思いと国民たち 5 ―朝日―
「昨日は良い演習だった。うちの新人達も皆いい動きをしていた」
「そうだな」
サヴァも大空騎士団の集団内にいたが、確かに動きやすかった。
「最近彼らの中で出身地ごとの派閥ができていたんだが、まとめて強敵にぶつけることで良い具合に力関係をかき混ぜることが出来た。騎士団外からの影響はこまめに排除しておくに限る」
雑談を口実にサヴァと闘いたかったのは本心のようで、エシルは自陣の話題も口にする。
「ジェスルの指揮可能範囲もようやく確認出来た。あの一族の人間は限界を見定めるのが難しい。すぐに成長してしまうだろうがね。彼はよく騒動に巻き込まれているから」
それにはサヴァも同意だった。
「くろやみ国は法術を使用した集団戦術の収集が捗っただろう。おまけで同陣営だったうちの基本戦術も」
「ああ。多くを学ばせてもらった」
頭部を狙った真っ直ぐな一撃を剣で受け、衝撃で中の芯材がきしむのを感じながらサヴァは答える。
「ついでに聞きたいんだが、君は何故こちら側だったんだ?」
「あれは、俺を強くするためだ」
これはマルハレータからはっきりと説明された。
くろやみ国防衛戦後に女王発案で反省会が開かれた際、サヴァの戦闘経験が自分対多数と一対一に偏っていると知ったマルハレータが、演習内容を錆精霊対その他全員の形式に指定した。
今回サヴァに課されたのは、とにかく見聞きするものすべてを吸収すること。
「ズヴァルトは今後も国の守りに就く。そのために俺はもっと強くなる」
「それはいいな」
エシルは表面上はずっと楽しげだった。
彼の剣筋はしなやかで表面上は素直だが、ところこどろ実体の見えない不穏さがある。
かつて緑閑国に大空騎士団が訪れた際、サヴァとの手合わせに名乗りをあげた数名の中にエシルがいた。その時はよくわからない変わった相手だと思う程度だったが、今のサヴァはさらにその一手一手が様々な流派の剣技を組み合わせたものだと読み取る事が出来た。
そしてその奥底の、彼の剣技の芯になっているものも見えてくる。これは知っている剣筋だ。かつて競闘大会を脱出した際に遭遇した……
「……!」
突然相手の呼吸が変わった。剣の狙いに遠慮がなくなり、気を抜けば一撃で仕留めに来そうな気配さえある。
「この『剣』に気付いたな」
ああ、殺す気で来たな。
サヴァは剣への負荷を考えずエシルの剣を力技で弾き飛ばす。純粋な腕力はサヴァの方がやや強い。
「私はこの剣の相手を倒さねばならないんだ。さて『どちらが強い』だろうか?」
「さあな」
サヴァの知ったことではない。あの時の自分はひたすら逃げに徹していたのだ。
だがこれは突っかかられているのだとわかってきたので、何か言い返すことにした。
「そういったことは、自分でやって見極めるものだろ」
淡い紫の瞳が浮かべた一瞬の微笑みは、サヴァがかつて見た湖畔の剣人のものに似ていた。
わざと隙を作って誘い込むような余裕はもうなさそうなので、サヴァは剣にヒビが入るのも構わず踏み込む。
胴体めがけての一撃を入れたのと同時に斬り込んできたエシルの剣は、真っ直ぐサヴァの胸部を狙っていた。だがこれは避けられないと判断しそのまま踏み込む。
「……ここまでか」
来るはずの胸への衝撃は無く、サヴァの剣も中程で折れ相手の肩に触れるに留まっている。どうやら剣を折るためにエシルが別方向に力を入れたため、相手の切先が胸元から逸れたようだ。
「かつての“竜槍”なら今ので仕留めることが出来たんだが、もう難しいか」
「……」
なんだか久々に真っ向勝負をしたなと思いながらサヴァは息を整えつつ、構えは解かないままでいたが、エシルからは殺気めいた気迫が薄らいでいく。続いて複数の人の気配。
あたりを見渡すと、いつの間にか大空騎士団の騎士達が野営地から出てきて周囲に集まり始めていた。
「我々が手合わせに集中出来るよう気配を薄めていてくれたらしい」
警戒から様子見に来たのかと思ったが、真剣な目つきで楽しげに座っている者が多い。確かに単なる観戦目的のようだ。中には真新しい包帯を巻いた姿で元気に朝食を食べている者もいる。
「あの鎧があるから君が強いのだと思われてはうちの騎士達の士気によろしくない。君本人の強さに触れるのは向上心のある者には良い刺激になるだろう」
「……それは、なによりだ」
そういえば今の自分は鎧を身につけていなかった。外套もない。今更顔を隠しても意味がないだろう。
二人が構えを解くと周囲から歓声と拍手が起こる。多くは騎士団長へのものだが、いくつかサヴァへの称賛も聞こえてきた。
サヴァが彼らにどう反応して良いのか戸惑っていると、エシルが近づいてきて折れた剣を回収していく。
「楽しい一戦だった。また友として恋愛相談に乗ってくれ」
「??? 友? れん……?」
いつの間に友人になったんだ? 相談とは一体何の話だ? 何を……?
「あとこれを預かっているので渡しておく」
サヴァが混乱しているうちにエシルは勝手に厚みの薄い長方形の箱を押し付け、集まった部下へにこやかに手を振ると立ち去っていった。
◆
ふと眩しさに目が覚めると寝椅子の上で横になっていた。
レーヘンやベウォルクトと地図を大きくしたり小さくしたりしながらあれこれ話しているうちに休憩のつもりで横になって、そのまま寝ちゃったのね。
夜に王の間で眠ってしまうの、たぶん初めてね。
テーブルを挟んだ向こう側の寝椅子には同じく横になったベウォルクトがいて、身動きはしていないけれど、花柄の毛布の下で王の間経由でお城に対して何か活発に働きかけている気配がする。
身体を起こしてみると私の身体には黄色い果物柄の毛布がかけられていた。
「おはようございます。いつもの時間よりまだかなり早いですよ」
伸びをしてこわばった背中をほぐしていると、レーヘンが現れてお盆に載せた湯気の立つカップを差し出してくる。お礼を言って受け取り、一口すするといつもの香草茶だった。
「おはようレーヘン、眩しくて目が覚めちゃったのよ……ん?」
眩しい? 天井を見上げても王の間のどこにも明かりがついていないのに。でも確かに窓の方から……あ!
「ねえ、あれって」
カップを置いて急いで窓へ駆け寄る。
王の間の窓はとても大きい。ローデヴェイクが破壊した壁を修理する際に大部分を窓にしてもらったので、横にも縦にも広範囲に窓が続いている。天井を支える柱と、細かい装飾がされた頑丈な格子とで黒く区切られたいくつもの大窓は、すべてあわせると床から天井近くまで届く高さがある。カーテンは無くて、いつでも島だけじゃなく海まで良く見渡せるので気に入っているけれど、外からの光なんていつもぼんやりとしか差したことがくて……!
「ねえあれ、朝日だわ! レーヘン、あっちの空が明るいわ!」
暗い灰色の雲の切れ間から暖かい色の光がいく筋も海にふり注いで、海面が輝いている!
「この国に来て初めて見る朝の光よ! なんて綺麗なの」
「ああ」
レーヘンは私の隣にやって来ると同じ様に窓の向こうを眺め、気の抜けたような声を出す。
「あれは以前から見えてましたよ。ファムさまのいつもの起床時間には隠れてましたが」
なんですって?
「なんで知らせてくれないのよ!」
「もしかして大事なことでしたか?」
レーヘンが不思議そうにこちらを見てくる。
なんでそんなにのん気なのよ。
「瘴気が減ったことで雲の層が薄くなっていたのは前からですし、このあいだマルハレータが疑似雪でこのあたりの気脈の流れを整えていたので、大気の質に変化が起きてるんです」
そうだけど、そうじゃないわ!
「別に異常事態ではないですよ」
「異常じゃなくても大事なことよ」
曇り以外の空模様がこの国で見られるなんて!
「ファムさまは土壌の方を気にしていたので天候の調整には興味がないのかと」
「ものすごく興味あるわよ!」
空が変えられるものだって思っていなかっただけよ。マルハレータが雪を降らせた時も灰色の雲は変わらなかったし、お天気が変わるとしても、もっともっと先の事だと思っていたもの。
でもレーヘンの言い方からすると、これはやろうと思えばいつでも変えられたのかもしれない。
いつの間にか私は何とかしようとすら考えなくなっていたのね。
「ねぇ、あのあたりの雲の隙間をもっとこちらへ動かせないかしら!」
前にお城経由で風を起こせたのだし、できるんじゃないかしら? 今ならなんだってやれそうな気がするの!
「あの辺りは銀鏡海よりも外ですからちょっと距離がありますね。それに今の段階だとあんまり空はいじらないほうがいいですよ」
もう! わかっていないわね!
「少しでもお城から青空が見れたらって思ったのよ」
私がよほど不満そうな顔だったのか、レーヘンは真面目な顔つきになり海の方を見る。
「なるほど。……そうですね、一日の空の動きは常に記録しているので、城の上空の雲が一番薄くなる時間帯を見つけ出しましょう。そうすればファムさまの望むように出来るはずです。後日になりますが、それでどうですか?」
方法を考えてくれたのね。
「それでいいわ。今日は予定があるのだし、続きはライナ達が帰ってきてからにしましょう」
「まずはシュダに知らせなくちゃ!」
調理室の設備が動いているので、もう起きて朝食の準備をしてくれているみたいね。
「ワタシが行ってきますから、ファムさまは少し落ち着いてください。もちろん外には出ないでくださいね。ベウォルクト、見張っていてください」
「失礼ね! 外には出ないわよ。でも窓を開けるくらいは駄目かしら?」
「駄目ですね」
すぐさま寝椅子の方からベウォルクトの声が聞こえてきた。
2021/03/28 描写やセリフを少し追加しました。