが普及している時代、まもなく、確かな情報を得ることができた。
林陽鵬、李愛琳夫妻は、日本人孤児を助けた賢人(知識が豊かで徳のある人)ということでハルビン市ではそれなりの有名人であった。ただ、残念なことに既に亡くなっていた。しかし、その子や孫は大学で日本語や英語等を教えていたり、外資系の現地法人などで中枢を担っていたりと、いわゆる社会の成功者として認められている人が何人もいることが分かった。そこで、その中の一人に連絡をとると、すぐに「ぜひ会いたい」という返事が返ってきた。
二八年の八月、アルクと夏都はハルビンに向かった。訪問前にいろいろとお世話をしてくれたのは、林陽鵬と李愛琳の孫だという林敬明(男性二八歳)と李智愛(女性二二歳)だった。
敬明は日本留学経験があり、大学で日本語を教えていた。智愛は大学四年生で日本文学を専攻しているらしく、本来は父方の林を名乗るのが一般的なのだが、あえて母方の性を名乗っているとのことだった。
ハルビン太平国際空港には、この二人が迎えに来ており、アルクと夏都の来訪を大歓迎した。そして、家族が心待ちにしているからと大急ぎで車に乗せ、ホテルの会場へと向かった。
ホテルの広めの部屋には、五〇名以上の老若男女が集まっており、アルと夏都は盛大な拍手と歓喜の声で迎えられた。
「ようこそ、いらっしゃいました。私は、林陽鵬と李愛琳の長男で林良鵬と言います。日本名は、上田良雄です。父と母は日本人孤児である私達を養子にして育ててくれました。父と母、そして兄弟の何人かは既に他界しましたが、お二人の訪問を聞いて、他の兄弟とその子、孫等も集まりました。私達は、姫山三五さんとハルク ハイネンさんのお話をいつも聞いて育ちました。ですから、三五さんとハルクさんのご子孫のお二人に会うことができて本当にうれしく思います。お越しいただき、ありがとうございます」
年配の男性が代表して流暢な日本語で歓迎の挨拶をした。
これにアルクが応えた。
「皆さん、わざわざ集まっていただき、ありがとうございます。私はハルク ハイネンです。そして、彼女は私のフィアンセで、ヒメヤマサンゴさんの曾孫にあたるフジモトナツです」
「はい、婚約されていると智愛から聞いて、私達にとっても二重の喜びでした。そこで、お願いがあるんです。ちょっと着替えをしていただけませんか?・・・父と母に見せてあげたいんです」
良鵬は、そう言って、あの四人が写っている二枚の写真を見せた。
「あっ、皆さんも持っているんですね」
夏都は、そう言って、三五が持っていた写真を、そしてアルクが、ハルクが持っていた写真を出した。
「おー!」会場から感嘆の声が上がった。
「三五さんもハルクさんもその写真を大切にしてくれていたんですね」
長女の麗華という老婦人が涙声で言い、そして、四枚の写真を一番上座のテーブル席に並べて置いた。
「お父さん、お母さん、よかったですね。ようやく三五さんとハルクさんに会えましたね」
麗華の言葉に、他のみんなも涙していた。
一呼吸して、敬明が言った。
「さあ、アルクさん、夏都さん、こちらに」
敬明と智愛は、二人を別室に案内した。そこには、少し古ぼけているものの中国式の豪華な衣装が置いてあった。
「たいへん申し訳ありませんが、これに着替えてもらえませんか、私達がお手伝いしますので」
二人はさらに別々に別れて着替えることになった。アルクの服は少し小さくて窮屈だったが、何か意味があるのだろうと我慢した。そして先ず、アルクだけが会場に戻された。アルクは四人(写真)の席の隣に立たされ、夏都が来るのを待つことになった。突然、荘厳な音楽と共に扉が開くと、そこには驚くほど綺麗な夏都が立っていた。そして、智愛に手を引かれ、アルクの隣に進み、並び立った。アルクと夏都が呆気にとられていると、会場のみんなから盛大な拍手が送られ、「ご結婚、おめでとう」声がかけられた。
「その服は、父と母が結婚式の時に着たものです。そして、私達もその服を着て結婚式をしました。私達と父と母とは、血こそ繋がっていませんが、それでもその心はしっかりと受け継いでいます。私達は強い絆で結ばれた家族なんです。父と母は、三五さんとハルクさんも大切な家族だと言っていました。ですから、あなた方にもぜひその服を着ていただき、家族としてご結婚を祝いたいと思ったのです」
良鵬の言葉を聞いて、アルクと夏都は(本当に来てよかった!)と心から思った。そして、三五とハルクに、陽鵬と愛琳に、改めて(ありがとう)と感謝した。
拍手が終わるとテーブルに料理が運ばれ、宴会(結婚披露宴)となった。会場内はみんなの喜びの笑顔に包まれていた。そして次々にアルクと夏都に挨拶に来た。みんな三五とハルクのことを聞きたがっていた。そしてアルクと夏都は、陽鵬と愛琳のことを知りたがった。しかし、遠くの席から「聞こえないよ」との声があがり、急遽、何本かのマイクが持ち込まれて、いつの間にか情報交換会のようになった。
養子となった日本人孤児達は、陽鵬と愛琳から、将来のためにと中国語と日本語の両方ができるように教育された。そして大学を目指す者には英語も教えられた。日本と中国が国交正常化し、日本人孤児の調査が始まった時、子供達は調査には協力せず、陽鵬と愛琳の子としてずっと中国で生きていこうと話し合ったそうだ。しかし、その時、陽鵬と愛琳は言ったそうだ。
『自分達には子供を残して逝った、あるいは戦乱でどうしても日本に連れ帰ることができなかった親達の悲しみがよく分かる。その親族も自分達が生きている間に一目でも会いたいという気持ちも。だからみんな、調査に協力してあげてほしい。そして、元気な顔を見せてあげてほしい。それで日本に帰るのもいいだろう。私達はお前達からたくさんの愛情と幸せをもらったから、つらい思いをしたお前達にはぜひとも幸せになってほしいんだ』
そうなることを見越していたのか、陽鵬と愛琳は引き取る際に、子等の情報をしっかりと書き留め、大事に残していた。それによって多くの子等が親や親族と対面することができた。しかし、そのほとんどが養父母のことを思い、中国に残ったという。
終戦直後はとにかくたいへんだったらしい。日本人孤児を育てることは、中国に対する裏切り行為だと非難されたようだ。そして、終戦から二、三年が過ぎた頃、外国語が堪能で、日本人や欧米人とも付き合いがあったと、陽鵬にスパイ容疑がかけられたことがあったらしい。
「あの時は、本当に心配したよ。父はもう、帰ってこないんじゃないかと・・・。そしたら、孔さんという共産党の偉い人と陳さんという三五さんの部下だった人が父を助けてくれて・・・。孔さんは、昔、母と三五さんとハルクさんが助けた子供の父親で、これで少しは恩返しができたと喜こんどったなあ。父も母もわし等も三五さんとハルクさんに改めて感謝したもんさ」良鵬は言った。
そして麗華が
「母は一〇年以上、三五さんを待っていました。母を愛していた父はつらかったろうと思います。でも父も三五さんが大好きだったから、待つことを許したんです。三五さんは、二人に結婚して幸せになるようにと言っていたらしいのに。正直、私達は三五さんの訃報が早く届けばいいのにと恨めしく思っていました。早く母を解放して、父と一緒にさせてほしいと。そして戦後一五年目に、私達から二人に、『いいかげんに結婚して!』と迫ったのです。その頃には、私達の半数近くが社会人となり、十分な収入を得られるようになっていたので、みんなでお金を出し合って結婚式をしたんです」
アルクと夏都も戦後の三五とハルクについて、自分達が知っていることを語ってきかせた。
「そうですか、三五さんもハルクさんもたいへんな経験をなされたんですね」
「あの写真は、カメラが大好きだった祖父が撮ったんです。中国を離れる前に四人で遠出をして、記念にと、ゼンマイタイマー付きのカメラで撮影したらしいです。戦争の苦しみで父は死のうとしたことがあったそうですが、この写真と終戦前に偶然出会った幼い頃の夏都のお母さんの思い出が、それを思い止まらせたと言っていました。そして、写真は祖父が亡くなるまでずっと、家に飾っていました。私も四人の楽しい思い出話をよく聞かされました。この話をする時の祖父は本当にうれしそうでした」
みんな、上座の席には実際に四人が座っており、会場のみんなの話を微笑んで聞いているような気がしていた。
楽しい時間はすぐに過ぎた。ホテルの係員から、耳打ちされた良鵬は、
「あっという間にもう四時間が過ぎてしまいました。戦争さえなければ、四人の運命も、私達の運命ももっと違っていたのだろうと思います。戦争は絶対に起こしてはいけません。でもその不幸の中でも正しく精一杯生きようとした私達の親達がいた。そして今日、私達は一つの大きな家族となりました。できればもっともっと話をしたいところですが、残念ながら時間が来てしまいました。また次の機会を楽しみにして、今日はこの辺りでお開きとしましょう」
夏都とアルクには、もう一つ行きたい場所があった。それは、陽鵬と愛琳の遺骨を、四人が写真を撮ったハルビン北部の原野に散骨したと聞いていたからだ。前々から、二人は、写真に写っているところも見てみたいと思っており、そしてぜひ、その場所に写真の三五とハルクも連れていきたいと思っていた。それを良鵬達に相談すると、良鵬達も「それはいいことだ。両親も喜ぶだろう」と、快諾してくれた。そして、敬明と智愛に二人を案内するように、さらに、その場所に写真の父と母も連れて行くようにと命じた。
翌朝、敬明の車に乗り込んだ四人は、旧満州の営林署が植林した地域の中で、陽鵬と愛琳の遺骨をまいたという場所に向かった。道中、夏都は智愛に
「なぜ、林ではなく李を名乗っているの?」と尋ねた。すると智愛は、恥ずかしそうに言った。
「実は、次にあの衣装を着るのは私達なんです。私達の親達は血が繋がっている訳ではありません。ですから兄弟で夫婦になった者達も何組かいるんです。その際に、性を林と李と名乗って、結婚式を挙げたので、私達もそれに倣ったんです」
「なるほど・・・、敬明さん、智愛さん、先に着せてもらって本当にありがとう! 僕には少し小さかったけど、敬明さんなら、ぴったりだよ」アルクは大喜びしていた。
「こちらこそ、私達もアルクさんと夏都さんとの出会いに不思議なご縁と運命を感じているんですよ」そう言って、敬明は智愛に目配せをした。
大きな道を外れ、悪路を三〇分ほど走ったであろうか、そこには広大な原野が広がり、そして快晴の青い空が広がっていた。
「この雄大な景色を見ながら三五曾おじいちゃんとハルクさん、陽鵬さんと愛琳さんは、馬で駆け巡っていたんだね」と夏都は言った。
「ああ、戦争さえなければきっと違う人生があったはずなのに・・・。ナツ、僕達は後悔のない幸せな人生を送ろうね。そして、戦争なんてものが二度と起きないように、僕達もできることから始めていこう!」
アルクは夏都の肩を抱き、そう言った。
敬明と智愛も同じ思いで、あの写真と共に雄大な景色をながめていた。そして
「おじいちゃん、おばあちゃん、三五さんとハルクさんが来てくれましたよ。・・・・ああ、ここは本当にきれいで、とても静かですね。・・・私達は、おかげで、昨日、大きな家族となることができたんですよ。・・・これからも戦争が起きないように、家族みんなで頑張っていきますからね」と言い、手を合わせた。
広々とした大地をさわやかに吹き抜けていく風が、四人の頬をやさしく撫でていた。
(完)




