国民たちと願い 1
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◇
「エシル団長が竜槍と一対一で模擬戦しているぞー!」
興奮した声があたりに響いた瞬間、目の前の天幕からブーツと剣を抱えた裸足のユミットが飛び出し、声のした方角へ走っていった。
後を追うように慌てて天幕から顔を出したメールトが青い髪の上司に気付く。
「あ、隊長おはようございます。ユミットはどっちへ行きましたか?」
「おう、おはよう。あいつは海辺の方へ行ったな。というかお前らの間で“くろの騎士”が竜槍なのは周知の事実なんだな」
「ああ、あれは先輩の何人かが言いだしたのが広まったんすよ。緑閑国にいた頃の竜槍を知っていると気付くらしいですね」
片手で器用にブーツを履きながらメールトが答える。もう片方の手は昨夜と同じく固定されたままだ。
「その腕はまだ治らないのか?」
「隊長の一族以外だいたいみんなそうすよ。これでも治療術を使ったんで昼には完治します」
「ふーん、やっぱそういうもんなのか。そういやユミットはお前より酷い怪我してなかったか?」
ジェスルはもうひとりの部下が走っていった方向を示す。ユミットの姿はもう見えないが、周囲の天幕からもばらばらと騎士達が飛び出し、同じ方向へと駆けていく。
「ユミットは変に痛みに強いというか、怪我慣れしてるんすよ。さっきも痛み止めを無理やり飲ませようとしていたのに、あいつの最大の目標の名前が聞こえたんで走っていったんです」
「目標って、どっちだ?」
「竜槍ですね。あいつまだ団長とは手合わせしたこと無いんで」
「協闘大会で思いっきり負けてたもんなぁ。お前もだろ? せっかくだから見に行ってこいよ」
ここは俺が見ておくからと声をかけるが、メールトの表情は明るくならない。
「見に行って、俺に得られるものあると思います?」
“くろの騎士”に負けた記憶はユミットを発奮させたが、メールトは自信を無くしたらしい。
「んなもん行かないとわからんだろ。別に何もわからんで良いからユミット回収ついでに朝飯貰ってきてくれ」
薬も飲ませてやれよと、部下の怪我していない方の腕を叩くと、少し口元が動いた。
「……わかりました」
ごそごそと剣や上着を持ち、メールトは上司に向き直る。
「隊長、単独行動したいならはっきり言ってくださいよ」
「お前、俺が説明すれば納得するのか?」
「しないっすね。でも隊長は馬鹿ではないと信じてるんで、俺は何も勘付かずにユミットを追いかけます」
「助かる」
ジェスルは思わず笑顔になり、メールトの腕をもう一度叩いた。
「あとエクレムを起こしといてください」
「おー」
部下が駆けていくのを見送り、ジェスルは天幕の戸幕を全開にして中の折りたたみ寝台に光が当たるようにする。
「おいエクレム、朝だ! 飯だぞ!」
「……ふぁい」
寝台の毛布の塊からうめき声のようなものが聞こえてきた。
「一人で起きれるな?」
「ふぁひ、おきれまふ」
気の抜けた返事を聞いてジェスルは機嫌良く頷く。
「よしよし、じゃあ俺ちょっと朝の散歩に行ってくるからな。メールト達が戻ってきたらそう伝えろよ」
「ひゃい」
そうしてジェスルは自前の湾曲剣とバスケットを持ち、にぎやかな声に背を向け歩き出した。
幾人もの騎士団員とすれ違いざまに挨拶を交わしつつ、足取りは軽やかなままだ。
岩場を越えてしばらく歩くと、何もない砂地にユリア副団長が立っていた。
彼女は海を眺めているようだったが、風にあおられた前髪が眼鏡にかかるままなので何も見てないのかもしれない。腰にあるのは騎士団員用の標準的な剣だけだ。
「私はエシルとの賭けに負けたので手合わせできないんです。ああくやしい」
「そ、そうっすか」
協闘大会の時の事を思い出し、ジェスルは副団長に対し警戒を解かず後ずさる。彼女の間合いはいまだ読みきれない。
「早く戻ってくださいね。責任者が演習を放り出しての逸走は許されません」
「今回はすぐだ。報告書のまとめに団長と副団長の私見が欲しいんで後で持っていく」
「わかりました。待ってますね」
ジェスルは遠くに見える船へ向けて歩き出した。
◇
◆
向こうの言うがままの流れが続いたので、サヴァはこういった時に自国の者達ならなんと言うだろうかと考え、去り際のエシルをまっすぐに見た。
「これは貸しひとつだ」
「ああ、それはいいな」
いつの間にか集まっていた大空騎士団の騎士達は、二人の手合わせが終わるまでは大人しかった。
「では私はこれで。皆も規定時間までに帰還準備を完了しておくように」
晴れ晴れとした表情でエシルが彼らを見渡すと、一斉に姿勢を正し団長が立ち去るのを見送る。
ジェスルなどを見ていると好き勝手に動く印象を抱きがちだが、本来は他国の騎士団以上の統率の高さを誇る集団なのだ。
だが、サヴァが自分も帰ろうと背を向けた瞬間、彼らは一斉に距離を詰めてきた。
「あんた装備無しでも団長と真っ向勝負やれるのか!」
「次の手合わせをお願いしたく」
「お願いします!」
「勝負だ!」
驚いたサヴァは近づいてくる騎士達と距離をとりつつ、どう切り抜けるか考える。だが腕に付けていたズヴァルト用の装具が緊急呼び出しの点滅を示したので急いで槍へ駆け寄ると担いで走り出す。
「それは、またの機会に……!」
去り際に何か聞こえたが、悪意ある言葉ではなかったようなので、サヴァは返事をしつつ砂地を駆けた。
くろやみ国の船は浅瀬に停泊していたままだった。移動した様子もない。
足音を聞きつけたのか、甲板から黒い姿が飛び上がりこちらへやってくる。サヴァは走る速度をあげ滑空してきたゲオルギの背にそのまま飛び移った。
甲板に戻ってくるとマルハレータとハーシェが簡易机に乗ったサユカ相手に話し込んでいた。誰かと連絡をとっているらしい。
「何があったんで……なにを」
ゲオルギの背から降りたところでいきなり背後から現れたローデヴェイクに両肩を抑えられ、サヴァは戸惑う。
ハーシェが口を開こうとする前にマルハレータがこちらを見た。
「いいか、すぐに飛び出すなよ? ライナとシメオンが錆精霊と共に行方不明だ」
言葉を認識した瞬間、動こうとした身体を背後から腕を回され拘束される。いつでも首を締め上げ意識を落とせる体勢だ。
「飛び出すなと言っただろ。お前は捜索に出るが、まず準備が必要だ」
「……わかりました」
「説明を聞ける状態か?」
「はい」
「まだ不明点が多い。今は情報を集めている段階なのが前提だ」
そう言いながらマルハレータはサヴァを見上げる。背後ではハーシェがサユカと会話を続けている。
「影霊のラオリエルが二人と一緒にいる。サユカが通話で状況を確認したが、全員無事だそうだ。いま国の方で女王が位置を割り出しているから、もうじき居場所もわかる。それと海上で追跡中のカニールとも合流する必要がある。長距離移動を想定しておけ。……それは怪我か?」
説明していたマルハレータがサヴァの服が破れているのに目を留める。
「見様見真似だが治療術使ってみるか?」
「上着だけなので」
「そうか。鎧の整備は背後の奴がやるから、お前は竜の装備を整えてやれ」
「わかりました」
拘束が解かれるとサヴァはゲオルギの元へ向かった。
朝食代わりの果物を食べさせ、竜の身体に軽い素材で出来た防具を取り付けていく。首元と、四本の脚が終わったところで甲板の出入り口が騒がしくなる。
見れば小竜のブルムが拘束されたままの男を一人運び出し、床に転がしていた。
昨夜連れてきたという人物だろう。サヴァは一瞬だけ見てまたゲオルギの装備にとりかかる。
鞍を調整し直し、左右に鞄を取り付けているとマルハレータが近づいてきた。
「これはまだ空だな」
そう言うと影霊のサユカと、ザウトと、ペーペルを入れていく。
「お前は法術を使わないんだろ、なにかに役立つだろうからこいつらを連れて行け」
◆
『いま良いか』
王の間で朝食を食べているとマルハレータが話しかけてきた。
「んぐぐ」
ちょっとまって、まだ食べてる途中なの!
『……これは音声会話じゃない。無言でもやりとりできるだろ、少し意識してみろ』
えっそうなの?
食べていた野菜のパイを置いて口を押さえてもごもごさせながら、銀髪の青年姿に戻ったレーヘンが水を飲ませようとしてくるのを慌てて目で制する。喉はつまらせてないから大丈夫よ。
(「こ、これでいいの? どうしたのマルハレータ」)
『錆精霊がライナとシメオンを連れて行方不明になった。ラオリエルが一緒にいるが外套の下に匿われてまだ外が確認できないそうだ。カニールは上空からそのまま追跡してはぐれたらしい。サユカはそれぞれの影霊と会話はできるが位置の把握は出来ていない。そちらで情報を掴めないか?』
えっ
レーヘンからコップを受け取って食べ物を流し込むと立ち上がり、王座に向かいながらお城に指示を出して半透明の地図を目の前に出す。
「どうしましたか?」
「ダウスタルニスが暴走したらしいわよ。ライナとシメオン、それにラオリエルが巻き込まれてる。確認してちょうだい」
「移動は止まっていますね」
レーヘンはシュダと共に素早く朝食をまとめてテーブルごと窓際に移動させ、中空を見上げる。
「うーん、命名による再設定は間に合ったはずですが、ダウスタルニスの情報がまだ少し変ですね。何かに干渉された形跡があります」
干渉?
「それって、どんな内容なの?」
王座に座って精霊に問いかけると、腕を組みちょっと考えるような仕草をして私を見る。悩んでるわね。
「こちらから調べています」
ベウォルクトが毛布の中から弱々しく手を挙げる。
「休んでいる所に申し訳ないけれど、お願いするわね」