青と翼と 4
◆
「どうしよう、これ」
ライナは途方にくれながら抱えている銀の卵を見つめる。
卵はいまだに内側から硬質な音が続いており、小さなひび入っている。今にも殻を割って孵化しそうだった。
王の間の片付けを終え別室で待機しようとした際に卵の異変に気づいたライナは、慌てて卵を抱え王の間を出てきてしまった。前回の影霊は王の間で大暴れしたというし、もしも女王が謁見中に孵化したこの影霊が暴れでもしたら大変なことになる。
「大丈夫かな……いきなり爆発とかしないよね」
「修理した王の間の機能を確認するための影霊ってベォルクトさんが言ってたから、危ない生き物じゃないと思う」
不安そうなライナを元気づけるようにシメオンが言った瞬間、卵の内側からの音が大きくなり、ひびが崩れて穴が空いた。
覗き込もうとしたライナの目の前で穴から何かが飛び出した。
「わっ」
飛び出した銀色の何かは捜し物をするかのように部屋の中を飛び回り、扉にぶつかると一瞬ずり落ちるが、姿勢を正してピイィと鳴くと、再び扉に体当たりをして、閉まったままの扉に穴をあけ廊下へ飛び出した。
「すごい速さ! 危なくないの? あれ……」
驚いた顔つきのままライナが振り返りシメオンを見る。
「さあ……きっと創造主の元へ向かうつもりだと思う」
シメオンは不安そうな顔でそう言った。
「じゃあファムさまの元ね。とにかく追いかけよう」
「ライナ、待って!」
二人は銀色を追いかけて走りだした。
◆
精霊を使っての脅迫に失敗して、ベウォルクトとレーヘンの様子に驚いた様子を見せつつもジェスル青年はまだ余裕を保っていた。
ベウォルクトから一歩離れ、幅広の湾曲した形をした剣を構える。
「うちの家訓にはこうある。『精霊とやりあうには五手先読んでも足りない。アイツらはその斜め裏側から鼻歌を歌いながらやってくる』ならどうするか?」
そう言いながらジェスル青年は左手を右手の剣にかざす。剣の刃はぼんやりと青く輝いた。何だか良くない気配がするわ。
「『とにかく死に物狂いで先手必勝』ってな!」
そう言って床を蹴り、ベウォルクトに斬りかかった。
ベウォルクトは身体から出ている銀色のワイヤーで剣を受け止める。けれどすぐに大きく引いて身構えた。見るとワイヤーの何本かが切られて床に落ちている。
「……!」
レーヘンがそれを見た途端わずかに眉間に皺をよせ、私を抱えて飛び退った。
「もういっちょ!」
ジェスル青年はさらに斬りかかろうとする。
「ちょっと!」
さっきから何してるのよ!! この男!
私が静止の声をあげる寸前に、金属と金属がぶつかる音が聞こえた。
何があったか確認しようとレーヘンの肩越しからよく見ると、王の間の中程にいたはずのカラノスがいつの間にか割って入り、ジェスル青年の剣戟を自分の剣で受け止めていた。
「ひとん家で暴れるなんざ行儀の悪い坊ちゃんだな」
間近でカラノスと睨み合ったジェスル青年はひどく驚いた顔つきになる。
「あ、兄貴!?」
「お前みたいな舎弟は知らんな。悪いが別人だ。まあ他人の空似って奴だろうな」
カラノスはそう言った。こちらに背を向けているけれど、きっとあの不敵な笑みを浮かべているに違いないわ。
「危ない!」
突然、開いたままの扉の向こうからライナの叫び声が聞こえてきた。
そして扉から勢い良く入ってきた銀色の何かと、ジェスル青年の後頭部とが激しい音をたててぶつかる。
銀色の何かはぽとりと床に落ち、ジェスル青年は倒れて動かなくなった。
「……ええーっと」
どうしよう、この状況
「とりあえず、生きてる、のかしら……? レーヘン、様子を見てちょうだい」
「わかりました」
「ファムさま! ブルムが……ひっ、知らない人!」
「……ジェスル王子?」
ブルムを追いかけていたらしい、ライナと、ライナを背負ったシメオンが王の間へやってきて、扉の傍で倒れているジェスル青年に気付いて驚いている。
「王子?」
どういう事かしら? この人付き添いなんじゃないの?
「シメオン、ライナ、隣の控えの間に青嶺国から来たグリフォンのソルがいるから、ちょっと呼んできてちょうだい」
二人が出てから今度は城外の警備についてもらっているサヴァに連絡をする。王の間から彼の鎧に声が届くようになっているので、これは空中に向かって呼びかけるだけで通じる。
「サヴァ、聞こえる? あなた青嶺国のジェスル王子って知ってる? ……そう、そうなの。直接の面識はないのね。わかったわ。こっちの謁見はもう少し長引きそうだから、引き続き警備をお願い」
それから城内の別の場所で待機しているハーシェにも連絡をして、それからベウォルクトとカラノスの元へ向かう。
「ありがとうカラノス。止めてくれて」
剣を戻したカラノスに礼を言うと、相手は軽く笑みを浮かべる。
「なあに、恩を売ろうかと思ってな。んで、そいつは一体なんだ?」
床に転がる銀色の塊に目線をやりながらカラノスが尋ねる。
「うちの新しい仲間よ」
「ようやく卵から孵ったようですね」
いつもと変わりない調子に戻でベウォルクトがそれを拾いあげる。
『こんにちは、こんにちはファムさま! ブルムやっと卵から出られましたの!』
胴体をベウォルクトに掴まれたまま、ブルムが尻尾と羽根をめいっぱい振りながら挨拶する。
「こ、こんにちは、ブルム。元気いっぱいね。あなたが無事に生まれてくれたようでなによりだわ」
まだちっちゃいけど、ゲオルギより目元が鋭い。逞しく育ってくれそうね。
「そういえばベウォルクト、アナタ腕は大丈夫なの?」
斬られたはずのベウォルクトの左手をつかむと、灰色の手袋に覆われたいつも通りの姿形だった。人間と同じで、指も五本揃っている。切り落とされた銀色のワイヤーもいつの間にか床から消えていた。
「問題ありません。少々驚きはしましたが」
確かに、あの暴れるローデヴェイクを取り押さえたものが、こうも簡単に切られちゃうなんて驚きだわ。
「……お前ら、もしかして精霊術に詳しくないのか?」
振り向くと、カラノスがなんだか呆れたような顔をしている。
「こいつが使ったのは“抗精霊”術。精霊と事を構える時に使う精霊術の一種だ」
そういったものがあるのね。
見ると、ベウォルクトも首を傾げている。
「ベウォルクトはずっと引篭もってましたから、外の様子に詳しくなくても仕方ありません。精霊術は最近の数百年の間に大陸の人間達が作ったものなんです。特に、抗精霊術はここ数十年のうちに出来たものです」
元同郷の精霊コトヒトが説明してくれた。
「あるらしいとは聞いていましたが初めて見ました。あれが抗精霊術ですか。けっこう地味なんですね」
五百年人間の街をさまよっていたレーヘンが言う。
「俺も間近で見るのは久々だな。使える奴はそう多く無い。精霊術がかなり使えないと抗精霊術を習得できないらしいからな」
左右に揺れながらカラノスが言う。見ると、護衛のシシが駆け寄ってきて彼に頭突きをしていた。
「すまんかったって。あれくらいで心配するな、シシ」
『何をやっているんだ。まったく』
王の間に戻ってきたソルは私の説明をきいて、マットの上で頭に黒い包帯をまいて眠るジェスル青年を呆れたように睨んだ。鷲のような顔でも表情って出るのね。
「この人、どうしてこんなことをしたの?」
ソルに尋ねると、ジェスル青年の顔を覗き込んでいたグリフォンは一つため息を吐いてから顔をあげた。
『こいつはアクシャム様の秘蔵っ子の一人でな』
あちこち出かける事の多い自国の王子達に対し、青嶺国の精霊アクシャムは世界中の精霊に依頼した。「青嶺国の王子に会ったらよろしく頼む」と
心配したつもりでの依頼だったのに、言葉だけが一人歩きして精霊達に伝わったらしい。そのおかげで森で巨獣型の精霊と会えば目があった瞬間突進され、谷で霧状の精霊に出逢えば霧を濃くされ遭難し、海に行けば海の精霊達が総出で襲い、海中に引きずり込もうとする。
聞いていて思わず顔がひきつっちゃったわ。
「それは……よく今まで生きてこれたわね。そんな目にばかり遭ってると精霊を見たら警戒したくなる気持ちもわかるわ」
「みなさん冗談半分で遊んであげてるだけなんですけどね」
レーヘンがさらりと言う。
「アナタ達にとってはそうでしょうけどね、精霊の冗談って人間には冗談じゃ済まない事もあるのよ? 私も子供の頃に両親が精霊に子守りを依頼して、結果とんでもない目に遭ったことがあるわ」
「くそっ、だからどこ行っても俺にだけ精霊が絡んでくるのか……」
声がして、見ると頭を押さえながらジェスル青年が身を起こしていた。
「頭打ってるからまだ動かないほうがいいわよ。でもあなた王子様なんでしょ? 身分が高いんだし、国が精霊達から守ってくれたりしないのかしら?」
「そりゃあないな」
ジェスル青年が何か答える前にカラノスが言う。
「青嶺の王子ってのは大陸一キツイ身分で有名だ。何しろ王子を甘やかせば処罰対象にすると国の法律で決められているくらいだからな」
『我が国の王族は何事も自力で対処しろというのが教育方針だ』
ソルも当然のように言う。
「なんだか……かなり大変な人生を送ってるのね」
王子様って大変なのね。