海の騒乱 5 ―右手―
右手の指で壁の中の回路をたどり、端子らしきものに触れると頭の中が揺さぶられるような感覚が走る。
玄執組は黒堤組と同じ海賊。だから思った通り、以前ジルヴァラから聞いた黒堤組の船と同じ仕組みが組み込まれていた。
指先から船の中へ、くろやみ国のお城での事を思い出しながら感覚をひろげる。
お城ほど自由には出来ないみたいだけれど、船の規模から細かい構造、それから周辺の海図も手に取るようにわかる。ひととおり中を把握し船の装置を経由して周辺の海を探すと、ちょうど近海の海上に特級精霊がいるのを感じた。
属性は、闇。
「レー……ジルヴァラ、聞こえる?」
私の声は部屋の中に聞こえちゃうから、こっちの名で呼びかける。
『ファムさま!! ご無事ですか!?』
必死な声。コードネームで呼びかけることを忘れてる。また心配させちゃったわね
「なんとか無事よ」
私の言葉で外と連絡がついたことがわかったようで、部屋の中からいくつか安堵のため息が聞こえる。
「会合で一緒だった人達もいるわ。それで、今キョプリュ前王が危険な状態なの」
『わかりました。すぐに他国の精霊にも伝えます』
「おねがい。それと、私達の居る場所を逆探知して迎えに来て欲しいの」
『ええ、すでに正確な位置を把握できていますが……ファムさま? どうやってこの通信をしているんです?』
「ちょっとね。力づくで部屋と私を繋げてる」
『なんて無茶を! それが……その行為がどれだけファムさまにとって危険なのか、理解しているんですか!』
怒りだしちゃったわ。声が震えている。また泣きそうな顔をさせているのかもしれない。ごめんね、レーヘン。
「わかってる。たぶんあと数分持たない。脱出のために残りの時間を使うからあとは自力で頑張って助けにきて。怪我人がいるから、目一杯急いで」
『はい。どうか、もう無理をしないでください』
「ええ」
レーヘンとの通信を終えると、ざっと船内の装置を操作し、外から救助しやすい甲板までの脱出経路を作り出す。甲板には緊急用の小型船も置いてあるみたいだし、最悪でも自力で脱出しやすいはず。
船の警備装置も操れるものは片っぱしから停止させて、周囲に結界を作り出している装置があったのでこれも停止させた。それから扉を塞いでいる精霊もどきを遠隔操作する装置も見つけたので、それもいじる。
色々やっているうちに思っていた以上に負荷がかかったようで、次第に頭がずきずきしてめまいも起き始めてきた。ゆっくり呼吸をしながら意識を強く保つ。
私は死ぬ訳にはいかない。
国ではライナ達が待っているし、マルハレータ達の帰る場所も用意しておかなくちゃ。土地の瘴気だってまだまだ払えていないし、なにより、今私の背後に立っている人とまた言葉を交わしたい。
「甲板までの脱出経路を整えました」
少し休めば立って走れるくらいの体力になったところできりあげ、一呼吸して気合を入れると、私は今しがたまとめた脱出計画を伝えつつ背後を振り向く。あの濃い金の瞳をもう一目見るために。
「手短に説明します。これから五分後に扉の精霊もどきに信号が送られ封鎖が解除されます。ですので、協力して」
『そうはいかない』
突然どこからともなく頭の中に声が響き、驚いた瞬間に身体に力が入らなくなり、それから全てが真っ暗になった。
◆
◇
「ですので協力して……」
「どうした? おい」
くろやみ国の代表ナハトは破壊した壁の中に手を入れ、何らかの方法で外部と情報をやり取りしていたようだったが、突如脱力したかのように壁に倒れかかり、そのままずるずると床に崩れ落ちると動かなくなった。
「どうしたナハト代表」
「全員動かないでいただこう」
ケセルが部下を連れ近づこうとするが、男の声と共に扉を塞いでいた黄色い物体が音をたてて鈍色の頑丈な格子に変形し、室内を区切る。行く手を阻まれたケセル達が慌てて格子に手を掛けるが、ビクともしない。
部屋に赤麗国の軍服を着た男が数名入ってくる。そのうちの1人が黄色い腕輪でなにやら操作していた。
「念の為に近くで警戒していてよかった。まさか古い通信システムを使ってくるとは。その檻には法術も精霊術も使えませんよ。大人しくしてください、白箔王」
男の一人が格子に法術をかけて破壊しようとしていたヴィルヘルムスを見て声をかける。
「うちの情報部もまだまだ甘いな、こんな芸当ができる者が紛れ込んでいたとは」
腕輪の男がナハトに“探知”をかけるが、体を覆う黒いヴェールが邪魔をして正体がわからない。
「見慣れない術を使っていたが、本当に精霊じゃないのか?」
別の一人が床に横たわる身体を靴の爪先でつつく。
「くそっ、あ、おい、ヴィルヘルムス」
悪態をつくケセルの隣で、術式での破壊を諦めたヴィルヘルムスが格子に体当たりをはじめた。
「よせ、術士のお前じゃ無理だ。体を痛めるだけだぞ」
彼はケセルの声が耳に入らない様子で体当たりを続ける。若いが誰よりも冷静沈着だと評されている白箔王の突然の豹変に、ケセルは驚いた。
「一体どうしたんだ」
「強制的に接続を遮断できたからよかったものの、上位精霊じみた真似をする奴だったな。研究部に送れば喜ばれそうだが……死んだか?」
さらに別の1人が言い、ナハト代表の黒いヴェールに手をのばす。上手くつかめないようで何度か宙をかくが、最終的に頭部の冠状の飾りを掴む。
「その手を離せ!」
格子へ体当たりを続けながらヴィルヘルムスはひたすら前方を睨み続けている。
「さっきから騒がしいな。貴方達は人質。勝手に怪我してもらっては困る」
男の言葉には答えず、ヴィルヘルムスが叫ぶ。
「その手を離せと言っているんだ!」
「何をしても無駄だ。いいかげん大人しくしてください白箔王」
黄色い腕輪の男が言い、ついに全員の視線がヴィルヘルムスへと集まった瞬間、これまで無言をつらぬいていた紅衛代表の声が響いた。
「いまだ紅濫!」
「お前が大人しくしろや」
何もないはずの扉の影から声がかけられ、驚いた黄色い腕輪の男は振り返りざまに蹴り飛ばされ、壁に叩きつけられる。
続けて腕輪が破壊されると格子が元の黄色い柔らかい物体に戻って床に崩れ落ちる。そしてその瞬間あたりに強風が吹き荒れ、残りの男達が絶叫しながら倒れた。
「……生きてるか確認して、拘束しろ」
倒れた男たちを見て紅衛が指示を出し、部下達が急いで縛り上げる。
「朱家の軍人は文官あがりが多い。こいつらの口数が多いのもたまには役に立つもんだな」
同じように倒れた朱家の者たちを縛り上げながら紅濫が笑う。
「さっきから赤麗国がいないと思っていたらずっと“隠蔽”で隠れていたのか」
ケセルが驚きの声をあげる。見れば紅衛が頭の帯飾りを外し汗を拳でぬぐっている。
「紅祢の補佐がなければここまで維持できなかった」
法術の使用に慣れていないらしく、紅衛は暗い紅色の髪の隙間から汗を流し、荒く息を吐いている。
「この規模をよく頑張りました」
横から紅祢が刺繍の施された絹の手拭きを差し出すと、紅衛は乱暴に受け取る。
「ヴィルヘルムス王が上手く注意を反らせてくれたおかげだ」
「そういえばヴィルヘルムス」
ケセルが探すと彼は倒れたナハト代表の傍に膝をついている。
いまだ動けないキョプリュ前王を部下達に託し、ケセルがヴィルヘルムス達の様子を見ようと近づく。途中で拘束された朱家の男達に目をやると、彼らは全身が光の刃物で貫かれており、血は流れていないが瀕死の状態であるのは一目瞭然だった。
見覚えのある攻撃の痕跡にケセルは背筋が寒くなった。
(「さっきの一瞬でこれをやったのか? いつ展開した? 俺でも見えなかったぞ」)
「おい、ナハト代表。大丈夫か?」
倒れたままのナハト代表に紅濫が近づき、横から声をかける。何度か声をかけてもナハトに反応がないので、紅濫はそのまま外れかかっていたヴェールに手を掛ける。
「おい。意識のない者に失礼じゃないのか」
見かねたケセルが非難の声をあげる。
「こうしないと生きているのか確認できんだろうが」
紅濫は構わず一気にヴェールを取り去る。
ヴィルヘルムスはただ無言でそれを眺める。予感が確信に変わり、確信が事実となって感情の処理が追いつかない。
長い黒髪が床に流れ落ち川のように広がった。
「女だったのか」
ヴェールの下から現れたのは若い女性だった。目を閉じ、眠るかのように横たわっている。
紅濫がナハトの顔を覗きこむ。
「見たことのない術を使っていたが、外見は若いな」
「生きてるのか?」
「おそらくだが……」
紅濫とケセルで交わされている会話を無視し、ヴィルヘルムスは彼女をじっと見つめる。ごく浅くだが彼女の胸のあたりは動いており、呼吸しているのがわかる。
「どうした、ヴィルヘルムス」
「この人は生きています」
言葉と共にこぼれたため息は音もなく、無意識に漏れたものだった。ヴィルヘルムスは脱力した彼女の右手をそっと持ち上げ、柔らかく温かいそれを両手で包み込むと、無言で目を閉じ額を押し当てた。