一〇、シベリア抑留
| 捕虜となった三五達は、二日間、貨車にすし詰めにされた。貨車内では立ったまま糞尿を垂れ流すしかない状態で、もちろん食事が与えられることもなかった。これにより、どの貨車においても幾人かの命が奪われていった。そして、イルクーツク周辺の収容所に送られた。いわゆるシベリア抑留である。
収容所は、高さ五mほどの板塀と有刺鉄線で囲まれていた。もし、逃げようと壁に近づこうものなら、容赦なく機銃掃射が行われた。収容所には三千人近くが収容されたが、明らかに定員を上回っており、三段の就寝棚に、寝返りもできないような状態で眠らざるを得なかった。もし冬場に就寝棚から落ちて、そのまま下で寝ようものなら、凍死は確実と思われた。
作業は朝から晩まで森林の伐採と搬出をさせられた。特に冬場の作業は過酷を極めた。食事は、朝は黒パンから作った粥のようなものが、昼食はなしで、夕食時にわずかな黒パンと粥が支給されるだけだった。よって、みんなやせ細り、体力のない者から死んでいった。さらにシラミが大量に発生し、これによる発疹チフスで高熱を出し、死んでいく者も多くいた。いつの間にか、千人近い収容者がいなくなると同時に、連日、墓穴掘りの作業が追加されることになった。しかし、死者があまりに増えすぎたことや冬場の堅い凍土を掘るたいへんさから、服を脱がせて放置し、オオカミの餌として死体の処分を行うようにもなっていった。
森林伐採を行い、木材を搬送するには馬が欠かせず、その世話も重要であった。それを得意とする三五は、ロシア兵から命じられて馬番となった。馬には十分な飼い葉の他に、時折、じゃがいもやトウモロコシ、大麦なども与えられた。三五はそれを少しずつ盗んでは、仲間達に持ち帰り、飢えをしのいだ。それでもシラミによる発疹チフスを免れることはできず、ついに丸山が倒れた。
「小隊長殿、これを食べて体力をつけないと!」
三五は、服の下かくしておいたじゃがいもを差し出した。
「姫山さん・・・僕はもうだめかもしれん」
「元気を出して! 無理してでも食べて、一緒に日本に帰りましょう。帰って、お母さんを喜ばせて、大学にも戻って、勉強もして・・・」
「そうだね、姫山さんも僕の大学に一緒に行こう。君なら、きっと首席をとれる・・・」
次の朝、丸山は冷たくなっていた。三五と小隊の仲間は、悲壮感にくれながら、オオカミに掘りかえされないように墓穴を深く掘った。そして、遺髪を切り、上着を脱がせた。上着のポケットには、お守りと家族の写真、そして手紙が入っていた。三五は、それらを自分の服の懐にしまった。
「丸山小隊長、俺が絶対にお母さんのところに連れて帰るから・・・」
三五達は、埋葬した土盛に墓標を立て、手を合わせて冥福を祈った。




