5 精霊の加護 2
ヴィルヘルムスやファムの暮らす白箔国は周辺の国と比較しても精霊の研究が進んでいるといわれている。精霊術使用者の数も多いし、国で確認される精霊の数も種類も多い。
そしてヴィルヘルムスはそんな国の高等教育機関で精霊について学んだ。成績も良く飛び級もした。論文を書いたことすらある。だが……
ファムの手から解放されたその人形のような姿をした精霊は地面に降りると小さな足ですっくと立ち、なにもついていない顔をヴィルヘルムスに向ける。
「……こういった精霊を野原で見かけるのですか?」
民芸品が野を歩きまわるなんて、そんな事例いままで聞いたことがない。
「え、ええ。ハーブを探しに出かけた時とか、ぶらついているのを見かけるの。あの、頭大丈夫?」
ヴィルヘルムスの驚きをよそにファムは彼を心配して頭に触れてくる。その指先の感覚にヴィルヘルムスは安堵感と、今優先すべきものが何かを思い出した。
「痛みは引きました。ありがとうございます。それで、どうして精霊を連れていたのですか?」
ヴィルヘルムスは頭に触れていたファムの手を自然な流れでそっと触れ、軽く握ることに成功した。
「えっと、あのね、この精霊迷子になっちゃって、街で仲間を探しているらしいの」
ファムは返答しながら握られたままの手を見て首をかしげ、何度か手を引こうとしたが、彼はファムを見つめたまま手を離さない。
「仲間を探す?」
ヴィルヘルムスが改めて精霊を見ると、なにやら小さな身体で訴えかけているようだ。短い手を振り、飛び跳ね、語りかけてきている。彼は無言で精霊を見つめながら精霊術の初歩である精霊と会話する術を発動してみるが、さっぱり分からなかった。ということは、人間と意思疎通できない三等級以下の精霊のはずだが……
「ファム、この精霊には精霊術でも会話できないようですが、どうやって意思疎通をしたのですか?」
「あなた精霊術が使えるの? すごい!」
ファムは受け答えしながら結局手を外すことを諦めて会話を続けだした。そのことにヴィルヘルムスは嬉しくなる。だが何事もない風を装い、そのまま表情を変えず話し続けた。
「あのね、私はいつもこうするの」
ファムは片手でカゴの中から黒い板と白い棒を取り出す。平民が初等教育で使う黒板と筆記棒のようだ。彼女はそれらを精霊に渡す。
「ねぇ、この人にもさっきと同じ説明をしてちょうだい」
精霊は小さな手でそれらを受け取ると一度ファムの方を見て、それから指もないのに器用に筆記棒をつかみ、黒板に何かを描きはじめる。
描きあがったのは三つの◯だった。そしてそのうちの一つを叩き、次いで自分の身体を叩く。自分のことらしい。
「他に二体がいるということですか」
ヴィルヘルムスの言葉に精霊は一度飛びはねる。肯定のつもりらしい。それから今度は三つとも叩き、全身で空の一方向を指し示す。
「みんなでどこかに向かおうとしていたみたいなの」
今度はファムが言う。精霊はまた飛び跳ね、それから自分の手で黒板の線をこすって消そうとするので、ファムが横から布で黒板を綺麗にしてやる。そうして精霊は再び黒板に向き直った。
「今度は地図のようですね」
線だけで構成されているが、この街の区画の建物や道などがひととおり描かれているものだった。家の幅と道の幅比率からして、縮尺は市販の地図よりも正確かもしれない。
その二箇所に、精霊はぐりぐりと◯をつけた。
「ここにいるみたいですね」
「ええ。でも移動しているみたい。ここさっき描いてもらったのと違う場所だわ」
ファムは精霊の描いた地図を覗き込むと真剣な顔で言う。思がけず彼女の顔が近くなりヴィルヘルムスの心臓は鼓動を早めた。二人して小さな精霊の描いた地図を覗き込んでいるので、いつの間にか近くなっていたらしい。
「もしかして、一緒に探すつもりですか?」
今日仕事を休んだのもそのためなのだろうか?
「ええ」
そう言うとファムは地面に立っていた精霊を掴むと、元のようにカゴの中に入れ、黒板や筆記棒といっしょにまとめて上から布をかけた。
「野生の精霊でしょう? わざわざあなたが手を貸さなくともそのうち自分で見つけ出せるのでは?」
ヴィルヘルムスの問いかけに、ファムはカゴを持ち直し、口を開いた。
「確かにそうなんだけど……ヴィルさんも知ってるかもしれないけど、この街には精霊を一方的に捕まえて利用する貴族がいるのよ」
「確かにそういった貴族や組織の話は聞いたことがありますが……」
「だから、見つけてあげようと思って。この子小さいから、捕まったらきっと分解されるか改造されちゃうわ」
そう言ってファムはそっと布の上から精霊をなでる。
「それに一人ぼっちはさみしいのよ? そのうち何とかするまで一緒にいるわ」
下を向いていたファムは前を向き、笑顔を浮かべた。
「というわけで、この手、離してくれない?」
ずっと繋がれていた手を掲げ、苦笑しながらファムは言う。精霊が気になって忘れていたのでしょうけど、そろそろ離して欲しいと。
「いいえ、離しません」
ヴィルヘルムスは言った。
まだ数回会っただけで、会話もそう多くはしていないが、ルトガーからの情報と、目の前の状況から彼は直感的に悟っていた。
このままではこの人はいつか貴族か精霊の騒動に巻き込まれて自分の手の届かない所へ連れていかれるだろう。確信を持ってヴィルヘルムスはそう思った。そしてそんなことは絶対に避けたかった。
「私も同行します。精霊術ができるので、精霊探しの手伝いもできますよ」
「ええっと、一緒に探してくれるのは嬉しいけど、この手は?」
「探知術で必要なんです」
「そうなの?」
「そうです」
もちろん嘘です。