船出と羽毛と銀の騎士 4
◇
「みんなお前を見てるな。あいつなんてヨダレ垂らしてるぜ」
ジェスルは陽気な足取りで廊下を歩き、時折すれ違う海賊に挨拶をしながら散歩を続けていた。
「お前のあんまりの美女っぷりに、俺嫉妬の視線で背中がいてえわ」
一人で言って一人でケラケラ笑いながら階段を登る。
『あんまり冗談が過ぎるとこの肩踏み抜きましてよ』
「おおそんなに興奮して嬉しいか、そうかそうか」
肩にとまる子竜が頭を低くし翼を広げる姿にジェスルは喜んでいるのだと勝手に理解していたが、実際のそれはごく一般的な竜の威嚇の姿勢なため、彼らの周囲に近寄る人間はいなかった。
「俺の隊は竜いなくってよ、ずっと憧れてたんだ。竜使いは竜に殺されることがあるっていうが、こんなに大人しいのになんでだろうな……よっと」
軽快な調子でジェスルが階段を登り終えると、たどり着いたのは船の甲板だった。とは言っても貨物用の箱や運搬機材などが並べられあまり広々とはしていない。
ジェスルは甲板で働く黒堤組の海賊たちの邪魔をしないよう、端に移動し手すりにもたれかかり、そして水平線を眺める“ふり”をする。
「おー良い眺めだ。ソルに振り回された時よりずっといい。落ち着いて景色を楽しめる」
それから”雲の様子を確認するかのように”空を眺める。
それを待っていたかのように、小さな物体が接近してきた。親指大の身体に一対の翼を持ち、その全身は金色に輝いている。時折日光を反射して翼が輝く以外は音もなく、そして不自然だった。
「さすがっつーか、抜け目ないっつーか、あいつどんだけ人工精霊ばらまいてんだよ……よく精神が持ってるな」
灰色に塗装された金属製の手すりに頬杖を付き、ジェスルは船と並走する金色の物体を眺める。
金色の物体はしばらくジェスルを観察するかのように近くを飛んでいたが、しばらくすると羽ばたきを強め、空のかなたへ消えていった。
見送った視線で肩のブルムを見れば、子竜はジェスルを横目で見つめていた。
問いかけるようなまなざしに、ジェスルは口を開く。
「不審がって俺を始末してもいいぜ。お前の主もその許可をだしてるんだろ?」
子竜は無言で、尻尾を揺らすだけだった。尾の先は菱形のヒレのような形状になっており、その銀色の硬質な輝きからかなり鋭利だとわかる。尻尾を一瞬動かすだけでジェスルの息の根を止めることなど簡単だろう。
だがまるで死へ誘導するように揺れるそれを見てもジェスルの様子は変わること無く楽しそうに海と空を眺めている。
「あれは気にすんな。飛ぶことと映像を記録することしかできないやつだ。友人が俺の無事を確認しに来ただけだからよ、お前の主には影響ないさ」
『その言葉、違えることなきよう』
「あれが美味そうにみえたのか? 残念だがあれは精霊術だから食えないぞ」
どうにもずれた会話しかできず、ブルムは諦めてそっぽを向いた。
『こいつ疲れる。さっさと帰って昼寝させていただきたいわ』
「腹減ったんだな。じゃあ厨房に菓子でも貰いに行くか」
苛立たしげに揺れる尻尾に背を叩かれながら、ジェスルは歩き出した。
◇
「これでひととおり人間側の確認は終わったわね」
私はこめかみをさすりながら帆布が張られたソファにゆったりと背を預け、みんなの顔を確認する。
「次をお願い、ベウォルクト」
「かしこまりました」
テーブルの上にちょこんと立つふくろうが言う。
「我が国は現状では暗病国を上書きしただけの存在です。あらたにひとつの国として各国を代表する特級精霊の……この場合、国精霊と呼びましょうか。この国精霊の会合で改めて存在を認められる必要があります。これはジルヴァラがやります。精霊同士の顔合わせとしてもいい機会でしょう」
「その場で認めてもらうなんて、大丈夫なのかしら……」
「お任せください。これを見せれば皆納得しますよ」
そう言って銀色の精霊は手に持っていたこれまた銀色の箱状の鞄を見せる。
「ジルヴァラの私物ってそれだけよね。けっこう頑丈そうな箱だけど、危ないものじゃないでしょうね?」
「危なくありませんよ。フ……ナハトさまにとってはおなじみのものです」
やけに胸をはって銀色の鎧が言う。
「国精霊の承認があれば問題が起きたときに精霊経由で他国と交渉することができます」
「うちは交通の便が悪いから精霊の協力が得られるのは大事ね。ところで、青嶺国からもらった時間表には精霊側の動きは載っていなかったわよ?」
「これには少々事情がありまして、別の時間枠で動いていきます。このあたりは到着後に詳しく説明いたします」
「わかったわ」
手に持っていた資料を置いて、深く息を吐いた。なんだか息苦しい。
「ナハトさま、大丈夫ですか? 顔色が悪くなっています」
向かいの席に座っていたハーシェが言う。
「ちょっと頭が重いだけよ」
すかさずジルヴァラが近づき、ひざまづいて私の額に手を当て、次に首筋、手首と触れてくる。
「どうも船酔いのようですね」
「私乗り物酔いしない体質なんだけど」
「城を出て時間が経過したので体内のバランスが不安定になっているようです」
ハーシェが部屋に用意されていたピッチャーからグラスに水を注ぎ、一口飲んで中身を確認してから私に差し出す。
「ありがとう」
ゆっくりと一口飲んで、少し気分が落ち着いた。
ジルヴァラが立ち上がった。
「ちょっとこの船の設備を借りてきます」
「何をするの?」
「薬を作ってきます。この部屋の警備を頼みます。それと、寝室の気密装置の数値を上げておいてください」
「わかった」
ハーシェに促されるままに私がソファに横になっている間に、ジルヴァラはズヴァルトに後を頼むと颯爽と部屋を出て行った。
◆
黒堤組のマヴロ側近であるニカノルは食堂で遅めの昼食を食べていた。
片付けねばならない仕事がまだ残っているのでさっさと食べ終えてしまおうと行儀悪くパンを口に放りこみ、スープで一気に流しこもうと口に含だところで騒ぎの気配を感じた。
その気配がなんなのか把握できず、何気なく開かれた扉の方を見た瞬間音もなく銀色の鎧姿が横切り、思わず飲んでいたスープを具ごと吹き出してしまう。
慌ててテーブルにあった台ふきで顔をふくと、具の穀物のつぶが鼻に入った痛みで涙目になりながら立ち上がった。
「お、おい!」
単体で廊下をすたすた歩く銀の鎧を追いかけ、その背中にニカノルは声をかけた。
「はいなんでしょう」
声をかければ返事が返ってくるのはあたりまえのことだが、それが出来たことに軽く驚きを覚える。
振り返った鎧はやはり今現在客人として迎え入れているくろやみ国という小国の使節団の一員だった。大陸の闘技場での“くろの騎士”の闘いぶりを聞き知っているニカノルは、たとえ色違いといえどその鎧姿に威圧感を覚えた。
「あ、あんた、客室は違う階だろう。何しに来たんだ」
周囲の人間は皆こちらを見ているが誰も動かずにいるので、仕方なくニカノルが代表して尋ねた。
「医療器材があるのってどちらでしょうか?」
「なんだ? 何の用事があるんだ?」
「薬を作りたいんです」
「薬? 待て」
ニカノルは急いで壁についた取っ手を掴むと精霊術を立ち上げマヴロの部屋に通信をつなげ、確認を取る。返事はすぐに返ってきた。
「許可が出た。こっちだ」
医務室へ向かう方を指差し、ニカノルが歩き出すと銀の鎧も並んで歩き出した。やはり足音はなく、動きも酷く軽い。強いて音がするといえば羽織っているケープの衣擦れの音くらいだ。
「珍しい通信手段ですね」
案内されながら一定の間隔で壁につけられた取っ手を眺めて銀の鎧が言う。
「昔っからのやつだ。元々はうちの組の技術だったが、そのうちここいらの一帯の海賊船で使うようになっている」
「技術が漏れたんですか?」
「いや、昔売ったらしい。高値でな」
そうこうするうちに医務室についた。ニカノルはそのまま銀の鎧を置いて仕事に戻ろうとしたが、医療員が怖がりしかたなく一緒にいてやることにした。銀の鎧は断りを入れてなにやら熱心に棚の中や機材を検分している。
「おい、銀の鎧さんよ、おい」
熱心に探しものをしていた鎧は二度目の呼びかけで振り向いた。
「はいなんでしょう。それとできればジルヴァラと呼ばれると分かりやすいんですが」
「わかった。あー、ジルヴァラ、技術者を一人同席させていいか。あんたが何をやるのか興味がある」
これはマヴロから指示されていることだ。すでに一人こちらに呼んである。
「どうぞ、興味が有るのならご自由に。少々薬剤を分けていただきたいので、その御礼がわりにしてもらえると助かります」
「わかった」
いくつかの箱の中をあけ瓶の中の薬剤を手に乗せて確認などをした後、ジルヴァラは目当てのものらしき薬剤をいくつか机の上に並べていく。
それからまとっていた黒いケープを脱いで形を整えると丁寧にたたんで机の端に置いた。
「あといくつか欲しい物があるんですが」
「わかった。何が必要なのか告げてくれ。俺達で取ってくる」
あまうろつかれると騒ぎになると、ニカノルが申し出る。
「それはありがとうございます」
食堂から必要な品物をとってきた医療員と技術員が医務室に到着したのはほぼ同時だった。
技術員は一瞬医務室を占領する銀の鎧を見て驚いた表情を浮かべるが、その手元の動きを見てすぐに顔を引き締め、記録用の術を動かそうとする。
「法術はやめてください。法術は気脈に影響します。この薬に気脈を混ぜたくないんです」
小皿に薬剤を取り分けていたジルヴァラが銀の仮面に包まれた顔をあげて言う。
「必要なら全部口頭で説明しますから」
「わ、わかりました」
技術員は慌ててポケットから手帳とペンを取り出す。
ジルヴァラはニカノルも知っている一般的な手順とはまったく違う調剤をした。
薬剤をのせた小皿を指で軽く叩きながら鼻歌のようなものを歌うかと思えば、無造作に固形の薬剤を一列に並べて眺める。目分量で計量していたにもかかわらず技術員が計りを使って確認すればジルヴァラが言ったとおりの数値が出た。さらには食堂から持ってきた砂糖は鎧の手のひらで混ぜているうちに小さな銀色のカプセルに変わっていたりと、なにがなんだか分からない。
技術員は目の前の出来事に若干涙目になりながらも、必死にジルヴァラのやっていることを理解しようとして質問を続けていた。
「大体はそこにある機材で代用できますよ」
精霊術だろうか? だがそれにしては術の発動はなかった。
「あんた、もしかして精霊なのか?」
もしやと思い、口にだしつつも思わず探知の精霊術を走らせるが、鎧の表面がすべて受け流し判別ができない。
「どうぞお構い無く。設備を貸していただいて感謝します」
銀の鎧はそう言うと薬を詰めた小瓶を大切そうに両手で持ち軽い足取りで客室へ戻っていった。
「作ってたのは何だったんだ?」
「おそらく酔い止めだと思います。本来あんな短時間で作れるものじゃないんですが……」
「酔い止めが必要になるんだ。人間もいるんだろうな。どいつかわからんが」
乗船時に見かけた使節団の姿を思い出しながらニカノルは言った。
「まあ、あれが精霊ってんなら色々納得できるが、とにかく悪い奴らじゃなさそうだな」
ニカノルは疲れきった技術員と、いまだ怯える医療員と共に銀の鎧が去っていくのを見送った。
◆