一、出会い
昨年(平成二七年)、戦後七〇年を迎え、戦争の悲惨さを知る方々がどんどんと亡くなりつつあります。そして、最近の国際状況はとても怪しい雰囲気が漂い、さらに国会では、ほとんどの学者が、現平和憲法に違憲と訴える中、安全保障関連法案が強行採決されました。これからの日本はいったいどこを目指していくのでしょうか?
小説家になろう(小説を読もう)作品の中には、けっこう殺し殺されるものが多いですよね。かく言う僕も、ファンタージ-やSFの戦記ものも一度は書いてみたいと思っていますので、それをどうこう言う訳ではありませんが、先ず、最初に投降する作品は、平和を愛し、人を愛する作品にしようと思って、この小説を書きました。処女作ですから、先輩方から見ればおかしな部分が多いとは思いますが、ご意見、ご感想などいただけるとうれしいです。
「もう七月も終わりかあ。そろそろテーマを決めないと・・・」
夏都がつぶやく。
「そうか、夏都はまだ卒論のテーマが決まってないんだね。そろそろ焦らないとホントにヤバイよ」
親友の結理が心配そうにささやいた。
「編入が決まってるのに卒論は書けだなんて、二年したら、また書かなくちゃいけないんだよ。あーあ、田舎のおばあちゃんのところにでも行ってリフレッシュしてくるかなあ」
「ぜいたくだなあ、私は就活もあってたいへんなんだから・・・。夏都も将来どうするのか、そろそろ考えといた方がいいよ」
結理の言葉に対し、(取りあえず広島県立大学への編入をすることにして、将来のことは二年先送りしよう)と考えていた夏都には返す言葉もない。
「じゃあ結理、また連絡するね」
「うん、夏都も頑張って!」
「おばあちゃん、短大の二年なんてあっという間だよ・・・今年のお盆は久しぶりに帰るからね」
「そげんかね。そりゃ、楽しみばい。ばってんこっちは暑かよー。佳枝にもたまには顔を見せるように言うちょって。ほんじゃあ、気いつけて来るんよ」
「わかってるって、じゃあね」
電話の向こうで弾む祖母の声に夏都もうれしさを隠せない。
「ママはいかないの?」
「そうね。まだ仕事があるからね。お母さんによろしく言っといて」
母の藤本佳枝は、公立高校の教師である。夏都が小さい頃はそれほどでもなかったが、最近のこの時期は、悩みながらの資料作りに追われている。二人が住む岩国市では、山口県でありながら、買い物や遊びに行くのは広島市へということが多い。テレビの放送も広島県側が映り、そちらを見る人の方が多いくらいなのだ。JR在来線で四五分という距離にある岩国市は、広島市のベッドタウン的な存在で、何かと広島県側の影響を受けていた。よって、平和学習などもさぞや盛んだろうと思われることが多いのだが、実はそういうことはまったくない。岩国市には極東最大の米軍基地があり、これに協力する市政が続いているため、教育現場では気を遣いながら平和学習を進めざるを得ない状況となっている。佳枝が頭を悩ませる由縁もここにあり、今年はなおさらなのである。
平成二七年、戦後七〇年を迎え、テレビやインターネットでは、安倍政権が出してきた安全保障関連法案に対し、国会での熱い論戦、九割を超える憲法学者の違憲見解、各界著名人の反対表明、それに追従して学生達や母親等を中心とした抗議デモなどが盛んに報道されている。そして、原爆の日や終戦記念日が近づくにつれ、戦争に関する番組も多くなっていた。安倍政権はそれまでの憲法第九条の解釈を変更し、集団的自衛権を容認するという閣議決定を行った。そして歴代自民党政権や法制局元長官の違憲見解や過半数を超える国民の反対の声を無視して、数の論理で法案を通そうとやっきになっていた。佳枝は(こんな時だからこそ、平和学習が大事なのよ)と強く思っていた。そして、口には出さなかったが、夏都にも(国会前で頑張っている学生達のように少しは平和について興味を持ってほしいんだけどなあ。今、動かないとこれからの日本がどうなるか分からないのに・・・)と残念に思っていた。
「じゃあ明日から、日田に行ってくるからね」
夏都は、バッグに着替えを入れながら祖母のやさしい笑顔を思い浮かべていた。
母の郷里、祖母の梶原敦子の家は、九州の小京都と言われる大分県日田市にある。夏都は、先ずJR新岩国駅から新幹線こだま号で広島駅に行き、そこから久留米駅まで新幹線さくら号で、そしてさらに在来線の特急ゆふいんの森号で日田に向かうことにしていた。
「久しぶりの日田か、暑いだろうなあ」
八月七日、広島原爆記念日を過ぎて、お盆の帰省ラッシュにはまだ少し早いため、早朝の広島駅にはそれほどの混雑はない。夏都は、駅の構内でお土産を調達してホームに戻り、一二番線に入ってきたさくら五四三号に乗り込んだ。そして、指定席の位置を確認し、バッグとお土産の袋を荷棚に置いた。しかし指定席が陽の当たる暑そうな窓側で、乗客もまばらだったので、とりあえず隣の通路側の席に腰を下ろした。夜更かしして寝不足の夏都は、座席をリクライニングにして目を閉じていた。すると
「すみませーん」
「えっ、はい!」
少し違和感のある声に返事をして目を開けると、金髪の若い外人男性が立っている。それもモデルかと思わせるような超イケメン!
(えーっ、私、だいじょうぶかなあ・・・)
夏都は、ノースリーブのありふれたブラウスに膝上までのパンツというファッションで、見かけよりも動きやすさ重視で出かけてきたこと、日焼け止めが目的のさえない化粧であることを一瞬、後悔した。そして今、自分が座っている席が、実は彼の指定席なのだと理解した。切符を見せながら微笑む彼に、顔を真っ赤にした夏都は「アイムソーリー、アイ・・・」とかなり混乱していた。
「ダイジョーブです。隣、いいですか?」
背の高い彼は大きなリュックを軽々と荷棚に乗せ、また「すみませーん」と言って奥の窓側の席にすべり込んだ。
「日本は暑いですね」
恐縮していた夏都を気遣ってか、彼は流暢な日本語で話しかけてきた。
「昨日、ようやく広島に来て祈ることができました。九日、私は長崎に行きます」
「原爆の慰霊・・・平和祈念式典・・・ですか?」
「イエス、ずっと来たかった」
(若い人なのに、どうして・・・?)そう思いながら夏都は問いかけた。
「どちらから来られたんですか、どうして原爆の慰霊に?」
「私はアメリカから来ました。私のおじいちゃんはオランダ人で、昔、中国にいました。そして戦争が始まった。戦争でおじいちゃん、飛行機に乗って日本に爆弾落としました」
「えっ、原爆を落とした方!??」
「ノー、原爆ではありません。でも街を焼いた。たくさんの人の命を奪ったと言っていました。おじいちゃんには、日本人の友達がいました。だから、彼がもし生きていたらホントは会いに来たかった。でもたくさんの人を死なせたから、来られなかった。それで、代わりに私が来たんです」
「そうだったんですか」
それから彼は、今、二六歳で、カルフォルニア大学の日本語学科で助手をしていること、九五歳まで生きたおじいちゃんはオレゴン州に住んでいたこと、よく遊びに行っていた彼をかわいがり、いろんな話をしてくれたこと、今日、彼は、おじいさんが七〇年前の八月八日に空爆したという北九州市でお参りすること、そして、その場所がよく分からなくてちょっと不安だということなどを語った。
「私で良かったら、お手伝いしましょうか? 私は特に急ぐ旅でもないから・・・」
思わず口に出した夏都は、言った自分に驚くとともに、(私じゃあ、釣り合わないよなあ・・・)と並んで歩く姿を少し後悔しながら想像していた。
スマートフォンで調べてみると、確かに昭和二〇年八月八日に北九州市でB29爆撃機による大空襲があり、焼夷弾で二千人以上の住民が犠牲になったこと、実は、八月九日に長崎市に落とされた原爆は当初、北九州市に落とすはずだったこと、ところが、北九州市が曇っていたため、長崎市に変更されたことなどが分かった。そして彼のおじいさんは、この大空襲の際、対空砲火によって筑豊の山中に墜落したものの、何とか無事で、まもなく終戦を迎えたとのことだった。
JR小倉駅に着くと夏都は、改札で駅員に事情を説明し、運賃の精算をしてもらった。そして、ネットで調べた八幡東区小伊藤山公園の慰霊塔、平和の女神像へと、彼と共に向かった。途中、お互いに自己紹介をしていないことに気付き、大笑いして名乗り合った。
「私は、藤本夏都。今は短大生で、今度、広島市内の大学に編入するの。専攻は人文学で、今、卒論で焦っているところなの。あなたは・・・?」
「私の名前は、アルク ハイネンです。アルと呼んでください。ナツさんは親切で、とてもカワイイね!」
「えー、そんなこと言われたことないよ。 アル・・さんって、口がうまいのね」
過去、男性から告白された経験はあるものの、こんなにストレートに誉められたことがない夏都は再び顔を真っ赤に染めた。
「ホントよ! ホント!」
アルクの笑顔につられ夏都も笑ったが、心の中ではある種の劣等感を感じていた。友人は夏都にスタイルが良いとお世辞を言ってはくれるが、夏都自身は、背はそれほど高くもないし、顔立ちもごく普通だと思っていた。そして何よりも、性格の面で、周りを気にして自分自身を押し出せない引っ込み思案なところがあり、それをいつも引け目に感じていたからである。逆に一人で海外旅行に出かけ、見ず知らずの人にも積極的に、しかもやさしく声をかけてくるアルクが夏都にはとても輝いて見えていた。