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短編集  作者: 坪山皆
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 私の彼氏、本田友治郎は古風な名前に反した、爽やかな外見とまめな性格の持ち主だった。

 朝は「おはよう」から始まり、「今日はいい天気だね」あるいは「曇りだね」「雨だね」。「寝不足だー」「腹減った」「やっと授業終わった」「今日は何食べよう」などなど。日々雑多な、ぶっちゃけて言えばどうでもいいことを、逐一ラインで送りつけてくるのだ。

 それだけではない。私がメイクや髪形を変えればすぐに気づき、「可愛い」とか臆面もなく褒めるし、「好きだよ」なんて言葉は日常茶飯事。照れるあまり歯ぎしりする毎日だ。


 中学高校と女子高で育った私にとって、身近な異性といえば「風呂、飯、寝る」しか話さないような、建築業を営む昔気質の父親か、中年の男性教師だけだった。

 ところが友治郎はお互いの誕生日はもちろん、記念日やクリスマスなどと言ったイベントの際には、積極的に何らかのサプライズを仕掛けてくる。

 ついこの間の私の誕生日。友治郎が買ってきてくれた大好物のイチゴのタルトを口いっぱいに頬張った瞬間、ガリっと衝撃が襲い、奥歯が欠けてしまった。結局それは指輪だったのだけれど、あれは軽いトラウマだ。


「よく続いてるよねー」

「だよねだよね! 良く付き合ってるなって自分でも思うんだよ」


 うんうんと頷く私に、親友であるはずの由香は首を横に振る。

 午前十時。教授の都合による休講で暇を持て余した私たちは、部室でのんびりとお菓子をつまみながら雑談に興じていた。女同士の会話なんて結局は恋愛話にいきつくわけで、現在由香には彼氏がいないから、自動的に私が槍玉にあげられているのだ。


「や、ちがくて。本田君のほう」

「はあ?」


 全然意味が分からない。こうしている間にも、私のスマホには友治郎からのメッセージが頻繁に届いている。

「ねむい」「これから講義だよー」「ねむい、寝そう」「今日の定食なんだろ」


「いいから早く返してあげて。本田君かわいそうだから」

「別にいつものことだし、後でいいよ。てか、かわいそうって何」

「だからそれ」


 由香は神妙な顔つきで、私のスマホを指さす。


「いつものことだから余計に不憫。さっきからラインめっちゃ来てるから。無視しないでさっさと返して」

「え、なになに? 本田先輩ってもしかして、意外とまめ?」


 今まで興味なさそうにスマホをいじっていたくせに、私と由香の会話に入ってきたのは後輩の笑里えみりだ。


「やだー。言ったことないかもだけどー、えみってば実は尽くす系男がツボなの! ね、明日香せんぱーい? 先輩のことだからどうせいつもみたいにどうでもいい感じなんでしょ? 絶対続かないってー。えみにちょうだ、だだだだ!」

「えーみーりー?」


 自分の名前を呼んじゃう系の自称小悪魔系、現状トラブルメーカーでしかない笑里は、サークル内でもしょっちゅういざこざを起こす。戒めの意味を込めて、私は自慢の握力で笑里のほっぺたをつねってやった。


「いたいいたい! ちぎれるから!!」

「人間の皮膚はそんな簡単にちぎれませーん」

 

 笑里の日頃の行いのせいか、周りで癒しの由香と評判の親友もフォローすることがない。全くのスルーだ。

 

「ねえ、今日の飲み、明日香出れないんだっけ?」

「金曜だし。明日も午後からバイト入ってんだ」


 私の所属するサークルは報告会と称して、しょっちゅう飲み会を開催する。強制参加ではないが、毎週となると正直だるい。バイトが入っていて良かった。


「ふーん、そっか。じゃ今度女子会しよ。企画しとくから」

「いいねーよろしく」

「あー! えみも当然参加しまーす」

「いらなーい」

「ひどーい」


 会話から少し離れたのを機会に、鳴り続けるスマホをチェックする。  

「今日はきつねうどんの気分」「でもハンバーグも捨てがたい」「明日香はどうする?」「あ、やっぱりうどんかな」

 どんどん届くメッセージに、私はまとめて「そうだね」と返した。


「お疲れさまでしたー」


 本当に疲れた。週末の飲食店は半端なく混み合う。

 バイト終わりに確認したスマホのホーム画面には「三杯め!」という浮かれた友治郎の通知があった。ポップアップ画面を表示すると案の定、大量な料理と飲み物の画像の数々。それがどんな名称でどんな味かの解説付きのメッセージはざっと20を超える。どう返信しろと。


「バイト終わった。飲み過ぎ注意!」


 悩むこと数秒。結局ありきたりの言葉を打ち込んで家に帰った。


 そして翌朝。起き抜けの私は、ベッドの上でスマホの画面と向き合っていた。

 昨日バイト帰りに送ったメッセージは既読にもなっていない。いつもならすぐに既読マークが付いて返信が来るはずなのに。

 「お休み」がないのは出会ってから初めてだった。  

 何かあった? 酔いつぶれて寝てしまったとか。わりと酒に弱いあいつなら十分ありえる。

 とりあえず「だいじょうぶ?」とだけ送って様子を見ようと思った数秒後、「昨日は楽しかったね! また二人っきりになれるチャンスがあるといいな」と来たと思ったまた次の瞬間、「ごめん、間違えた! 気にしないで!!」


 …………。


 私は反射的に電話をかけていた。


「も、もしもし! あの――」

「あのさあ」


 2コールもならないうちに出た友治郎の上ずった声を遮った。


「まじだったらそれはそれで残念だけど。もし試そうとかしてるなら、そういうの一番許せないから」


 電話口の向こうではっと息を飲むような音がしたけれど、構わず切った。


 馬鹿じゃないの。付き合い始めて今まで、朝から晩までライン送ってきておいて、実は浮気していた? あり得ない。まめだけどそんなことができる男じゃないことは良く分かってる。

 向こうだって私がどんな女だか知っていると思っていたのに。

 

 着替えもせず、ベッドの上で情けなさと怒りに震えていること数分。玄関の扉が激しく叩かれ、呼び鈴も息つく暇もなさそうなほど打ち鳴らされた。


「すいませんでした!」


 予想通り、ドアを開けると同時に滑り込んできたのはスウェット姿の友治郎だ。恐ろしく滑らかな動きで土下座姿勢に入った彼は、涙声で切々と訴えた。

 まめにメールやラインを送っている自分に対し、私が返信する頻度が非常に低いこと。日頃オープンに愛情を示しているのに薄い反応しか返ってこないこと。


「明日香がそういうの苦手だってわかってる。けどやっぱちょっと思うところもあって。昨日酔った勢いでもらしたら、それは向こうが悪いんだから、たまには焦らせたほうがいいって言われてつい魔がさして……。ごめん、本当に反省してる。だから別れるなんて言わないで」


 肩も声も震えていて、もしかしたら泣いているのかもしれない。

 

「ごめん、本当に……、ごめんなさい」


 弱弱しく言葉を発する彼のうなじを見つめつつ、私がすることといったら一つしかなかった。


「申しわけありませんでした!!」


 正座をし、三つ指を立てて頭を下げた。


『あの人はまったく何もしない! 釣った魚に餌をやらないどころか奪うつもりなのよ!』


 母の言葉が脳裏によぎる。

 

『何にも言わないし、何にもしないの! 座ってれば勝手にご飯が出てくると思ってるの、服だって自動的に洗濯されて干されて、アイロンかけられて綺麗にたたまれたものがタンスに入ってるのが当たり前と思ってるの!! それをありがたいとも思わない。当然だと思ってるの! 昨日お母さんが来月旅行に行くからって言ったらなんて言ったと思う? 『俺の飯は』ですって!! あーもういや!! いーい? お父さんみたいな人と結婚しちゃだめよ絶対!!』


 なんてことだ。

 母の言うとおり父親とはかけ離れた人を選んだのに、当の私が父と同じような振る舞いをしていたなんて。

 友治郎の優しさにあぐらをかいて、私自身何もしていなかった。それどころか、こまめに届くラインをうっとうしいと公言しつつ、数時間それがなかったのを不満に思う自分になんの矛盾も感じないこの厚顔無恥さ。


「あ。ちょっ、ちょっと。謝ってるのは俺のほうだから」


 頭上で友治郎の声がするが、それどころではない。


「本当に申しわけない! そこまで不安にさせるとか、そんなつもりじゃなかったの。私は口下手であんまり自分の気持ちを言うのとかできないし……、いやこれは言い訳にしかならないけど! それでもこんな私と付き合ってくれてることには感謝してるし、友治郎のことはすごく、だ、大事だと思ってる。だから、ごめん。これからはなるべく不安にさせないように頑張る。ラインだってできるだけ返すようにするし着信だってなるべく早く出る! だから、ごめん。仲直り、しよう!」

 

 これが、今の私の精一杯だ。顔を上げると、友治郎が潤んだ目でこちらを見ていた。


「こっちこそ、ごめん。もう試すようなことは二度としないから、許してほしい」

「それは私の台詞だから。ほんとにごめん」

「だから俺のほうが」

「いや私が……。あーもう! もういいって。きりがないからお互いさまにする! いい?」


 友治郎が笑って頷いてくれたのでほっと息を吐いた後、ずっと気になっていたことを聞いた。


「ところで、余計なことを吹き込んだのは誰?」

  

 後日、笑里の顔面に渾身のアイアンクローをお見舞いした。

 

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