海の騒乱 14 ―ふたたび、会合―
ヴィルヘルムスは大空騎士団の船で会合場所近辺の海に捕獲用の法術を仕掛け、さらに封印用の結界の準備をして待機していた。
結界の強さはヴィルヘルムスが扱える上で最上級のもので、規模も最大。一体何がやってくるのか詳しい情報はない。なにしろ特級精霊達が手を焼いて今まで存在を隠していたからだ。直前になり「精霊にとって脅威ですが、人間にとっては単なる嵐のようなものです」とだけ説明された。
「要するにかなりやっかいなものということですね」
ヴィルヘルムスとしては色々と問い詰めたい所だが、現在のところ白箔国の特級精霊オーフと直接連絡がとれないうえに、他国の精霊達も自国の人間に警戒を促すことで忙しい。
「玄執組の船を囮に使いますし、応戦しつつ封印用の結界へ誘導するだけですから、被害は最小限に留められるでしょう」
くろやみ国所属の銀色の騎士はそう言った。
“準備はできているか?”
“ええ、法術が効く相手かわかりませんから油断しないでください。結界の準備も完了しています。いつでもどうぞ”
“おう”
中距離での連絡が可能な“遠話”で赤麗国の紅濫将軍から連絡が入る。今回の指揮は大規模な作戦行動に慣れている彼が担当している。
捕獲した玄執組の船を接舷するのも構わずに並べて足場とする。そこに水上戦に慣れている各国の騎士と大空騎士団を交えた集団が待ち構える。各国の船の警備には大空騎士団のほか黒堤組が補助に参加している。
ソレがやってきた時、離れた位置からは小規模な虫か鳥の群れのようにしか見えなかった。だがソレはあっという間に接近し、ヴィルヘルムスの用意した捕獲用の法術は案の定足止めにもならず破壊される。瞬時に剣戟のような音が響き渡り、待機していた銀の騎士と群れが集まり形を成した“ソレ”がぶつかり合うのが見えた。その存在は人の形に近かったが、人間とはかけ離れた姿だった。泥の中から発掘された人形のような“何か”だった。
両者が素手で三回ほど撃ちあうと船が一隻沈み始め、他の船に移る。それを合図に他の騎士たちが加勢に加わる。
封印用の結界は囮の船のうち一番大きなものの中に配置してある。銀色の騎士はその船に向かって移動するが、あっという間に追いつかれた。
「あっ!」
ヴィルヘルムスの補助についていた白箔国の衛士が騎士たちの方を指差し声を上げる。
ほんの一瞬、瞬きの時間程度の出来事だった。銀色の騎士の右腕が噛み付かれる。後から追いついた青嶺国のケセルが槍で、赤麗国の紅濫が真紅の斧で攻撃して隙をつくろうとするがもろともしない。
後方を追っていた赤麗国の紅梅が淡く光るナイフのようなものを十数本投擲し、うち何本かが突き刺さると一瞬動きが止まった。
「お前は離脱してろ銀色!」
「すみません」
そう言うと 銀色の騎士は離脱する。噛み付かれただけのはずの右腕は二の腕からすっぱりとなくなっていた。血は出ていない。人間にはあり得ない跳躍をしてかなり距離がある黒堤組の船へと飛び移っていった。たどり着いたところでうずくまり、黒堤組所属の精霊が駆け寄って何か話しかけている。腕は戻っているようだが、しばらくすると銀の精霊は姿がぶれ、銀髪の青年姿になった。
「何なんだあれは……」
そして今度は嵐のようにやってきた存在が銀の騎士の鎧姿になった。背格好は一回りほど大きく、鎧は腐食した鉄錆のような色をしている。
「ヴィルヘルムス王、あれは人間の手に負えるものではありません!」
「同意見です」
先が読めない状況が続く中、ヴィルヘルムス達は戦場の中心に集中していた。そのため、直後に発生した黒堤組の船上での騒動に意識を向ける余裕がなかった。
◇
「……これは一体どうなっているんですか?」
「俺もわかんねぇ。目の前で展開されても全くわかんなかったが、とにかくあの錆精霊はもう大丈夫みたいだぜ」
突然の作戦中止の連絡を受けて戻ってきたヴィルヘルムスは自分の目を疑った。疑って疑って、さらにやってきたジェスルを睨んで、また目の前の光景に向き合う。
何かに呼び寄せられるかのように鉄錆のような色の精霊が黒堤組の船に移動し、しばらくして計画全面中止となる。ヴィルヘルムス達がわけがわからないまま黒堤船に合流すると、黒いヴェール姿がその錆精霊の脛を蹴っていた。
『アァーさっきまで寝起きですげー腹へってたんだよ』
「だからって了解なしに他の精霊食べちゃ駄目でしょうが! しかも、よりによって、うちの国の!」
くろやみ国代表は相変わらず謎めいた姿だが言動に中の人物の地が出ている。
「なあ、あれって大陸で最警戒対象だった存在だよな」
ジェスルが部下に尋ねている。
「……そのはずです。ついでに報告すると赤麗国の西部で発生した事件の原因でもあるそうです」
「山一つ吹っ飛んだとかいうあれか」
「それです。他にも赤麗国の鉄道爆破や国軍基地の破壊等……まだ状況が整理されていないので全てかは不明ですが、おそらく一連の事件に関わりがあるかと」
「うあー、精霊たちも手を焼く訳だ 。なんか色々面倒くさそうだ。俺絶対後処理にまわりたくねえ。」
ジェスルが天を仰いでつぶやくように言う。おそらく目の前の光景から意識をそらしたい気持ちも含まれるのだろう。
ヴィルヘルムスも同じような気持ちだった。
『アイツらやっぱ上質だな。かじっただけで腹がふくれて思考もハッキリしてきた。この姿もなかなか使い勝手がいい』
「そりゃよかったわね! どうせここに来る途中でも他に色々食べちゃったんでしょう!」
そう言ってナハト代表がさらに蹴っている。変わりない彼女にどこかほっとしたものを感じつつも、またやっかいな存在が彼女の近くに現れた事実にヴィルヘルムスは頭が重くなった。
『ソうなんじゃねーか? おぼえてねーがなんかクソ不味いもん食った覚えはあるな。シかし、米粒みたいだったちびすけがでかくなったなァ』
蹴られても反撃する様子のない錆精霊は黒いヴェール姿の頭に手を置き、撫でようとしたらしいがそっけなく払われていた。
「元々米粒よりは大きかったわよ。あとヴェール外れるからやめてちょうだい」
周囲には精霊や騎士達がいて二者のやりとりを警戒しつつ遠巻きに観察しているが、ほとんどが信じられないものを見ている顔つきになっている。そんな中くろやみ国所属の者たちはただ会話が終わるのを待っているだけのようだ。
「まあとにかく、これで会合が開けますね!」
黒いヴェール姿のくろやみ国の代表は、ひととおり錆精霊に文句を言って蹴り続けたので気がすんだらしく、気をとり直し周囲に宣言した。
◇
戦闘によって天井に穴が開いてしまった大広間で、青嶺国、赤麗国、白箔国、そしてくろやみ国の小規模な会合が開かれようとしていた。
しかし会場には紅濫やケセルどころか、くろやみ国の鎧騎士などといった護衛担当者がいない。彼らは皆部屋の外で警備にあたっている。
その代わりとして、天井の壊れていない部分から止まり木が吊り下げられており、小さなフクロウが全体を見下ろすように鎮座している。精霊に近い存在だと説明されたそのフクロウが現在ヴィルヘルムスの張った結界の管理と調節、補助をおこなっており、部屋の警備システムになっている。
おかげで白箔国ほか法術士達の負担が軽くなり、結界の設置に関わったヴィルヘルムスもより話し合いに集中できるようになった。
ちなみに今回の警備には臨時で大空騎士団の面々も加わっている。
「えー「バリバリ」こ、今回の進行役は白箔国が担当いたします」
天井付近で不吉な音がする中、不安を隠そうとして隠せていないファンフリートが全体を見渡し声を張る。
「よろしくお願いいたします。それでは……「ゴリゴリ」まずはくろやみ国のお話を「バキッ」ナハト代表から……」
名を呼ばれて黒い霧のヴェールに包まれたくろやみ国の代表が立ち上がる。
「みなさま、このような場を設けてくださり「ボリボリ」ありがとうございます。まずはわたしたちの国の紹介をしたい「ガリガリガリ」ところなのですが「ベキッ」その前に……」
言葉を切り、くろやみ国代表のナハトは卓上にあった文鎮を天井付近にいる鎧姿の精霊に投げつけた。
逆さに張り付くようにして天井を食べていた精霊は文鎮を受け止めるとそのまま口元へ運び、ゴリゴリと音をたてて食べる。
「食事は静かにしてちょうだい。今から大事な話し合いがあるんだから」
『ヘイへーい』
ナハト代表の言葉に片手を振って答えると、錆精霊はのっそりと天井に空いた穴から外へ出ていった。青空を背景に身体の一部は見えているのでここから離れるつもりはないらしい。
「まさかあの精霊と意思疎通ができるとは」
赤麗国の紅祢が驚きを隠せない様子で言う。
「ナハト代表はあの者の言葉が理解できるのですか?」
「え、ええ。はい、そうです」
ヴィルヘルムスの質問に黒いヴェール姿のナハトが首を傾げつつ答える。
「もしかして、皆さんには違って聞こえているのですか?」
「精霊術で使う言語に似ているので私は理解できましたが、あの精霊の発する言葉は一般の人間には金属音のように聴こえるものです」
説明を聞いたナハトは思わずといった様子で口元に手を置く。それは驚いた時にする彼女の癖だった。それを見て胸の内がくすぐったくなり思わず笑みを浮かべたくなったが、ヴィルヘルムスはこらえた。今は会合中だ。
「あの精霊、錆精霊と呼ばれているようですが、昔からの縁でちょっとした知り合いなのです。理由は不明ですがわたしとは問題なく会話できますし、わたしの言う事には耳を貸すようなので大人しくするよう言い聞かせてあります。ですが目を離すと何をしでかすか心配なので、念のため目の届く範囲にいてもらっています。引き取り手がいないようでしたら今後もくろやみ国預りになりそうなのですが、もし封印したいのでしたら後で申し出てください」
これまでの暴れ様と囮に使った玄執組の船の破壊されようを知っているため、この場で引き取りを申し出る人間はいなかった。
ヴィルヘルムスも何も言い返せなかったが、厄介なものがくろやみ国に増えたことは確実に理解できた。
「先に錆精霊の件についてまとめましょうか。……ファンフリート、オレマンス、外交上の重要機密になりますからこの場で話し合われたことは私の検閲無しに公開することを禁じます。他の補佐官にも私が許可するまで黙っていてください」
「はい」
「わかりました」
補佐官の返事を得て、ヴィルヘルムスは赤麗国の紅衛代表の顔を見る。青嶺国のキョプリュはまだ回復しきれていないためこの場を仕切る力を持つのは白箔王と赤麗国の紅衛だ。
相手が頷いたのを確認し、ヴィルヘルムスは部屋にいる二名の存在に向けて声をかける。
「それでは各国の精霊の方々、赤麗国のアカネ、青嶺国のアクシャム、どうぞご自由に発言を。ちなみに我が国の精霊オーフとは先ほど連絡を取りましたが、錆精霊の管理には関わらないとのことです」
「配慮に感謝します。白箔王」
赤麗国の紅衛代表の背後に立っていた女官長紅祢こと“アカネ”が一歩出て礼をする。
「オーフはそう言うでしょうね。しばらくアレはワタクシの預かりでしたから。しかし結局ワタクシの手にも負えませんでしたので、新たに預かり手が現れたのはありがたいことです」
アカネは厳しさのある鋭い表情をややゆるめ、穏やかな声音で意見を述べた。
「こちらも問題ありませんわ。ただ、もし騒動が起きた場合すぐにお知らせ願えますかしら」
青嶺国代表のキョプリュの横に控えていた王妃ハーリカこと国精霊アクシャムが答える。ハーリカ王妃としての朗らかな笑顔と同じ表情だが、冴え冴えとした雰囲気に変わっている。
「お約束いたします。既にワタシの一部を取り込んだこともあり、今までと違って精霊界からもリンクできたようですから、居場所も把握できるようになりました。噛られ損にならずに済んだというところでしょうか」
くろやみ国の銀髪の精霊がそう説明すると、赤麗国と青嶺国の精霊たちは頷き、錆精霊のくろやみ国預かりを認めた。
「それでは本題に入りましょう」
ヴィルヘルムスがそう言って人間が主体の話し合いに戻ることを宣言する。
それを受けて精霊たちの気配が薄まった。ある者は一歩下がり、ある者は元の表情に戻り、ある者は音もなく自国の代表の背後に控えた。
「ナハト代表は国としての存在の認可が希望と言っていたが」
紅衛の言葉にナハトが頷く。
「はい。そして国同士の不可侵条約の締結を希望します」
「理由は何かの? 今のところ敵対する要因もない。交流を持った方が双方に良いものじゃが」
キョプリュが咳き込みながらも尋ねると、ナハトはわずかに考えるかのように時間を置き、答える。
「後々は可能ですが、当分の間は無理です。昨晩お伝えしたとおり、我々は会合を終えると早急に帰国せねばなりません。くろやみ国は早くて三日後、遅くともそれ以降に戦闘領域になります。国全域だけでなく近海も含めてです。どれほどの規模になるか分かりませんが、殲滅戦も予想されます。……はっきりお伝えしますと不可侵条約は他国をこの戦闘に巻き込まないようにするためなのです」
まっすぐ前を向きながら、くろやみ国のナハト代表は言った。