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くろやみ国の女王  作者: やまく
思いと答えの始まり
60/120

1  紙切れと花束

 

 

 

 その日ヴィルヘルムスはいつもどおり本の入った鞄を持ち通りを歩いていた。部屋を出たときから気分は沈み込み、灰色の空の下では目に映る何もかもに面白みを感じなかった。三つ目の角を曲がった時に足取りは最高潮に重くなり、突如として彼はいつもと反対の方角へ足を向けた。


 行き着いた先には広場があった。中央の芝生と樹木が植えられた区画をぐるりと巡るように石畳の通りがあり、それに沿うようにいくつかベンチも配置されていた。ヴィルヘルムスは芝生の上に鞄を放り出し、行儀悪く緑の草の上に座り込む。

 それからポケットに入っていた紙を取り出して眺めた。


 四歳の頃、まだ世界が小さな家とその周辺だけだと思っていたヴィルヘルムスはある日突然巨大な建物に連れて行かれ、そこで沢山の子供たちと一緒に暮らすようになった。小さな家に戻る事は二度と無く、その頃まで彼を世話していた大人たちに会うことも二度と無かった。

 数年経って物事の判断が自分でつけられるようになった頃になり、ようやく彼は自分が養子に出された事を知った。


 そして今朝受け取ったこの紙には短い文面で産みの親が事故で死んだことが書いてある。

 離れて暮らすようになって以来一度も会った事がない相手の死。一方的に渡されたこれに対してどう判断すべきなのか、ヴィルヘルムスにはまったく分からなかった。混乱とあきらめ、そして疲れの感情とともに紙をポケットへ戻すと、うつむいていた顔をあげる。


 そして目に入ったものはこの国ではあまり見かけない黒色だった。


 正確には自分とさして年齢の変わらない、黒髪の女性。

 広場の片隅で小さな荷車の側に立ち、荷車に乗せた切り花を売っているようだ。道行く人に声をかけては売り込みの言葉をかけている。だがどれもうまくいっていないようで断られてばかりいる。

 何人目かに断られた際、立ち去る男性に何かを言われたらしく彼女はしかめ面になる。だがその次に通り過ぎた女性に何かを告げられると、とたんに笑顔になった。

 ヴィルヘルムスは遠くからその様子をぼんやりと眺めていた。人はくやしければ怒り、嬉しければ笑うのだ。きっとあの女性は悲しければ泣くのだろう。

 響いてくる女性の声にはどこか心地良いものがあり、ヴィルヘルムスはポケットの中身が軽くなったような気がした。彼はしばらくその女性を眺めると鞄を持って立ち上がり、本来向かうべきだった学院へ向けようやく歩き出した。


 帰り道、思いついてまた同じ広場へ向かうと通りの途中に昼間見た黒髪の女性がいた。荷車をひっくり返したらしく、通りに散らばる花を慌てて拾い集めている。

 ヴィルヘルムスの足元にも切り花が散っていたので思わず一本拾いあげる。それから続けて何本か手にとって顔を上げると、彼女と目があった。

「あ、ありがとう」

 驚いたように目を見開き、女性は言った。深い黒い色をした瞳だった。

 その瞬間なぜだか耳のあたりがむずがゆくなり、ヴィルヘルムスは何も言わず下を向いたまま花を拾い続けた。


 しばらく二人で無言のままに花を回収し、全てを荷車の中のバケツに入れ終わると、彼女は再びヴィルヘルムスに声をかけた。

「あの、ありがとう! すごく助かりました」

 満面といっていい笑顔でそう言われ、ヴィルヘルムスは硬直した。

 これまで何かを手伝って言われてきた言葉は「お手を煩わせてしまい申し訳ありません」「すみません」「恐れ多いことでございます」が大半を占め、まっすぐ目線を合わせ、しかも笑顔つきの「ありがとう」には慣れていなかった。

 だから戸惑ってしまったのだと、ヴィルヘルムスは自分に納得させた。

 彼が固まっている間に、黒髪の彼女は荷車の中を漁っていた。

「残り物だけど、お礼をあげる! 好きな花は何?」

 そう言うと、ヴィルヘルムスのぎこちない答えと共に金色のリボンを手に取り、彼が適当に示した花と他の花や葉を束ねてあっという間に小さな花束を作った。その手際のよさに、彼は目を丸くした。

「どうぞ!」

 笑顔と共に受け取った花束はあまりに軽く、軽すぎて、風が吹くと飛んでいってしまいそうだったので、ヴィルヘルムスは時々立ち止まって崩れていないか確認しながら花束を壊さないよう慎重に持ち帰った。

 見よう見まねで自室の水差しに水を入れて花束を入れて眺める。それから思いついて二本ほど花を抜きとり、朝受け取った紙きれとともに窓辺に並べた。


 星明かりに照らされたそれらを眺めるうちに彼の紙切れに対する気持ちはひととおり整理がついた。だが別の事に気がついた。

 彼は彼女とほとんど会話していない。言葉はかけられたが自分からは一言しか発していない。その事に思い至ってから彼は消灯時間を過ぎて隣室に注意されるまでずっと部屋の中をぐるぐる歩き回っていた。


「先日は花束をあ、ありがとう」

 ヴィルヘルムスがその言語を言えたのは数日たってからだった。翌日さっそく広場に行ったのだが彼女が現れることは無く、それ以来可能な限りこまめに足を運び、ようやく通りを歩く彼女を見つけた。

「ああ、あなたこないだ助けてくれた人ね!」

 彼女は自分を忘れていなかった。

 再び笑顔を向けられ、ヴィルヘルムスは今度は耳だけでなく頬までがむずがゆくなった。

 だがそのむずがゆさが心地よく、一言だけしか言葉を交わさないのもおかしいと感じたので多少どぎまぎしながらも会話を続けることにした。それはたった一人を前にしているにもかかわらず数十人を一度に相手して喋る時よりも緊張した。

 天気の話から始まり、先日の花束に使われていた花の種類について、彼女の一挙一動に全神経を集中し、探り探りで話題をみつけては話を広げていった。

「いつもは花屋でバイトしているの。今月から時々お休みを貰って広場でも個人で花を売ってるの。あんまり売れないんだけどね」

 そう言って彼女は苦笑する。

「いつもどれくらいの売上なんですか?」

「……さあ? 売れるだけ売ってるから」

「売れ残る分は?」

「えっと、バケツ二つ分くらい」

「花の仕入れ値は」

「うーんと、いつもその時々の値段で」

「原価計算は?」

「げんか……ええと、それ何?」

 そこまできてヴィルヘルムスは相手の不安そうな表情に、いつもの調子で話していた自分に気づいて慌てて取り繕う。

「そ、その。商売の知識をもう少し身につけたら売れるようになると思います」

「ほんと!?」

 笑顔が一気に近づき、ヴィルヘルムスは頬が痛いほどに熱くなるのを感じた。


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