海の騒乱 1
「本来は違う場所への転移でしたが、転移直前にナハトさまにとって危険な精霊術と法術を感知したので、離れた場所に転移するよう干渉しました。現在地は不明です」
「そうだったの。ありがとう、ザウトちゃん」
ゆっくりと立ち上がって全身を確認する。転移の影響は出てないみたいね。
「扉から出てきた何者かが私達を強制転移させたのね?」
「はい。人工精霊のようでした。取りついた相手を即座に登録した場所へ転移させるもののようです。とっさだったので転移自体は防げませんでした」
ちいさな灰色のフクロウは小さな身体をさらに小さくしながら申し訳なさそうに言う。
見れば私の足元には足の長い蜘蛛のような形をした人工精霊の残骸が転がっている。
強制転移だなんて、なんて危ないことを!
「誰だか知らないけど、大事な晴れ舞台になんてことしてくれるのかしら」
周囲は会合の場所とはあきらかに違っている。薄暗い上になんだか湿っているし、埃っぽくて空気が淀んでいる。部屋にしては両側の壁が近くてやたら奥行きがあるから、ここはどこかの廊下のようね。
「他の皆はどうしているかわかる?」
「転移中に動くのは危険だったので皆あえて飛ばされ、現在は音信不通です。他国の人たちも同様です」
「あの場にいた国の誰かの犯行じゃないってことね」
何が狙いなのかしら?
「ハーシェ、聞こえる?」
『はい。ナハトさま、どうかしましたか?』
声をかけると頭の中に影霊ハーシェの返事が響いてきた。
「問題発生よ。会合は中断、私達は何者かによってばらばらに転移させられちゃったみたい。そちらは何も起きてない?」
『……こちらは静かなままです。大丈夫ですか?』
「今のところは無事よ。騎士達が行方不明だけど」
ハーシェのいつもの穏やかな声に、こちらもなるべくいつも通りの調子で答える。
「そちらは外に出ず待機していて。すぐにサユカ経由でベウォルクトに連絡を。もし騎士達と連絡がついたら私達の位置情報を伝えてちょうだい」
『わかりました』
「ザウトちゃん」
「解析します」
ザウトが床に散らばる人工精霊の残骸を足の爪で突き崩し、すこしの間じっと眺める。
「解析完了。座標をおくります」
そう告げる小さなザウトの身体をそっと持ち上げ、肩に乗せる。
今度は頭の中にサユカの声が聞こえてきた。
『ザウトからの情報を確認しました。本国からの地形情報と照合。元いた場所に近い海上のようですが……昨日まではいなかった大型船の中です』
そういえば遠くから何かの唸り声のようなものが聞こえるし、ためしにすぐ傍の壁に触れてみるとわずかに振動しているのが分かった。
「船の内部なのね、ここ。ありがとうサユカ、また何か分かり次第教えてちょうだい」
『はい。それとナハトさま、ベウォルクトから伝言です。“騎士達が迎えに行くまで隠れていてください。ぜったいに、大人しくして、無茶をなさいませんように!” だそうです』
「わ、わかったわ」
また倒れたりしたら、今度こそベウォルクトに本気で怒られるに違いないわね。
『それではまた連絡します。お気をつけて』
「ええ、そちらも」
影霊達との通信を終えると、私は不安そうなザウトの頭をやさしく撫で、明るく声を出す。
「大丈夫よザウトちゃん、うちの騎士達はとっても強いんだから! さあ、一刻も早く皆と合流しなきゃね」
あの鎧はとても頑丈だし、片方は精霊でもある。きっとどこかで生きているはず。こうしている間にも私達を探して動き出しているに違いない。
他の国の人達も、それぞれ精鋭の護衛がついているんだから、全員無事でいるはず。
「みんなで無事に戻って、ちゃんと会合を成功させるんだから」
私は両手をぐっと握って気合を入れると、ワンピースの長い裾をたくしあげて持ちあげ、うす暗い廊下を歩きだした。
◆
ズヴァルトは海中深くへどんどん沈んでいた。
浮上する術は無いが特殊な鎧のお陰で問題なく呼吸できており、水圧も感じない。
『ズヴァルト』
海面が遥か彼方へと遠ざかり周囲から光が消えた頃、通信が入った。
「ジルヴァラか?」
『はい。体に転移の影響はありませんか?』
「ない。今のところ大丈夫だ」
早口ではあるが落ち着いた精霊の声に、ズヴァルトもいつもどおりに返事をする。
あの時、未知の人工精霊が現れとっさに排除しようとしたがジルヴァラの制止が入り、結局されるがままに転移していた。
『我々は皆ばらばらに強制的に転移させられたようです。そちらは……今海中のようですね』
「ああ。さっきからずっと沈み続けている」
『その鎧は元から苛酷な環境で活動するために作られているので、そのまま死ぬことはありません。ですが、この周辺は深い海溝なので当分海底にはたどり着けませんので、いそぎの移動手段が必要です。左腕にあるダイアルがわかりますか? それで今から言う操作をしてください』
「わかった」
ズヴァルトは言われるがままに左腕を目の前に持ち上げる。すると手首の内側にあるダイアルの周辺がぼんやりと光りはじめ、操作部分が暗い水中に浮き上がった。
『ワタシも現在海中なので詳しい状況はわかりません。お互い各自の判断で行動しましょう。最優先はナハトさまの安全確保です。次いでハーシェたち影霊、おまけで他の会合参加者と会場の確保です』
「他の国の者も転移しているのか?」
『そのようです』
会話しながら腕のダイアルの操作を終えたズヴァルトは、海中で身をよじり、仰向けだった姿勢を反転させる。
程なくして遠くから何かの生き物の声が響いてきた。
『先ほどベウォルクト経由でナハトさまの居場所がわかりました。未確認の大型船内にザウトと一緒にいます。今から位置情報を送ります』
闇の精霊の声と共に今度は鎧の右腕から光が溢れ、水中に大まかな周辺図と位置情報が表示される。
それきり通信は途絶え、ズヴァルトはじっと位置情報を見つめ、方位や距離などを頭に叩き込む。そうするうちに右腕の光に照らされた先から巨大な生物がズヴァルトのいる方向へ真っ直ぐに向かってくるのが見えた。
ズヴァルトはぶつかる衝撃にそなえ、背をかがめた。
◆
「お頭、なんか知らない船が増えてますぜ」
黒堤組はくろやみ国の警備を手伝っており、会合の時間は周辺の海の監視を行なっていた。
「なんだと? どの国のもんだ……いや、こいつは」
そんな中、昨日から収集し続けている近海の船舶情報に明らかに異変が起きていた。
甲板にいたカラノスが側近から望遠鏡を受け取り、見知らぬ船を確認していると、突然目の前の海から高く水柱が上がった。
「なんだ一体!」
「お頭!」
「全員攻撃を待て!」
即座に部下たちがカラノスを守ろうと攻撃態勢に入るが、瞬時にコトヒトが実体化して押しとどめる。
「あれは敵じゃない」
コトヒトの見つめる先、海面から天高くあがった水柱の先がぎらりと光る。水しぶきの中から銀色の騎士が現れ、落下しながら姿勢を整えると甲板が破損するのも構わずカラノス達の目の前に勢い良く着地した。
「どうも、おじゃまします」
「レー、いや、ジルヴァラか」
「はい」
カラノスの呼びかけに銀色の騎士は頷く。
「どうしたんだ。今の時間だとお前は会合に参加中のはずだろうが」
「会合は現在続行不可能です」
そう言うとジルヴァラは身体にまとわりついていた何重もの鎖のようなものを引きちぎりると甲板へ叩きつけるようにして投げ捨てる。
「どういうことだ?」
ジルヴァラはカラノスの問いに答えずに甲板の端までゆくと縁に片足をかけ、睨みつけるかのように海を見渡す。仮面に覆われて表情は分からないが、闇の精霊はいつになく緊迫した空気をまとっている。
銀色の騎士は海面に浮かぶ何隻もの船のうち、ある大型船を見つけると低くつぶやいた。
「……内部が遮断されている。これでは船内での正確な位置がわからない」
ジルヴァラは両の拳を握り締め、続けて海中に向かって呼びかけはじめる。
「ズヴァルト、船内でのナハトさまの正確な位置がわかりません。可能な範囲でスキャンした情報を送りますから、船内では機関部を見つけたら確実に破壊してください」
「おい、一体どういうことだ。状況を説明しろ!」
ナハトの名を聞きつけカラノスが声を荒げるが、ジルヴァラは振り返らず、海を見つめ続けながら答える。
「今のところ目的は不明ですが会合が襲われました。黒堤組の皆さんは距離を保ったまま警戒にあたったほうがいいでしょう。相手の船が攻撃してくる可能性もあります」
カラノスは渋い顔つきで物言いたげにするが、銀色の騎士の真剣な様子に今は状況を追求せず、自分たちでも状況把握を開始することにし、黒堤組の代表マヴロとして部下に指示を出し始める。
「ジルヴァラ、何か必要な事があれば我々にも声をかけてくれ」
カラノスの横にいたコトヒトの言葉に、初めてジルヴァラは相手に振り向いた。
「ありがとうございます、コトヒト。あなた達も気をつけてください。特に、シシを実体化させる時は」
ジルヴァラはさきほど現れた際に引きちぎり、甲板に捨ておいている鎖のようなものを指し示す。
「理由は知りませんが、相手の狙いの一つは確実に上級精霊の捕縛です」
ひさしぶりに、わりとシリアス