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十五、陽鵬と愛琳、そして子供達

三五(さんご)は、戦地に赴く前に、早めに南方に逃げるようにと伝えていた。しかし、愛琳アイリンは、そうはしなかった。陽鵬ヤンポンも随分と説得したが、「ここで三五さんを待つ」と言って満州を離れることを固辞していた。

 陽鵬は、三五から愛琳を託されて、うれしかった。三五が自分を認めてくれているということ、そして、自分も愛琳が好きだということを三五は見抜いていて、きっと気遣ってくれたのだろう・・・と。

陽鵬自身もできれば南に行かずにハルビンに残りたいと思っていた。陽鵬には、三人に無用な心配をさせまいと内緒にしていたことがあった。彼は、早くに両親を亡くしたが、幸いにもハルビンで日本人学校の校長をしていた山田やまだ佐吉さきちに拾われ、教育を受けた。山田は、その後も満州国立大学に行かせるなど、陽鵬の支援をしてくれた。そして、太平洋戦争が勃発し、満州の情勢が不穏になったことを機に、内地に帰ることを決意した。その際、陽鵬を養子にして一緒に連れていきたいと願った。陽鵬は、恩に報いなければと悩んだが、最終的には満州に残り、大学で勉強を継続することを望んだ。もちろん、三五やハルク、そして愛琳と別れたくないということも理由の一つではあったが、あえて、それは隠していた。山田は、

「そうか、そうだな。それじゃあ、しっかりと勉強して目処がついたら、内地の我が家を訪ねてきてくれ。そして内地では、山田陽鵬という名でわしと一緒に暮らそうじゃないか」と言った。

陽鵬は有り難かった。

「山田先生、いやお義父とうさん、本当にありがとう」とただただ頭を下げた。


 愛琳には南方に縁者がいたが、陽鵬は実の親に育てられた記憶がほとんどない上、どこに親戚がいるのかさえ分からなかった。よって、ハルビン近郊以外の土地は知らず、愛琳の身の安全さえ保証されれば、満州に残ることの方が気分的には楽だった。それに大好きな三五が生きて帰ってくるのを陽鵬自身も待ちたかったのである。よって、三五とは『愛琳を幸せにする』と約束はしたものの、それはあくまで三五が戦死した場合の話だと心に決めていた。


昭和二〇年の七月末、二人に思いがけぬ来訪者があった。三五の部下だったロシア人のユーリ モロコフだった。

「もう少しすると、いよいよロシアも参戦して満州に攻め入るらしい。風の便りに聞いたんだが、姫山監督はロシア国境に布陣していて、まだ無事だそうだ。じゃが今の日本軍は学生の士官と少年兵ばかりらしい。今度こそ厳しいじゃろう。・・・監督からは、君達のことを頼まれとる。さあ、早く南方に逃げなさい」

「モロコフさん、私は三五さんを待ちたいの。もし三五さんが逝ってしまうのなら・・・私も・・・」

「それだけはいかん! 監督の願いは、君と陽鵬くんが幸せになることじゃ。今となっては、わしもそうなってほしいと心から願うとる。わしには身寄りがおらん。監督と知り合って家族のように付き合ってもらった。だから、監督の兄弟のような君達には、絶対に幸せになってほしいんじゃ!」


 それから半月あまりして、日中戦争は終わった。しかし、終戦後の混乱で、日本人村では住民が虐殺されたり、若い女性は強姦されたりしていた。日本軍は壊滅し、捕虜となった者はシベリアに抑留され、多くの者が亡くなった。

その後も中国国内の動乱は続き、旧満州でもそれは例外ではなかった。混乱の中、陽鵬と愛琳は何とかして三五の消息を追おうとしたが、はっきりとは分からなかった。三五が所属していた部隊はほぼ全滅し、わずかな捕虜はシベリア抑留になったと言われたが、三五がどうなったのか確認する術はなかった。きっと死んでいるから諦めた方がいいと言われたが、それでも愛琳は待つと言ってきかなかった。そこで陽鵬は告げた。

「愛琳、分かった。でも待つのは一〇年だ。一〇年間待って帰ってこなかったら、僕は三五さんとの約束を守ろうと思っている」

愛琳も「分かったわ」と答えた。

そこから陽鵬と愛琳は、一応夫婦ということで生活を始めた。もちろん同じ部屋に寝ても身体を合わせることはなかった。それでも陽鵬は幸せだった。そして三五の訃報が届かないことだけを祈った。訃報が届けば、愛琳が後を追いかねないと思ったからだ。


 終戦の混乱で、満州には多くの日本人孤児が残されていた。陽鵬は、自分が日本人に助けられ育てられたこともあり、見て見ぬ振りはできなかった。愛琳も同じ思いでいた。そして、陽鵬は初めて、自分が日本人に育てられたことを明かした。

「愛琳、本当は、僕はお義父さんに恩返しをしなければならないんだ。でも三五さんに君を託されたし、もちろん国交が断たれた今では日本に行くこともできない。だから、せめてここで、一人でも多くの日本人孤児達を助けてあげたい。そうすれば、きっとお義父さんは喜んでくれる、恩返しができると思うんだ」

「うん、私もそうしたい。二人で孤児達を育てていきましょう!」

その日から、陽鵬と愛琳のつらく、きびしい日々が始まった。二人は、できるだけ多くの孤児を引き取り我が子として育てた。

二十名近い子供達を養っていくのは容易ではなかった。日本人孤児が不等な差別を受けたのは言うまでもなく、それを我が子として育てる陽鵬と愛琳にも非難といやがらせがあったからである。それでも陽鵬と愛琳は、何とか食べさせていこうと身を粉にして働いた。そして子供達の将来のためにと勉強を教え、愛情を注いでいった。そうするうちに、みんな血こそ繋がっていないものの実に強い絆で結ばれた家族となった。

一〇年が過ぎると、年上の者は働きに出て、家計を助けるようになった。一五年が過ぎる頃には、孤児というハンディをものともせず優秀に育った子供達が社会に出て力を発揮し始めた。また、その頃になると周りの中国人の見方も二人を徳のある夫婦として、尊敬するようになっていた。子供達は、育てられる中で、三五やハルクの話を聞いていたので、これまでは口出しをしようとしなかったが、一五年が過ぎたのを契機に二人を説得し、結婚式を挙行した。陽鵬は四二歳、愛琳は三八歳になっていた。

「長く待たせて・・・こんなおばあちゃんになってしまって、ごめんなさい」

ベッドの中で愛琳は申し訳なさそうにつぶやいた。

「そんなことはないよ。僕こそ、苦労をさせて申し訳なかった。・・愛琳、きれいだよ」

「あなたこそ、とても素敵でした。今まで待ってくれて本当にありがとう」

陽鵬と愛琳は、お互いを慈しむようにしてようやく結ばれたのだった。


 昭和四七年、陽鵬が待ちに待っていた日中国交正常化がようやくなされた。陽鵬は、連絡先のメモを頼りに、日本の外務省を通じて、義父の山田佐吉に連絡を取ろうとした。しかし、これがなかなか要領を得ず、結局、消息が分かったのは、翌年の春であった。その報告では、残念なことに、山田は昭和四二年に七七歳で他界していたとのことだった。それを知った陽鵬は嘆き悲しみ、そして自分を責めた。そんな陽鵬を、愛琳と子供達は慰め、包み込むようにして癒やしていった。

日本人残留孤児の調査が始まったのは、実に戦後三六年が過ぎた昭和五六年からであった。陽鵬と愛琳は、子供達を集めて、大切にしまってあった記録を差し出し、調査に参加するように話をした。しかし、子供達は陽鵬と愛琳のことを思い、それを嫌がった。陽鵬はさらに説得した。

「みんなも知ってのとおり、私は日本人の義父に育てられた。本当は一緒に日本に行って、共に暮らし、恩返しをしなければならなかったんだ。しかし結局は、愛琳とここに残り、そして、みんなの親となった。これは、とても幸せなことだったよ。ただ、義父のことだけは、今でも後悔の念をぬぐいきれない。もっと早く何とかできなかったものかと・・・。義父もきっと私が帰ってくるのを待っていたと思う。それを思うと申し訳なくて・・・申し訳なくて・・・。お前達の親族もそうだよ。きっと待っている。だから、みんなは、自分は元気で生きている、それだけでもいいから知らせてあげようじゃないか」

子供達は、陽鵬の深い悲しみを知っていたので、返す言葉もなかった。愛琳も母として切々と訴えた。それを聞いて子供達は調査に応じることにした。終戦当時、物心がついていた者や引き取る際に名前と連絡先を聞いていた者は、比較的早く消息が分かった。しかし残念ながら、乳飲み子で引き取り、詳しい情報がなかった四名については、結局分からないままとなった。ところが意外なことに、むしろその四名の方が喜んでいた。「これで、お義父さんとお義母さんは、本当のお父さんとお母さんになったね」と。子供達は全員が陽鵬と愛琳の下に残ることを希望したが、日本の家族からの願いもあり、三名の者が日本に帰国した。


 平成四年二月四日、陽鵬は家族に見守られ、七五歳の生涯を閉じた。最後に『お義父とうさん、迎えに来てくれたんだね』という言葉を残して・・・。

愛琳は、八八歳まで生きた。亡くなる前には『こんなにおばあちゃんになってしまって、あの人や三五さん達に会うのが恥ずかしいわ』と言っていたが、逝った時の顔は、微笑みをたたえて静かに眠っているようであった。


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