機会と噂と信じるこころ 4
「おまえこの国の奴だったのかよ。よくも闘技場の結界ぶっ壊しやがったな!」
言われて目の前のサヴァを観察する。そういえば、サヴァはずっと防衛システムの確認のために城のシステムと繋がっていたので、黒い鎧を着ている。
「どういうことかしら?」
「えーと……」
見上げた先の表情の見えない黒い鎧の仮面の向こうから、サヴァの困りきったような声が聞こえてきた。
「……すみません」
当分の間、ジェスル王子はれっきとした他国からの客人としてこの国に滞在することになった。客人といっても、本当はざっと見学してもらったら黒堤組にでも頼むか、自分たちで船を仕立てるかしてすぐにでも送り返すつもりだったのに、
「闘技場の結界の補修費用、けっこうしたんだよな。俺が帰って報告すればあんたら責任追求されるかもな。でもこの国面白いから、もうしばらくいたらそんな細かいこと忘れそうだなあ〜」
と、ジェスルに露骨に脅されて、結局会合の出発までうちに滞在することになった。
即位してから今までで一番お金が無いのが悔しい! ちょっと真面目に外貨を稼ぐ手段を考えなくちゃ!
「もう、せっかく対外用に謎の国ってことにして準備しているのに、あの王子に色々バレちゃってる気がするわ!」
一応秘密にしておきたいことは隠せているけれど、すでに国民の少なさは把握されている。
せめてもの救いは彼が今度の会合に参加しないらしいってことくらいね。
「記憶操作でもします?」
レーヘンが微笑んで人差し指を立て、細い銀の針のように変形させる。
「危なそうだからやめてレーヘン。一応は王子なんだから変な細工をしたのがバレるとそれこそ問題になるわ」
おそらく、この国がジェスル王子をどう扱うかは青嶺国に対する私たち態度とみなされる。彼を殺したり拷問すれば敵意があるとみるし、仲良くすれば友好的。そして王子だからとうやうやしく接すれば青嶺国に恭順の意思があるとみるでしょうね。
青嶺国の属国になる気はないし、敵対するつもりもない。友好関係を築けるかは、青嶺国の首脳陣と会ってみないとわからない。
「青嶺国の法律に合わせつつ特別扱いは無し、変に構えず、普通に外からのお客として接するのよ? いい?」
「わかりました」
レーヘンがお辞儀をして、その時ようやく精霊が手に持っているボウルに気づいた。
「あら? 今日はアナタなの? いつもはハーシェがやってくれるのに」
顔をあげたレーヘンは、嬉しそうに微笑む。
「はい。交代してもらったんです。ハーシェはベウォルクトから影霊としての説明を受けています。今度の会合で精霊達に会う際の準備です」
「そう」
ハーシェは世界で最初の影霊ということで、精霊達へお披露目する必要がある。なんでも影霊は長く研究されていて、ようやく完成した存在ということで他国の精霊達も興味があるらしい。
「それに今日は影霊を作りましたから、普段の成分に加えて保護成分も入っているんですよ」
「そうなの」
ボウルを覗き込むと、いつもの木の香りに加え、ふわっと甘い香りがした。
「じゃあお願いするわね」
「ではそちらの椅子に座ってください」
指示された背もたれのない椅子に腰掛け、お風呂上りでばらけていた髪をざっとまとめて、背に流す。
銀髪の時は変換された瘴気を溜めてこんでいるせいなのか髪のコシが強くなってまとまりにくくなるけれど、黒髪に戻るとさらっとして、まとめやすくなる気がするわ。
「失礼します」
そう言ってレーヘンが私の背のそばまで来たので、いつものように正面を向いて首筋を伸ばす。けれどいつま経っても髪を持ち上げられる感覚がしない。
変に思って振り返ってみると、銀髪の精霊はすらりとした指で髪を一本だけつまみ上げ、真剣な顔つきで細い筆で栄養剤を塗りつけていた。
「ちょっとなにやってるのよ。それじゃ朝までかかっても髪の手入れが終わらないじゃない」
「ですが毛質が痛まないよう、しっかり保護せねば」
「ハーシェはいつも手に栄養剤をつけてそのまま梳くようにして髪に刷り込んでくれているから、アナタもそうしてちょうだい。私の髪、結構頑丈だからちょっとくらい引っ張っても平気よ」
そう言うとレーヘンは少し考えるようにボウルの中の深く澄んだ緑色の栄養剤と己の手を見比べ、そっと両手を液体に浸してなじまる。それから手をボウルから引き上げ、おそるおそる髪の中に指を差し込むとゆっくり滑らせる。
「こうですか?」
「そうね、いい感じ」
「痛かったら言ってくださいね」
「わかったわ」
何度か繰り返すうちに慣れてきたらしく、次第に手つきも落ち着いてきたので、安心して正面に戻って温かいハーブティーを飲みつつ、今度の会合用の資料に目を通す。
しばらく経って、やけに後ろが静かなのでまた振り向いてみると、レーヘンはまだ私の髪を触っていた。
「レーヘン、大丈夫? 終わったの?」
「ええ。栄養剤は終了しましたが……」
精霊はそう言いいながらも生え際あたりから指先を髪に通し毛先までそっと滑らせる動きを繰り返している。
「どうしてだかずっと触っていたくて」
そうつぶやいて、黒髪を眺めながら目を細める。
「心地いいです」
「そう?」
毎日ハーシェと二人ががりで手入れしているからかしら?
「気に入ったのならしばらく触っていてもいいわよ。そのほうが栄養剤も髪に馴染むだろうし」
「はい」
部屋の明かりに柔らかく照らされながら銀髪の精霊が微笑む。
実はだいぶ長くなってきたから少し切りたいのだけど、この様子だと反対するかもしれないわね。
髪を触られているからか、なんだか眠くなってきた……
「ファムさま」
少しうとうとしていると、背後からレーヘンがそっと呼ぶ声が聞こえてきた。
「なぁに?」
「もう夜に泣くのはやめませんか?」
口に運ぼうとしていたカップが途中で止まった。
ここ数日、夜はハーシェしか部屋に入れてないのに、何でも知ってるのね。
「別に、泣くくらいいいじゃない。感情を溜めこむよりいいでしょ」
「ハーシェが心配してベウォルクトに相談しました。ライナ達もファムさまの様子が今までと違う事に気づいています」
自分ではごまかせているつもりだったのだけど、みんなに心配かけちゃってるのね……
「そんなに忘れられないんですか? あの男が」
背後から、そっと、確かめるような声が聞こえてくる。
「……そうね、ふっ切るにはもう少し時間がかかるわ」
頭の中では理解していて、いくら泣いてもどうしょうもないって分かっているのに、涙が止まらないくらいだもの。
「海の上で会わない方がいいのでは」
「いいえ、会うわ。それとこれとは別よ」
元恋人のファムとしてはまだ気持ちの整理がつかないけれど、黒いヴェールをつけて、顔を隠して、くろやみ国の代表として白箔国王に会うことなら、きっとできる。
「だって白箔国にもうちを認めて貰いたいんだもの」
「ファムさま」
振り返ると、レーヘンが床に膝をついてこちらをじっと見上げていた。
「ワタシには人の心の深いところは理解できないかもしれない。でもワタシはファムさまをお守りしたいんです。あなたの心も含めて」
レーヘンの口元は引き締められ、銀のまつ毛に縁どられた青灰色の瞳はまっすぐこちらを見つめいる。
「どうか一人で抱え込まないでください」
「ありがとう、レーヘン」
そう言ってくれるアナタや、みんながいるから、私はこの国を守りたいの。いえ、なんとしても守ってみせるわ。
「私はくろやみ国を守るから、レーヘン、アナタは私を守ってちょうだい」
「もちろんです」