和泉君の夢
「戸田君の真実」、「村上君のリアル」、「江戸川君の靴」、「菅原君の重力」、「立花君の忠誠」の続編です。
長くもないトンネルを抜けると、そこは雪国だった。
いつも夏に来るので、たくさんの雪を見たのは、8年ぶりだ。
タイに単身赴任しているお父さんから電話がかかってきたと思ったら、お祖母ちゃんが倒れたという。
幸い、疲れが出ただけで、自宅で療養していれば大丈夫と聞いたけど。
試験が終わったところだったので、財布と下着だけ持って、電車に飛び乗った。
急なことだったので、飛行機のチケットは取れなかったのだ。
お祖母ちゃんの住んでいる県は、新幹線が開通していない。
特急に乗り換えた後、一両編成の列車に揺られた。
しかも、単線だから、恐ろしくのろい。
試験勉強とレポートでろくに睡眠をとっていなかったので、さすがにしんどい。
車窓から建設途中の線路が見えたので、再来年あたり新幹線が開通するんじゃないかと期待している。
そしたら、もっとお祖母ちゃんに会いに来ることができる。
駅前のバスターミナルは、ほぼ無人状態だった。
自販機で温かいココアを買って、待合室で一時間に一本しかないバスを待った。
バスの乗客は私しかいなかったので、運転者さんは停留所をびゅんびゅん飛ばしていく。
田舎の時間は、ゆったりしているくせ、意外に早い。
あっという間にお祖母ちゃんの家についてしまった。
家の周囲は、きれいに雪かきされていた。
近所の人がやってくれたのだろうか。
玄関をガラガラと開けて、「こんにちはー」と大きな声を掛けた。
あれ、反応がない。
庭の方へ回ってみると、縁側に座っているお祖母ちゃんを見つけた。
ちゃんちゃんこ(袖なしの羽織)を着ているお祖母ちゃんは、傍らに座る若者となにやら楽しげにお喋りしていた。
お祖母ちゃんは、私を見ると、すごく喜んでくれた。
「お孫さん来てくれたんだ。よかったじゃん」
そう言ったのは、お祖母ちゃんと話していた男の子だった。
背がひょろりと高くて、目が大きい。
そして、眉がほとんどない。
今時ヤンキーかよと思いつつ、何気なく眺めていたら、突然ピンときた。
「和泉君だよね」
和泉君は訝しげに私を見つめた後、人差し指で私を指差した。
人を指さしちゃいけないぞ。
「あー、思い出した。小4の時、転校してきた。松下さんの孫だったのか」
「そうそう。この家から小学校に通っていたんだよ」
「相変わらず、イモっぽいのな」
20代の女性に向かって、イモはないだろう、イモは。
小学校の時も同じようにデリカシーのないことを言われた。
都会から来た子は可愛いはずなのに話が違うと、勝手にがっかりされて、からかわれた。
和泉君は、4年生から6年生まで通った小学校のクラスメイトだ。
小学生の和泉君は、クラスで一番背が低くて、人一倍やんちゃだった。
つま先だけを地面につける歩き方をしていて、廊下を走っては先生に怒られていた。
背が低いことを気にして、背伸びばかりして。
地に足がついていない、ふわふわした歩き方をする子だった。
「和泉君は、うちの店でアルバイトしているんだよ」
お祖母ちゃんが簡潔に説明した。
小学生の和泉君は、俳優になりたがっていた。
東京で成功するのだと宣言した小柄な少年は、地元の小料理屋で働く青年になったわけだ。
私はもの言いたげな表情をしていたのだろう。
石を投げたのは、和泉君だった。
「お前、またひとりで来たんだな」
和泉君は私にそう言った。
ひとりで来たら、悪いかよ。
私がお祖母ちゃんの家に来る時はいつもひとりだ。
お祖母ちゃんもお父さんも会うと、気遣いするので、私だけの方がいい。
和泉君と私の間にお互いの事情を察している者同士特有の気まずい沈黙が流れた。
その時、叔母さんがやってきた。
叔母さんは、週に一度はお祖母ちゃんの所に顔を出しているらしく、和泉君と面識があるようだった。
二人が挨拶を交わした後、私は和泉君の買い出しに付き合うことになった。
和泉君の車は、小型トラックだった。
「これ、和泉君の?」
「おやじの。俺にそんな金はないからな」
和泉君はあっさり認めると、エンジンをかけた。
しばらく走って、私は財布を忘れてきたことに気付いた。
Uターンして、お祖母ちゃんの家に戻ると、叔母さんが台所で誰かと電話していた。
別に聞き耳を立てるつもりなんてなかったけれど、私はうっかり聞こえてしまった。
「そうなの。ほら、母さんが預かったことがある子でしょう。だから、心配して来たみたいだけどね。このタイミングで来るなんて、嫌味なのよ。ただでさえ、無責任な親戚にガミガミ口出しされているのに。介護を手伝う気がないなら、偽善ぶって顔を出すのもやめてほしいわ」
あちゃー、やってしまった。
途方に暮れていると、隣に立っていた和泉君にぐいっと腕を引っ張られて、家の外に連れ出された。
「いつもあんな感じだから、気にしない方がいいぞ」
和泉君は、本当にどうでもよさそうに言った。
家族以外の部外者だからこそできる物言いが私の心を軽くした。
次の日、叔母さんは来なかったけれど、和泉君はまたやってきた。
お祖母ちゃんの黒いエプロンをつけた和泉君は、休業中の小料理屋を掃除したり、布団を干したり、雪かきしたり、コマネズミのようにせっせと働いた。
私はお祖母ちゃんと家の周りを散歩したり、和泉君を手伝ったりして、一日を過ごした。
夜になると、お祖母ちゃんが和泉君と私を部屋に呼んだ。
「ずっと休んでいたから、立つのが億劫になっちゃったわ。お店をたたもうかと思うのよ」
お祖母ちゃんはぽつりと言った。
お祖母ちゃんが叔母さんの家族と一緒に暮らそうと誘われていることは知っていた。
そうなれば、私はもう会いに来ちゃいけないのかもしれない。
だけど、その後に続いた言葉には、かなり驚いた。
「介護施設に入ろうと思っているの」
えええええええええ。
言葉を失った私の代わりに和泉君が質問した。
「家族と暮らさないで、他人と暮らすってことすか?」
ストレートすぎる男だ。
お祖母ちゃんは、微笑みながら、頷いた。
「弱っていくばかりの人間と一緒に生活するのは大変なのよ。それは、私が一番よく分かっているわ。だからね。娘や娘の家族になるべく苦労させたくないの。貯金もあるし、自分で解決したいのよ」
お祖母ちゃんは、迷いのない声で言うと、私の手を握った。
「お祖母ちゃんね。和泉君にお世話してもらうの、けっこう好きなのよ。お金を払っているから、ある程度気兼ねなく用事を頼めるし、他人だから話してみると、色々新鮮で楽しいでしょ。そういう人生も悪くないじゃないかって、思うようになったの」
なんだかんだいいつつ、お祖母ちゃんは、強い人だ。
夫と娘を同じ病気で亡くしても、気丈に生きてきた女性なんだ。
図々しくも感動していたら、和泉君がいきなりに立ちあがった。
「俺、介護福祉士になる」
よどみなく出てきたその職業がどんなものかを和泉君は分かっているみたいだった。
和泉君の足のかかとは、畳の上についていた。
もうふわふわしていない。
眉毛ないけど、お金もないけど、頼もしく見えた。
その夜は、雪国人らしく、三人でお酒を飲んだ。
お祖母ちゃんと私はざるで、和泉君は下戸だった。
気持ち良く眠った翌朝、前途ある老人と若者に見送られて、帰宅の途についた。
駅に着いたら、戸田君が車で迎えに来ていた。
マフラーをぐるぐるに巻いて、寒がりなのに、車の外で待っていた。
「お祖母ちゃん、元気そうだった。おはぎ作ってくれたから、戸田君にもあげる。お酒とよく合うんだよ」
紙袋をかかげたら、寄り掛かられて首筋に顔をうずめられた。
鼻がこすれて、くすぐったい。
この人、匂いを嗅いでるよ。
「酒臭くて、あったかくて甘い。おはぎよりも酒よりも、あんたを食べたい」
戸田君は今日も絶好調のようだ。
教訓:
年を取るのも悪くない。
田舎で雪見温泉に入れなかったことを悔しがっていたら、戸田君が混浴温泉のある旅館を予約しようとした。
主人公の生い立ちが見え隠れしました。「戸田君の恋人」シリーズ、いつになったら、終わるのでしょうか。