願いが許される場所 4
「はい、どうぞ」
意外なことにマルハレータの要求した品々を用意したのはレーヘンだった。彼女は嫌そうにそれらを受け取って、大浴場へ消えて行った。
人間の頃の習慣に感覚が馴染んでいるから、影霊という存在になってもお風呂には入りたくなるものらしいわ。
一夜明けて、朝。私とベウォルクトは朝ご飯を持って兄妹と竜が滞在している王の間へ向かった。
「おはよう、サヴァ。身体の具合はどう?」
「おはようございます。ファム女王。おかげさまで疲れがとれました」
お兄さんのサヴァはすでに起きていて、旅装の下に着ていたゆったりした粗織りの長袖のシャツとズボンに、膝上まで覆う皮のブーツを履いている。服の端からは所々変質した肌が見えているけれど、昨日のように隠したりせず、堂々としている。
彼は竜のゲオルギの身体を草で編んだたわしのような物で磨いていた。
「ライナちゃんの様子はどう?」
「眠ったままですが、健康な状態です」
一晩彼らと一緒に待機してくれたレーヘンが答えた。
消えかかっていた少女は昨日の急造した台とは違って、柔らかなマットのついた寝台の上に横たわっている。一時は影しか残らないまで薄くなっていた姿はすっかり存在感を取り戻していて、ライナという名の少女の姿が良く見えるようになった。
顎の長さで整えられた暗い緑の髪に、涼やかな目元にはお兄さんのサヴァと似た雰囲気がある。それに加えて子供らしさのある丸みのある輪郭。まだ女性らしさの少ないほっそりとした身体つき。瞳の色は何色なのかしら
彼女は遠目からだと人形と見間違うくらい静かに眠っている。
「ゲオルギ用の朝食も用意しました」
そう言ってベウォルクトが抱えていた箱を床に置いた。
「中身は果物と野菜よ。美味しそうなのを選んできたの」
レーヘンはベウォルクトが持ってきた箱の中からストローのついた瓶を取り出してサヴァに渡す。
「これをライナさんに飲ませてあげてください」
「何から何までありがとうございます」
「せっかくはるばる来てくれたんだから、ライナちゃんにはしっかり元気になってもらうわよ」
窓際にテーブルセットを用意して、スープポットからそれぞれの器にポタージュを注ぐ。野菜と果物のサンドイッチを盛った籠はテーブルの中央に置いた。食事はマルハレータも一応食べるだろうからと三人分。人数が増えると作りがいがあるわね。
これでさわやかな朝日が窓から差し込んでいれば素敵な朝食になるところだけれど、この国の空は今日も曇り。窓の外にはいつもと変わらないもやっとした色合いの空と乾いた大地が広がっている。
「ハーシェも折角だからお茶だけでも一緒にどう?」
『いただきますわ。ファムさま、わたし、お茶を淹れてみたいです』
人の姿になったハーシェと一緒にお茶の葉を蒸している頃に彼女はやってきた。
「おはよう、マルハレータ」
「ああ……おはよう」
王の間に入って来たマルハレータは新しい服に着替えていた。
ヒールが高い黒のショートブーツに黒い細身のパンツ。薄いグレーの光沢のあるシャツを着て、両手には法術師の証である人差し指と中指が覆われていない形の黒いグローブをはめている。
「男みたいな格好ね」
「おれにはこれのほうが落ち着く。もう女王じゃないしな。おかしいか?」
「ううん、男装の麗人って感じで、素敵だわ! ねえ、その靴で歩きにくくないの? それにどうして爪に色がついてるの?」
「靴は慣れると平気になる。今は高さがないと落ち着かないくらいだ。爪はちょっとした仕掛けのためと、その、お洒落で……」
「綺麗ねぇ、私にもできるかしら?」
「ああ。道具があれば簡単だ」
ああ、女の子同士の会話ってものすっっごく久しぶり!
二回目の竜脈の融合は午後に行われた。
もう消えかける事のなくなったライナの身体には様々な変化が起きた。竜脈の影響らしい。
全身が鱗に覆われたり、色が変わったり、顔つきが変わったり、かと思えば元に戻ったりと安定しない。
「ファムさま、影霊の要領で調節してみてください」
「わかったわ」
せっかく見た目が変化するのなら、可憐な姿になって欲しいわ
私は王の間の力を借りてそう願うと、最終的にライナの姿は元の女の子の姿に近いものになった。
そうするうちに彼女の命脈が動く気配がしたので、私は触れていた手を離した。
まぶたが痙攣して、そっと開いていく。兄のサヴァと同じ深い緑の瞳が現れた。
「ライナ、ライナ?」
サヴァがそっとライナに声をかけた。
「……兄さん?」
ライナは二回ほど瞬きした後にゆっくりと両手を持ち上げて目の前にかざして眺める。
「私、いま生きてるの? どこか消えてない?」
「どこも消えてない。お前は生きているよ」
ライナはゆっくりと慎重に身体を起こした。彼女が着ていた病人用の薄い灰色のゆったりとしたワンピースは後ろが破けていて、窮屈そうに折り畳まれた白い羽根が見えている。両耳の上には親指の先くらいの大きさの突起が現れていた。
「羽根と角が残ったわね……」
一対の真っ白な羽根と一対の銀色の小さな角。顎の長さで整えられていたまっすぐな髪は暗い緑色の中にいくつか銀色の房が生まれて、たて縞模様を描いていた。
私は王の間に頼んで全身が映る鏡を出してもらった。
「ライナちゃん、心の準備ができたらこの前に来てちょうだい。すぐじゃなくてもいいわ」
「女王さま、お気遣いありがとうございます。今、行きます」
心配そうなサヴァに手伝われながらライナは寝台から降りて、ふらつきながら裸足のまま鏡の前に歩いていく。
彼女はまっすぐな視線で自分の姿を見た。
「……面白い髪の色になってますね」
「あと羽根と角が生えちゃったけどね。でも十分可愛い女の子よ、あなた」
ライナは角を人差し指で撫でたあと、ワンピースの襟をさらに破いて背中の羽根を引っ張り出して、なんとか動かそうとして、あきらめて言った。
「私、銀色好きです。角はそんなに目立たないですし、羽根は頑張れば空が飛べるようになるかもしれません」
彼女は鏡を見ながら自分の顔に触れ、ワンピースの上から胴体に触れ、両腕、両足に触れ、しゃがんで十本揃った足の指を優しく撫でた。
「私の身体、もう消えたりしませんか?」
「このまま城内で様子を見て、十日間後までに体内でなにも変化が起きなければ、その後も大丈夫でしょう」
ベウォルクトがそう言って、ライナは笑顔になった。
やっぱり後書きは活動報告にて