海上にて 4 -前夜-
わりと長いです。
夜。水辺のベランダから水平線の彼方に残った夕暮れをゆっくりと眺める。
つい先程まで真っ赤に燃えていた空はあっという間に深い青色へと変わっていった。
しばらく前までは当たり前すぎて、あまり気にしていなかった光景。けれど久しぶりに見れば、一瞬たりとも同じ色合いにならない空に目が吸い寄せられて、ちょっと眺めているつもりが結局あたりが暗くなるまでずっと眺めていた。
「夕日ってこんなにも綺麗なものなのね、ハーシェ。私、忘れていたわ」
「はい。それに、夜空の星も。こんなにたくさん、初めて観ました」
サユカとブルムと一緒に、ハーシェは子供のように空を見上げて、うっとりとため息をついている。ちなみに日中ずっと頑張ってくれていたザウトは椅子に座る私の膝の上でお休み中。
「確かに、大陸で見た時よりずっと星の数が多いわ」
星座とか詳しくないから、いくつか大きく光る星たちが何という名前なのかわからない。
こういうのも出発前にちょっと勉強しておけば良かったかも
「あれは惑星軌道上にいる精霊ですね」
そう言うと傍に立っていたジルヴァラが私達が眺めていた方向へ向かって大きく手を降る。振った先は沢山の星がまたたいていて、どれがそうなのか私には分からなかった。
「あ、こっちに手を振り返してくれていますよ、ナハトさま」
空にも精霊がいるのね……遠すぎて全く見えないけれど。
「ピースサインをしています。じゃんけんでもします?」
なんだか夢の世界から現実に引き戻された気分になった。
◆
「ナハトさま、泣かないでください」
そう言ってハーシェがハンカチで目尻の雫をぬぐってくれた。私、感激のあまり涙が出てきちゃってたのね。
眼の前には鎧を脱いだジルヴァラことレーヘンが、黒髪姿で微笑んで立っている。
「お役に立てましたか?」
「ええ、ものすごく」
よくやったわレーヘン! 今までで一番嬉しいくらいよ。
「人間に話しかけるだけでも百五十年かかったアナタが、よくここまで成長してくれたわ」
本当に成長してくれてありがとう!
「ぐすっ。ハーシェもよく頑張ったわね」
「はい。他所の国の方たちとお話するのは緊張しましたけど、ザウトとサユカと一緒だったので怖くありませんでしたわ。ね?」
「いっぱい触られました」
「普通のふくろうっぽく大人しくしてました。ふう」
頭周りの毛並みが乱れた二羽がちょっと疲れた様子で返事をする。
うちはあらかじめ設営資材の中に食べ物を詰め込んだ冷蔵庫を仕込んであったので、新鮮な野菜や果物がたっぷりある。なので、それを交渉材料に闇の精霊と影霊達が各国の台所をめぐっておすそ分けをもらってきてくれたの!
「みなさん船旅で来られているので、新鮮な果物は喜ばれると思ったんです」
「笑顔で厨房の皆さんへ新鮮な野菜と果物をお渡しすると、気軽にお料理を分けてくれましたの」
出歩くことは出来ないけれど、おかげで各国の料理が並んだ豪華な夕食になったわ!
「おー、なんか豪勢にやってるな」
カラノスがズヴァルトに案内されて部屋に入ってきた。黒堤組の仲間を一人従えている。
「打ち合わせに来たぜ。あとこれはうちの厨房からの差し入れだ。生野菜の礼だとよ」
受け取った鍋の中を見ると、腸詰肉と野菜のトマト煮だった。
「すごく美味しそうね。ありがとう!」
お礼を言ったら、カラノスが頬をかきながら遠くを見る。
「……あんた、食いもんにやたらイイ笑顔するのな」
そんなに普段と違う顔になってるのかしら。
「美味しいものを食べるのが好きなだけよ。さあ、話しながら食べましょ。ズヴァルトも鎧を脱いで参加してちょうだい」
「わかりました」
私達がいる部屋は居間にあたる場所で、中央には石の炉が切ってある。炉の中心からは炎が出ていて、国の名前にちなんでうちでは黒い炎。ただの飾りだけれど、ちゃんと熱を持っているので部屋を暖めることもできる。
今は炎の上に透明なテーブルを置いて、各国から分けてもらった食べ物を盛った大皿を並べて保温に使っている。
準備が整うと私はゆったりとしたソファに腰掛け、隣でハーシェが料理を取り分けるための小皿を用意し、レーヘンが「これくらいはできます」と言ってグラスに飲み物を注ぐ。
「オマエ達も自由にしろ」
そう言うとカラノスは私の向かいのソファにどっかりと腰を降ろし、腰の剣を外してコトヒトとシシを実体化させる。
私とカラノスの間にある一人がけに騎士服に着替えたサヴァが落ち着いた。
私はさっそく小皿にナッツと鶏肉の入った黄色いピラフをとりわけて、その上にお肉を薄い葉っぱで包んで蒸したものを乗せる。別の小皿には細かく砕いたナッツが入った糖蜜パイと果物の形をした蒸しパンを取り分けた。
隣ではハーシェがひき肉と野菜の具入りパンをちぎって、ザウトとサユカ、それにブルムに少しずつ食べさせて感想をきいている。
影霊は物を食べなくても平気だけれど味覚はあるので、味を面白がる感覚に近いみたい。
『歯ごたえがあるほうが好みですわ』
ブルムは肉よりも果物や野菜の方が好きなのね。
私やサヴァ、ハーシェ達が食べ始めると、カラノスとお付きの黒堤組の人もめいめいに料理を取り分けて食べ始めた。
コトヒトとシシは食事の輪には入らず、傍でのんびりとくつろいでいる。
「俺達はざっとあちこちの船に挨拶まわりに行ってきた。お陰でいくつか大口の仕事に繋がりそうだ」
「それはよかったわね」
「あんたらもどうせ明日会うだろうから詳しくは省くが、今回の会合には裏で各国の実権を握ってるのがゴロゴロ来ているな。しかも青嶺国と赤麗国の面々が一同に現れるなんざめったにない。白箔国とあわせてこの三国の奴らと渡り合えりゃあ、大陸相手にしたも同然だろう」
「青嶺国と赤麗国って隣同士の国なのに、そんなに珍しいことなの?」
「赤麗国と青嶺国はずっと戦争中なんです。今は休戦していますが、ささいなきっかけで騒動になりかねないんで、あまり交流はありません」
豆と野菜のサラダを食べていたサヴァが言う。
「つうか今やばいのは赤麗国だ。今あそこは跡継ぎ問題が水面下で起きている。ずっとこじらせていた派閥同士の争いも規模がでかくなっているらしい。国内のあちこちで勢力争いが起きてるせいで、治安もけっこう荒れているようだ」
サヴァに続いてカラノスが言う。
「そうなの……」
あのあたりってマルハレータ達が行った場所よね。巻き込まれてないといいんだけれど。大丈夫よね
「そいうや面白いことを聞いたぞ。どうも白箔王はまだここに到着してないらしい」
「んぐ、そ、そうなの?」
スープを吹き出しかけて、隣に座っていたハーシェからタオルを受け取る。
「白箔国の船は来ているんだが、どうも王だけ別行動してるらしくてな、今夜のうちに到着予定だとよ。それでも正確な到着時間がわからないんで補佐官達が問い合わせの対応に死にそうな顔してたぜ」
魚の素揚げをかじりながらカラノスが言う。
「……そう。きっと、忙しいのね」
「まあヴィルヘルムス王はあの歳でなかなかの善政をしているからな、これからの期待株だし今回は注目の的だ。他国も到着を待ってるんだろうな。あっちこっちの船で話題になってたぜ。まあ、主に王妃が誰になるかって話だったな」
「……あっそう。大変そうね」
やたらニヤニヤ笑うカラノスを無視して、取り分け用の小皿に二杯目のピラフを盛る。
「貴族の令嬢や姫君なんかが船で着飾って待機していてな、あわよくば顔合わせしようって魂胆で待ち構えていた。別々の船でどう顔合わせするんだろうなあ」
「さぁ?」
これ、ナッツの歯ごたえのある食感に、刻まれた野菜の甘みと鶏肉の旨みが合わさって、飽きない味だわ。ピラフを食べながらも薄く花の香りをつけた水で味を切り替えてトマト煮も口に運ぶ。あーおいしい
「気にならねえの?」
「別に。立派そうな王だし、良い縁がくるといいなとは思ってるわよ」
元々、付き合ってた時から違う立場の人だった。いつかは別れることになっていたのよ
「それにしちゃあ、あんた納得してない顔つきだな」
「うるさいわね」
「……」
睨みつけるとカラノスはどこか楽しそうに笑う。
私とカラノスに挟まれてサヴァが黙々と料理を口に運んでいる。
「ところで、くろやみ国の国主もまだ若いですが、こちらの伴侶は決まっているのですか?」
今度は喉につまらせる前に、素早くレーヘンが水の入ったグラスを口元にあててくれた。
「い、いきなり何言い出すのよコトヒト!」
「うちの組頭なんてどうでしょう。若くて健康ですし、性格はちょっとあれですが体も頑丈ですよ」
ニコニコ顔で言う灰色の精霊を、思わず睨みつける。
「絶対に嫌よ。この人、平気で他所に女を作るタイプよ」
それが男の甲斐性だとか言うに決まってるわ
カラノスが突然食器を置き、口を拭って両手を膝においてこちらを見た。
「あんたが嫌なら他の女との関係を全部切ってもいいぜ」
「うわっ、女好きのお頭がここまで言うなんて」
隣にいた黒堤組の人が驚いているってことは、本気の言葉ってことかしら
「何なら誓約書も書く」
私も食べるのを中断して食器を置き、睨み返す。
「切れるわけがないわ。各地で女性と関係を持つのって、情報収集の一環とかなんでしょ? 仕事に関わるのに関係を絶つなんて、出来ないに決まってるわ」
「出来る出来ないはあんたが決めることじゃない。もし、本当にやってみせたら俺と一緒になるか?」
突然カラノスの顔から笑みが消え、まっすぐに見つめてきた。青と黒の瞳が私を捉えようとして熱を送ってくる。
「いーえ。お断りします」
もう虚勢とバレようがなんであろうが、ソファの上でできる限り距離をとって、きつく腕を組んで、私は黒髪の男を見つめ返す。
「私はあなたの女にならないわよ」
「ヴィルヘルムスが他の女のところに行ってもか?」
「な、なな、なんで」
そこで白箔王がでてくるのよ!
「言動を見てりゃわかる。あんたがあいつを気にしてるのが」
「気にしてないわよ! っていうか、気にしないでよそんなこと!」
思わず大きな声を出してしまい、レーヘンが立ち上がりかける。それを目で制すと、ゆっくり深呼吸をして自分を落ち着かせる。
「そんなの私の問題なんだから、あなたには関係ないでしょ」
もう、遠くから見るだけでいいのよ。それだけで充分。だから静かに見守らせてほしいわ
「しかたねえだろ。気になっちまうもんは気になっちまうんだから」
カラノスは視線を逸らしてふてくされたような顔でそう言うと、乱暴に皿を持ち上げ残りの料理をかきこんだ。
「この会合が終わったら俺との可能性をもう一度考えてみてくれ」
帰り際、そう言いながらカラノスは私に触れようとして、レーヘンに阻止されていた。
「元々俺達はあんたらの元になった国の出で、元の場所に戻るわけだ。悪い話じゃないだろ?」
そう言うと、黒堤組の組頭は部下達を連れて自分の船へ戻っていった。
◆
◇
海の精霊に運ばれていったジェスルは日暮れ前に何とか大空騎士団の船に発見され、無事回収された。
「うう、アイツらふざけて噛みつきやがって……これ甘噛みどころじゃねえだろ。次会ったら噛みつき返してやる」
海水とイルカの唾液まみれになりぐったりと甲板に腰を下ろしたジェスルに、大空騎士団員の一人が容赦無く封筒を差し出す。
「ジェスル先輩、新しい制服とエシル団長からの辞令です」
「おう、っつーことは俺はまだクビになってないのか」
「そのようですね。あと面会を希望している方がいらっしゃいますので、すぐに着替えてください」
「あーそれ、俺予想つくわ。機嫌悪いだろ、あいつ」
「かなり」
ざっとシャワーを浴び、青空騎士団の制服に着替えたジェスルは団員に言われた部屋へ向かった。
「おい、ヴィルヘルムス、いるかー?」
部屋の中は薄暗かった。
分厚いカーテンのかかった窓際の椅子には男が一人座り、傍らのテーブルには明かりの消えた屋外用の大型カンテラが置かれている。
「おいおい、本当に大丈夫か」
男は入口から見てもわかる程どん底までに暗い表情をしていた。あまり見たことのない憔悴した様子に軽く驚きつつ、ジェスルは男の向かいの椅子に座り、顔を覗き込む。
男は俯き、握りしめた両手をじっと見つめていた。
「どうしたってんだ 。ようやくここまでこぎつけたんだろ」
この男がずっと今回の会合のためにかけずり回っていたのをジェスルは知っている。
国の政治を執り行いながら、国策として世界中の知識と情報を集め、ある一つの国について調べ、精霊が趣味で作ったというランキング情報を公開することで各国の注目をひき、青嶺国に会合の提案をして各国へ呼びかけを行う。
何がそこまで駆り立てるのか分からないが、このヴィルヘルムスという男は一心不乱に“そこ”へ突き進んできた。
「なんでもありません。ただちょっと疲れているだけです」
「それだけじゃないように見えるが」
「くろやみ国へ行ってきたそうですね」
「うー、まあな」
あの国でいろいろな目にあったことを思い出し、ジェスルは思わず顔に出そうになったが、こらえた。
「言っておくが俺は俺の立場を守る必要もある。実家に対してもそうだ。お前には借りが山ほどあるが、何でもかんでも提供できるわけじゃないぜ」
あの国はジェスルにとって居心地が良かった。自分のありのままを受け入れてくれた。できれば今後もつきあいたい相手だ
「構いません。それで?」
「それらしき女は“一人”いた。貴族の事件に巻き込まれた、黒髪っぽい若い女が」
「黒髪っぽい?」
「時々銀色に変わっていた。なんか事情があるらしいぜ。聞いたらまだ詳しく教えられないんだとさ。それに、お前のこと、直接知らいないんだそうだ」
ヴィルヘルムスの表情は変わらない。
「……暗病国というのは、生体改造が得意な国だったようです。その分、医療も得意だったようですが」
「確かに、治療術は凄かったな」
「医療技術が得意なら、元の状態に戻すことも可能なはずです」
「もし、それでも相手がお前の事を思い出さなかったら?」
ジェスルはそう尋ね、そしてヴィルヘルムスの表情を見てその質問をしたことを後悔した。
「……から」
搾り出すようにしてヴィルヘルムスは語る。
「また一から、始めから知ってもらいます」
「面と向かって会って、『誰ですか?』って言われてお前平気でいられるのか?」
酷な質問だとわかっていてもつい言ってしまい、ジェスルは思わず目を細める。
「倒れないよう、強心作用のある法術の準備でもしておきます」
「おいおい……」
「なあ、一体その女の何がいいんだ? 何がそこまでお前を動かすんだ?」
ヴィルヘルムスは若く有能な王だ。即位直後から数多くの縁談が持ち込まれ、女性など選び放題であろう。青嶺国の王子は即位までに独力で相手を見つけられなければ、強制的に政略結婚をさせられる事になっている。それに比べれば遥かに条件が良い。
「あの人だからです。あの人だからこそ……」
そこまで言うとヴィルヘルムスは一度目を閉じ、それから足元を見つめる。
「感情に対する名前なんて、もうどうだっていい」
最後にそうつぶやいて、顔をあげる。
「何としてもあの人の手がかりを聞き出します」
ヴィルヘルムスの瞳には暗い炎が宿っていた。
「場合によっては強硬手段も辞さないつもりです」
「国際問題になるぞ」
「誕生したばかりの弱小国家ですよ。技術はあるかもしれないが、政治能力は未熟だ。いかようにも操れます」
この男ならそれが出来そうだから質が悪い。ジェスルは思わずため息をついた。
「ヴィルヘルムス王、高速移動艇の準備ができました」
「わかりました。すぐに行きます」
扉の向こうで団員から声がかかると、ヴィルヘルムスは傍らに置いていた鞄と、テーブルの上のカンテラを持って立ち上がる。そしてしっかりとした足取りで歩き出した。
「ジェスル、情報をありがとうございました」
扉を開いた所でヴィルヘルムスは振り返り、言った。
その表情や声からは先程までの疲労や苦悩の様子は感じられず、いつもどおりの冷静沈着なヴィルヘルムスに戻っていた。
「おう、お前も気を付けろよ。ああーと、そういや黒堤組もいるぞ。最近代替わりした若いマヴロがいた」
ジェスルがとっさに思い出した情報を告げると、ヴィルヘルムスがわずかに眉をひそめる。
「カラノスですか……上陸したとは聞いたが、接触していたとは」
カラノスの名に、呼びに来た団員が声をあげた。
「黒堤組のカラノスっていえば、あっちこっちの女と浮き名を流してるって有名な人ですね。気に入れば女を落とすまでがえらく早いって有名ですよ」
「各地に女ってか。良い情報源にもなるんだろうな。じゃあ、あの国の女も狙われてるかもな」
ほとんどひとり言のように、どうでもよさ気にジェスルがつぶやくが、それを聞きつけた傍らのヴィルヘルムスが声をあげた。
「冗談じゃない! そんな男が関わっているなんて」
「お前ほんと仕事相手のプライベートに関心無いのな」
「これから気にすることにします」
◇
◆
シリアスに書こうとして、この結果です。
あるぇー?
あとがきはブログにて。
それと拍手お礼コメントを話にあわせて一部変更してます。単なる作者の気晴らしです。