一六、ハルクの苦悩
| 昭和一六年末、日本と欧米との対立は緊迫感を増していた。オランダから貿易会社の社員として満州に来ていたハルク ハイネンは、領事館の閉鎖を契機に満州を離れることにした。オランダ本国はドイツ帝国に蹂躙されていたため、戦争を好まないハルクは、アメリカ合衆国に向かった。しかし、まもなく太平洋戦争が勃発した。
写真が趣味だったハルクは好きなことを仕事にしようと思っていた。そして、カメラマンを目指したのだが、職は従軍カメラマンしか得ることができなかった。戦況の記録を命じられたハルクは、先ずイギリス、そしてフランスへと派遣され、多くの悲惨な状況をカメラに収めた。さらにその後、日本本土を爆撃するB29爆撃機からの撮影を命じられたが、撃墜されてハルクだけが助かった。そのまま日本で終戦を迎えたハルクはすぐに帰米を希望したが、駐留軍は、原爆の破壊力を検証するために、彼に広島市・長崎市での記録撮影を命じた。それは、まさに地獄絵のようで、ハルクはもう正常ではいられなかった。そして帰国後、彼はカメラマンを辞め、オレゴンの原野に小さな家を建てて牧場を始めたのだった。
帰米してからもハルクは悪夢に苛まれた。墜落で一人だけ助かったこともいたたまれなかったが、何よりあの地獄絵が蘇ってきてはハルクを苦しめた。毎年八月八日には死んだ仲間達の墓を訪れ、一人、生き残ったことに許しを請うたが、いずれにしても自分自身の心が救われることはないと思っていた。
昭和二三年の命日に戦没者墓地を訪れた時、ハルクは一人の若い女性にあった。名前はエレナ オーエン。当時二二歳の彼女は父と兄を亡くし、天涯孤独の身の上となっていた。
彼女の父、スコット オーエンは墜落したB29爆撃機の機長だった。エレナは、ハルクが生き残っていたことを知り、従軍時の父の話を聞きたがった。ハルクはできれば思い出したくない過去ではあったが、誰も頼る人がいないエレナを見捨てることはできなかった。そして、いつの間にか二人は、お互いの苦しみや悲しみ、寂しさを紛らわすために、なくてはならない存在となっていた。それから間もなく、二人は結婚した。
ハルクとエレナは、男と女の二人の子供にも恵まれ、さらに孫もできた。そして、その家族との静かで幸せな営みが二人を少しずつ癒やしていった。それでもハルクの罪悪感を完全に解消するには至らなかった。ハルクは、たとえカメラマンとは言え、非戦闘員である女、子供、老人達を無差別攻撃する空爆に参加してしまったことを深く後悔していた。そして、その罪を家族にも隠さずに語り、戦争の悲惨さを説いていった。もし墜落せずに無事帰還し、あるいは広島・長崎を見ずに帰米していたら、まだ、それほどの苦悩はなかったのかもしれない。しかし、彼は広島、長崎で悲惨な目にあった人達の姿を見てしまったのだ。自分たちが爆撃した北九州市でも放射能はないにせよ、似たような惨劇が起こったはずだと実感していた。
「サンゴ、すまない。俺は君の国の人達に許されないことをしてしまった・・・それなのにあの子は俺を助けてくれた・・・俺はいったい、どうしたらいいんだ?」
ハルクは結局、アメリカ国籍を取らず、オランダ人として生涯を閉じた。
孫のアルクは、ハルクおじいちゃんが大好きだった。ハルクも孫が可愛くて仕方がなかった。アルクの無邪気な問いかけにハルクもいつしか楽しかった思い出の日々を微笑みと共に話せるようになっていた。そしてそれが影響したのか、いつの間にかアルクは、大学に進んで日本語を学び、日本の研究を始めていた。
アルクは日本のことを聞きたがった。ハルクもその頃には、(全てを隠さずに話しておいた方がよい)と思い始めていた。そして、(もう一度日本に行って、広島、長崎、北九州、そして、できれば三五のお墓にも参るべきなんだろうなあ?)と思うようにもなっていた。




