思いと国民たち 6 ―錆びついた精霊2―
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夜中に大空騎士団内から一人捕まえてくる指示を出したのはマルハレータだった。
何故そうしたのかシメオンにはわからなかったが、彼女がその人物の管理と尋問を担当するのに異論はなかった。だが尋問を一人でやらせることにローデヴェイクがごねたので、全員が揃った場で行うことになり、捕虜は拘束されたまま朝まで空き部屋に放り込まれた。
「その人の分も朝ごはんを作っていいんだよね、シメオン」
「うん。それと念の為もう一人分増やしておこう」
「わかった」
朝になり、ライナとシメオンは船の調理室で朝食の準備を急いでいた。
作りおきの薄焼きパンを温め、魚肉だんごと野菜のスープを作り、切り分けた魚肉を焼いていこうとしたところでローデヴェイクが現れた。入り口を屈んで調理室に入るとざっと見渡して最後にライナの手元を見る。
「後はそれだけか」
「はい」
「残りをやっておくからお前らは兄を呼んで来い。竜だけ帰ってきたぞ」
「ゲオルギだけ? 何かあったんですか?」
「知らん。だが今はさっさと捕虜の尋問を終えたい」
「わかった。行こう、ライナ」
納得のいく理由だったのでシメオンは素直に従った。自国の領域に部外者がいる状況は彼も好きではない。
「じゃあローデヴェイクさん、盛り付けもお願いしますね。昨日と同じでいいですから」
「おー」
ローデヴェイクが気が抜けた声だがいちおう返事をしたので、ライナは彼に後を任せシメオンの後に続いた。
「ローデヴェイクさん、料理ができるのにどうして今まで黙っていたんだろう」
「あの人は身体が大きいから、調理室で邪魔になると思ったんじゃないかな」
「そっか。兄さんも大勢いるとき端っこに避けてるもんね」
ライナはそれで納得していたが、本当は首を突っ込むのが面倒だから黙っていただけだとシメオンは推測している。
昨日はシメオン達が船のいけす内の巨大魚を扱いかねて困っていたところにローデヴェイクが現れ驚いた。
彼は身長を超える大きさの魚をナイフだけであっという間に捌いて細かく切り分けると、片っ端から揚げていき、すさまじい量の素揚げにしてしまった。味付けも何やら勝手に調味料を持ち出して調合し、手慣れた様子で振りかけていた。
赤麗国の料理に似た味の素揚げは美味しかったがとにかく量が多すぎたので、結局食べきれなかった分は他の料理とあわせて大空騎士団への差し入れとなった。
その差し入れの運搬もローデヴェイクが担当し、大人しくナハトとして働くハーシェの指示に従っていた。
いまだ好きになれない相手だが、向こうは大陸を旅して何か変化があったらしい。
船の甲板に出ると確かにゲオルギだけが戻ってきており、鞍には見覚えのあるサヴァの外套がくくりつけられている。竜は機嫌が良く、不安がっている様子も無いのでサヴァは無事ではあるらしい。
甲板には他にもマルハレータとハーシェと、カニール、ラオリエルの鳥達がいて、こちらも朝食の準備として簡易机の周りに椅子を並べ食器を用意しているところだった。
「ああ、わかったわかった。良かったな。こっちも朝になったところだ。ああ? 朝が来る時間が違うのは時差だ。詳しくは精霊に聞けよ」
どうやら女王と会話しているらしいマルハレータがシメオンとライナに気付くと、ハーシェに目配せして会話を切り上げ二人の元へやってくる。
「出歩くならこいつらを連れていけ。護衛だ」
そう言って肩にいた小柄で鋭い目つきの鳥姿をしたラオリエルをライナの肩に移し、椅子の背に止まっていた大きな鳥姿のカニールを呼ぶ。
「任せるのです」
「上空から追いかけるのだ」
「戻ってきたら朝食と尋問だ」
マルハレータは機嫌が良さそうだった。こちらも大陸から帰ってきて様々な感情を見せることが増えている。
「あ……あれ」
飛び立ってすぐにライナが何かを指差す。
それは波打ち際からさらに海に入ったところにうずくまっている、鈍くくすんだ黒っぽい姿。
「錆精霊さんも呼ばなきゃね」
ライナの言葉に同意して、そういえば見当たらなかったなと思い、シメオンはゲオルギに指示を出して浜辺に降りる。
波打ち際まで二人で歩いていき、声をかけても、錆精霊はこちらに背を向けているせいか反応する様子がない。
大柄の体は波に洗われても揺らぐことがないが、かがんだ背中が動いているのでどうやら海中を漁っているようだった。
そして何か光る物体を拾い上げると、口蓋を開け放り込んだ。
「何を……食べているんだ?」
金属がひしゃげるような音が連続して聞こえ、それから突然錆精霊はゆっくりと立ち上がった。
シメオンは違和感を抱いた。
朽ち錆びたような色合いだった体表面は新造の鋳鉄のようなにぶい光沢の重い色に変化していた。猫背気味だった姿勢も今はまっすぐになり、遠方のどこか一点を見つめながら立ち尽くしている。
「ライナ……」
あれはやめておこうと声をかける前に、向こうが先に気付いてこちらに振り向いた。
「……あの家の子か」
ふらつかない、しっかりとした足取りで海の中からまっすぐこちらへやってくる。
「帰ろう。お前の親が帰ってくる」
その声はこれまでとは違い、金属音のような歪んだ響きが消え、落ち着いた人の声に近いものになっていた。
「あの家? 親……?」
「わからないけど、たぶんファムさまの事だと思う」
ライナが首を傾げる横でシメオンは小声でささやく。
「あの、錆精霊さん、ファムさまはここには来てないよ。朝ご飯だから戻ろう」
ライナが臆する様子なく近づいていくので、シメオンも遅れてついていく。
「そうか」
錆精霊は手の中にあった何か白い石のような物体を持ち上げると、再び口蓋に放り込んで噛み砕き、飲み込むような仕草をする。それから慣れた様子でライナと手を繋ぎ、もう片方の手をシメオンに差し出してくる。
その手は昨日までの鋭さのある形状ではなくなっていた。
シメオンはライナを見る。
彼女は手が振りほどけないとわかるとシメオンをまっすぐ見つめ返してくる。
効果が無いであろう法術を錆精霊に使うか考えていたシメオンは、ライナの目を見て諦めてその手を取った。
「もう、逃げてって言いたかったのに」
そんな事シメオンに出来るはずがない。
「様子が変だから今は刺激しないでおこう」
「そうだね。放ってはおけないもの」
錆精霊の身体越しに小声で話し合い、二人はしばらく精霊のする事に従ってみようと決めた。
ゲオルギは警戒音を出しているのに一定の距離から近付こうとしない。本能的に接近出来ないようだった。
「ファムさまに聞けば何が起きたのか教えてくれると思う」
「そうだね。影霊達が一緒に来てくれてよかった」
精霊は二人の会話に反応する様子無く、ゆっくりと歩きだした。
「ラオリエル、ファムさまに連絡をお願い。それと錆精霊さんの目につかないよう隠れていて」
「わかったのです……」
ライナは肩の上で怯えた様子で身を縮めていたラオリエルをそっと外套の中に隠す。
「任された子守の努めはちゃんとこなすさ」
錆精霊は独り言を言いつつも相変わらず遠くを見ている。迷いのない落ち着いた歩みだが、この小島の中でどこへ向かっているのだろうか。
「ゲオルギは兄さんのところへ」
ライナの言葉を聞いて竜が駆け出し、シメオンは上空で自分たちを見守っているもう一羽の影霊を見上げる。
「カニール! 追跡をよろしく」
上空を旋回していたカニールが返事をしようとしたところで、彼らの姿は消えた。
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