願いが許される場所 2
「ベウォルクト、世界にはあんなに大きな翼を持ったトカゲがいるのね!」
「ファムさま、あれは竜です」
しばらく経って、レーヘンの後から竜という生き物と一人の人間が王の間に入って来た。
影霊の彼女は一緒じゃないみたいね。
生まれて初めて見る竜は、牛二、三頭はある大きさをしていて、二本の早く走れそうな足と二本の小さめの手、一対の大きな翼と長い一本の尻尾を持っていて、灰色がかった緑色のごつごつした岩や木の肌のような鱗らしきものに覆われた姿をしていた。背中の中程には馬具のようなものがとりつけられている。
それに乗って来たであろう人物は、背格好から判断すると相手は男の人のようで、毛布に包まれた何かを大切そうに抱えている。あの大きさからして……
「こんにちは。私はこのくろやみ国の女王ファムよ」
思いっきり普段着用の木いちご柄ワンピースで王座に座ってますけどね。女王なのよ。
「お目にかかれて光栄です、ファム女王。あの……ここは暗病国ではないのですか?」
お客さんはやはり男性だった。マントのフードをかぶった上にマフラーを深く巻いているので顔はよくわからないけれど、低いけれどよく響く声が王の間に響いた。
「以前はね。いまはくろやみ国という名前になったの。それで、うちに何か御用かしら? その抱えているのはもしかしてあなたのお子さん?」
「……妹です」
彼はゆっくりと抱えていたものを床に降ろし、毛布を取りのけた。
「……どうしちゃったの、その子」
「子供の頃からこいつは時々こうやって身体がおかしくなるんです。初めは一部分だったんですが、成長するにつれてどんどん酷くなっていきました。様々な名医に見てもらいましたが、ついに見放されました」
中から出て来たのは、身体のほとんどが透けてしまった女の子だった。
「かつてこの地にあった暗病国は、高度な医療技術を持った国だときいています。……どうか、妹の命を助けてください」
少女の前に膝をついて、お兄さんは深く頭を下げた。
「どちらで暗病国の話を聞きましたか? この国は人間の地図には載っていない場所ですが」
私の横に立っていたベウォルクトが言った。
「旅の精霊が教えてくれました。青嶺国のさらに先の海の上に妹を助けられるかもしれない国があると。それから自分でも古い文献を調べて、暗闇国の事を知りました」
「私を助けてくれたあの子ね……」
あの明るくてやさしい精霊ならこの国の事を人に教えるくらいしそうだわ。
ベウォルクトが納得したように言った。
「確かにこの国にはかつての暗病国の技術が眠っています。人間の国の地図にはまだくろやみ国は登録されていませんから、信じて貰うためにあえてぼかした伝え方をしたのでしょう」
「あなた達はどこから来たの?」
「緑閑国です」
海の向こうの青嶺国のその先の、かなり山深いところにある小さな国だわ。
「伝説を信じて、最後の希望にここまで来てくれたのね」
「失礼します」
レーヘンが女の子の透けた手首をとり、じっと見つめた。
「どう?」
「かなり危険な状態です。おそらく生まれ育った場所の気脈が特殊だったのでしょう。ファムさまに似た体質のようですが、制御が安定せず暴走しているようです。自分の命脈が外へと流れ出て、逆に天地の気脈を吸収し、どんどん存在が薄くなって身体が消滅しかけているのかと」
「ベウォルクト、レーヘン、意見を聞かせて」
話をふると、精霊たちはすぐに答えてくれた。
「影霊として再生させる方法なら助かるかもしれません。ですがこの少女の存在はだいぶ薄くなっているので、影霊の媒体として持つかどうか……」
「それに、影霊創りの時期までに間に合いそうにありません」
私は自分の髪の毛を手に取ってみた。まだ半分ほどしか銀灰色に染まっていない。
私たちが話をしている間も、少女の輪郭はどんどん薄くなり、いまはもう、うっすらとした影だけが存在を示すだけになっていた。
「とにかくこの状態を止めないと。そういった薬かなにか、ある?」
「あります。治療室から持って参ります」
そう言ってベウォルクトが早足で立ち去っていった。
「ファムさま、先ほど着ていたコートはありますか?」
「これね」
レーヘンは私からコートを受け取ると、少女の身体を包むように巻きつけた。
「これで命脈が流れ出すのを止められます。一時しのぎですが……」
お兄さんは少女から目を離さずに、ただじっと私たちの話を聞いている。
彼らを連れて来た竜も、心配しているのかそっと上から少女を覗き込んでいた。
お兄さんが少女をいたわるようにそっと触れている場所を見て、私はあることに気がついた。
「ねえ、お兄さんの力を借りれないかしら。使えそうな感じがするの」
はじかれたように彼は私を見た。
「あなた、生まれ持った命脈以外の気脈が身体にあるの、わかる?」
王の間にいるからか、私には気脈や命脈などの存在がよく感じ取れるようになってるみたい。お兄さんの手が触れている場所から、何かが少女に流れ混んでいるのがわかった。
「もしかしてこの身体の原因も……」
そう言ってお兄さんは片手でマフラーとフードを外した。
中から現れた精悍な顔つきの男性は黄緑色の短く刈られた髪と深緑の瞳をしていて、さらに目元を中心に三分の一ほどが鱗のように堅く変質していた。特に左目は爬虫類のような瞳孔をしている。
「おそらく彼らは竜脈の近くで育ったのでしょう」
レーヘンが少女の手首に触れたままの姿勢で言った。
「竜脈?」
「古くからある天然の強い気脈の一種です。竜はそこからの影響で生まれるんですよ。うまく調和すれば彼のようになりますが、この少女のようにその強い気脈に引きずられるようにして身体を壊す場合もあります」
「じゃお兄さんは竜の力を持った人なのね。すごく強い生命力を感じるわ。ねえ、この竜脈をうまく混ぜて調和できれば、彼女の命脈を身体にとどめられるんじゃないかしら」
「そんなことをすれば人間じゃなくなっちまうぜ?」
声に振り返ると、王の間の入り口に影霊の彼女が立っていた。
「身体に竜脈が混じったからそこにいる男はそんな格好をしているんだ。顔を隠していたのは、そのみてくれで地元で苦労したからじゃないのか? そんなのを命脈に混ぜるとさらに酷い事になるだろうな。図々しいんじゃないのか? そんなことをして。あんたはその人間の事を背負い込めるのか? 勝手にまるで違うモンに変えられて、おれのように絶望してあんたの命を狙うようになるかもしれないぜ? やろうとしていることは、そういうことだ」
お兄さんはうつむいている。けれど、少女から離れる事はない。
レーヘンはずっと少女の手首を持って様子を測っている。
私は彼女を見つめて、言った。
「でも、今この場でこの子が死んでしまう事を望む者は誰もいないわ」
「持って参りました」
ベウォルクトがいくつか箱を抱えて帰って来た。
小瓶から薬を飲ませようとレーヘンが少女を抱き起こすと、少女の口が動いてかすかな声が聞こえた。
「お、おね……おねがいします。兄を……ひとりぼっちに……したくない……」
少女の兄は顔をあげて、私を見つめて言った。
「どんな姿でもかまいません。妹が生きてさえいてくれるのなら……だから……頼みます」
私はゆっくりと、自分にも、王の間全体にも響くように言った。
「この子が生きる事に悩んだら、私も一緒に悩んで、一緒に良い方法を考えるわ。法術が使えたりすごく頭が良かったりするわけじゃないけど、それくらいの事は私にもできるし、更にいえばこの国の女王としてなら何かできるはずよ」
王の間に頼んで影霊を創る時のような台を王座のすぐ横に出してもらい、少女の身体を横たえる。
私は王座に座って、ゆっくり深呼吸をして心を鎮めた。
『ファムさま』
「ハーシェ? どうしたの?」
声が聞こえた方を見ると、ハーシェが誕生したとき以来の人の姿になっていた。
『お手伝いしますわ。この子が吸い取った気脈をわたしに流して下さいまし』
口を動かさずにそう言って、ハーシェは穏やかな微笑みのままそっと手を差し出してきた。
「わかったわ」
私はハーシェの手をとった。
「ファムさま、ハーシェと手をつないだまま、反対の手を少女の胸元に置いてください。アナタはこちらに手を」
そう言ってベウォルクトがお兄さんの右手を少女の額へと誘導した。
私はゆっくりと皆を見渡し、最後に影霊の彼女を見て微笑んで、言った。
「さあ、はじめるわよ」
竜出てきました。王道っぽく。竜が
ぽこぽこ現れる新キャラ達の名前は、順々に出てきます。
2011/02/06:お兄さんの髪の色を変更
2018/02/22:少し加筆。