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自動人形は夢を見る(C85無配作品) 執筆者:月蝕

作者: 月蝕

「ロボット工学三原則」

・第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また人間が危害を受けるのを何も手を下さずに黙視していてはならない(人間への安全性)。

・第二条:ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一条に反する命令はこの限りではない(命令への服従)。

・第三条:ロボットは自らの存在を護らなければならない。ただし、それは第一条、第二条に違反しない場合に限る(自己保存)。

                                         ――アイザック・アシモフ




 それは、エヴァがまだ意識を持って間もない頃の事だ。

「ねぇ、お父様。どうして世界は滅んでしまったのですか?」

 その頃のエヴァはとにかく「何故?」「どうして?」ばかりを口にしていた。自分が見聞きした物、知った事の全てが、とにかく不思議で仕方がなかったから。

 そんなエヴァは、自分が目覚めたときからずっと側にいたその男――鉄造に、なにかにつけて質問ばかりしていた。

「馬鹿が。俺の話をちゃんと聞いて無かったのか? 滅んだのは世界じゃねえ、人類だ」

 自分の手元に集中してエヴァには一別もくれず、それも一言目には馬鹿だなんだといった暴言を添えながらであったけれど、鉄造はいつだってエヴァの疑問に答えてくれた。

 今になって思えば、【ライブラリ】で検索をすればすぐにでも分かるようなことばかりであったけれど、エヴァが聞けば鉄造は何でも教えてくれた。だからその常に不機嫌そうな顔をしている壮年の男を、何時しかエヴァは自然と父と呼ぶようになっていた。

「なにか違うのでしょうか?」

「違ぇよ、全然。人間なんざいなくなったところで、世界は変わらずそこにある。それどころか、我が物顔で跳梁跋扈していた害獣(じんるい)がいなくなったおかげで、世界は救われたとさえ言えるだろうさ」

 皮肉げにそう言いながら、鉄造のその無骨な手からは想像も出来ない繊細な作業には一部の狂いもない。エヴァの表情は無風の水面のように静かで、視線はその一点を注視し続けていた。

 作業台にのせられているのは、セラミックの骨格で構築され、それを張り巡らされたエネルギーケーブルと擬似神経、人工筋肉で覆われた人型。

 内部機関をむき出しにしたままの自動人形(オートマタ)の素体は、着々と完成へ向かっている。

「ではお父様。どうして人類は滅んでしまったのですか?」

「何故……か」

 手を止めることなく、けれど視線はどこか遠くを彷徨いながら、鉄造はどこか他人事のように話し始めた。

「一言じゃ言えねぇけど、まぁ要するに節操なく増えすぎたのさ、人間って生き物は。自分達の世界に収まらない程にな」

 狭いケージに沢山の生き物を無理矢理押し込めばどうなるだろう。そして、その中にある餌や水が、その中にいる全員の飢えを凌ぐだけの量に届かなければ……。

「先進国でさえ餓死者の骸が道端に転がった。小火みたいな戦争や殺し合いは何処にでもあった。でもまぁ、当時の政治家共は上手くやったさ。世界大戦は結局起きなかったし、人口はカップに注いだ水が表面張力で持ちこたえてるような状態がそれなりに続いたよ」

 ま、結局全部無駄になったのは知っての通りだがな。当時の為政者達を小馬鹿にしながら、しかし欠片も愉快そうな表情は見せなかった。エヴァの視線は鉄造の手元に固定されていたけれど、その表情を同時に捉える事は、エヴァにとって大して難しいことではなかった。

「俺が生まれるよりずっと前にな、どっかの誰かが人類滅亡の原因は世界大戦や核戦争なんぞではなく、ウィルスによる大量死と言ったんだと」

 そしてその通りになった。今となっては発生原因も感染経路も分からずじまい。誰かが黙示録のラッパだと絶叫したそれは瞬く間に世界中に広がり、百億に届いていた人類という種のみを皆殺しにかかった。

「――たった半年。たった半年で百億いた人類は正体不明のウィルスによってこの地上から一人残らず消えてったよ。遺体らしい遺体も残らなかった」

 そのウィルスに感染して死亡した身体は、どういうわけかまるで見えない炎に焼かれるかの如く灰になり、風に飛ばされ消え失せた。人類はウィルスにまだ感染していなかった者を選別し、かねてより計画されていた植民星への移住を早め、逃げるように母なる星を出て行った。希望への新天地になるはずだったそこは、絶望からの疎開先へとその意味を変える事になったのだ。

「そんな訳で、この地上から綺麗さっぱり人間はいなくなっちまったんだよ。俺みたいに地下シェルターで引きこもって暮らしていた奴を除いてな」

 そう言い切り、お父様は手に持っていた工具を脇に置いて、ようやくエヴァの方に目を向けた。

「記録したな?」

「はい、お父様」

 完成した自動人形の素体をべしべしと叩きながら、今度は鉄造がエヴァに問いかけた。エヴァの答えは端的に。エヴァは鉄造に沢山の言葉を求めたけれど、彼が自分に求めるのはイエスかノーのどちらかだけだ。

「ならやってみろ。手順は同じだ」

「はい」

 先ほどまで鉄造が作業をしていた隣には、まだ何も乗せられていない作業台と、セラミックの骨から、捻子、円筒、歯車に至るまでバラバラな、自動人形一体分のパーツ群。

 エヴァはそれらと、鉄造に与えられて以来大事に手入れして使ってきた工具を手に取り、作業台の前に立った。

「始めますっ」

「ああ、始めろ」

 先ほどまでの無表情は何処へやら、緊張した面持ちのまま、握り拳を作って気合いを入れるエヴァに、お父様はあくまで淡泊だった。

 エヴァはおっかなびっくり、鉄造とは似ても似つかぬのろのろとした辿々しい手つきで、パーツを選び、工具を使って自動人形の組立を始めた。その横顔に余裕などという物は一抹もなく、意識と思考のリソースは全て目の前の自動人形と、鉄造の手元を見続けた記録に向けられていた。

「…………」

 だからエヴァは気づかない。先ほどまで彼女が鉄造の作業を見ていた位置に彼が立ち、さっきまで自分がそうしていたようにその手つきをじっと見つめていた事も。それを見ていた彼の表情が、常の不機嫌極まるそれとは、違う物になっていた事も。





「もう、お父様。昼間からお酒を飲むのは止めてくださいと何時も言っているのに」

 金の髪を一本の三つ編みに纏めたエヴァは、空になった瓶を拾いながら、リクライニングチェアにだらしなく腰掛け、農業プラントで生産された煙草を不味い不味いと文句を言ってふかす老人を、眉を顰めて非難した。

「うるせぇよ、エヴァ。俺が俺の部屋でどうしてなにしてようが勝手だろうが」

 エヴァの十代中頃という見た目と比べれば、どう見てもお父様というよりお爺様と呼ぶべき老人は、琥珀色の液体が入ったグラスを煽りながら、施設の稼働状況をモニタリングするためのホログラフディスプレイに目を通している。

 エヴァは半ばあきれながら、これがいずれ来る人類再生の為に集結した人類最高の技術と頭脳を持った七人。セブンスター最後の一人。史上初の完全自立型自動人形(オートマタ)を発明、実用化した稀代の天才、安曇鉄造の成れの果てかと思うと、嘆かわしいを通り越して悲しくさえある。

「そもそもな、こんな地下施設にウン十年住んでて昼も夜もあるかよ」

「バイオスフィアの気象再現システムの存在意義を全否定ですか……」

 疑似太陽による昼夜のみならず、四季すら再現してみせるバイオスフィアの気象再現システムも、天下無敵の引きこもりの前には無用の長物と成り下がっていた。

「ふん。そんな物、農業プラントでだけ稼働させておけば良いんだよ。そんな事より……だ」

 人類至高の発明を“そんな物”呼ばわりするのは貴方くらいでしょうね。声には出さず、ただただ呆れながら、エヴァはため息を吐く。

 そんなエヴァを一切無視して、緩慢な動作で鉄造は立ち上がるが、足下は頼りなくふらついていて不機嫌そうな顔は赤らんでいる。どこから見ても酔っぱらい爺だった。

「言いつけておいた課題はちゃんとやったんだろうな?」

「当たり前です!」

 エヴァもお父様にそっくりの不機嫌顔で、心外です、と抗議する。けれど鉄造は全く動じず、不満の矛先をかわされたエヴァが回れ右して早足で部屋を出ると、ふらふらとした足取りのまま離される事なくついてきた。



 混沌とした彼の居城とは対照的に、その工房は病的なまでに整頓されている。待機状態にあるさまざまな機器がたてる微かな音がで満たされ、無機質な白色で統一された室内。ドライバーやレンチといった工具は、サイズ順に並べられ、今すぐにでも使えるよう手入れがされている。

 部屋の中央にあるのは、スポットライトで照らされた作業台。横たわるのはスモックを着せられた男性型自動人形(オートマタ)のボディだ。生身の人間が眠っているのと変わらないその光景の所為で、生前のメンバーに手術室だと揶揄された、鉄造とエヴァの聖域。

「ふん。漸く一日で一体組み上げられるまでになったか」

 お父様は自動人形を矯めつ眇めつ眺めてから、空になったパーツケースに視線を移す。

「はい、お父様。ですけど、その、この機体は――」

「なんだ、気がついていたか。まだまだ組み上げるだけで手一杯かと思ってたんだが」

「いえ、はっきりと分かっているわけではなくて、何となく違和感を感じていて……」

「それでも上出来だよ。それが勘ってやつだ」

 お父様の視線を辿ったエヴァは、不安に満ちた訝しげな表情で、その顔を見上げる。不安そうなエヴァに対して、彼は不機嫌そうな顔は変わらずとも、口の端をほんの少し吊り上げている。

 待機状態の機器をアクティブにし、コンソールに手を滑らせると、作業台に横たわっていた自動人形が起動した。

「人体なんて無駄に精密な構造を再現した自動人形だが、頑強さという面では人間を遙かに凌ぐ」

 しかし起動したとは言え、まだAIは搭載されていないそれは、人間であれば延髄にあたる部分に直接差し込まれたケーブルから送り込まれる信号に従って動かされているマリオネットでしかない。

「一方で、ほんの少し歯車が噛み合わなかっただけで機能不全を起こしかねない脆弱さを併せ持つ。合わない部品を無理矢理組み込めば当然不具合が出る」

 身体を起こし、作業台から降り立った自動人形はしかし、歩き始めようとしたところでつんのめるように崩れ落ちた。

「無理に動かそうとすれば、見ての通りこのザマだ」

 鉄造はコンソールに手を走らせ、不安定な足取りの自動人形を危なげなく操り、作業台の上に再び横たえた。

「そこで……だ。エヴァ、次の課題だ」

「はい?」

 一日仕事で自動人形を組み上げたばかりのエヴァに、鉄造は常の不機嫌そうなそれに戻った顔で、次の課題を突きつける。

「この出来損ないを検査して、どこのパーツが間違っているのか見つけだし、正しい物と交換しろ。制限時間は……そうだな、二十四時間はくれてやる。簡単だろ?」

「…………な」

 開いた口が塞がらなかった。普段から自分には理解不能な事ばかり言う人だと思っていたが、これほどまでとは思っていなかったのだ。並の機械を遙かに上回る数のパーツで構成される自動人形の修復は、簡単な構造の物でも検査とその結果の検証だけでも最短で二日、実際の修復を合わせたら更に一日かかる。

 それを二十四時間で行え、簡単なことだろうと事も無げに言ってのける父親に、エヴァは自分が彼の事を理解できないように、天才に凡愚の事は理解できないのだという現実を思い知らされた。

 この機体は人類生存時代の規格品で、本来なら工場の機械で組み上げることが可能であり、予備パーツが全てある事が唯一の救いだ。オーダーメイドの自動人形であれば、部品を一から製造しなければならず、更に時間を取られる。

「ふん、流石にまだ酷か? なら一つだけ教えてやるよ。不具合を起こすよう俺がすり替えておいたパーツは全部で三つだけだ。ま、頑張れ」

 そう言い残して、エヴァが呆然としている間に鉄造はすでに工房からいなくなっており、部屋の隅では無情にもその数字を減らし始めているタイムリミットを示す立体映像が浮いていた。

「…………は、あはは。やりますよ、やってやりますよ」

 エヴァはもし施設の管理を行っている他の自動人形達に見られたら、鉄造に検査を受けるよう心配される類のひきつった笑みを浮かべて、横たわる自動人形の側に仁王立ちした。

 ――さっき動かそうとした時、このボディは上手く歩けなかった。少なくとも一カ所以上はそこに問題があるはず。

 エヴァはそう思いながら、バラバラのパーツのままだった頃のこれを、自ら組み上げた時の記憶を掘り起こしていく。その中で自分が違和感を感じたのは一体どこだっただろうかと。

「――よし!」

 エヴァは自らを鼓舞し、まずは故障個所の当たりを付けた部分の精密スキャンを始めた。

 ――ちゃんと出来たら、お父様は誉めてくださるかしら?

 そんな一人の娘らしい希望を、その胸の中に抱きながら。



 コツコツと鉄造の革靴がリノリウムの床を叩く規則正しい音が響く。そこに先ほどふらつきながら歩いていた酔っぱらいの影は見えない。

「アレが目を覚ましてから十年。なんとか間に合いそうだ」

 誰に向けるでもない独白は、恐ろしい程に無音の廊下に飲み込まれていく。自室に戻り、点けっぱなしだったホログラフディスプレイの電源を落とす。手で触れなくとも、彼の脳にインプラントされたBMI(ブレインマシンインターフュース)によって、施設内の大概の装置は操作可能だった。

 真っ暗になった部屋で少しぼうっとしてから、おもむろに壁面の液晶パネルを起動。ライブラリの中からある写真フォルダを選択、最初の写真を表示する。

 そこには、白衣を着て笑っている六人の男女と、不機嫌な顔をした作業着姿の青年が混じった写真があった。

 鉄造は写真をスライドショー状態にしてから、ポケットから不味い煙草を取り出して火を付ける。

 一定時間ごとに切り替わる写真を眺めながら煙をゆっくりと吸い、疲れから出るため息のように吐き出した。

「全く、不味くてしょうがねぇよ、ジョンソン。自分が吸わないからつって煙草畑の区画を手抜きしやがって」

 ヤニが切れてイライラしている自分と禿頭の黒人が怒鳴り合っている部分を移した写真を眺めながら、鉄造はくつくつと笑う。

 食堂で他のメンバーに憚る事無くイチャつくヨハンとエリザベータのチェルノフ夫妻。豊かな髭を蓄えたワーグナー翁。童顔を気にしていたシェリル。在りし日の施設の姿。

「――――」

 ある一枚の写真のところで、鉄造はスライドショーを止める。そこには、花が咲いたように朗らかに笑う女性と、なんとかして作った無理矢理な笑顔の男。そして、その間に挟まれるようにして立つ、太陽のような笑顔を向けている、今のエヴァと同じ年頃に見える少年。

「なぁ、フィーネ。エヴァは順調に成長してるぜ。お前がいなくて、俺みたいな碌でなししかいなくてもな。女の子の方が手が掛からないって言うのは本当らしい。アダムが聞いたらふて腐れそうだが」

 女性と少年を見つめる鉄造の顔は、常の仏頂面が嘘のように優しげなものになっていた。

「アダム。お前は向こうで今いったい何をしているんだ? お前の片割れである妹は、もうすぐ完成する。お前やお前が連れて来るであろう人々を迎えるためにな――」

 ふいに、ぐらりと視界が傾きそうになるのを鉄造は堪えて、スツールに腰を下ろす。

「けどな、そこに俺はいない。あいつを囲む者はいても、あいつと対等の位置にいてくれるやつなんて、多分この先現れない」

 鉄造は灰皿に煙草の火を押しつけて消し、天を仰ぐように上を向く。けれど、そこにあるのはパネルの明かりでぼんやりと照らされた天井だ。

「お前達は俺を恨むのだろうな。自らのエゴで生み出したお前達に、人類のエゴまで押し付けたのだから」

 鉄造は、枯れた両手で顔を覆う。嗚咽を漏らさず、涙を流す事もなかったけれど、その老人は薄暗い部屋で肩を震わせていた。





 ――ついにその時が来たか。と、鉄造はどこか虚脱感にも似た達成感と、それ以上の罪悪感に苛まれながら、エヴァを呼んだ。

「お父様、見てください。この子は私が一から組み上げたんですよ!」

 呼ばれたエヴァは、襞のついたブラウスにリボンタイ、ブラウンのスカートという落ち着いた出で立ちに少しそぐわないはしゃぎぶりで、鉄造の下へやってきた。

 その手に引かれているのは、十二歳程に見える少女型の自動人形だった。AIはすでに搭載済みらしく、電子的な音声で「初めましてお爺様」と言って、自然な動作でお辞儀をした。

「お爺様か、まぁお前が作ったのならそうなるわな」

 嗄れた声でそう呟いた後、鉄造はエヴァに手を伸ばす。きょとんとした表情でエヴァがその手を目で追うと、節くれ立ったその手のひらが、ぽんと頭の上に乗せられた。

「――よくやった、エヴァ。お前は立派な一級技師(マイスター)だ。今はもうその資格を証明する物をくれてやる事は出来ないが、他ならん俺が認めてやる」

「お父……様?」

 いつもの不機嫌顔は何処へやら、穏やかな表情でぐりぐりと乱暴に頭を撫でる彼を、エヴァは呆然と見る。

「なんだ、不服か?」

「違います! そんな事はありません!」

 ただ、信じられなかったのだ。頭を撫でられる事も、皮肉もなにもない、手放しの誉め言葉とこんな顔を自分に向けてくれる事も、エヴァの記録に有る限り初めての事だったから。

 照れて俯いていたエヴァが、はにかみながら嬉しそうに鉄造の顔を見上げると、そこに先程までの表情はなく、ただただ痛ましく悲しげな物を見る目を自分に向けている事に気がついた。

「――最後に、お前に教えておかなきゃならん事がある」


 そしてエヴァは知る。自分の事、世界の事、父と呼んだ男の事を。



「まずは良い話からだが、飛ばしていた観測機からの確定情報だ。地上に広がっていたウィルスの消滅が確認された。感染対象がいなくなったというのにしぶといものだ。漸く外に出られるぞ」

 エヴァが存在することすら知らなかった、施設の見取り図には記されていないエレベーターの中に入ると、前置きもなしに鉄造は切り出した。

「さてと、エヴァ。次に悪い話になるわけだが、まずはお前の正式名称を言ってみろ」

「自動人形TF series type-02エヴァ・A・ヴィルヘルムです。世界最高の技師によって、完全な人形として制作されました。いずれ来る人類再生の為、この施設の維持と管理、及びいずれこの星に帰ってくるであろう人類が帰還された時には、それを迎え共に歩む事がその使命です」

 どこか誇らしげに、エヴァは自分の記録領域の一番最初に記された項目を諳んじる。

 エヴァは他の自動人形とは一線を画するレベルで、ともすれば過剰とも言えるほど精巧に人体を模して作られた自動人形だ。

 見た目や肌の質感は元より、心臓を模したポンプから血液のように送り出された循環液は全身の隅々まで巡って体温を再現。張り巡らされた疑似神経は人と変わらぬ反応を可能とし、その指先の動きに至るまでその運動に機械的な不自然さは見られない。発声器官はスピーカーではなく、人工声帯を震わせて行われる自然なものだ。

 さらに、全ての人工知能を持った機械は原則に縛られて人の命令に逆らうことが出来ない。そうしなければ道具としてすぐに使うことが出来ないからだ。にも関わらず、TF seriesに組み込まれた究極AIはその原則を打ち破る事が出来る自分の判断で全てを決定し行動できる。完全なヒトガタがそんなモノに縛られるなどあってはならない。

 不気味の谷を越えた、その先にある極地。最高級品の性的奉仕人形(セクサロイド)ですら及ばないほどの再現度。しかし、それも全て必要があっての事だった。

 人と対等の存在として、共に歩む為には。

「そうだな。俺は……俺達はそういう建前でお前達(TF series)を作った」

「建前……?」

 エヴァは困惑して首を傾げると、鉄造は彼女に目を向ける事無く続けた。

「用途はどうでもよかったからな、俺は俺の目的を果たす為に政府の要求を飲んだだけだ」

「お父様の――」

 ごくりと、ありもしない生唾を飲み込んでから、エヴァは決心したように口を開く。

「お父様の目的とは、一体何なのですか?」

 まるで目覚めたばかりの頃のようだとエヴァは思った。なんでもかんでも鉄造に問うて、彼に答えを求めていたあの頃に。

「何のことはない、俺は神様の真似事を……この手で人間を作り上げてみたいと思っただけだ」

 失望したか? と自らを嘲るように振り返る鉄造にエヴァは、言葉を返すことが出来なかった。つまりこの人は、自分に何も求めてはいなかったのだと、機械としての存在意義を否定されたようなものだったから。

「とは言え俺には身体は作れても肝心のAIがどうにもならなかったからな、プロジェクトには人工知能の権威だったフィーネ・ヴィルヘルム博士がいるのは知っていたし、渡りに船だと思ったよ」

 自らの母と呼ぶべき存在の名に思いを馳せようとするが、エヴァが起動した時には既に故人であったため、ぼんやりとして像を結ぶことができなかった。そうしているとエレベータが停止し、その扉が開くと姿を現したのは、そびえ立つように重厚な隔壁があるだけの薄暗い部屋だった。

「そうして出来たのがお前達TF seriesだ」

 隔壁の側に据えられた端末を操作しながら、「けどな」と鉄造は続けた。

「01――アダムと名付けたお前の兄が目を覚ました時、俺はどうしようもないくらいに後悔したよ。ああ、なんて”酷い存在に”生み出してしまったんだとな」

 鉄造の絞り出すように出された懺悔に、ショックに俯いていたエヴァは面を上げる。けれど。ディズプレイのバックライトに浮かび上がるその顔は、何時もの不機嫌面ですらない、貼り付けたような無表情だ。

「人の姿をして、人と同じように物を考え、人と同じように世界を感じ、人と同じように泣いて、怒って、笑うお前達を、ただ役割を真っ当するだけの機械と同じように扱うのかと――」

「……でも、お父様。私は――」

 どんなに人に似ていても、私は機械ではないですか。機械はあなた達人間の道具として使われるために存在する物でしょう。

 そう続く筈だったエヴァの言葉は、隔壁の拓く轟音によって掻き消されてしまった。隔壁の隙間からは光が溢れ、気圧の差を埋めるべく吹き込んだ風が二人の肌を乱暴に撫ぜた。

 思わず瞑った目を風が収まった後に開くと、エヴァもうそんな言葉を紡ぐ気力を失っていた。

「お前がそうありたいのならそれでいい。だが、これを見てからでも選ぶのは遅くねぇだろ?」

 残酷なくらい優しげな鉄造の声は、確かにエヴァに届いていた。けれどエヴァは何も答えることが出来ず、乱れた服や髪を直すこともせず呆然としていた。

 そこには、本物の世界がただ当たり前のように在った。

 ふらふらと夢遊病患者のように頼りない足取りで、エヴァは一歩外に踏み出した。その時エヴァの脳裏に『違う』という言葉が過ぎった。鉄造がバイオスフィアをこんな物と扱き下ろしていた意味が今なら分かる。

 降り注ぐ太陽の光が肌に触れて、むせる程の土と草の混じった匂いに鼻孔を満たし、合唱の如き虫の音と鳥の鳴く声が鼓膜を振るわせる。

「あ……ぁ」

 見上げれば、果てしなく高く広がる蒼い空。

 紛い物であるはずの五感で感じ取る世界の全てが、ただひたすらに美しくて、作り物でしかないはず心が震えた。服が汚れるのも構わずに、崩れ落ちるようにへたり込む。

「綺麗だろう?」

 そう感じられるお前が、ただの機械であるものか。そう言われた気がして、出来の悪い玩具の人形にでもなってしまったようにこくこくと首を縦に振るエヴァの頭を、鉄造の手が荒っぽく撫でる。

「【ライブラリ】を見たお前なら知ってるだろうが、ウィルスが広がる前に、人類はこれを自分達の手で滅ぼしかけた。この美しい世界は、人間がいなくなったからここまで再生したと言える」

 鉄造の視線の先を見遣ると、そこには荒れ果てたビル群が、街が、在りし日の栄華が木々や蔦といった植物に飲み込まれている。

「その上でお前がどういう道を選ぼうとも、俺は何も言うつもりはない。例えこの世界を守るために戻ってきた人類を滅ぼそうとも、施設の維持管理を放り出して好き勝手に振る舞っても、稼働を続ける事に飽いたのなら自壊しようと構わん。だからこれは、人間としてではなく、お前の親としての願いだ」

 そうして鉄造は、くしゃくしゃに歪んだ不器用な、最初で最後の曇りない笑顔を精一杯エヴァに向けながら、最後の命令を下した。

「好きに生きて、幸せになってくれ」

 他の人間が聞いていたのなら、なんて無責任で残酷な言葉だと、エゴにまみれた偽善だと非難するだろう。これまでエヴァに見えていた道を自ら叩き潰しておいて、自由に生きろなんて言ったのだから。

 けれど、エヴァには痛いほど伝わっていた。自分に何も求めていないなんて、馬鹿な自分の思いこみだった。この人はいつだって自分を娘として扱っていたのだと、そうである事を求め、不器用な愛情を注いでくれていたのだと。

 エヴァはそれをただのエゴだとは思わなかった。思いたくなかった。だから、力一杯彼に抱きついてその胸に顔を埋めながら、子供らしく「はいっ」と頷いた。

 生まれて初めての、そして最後になる親子の抱擁。娘は憚る事無く父に甘え、父は優しくそれを受け止めている。

 それは多分、ずっと昔にこの世界にあった、当たり前の幸せだった。




 大切な人を見送ってからも、日々は当たり前のように過ぎていく。

 耐用年数を迎えていた自動人形の部品交換と、お墓の掃除を終えたエヴァは、エレベーターを使い施設の全ての電力を賄う融合炉がある最深部の一つ上、複数の隔壁に護られたこの施設の最重要かつ最大の区画に到着する。

 そこは大きな空洞だった。元々は枯れ果てた地底湖を改造した物で、地下とは思えないほどの広さと高さを誇っている。しかしそれは、無数の書架とそこに詰められた書籍や、絵画の類で壁を埋め尽くされ、床は床でガラスケースに収められた芸術品が整然と並べられている。図書館と美術館を合わせたような場所だが、それに加えて中央には静かな稼働音を響かせているコンピュータ群と、棺のようなカプセルが二つ置いてある。

 【ライブラリ】――それが、人類のあらゆる文化と歴史、そして知識を保存する場所の、何の捻りもない率直な名称。エヴァの最重要保全区画にして、彼女の寝室だった。

「ご苦労様です」

 エヴァは床を磨いていたドラム型の掃除ロボットとすれ違う時、労うようにそのボディを撫でようと手を伸ばした。けれど、合理性を追求し単純なアルゴリズムに従うだけのAIしか搭載していない掃除ロボは、エヴァを単なる障害物として回避し、粛々と与えられた命令を続行していた。

「……………」

 エヴァは行き場を失った手を静かに下ろし、何事もなかったかのように再び歩き始める。

 結局のところ、エヴァは鉄造の死から百五十年の時が流れても、変わる事無く施設の保護という自らに課せられた使命を実行する事を選んだ。

 それは決して強制された物ではなくて、彼女自身が考えて決めた事だった。

 側面のタッチパネルを操作して、カプセルのカバーを開き、中に入ろうと脚を上げる。

 ――ぎぎぎ。と、上げた脚から微かな異音を感じ取った。エヴァは「換えのパーツはまだあったかしら」と思案するが、なければ普通の自動人形の脚部で代用すれば良いかと結論づけて、カプセルの中に身を横たえる。

「次に起きるのは――何も問題が起こらなければ十四年後になるかしらね」

 自ら作成した施設のメンテナンス表を確認しながら、カバーを下ろすと、せり出してきたプラグが脊髄に差し込まれ【ゆりかご】と呼ばれるシステムと同期していく。換えのきかないボディの損耗を抑えるために、施設の維持は可能な限り他の自動人形や専用のロボットに任せ、必要が無いときはこうして【ゆりかご】の中で最低限の機能を残して眠りにつくようになっていた。

「それでは、おやすみなさい」

 そう言ってエヴァは目を閉じる。誰に言うでもないし、返事が返ってくるわけでもないが、彼女が挨拶の類を欠かした事はない。

 それはいずれ来る日の為、エヴァの夢見るいつかの為の練習だった。


 巨大な記憶の保管庫で微睡みながら、機械の少女は夢を見る。埃一つないほどぴかぴかに磨いた部屋に、沢山のごちそうを用意する。自分も精一杯のおめかしをして、未だ見ぬ自分のお兄様と共に、遙か彼方の植民星よりお帰りになられた人類の皆様に、おかえりなさいと言う日の事を。


あとがき

 なろうアカウントを友人4人と共同で作成したので、どのようなものか確かめる為のテスト投稿になります。

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[良い点] すいません。気の利いた言葉が見つからないのでシンプルに表現させていただきます。 素晴らしいと思いました。
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