思いと国民たち 2
ベウォルクトはまだあまり動けないみたいなので、地図をそちらに移動させて話すことになった。
起き上がった精霊の膝に花柄の毛布を掛け直して、向かいのソファに座ってゼリーを食べて、温かい香草茶を飲む。いつものお茶の時間と同じ状況になると、一人焦っていた気持ちがだんだんと落ち着いてきた。
「ワタシはベウォルクトほどファムさまの意図が掴みきれていないので、もう少し説明をお願いします」
食器を片付けながらのレーヘンの言葉に頷く。
「私もベウォルクトが同じものを見たのか知りたいし、みんなで確認していきましょう」
「わかりました」
「これは精霊界から戻る時の事なの。ほら、二度目だったし今度はよく見ておこうと思ってあちこち眺めていて」
「精霊界は観光地ではないんですが……」
ベウォルクトがあきらかに疲れた声で言う。珍しい場所なんだからそれくらい良いじゃない。
「それで、空の上から大陸の方を眺めていたら、白箔国が……」
説明しながら球体の地図を抱えあげて拡大表示させようとすると、横からレーヘンが球体の一部に触れ、平面の地図がテーブルの上に浮かぶように現れた。
「ありがとう。……もしかしてこれって今の空から見た状態に出来たりする? 精霊界から見た様子に近いものにしたいの」
「今現在のものですか。少し待ってください……どうぞ」
精霊の言葉と同時に簡単な地形と淡い色がついていた地図が具体的な色と形のものになっていく。
「この間じゃんけんで勝った精霊に頼んだらくれました」
「空のずっとずっと高い所にいるという相手ね。あとでお礼を伝えておいてちょうだい」
「はい。それでこの地図が……変ですね」
レーヘンが地図を覗き込んで声を上げる。
「本来このあたりの空には白箔国の国精霊オーフがいます。人の目では見えませんが、精霊界からや、こういった精霊からの視点だと、あの大きな姿は国土のどこかに見えているはずです」
「そのオーフと今連絡はつくの?」
「……、……おや」
レーヘンが首をかしげる。
「存在はしているみたいですが……」
「シュダの事があったのでワタクシも何度か連絡を試みていますが、ずっと自動応答になっていますね」
レーヘンの言葉にベウォルクトが続いた。
「日中からですか。少し長いですね」
「私が気になったのは別の部分なの。でもこれもオーフの事と関わりがあると思うわ」
説明しながら精霊達に向けて地図の王都のあたりを指す。
「白箔国の大きな街ってどこも白く塗られた城壁に囲まれていて、建物や道も同じように全部白っぽい色合いなの。あの国特有の石と土と水を使うとそうなるらしくて、だから遠くから見ると目立って良い目印になるのよね」
城壁の外から帰る時はいつもその白色を探していた。
「それがあの空から見た時はどこにあるのかすぐにわからなかったの。あちこちくすんだ茶色に覆われていて、川の位置と、ところどころの白色でようやく王都の位置がわかるくらいだったもの。そういう事って、よくある事だと思う?」
もしかしたら空からだと光の加減で違って見えるのかもと思ったけれど、それにしては色の変わり方がまばらだったのよね。
「少し待っていてください」
レーヘンの言葉の後に平面の地図が小さくなり、その隣に同じ大きさの地図が複数現れた。
「少し過去の情報も貰いました。……変化していますね」
時間が経つにつれ、白い部分がだんだんと減っているのがわかる。
「つまり白箔国の都市で何かが起きているとファムさまは考えているのですね」
「それ以上の規模に見えるわ。ほら、ここの街に続く街道も白から色が変わっているし」
レーヘンに頼んですべての地図の縮尺を変えてもらい、国境外まで表示した状態にすると、白箔国のあちこちの色が短期間で変化しているのがわかる。
「こうして見渡した印象だと隣国には何も起きてないみたいだし、国内だけの出来事みたいね」
一連の変化を眺めながら記憶をたどって白箔国民向けの地図を思い出す。ざっと見ても白いままの街もあれば部分的に色が変わっている街もある。……何も起きていないのはどれも小さい街か、新しい街ばかりね。
「ベウォルクト、意見を聞かせて」
「オーフは本体がいくつか存在するタイプなので一つくらい消えていても平気でしょう。それにもし何かあったのなら精霊界も騒がしくなっていたはずですが、あそこは静かなままでした」
闇の精霊は毛布の上で両の手を組み、私を見る。
「どうやら人々の間で何かが起き、オーフはそちらに巻き込まれて応答する余裕がない状況のようです。そしてファムさまの個人的な関心もそちらにあるのでしょう?」
大当たりよベウォルクト。
「だって、気になってしまったんだもの。一応は自分の育った国だし、ベリャーエフさんがまだどこかにいるはずだし、その」
距離を置こうと言ったのに気にしているのは自分でもどうかと思うけれど、それとこれとは別の話。
せめて何かあったのかだけでも一人でこっそり調べようとして、うまくまとまらなくて……。お互いの国での立場もあるしこの方がよかったはずだとか、でもマルハレータの言ったとおり後悔するはめになってるだとか、そういうのをごちゃごちゃ考えちゃって、自分が何をしたいのかがよくわからなくなってしまった。私自身のことなのに。
「あの男の生死は把握していたほうが良いというのには同意します」
「そ、そこまで極端なことじゃないわ!」
レーヘンの言葉に思わず声が出てしまう。
というか誰もそんなこと口に出してないわよ。
「なんてこと言うのよ。あの人はきっと無事よ! でも……」
もしどこかで大変な目に遭っているんだと思うと、一度そう思い至ってしまうと、もう落ち着かなくなってしまった。
◆
◇
「お前終盤の方で手を抜いてたろ」
「そんなことはしてませんて! 後方にいて倒れた仲間を回収していただけです」
ジェスルの追求に、エクレムは慌てて答える。
「それでも何回か錆精霊の戦闘に巻き込まれて吹っ飛ばされたんですよ。なんなんすかあの移動速度」
「はぁ、まあいいか。まだ体力残ってるお前には重要な仕事があるから心して聞け」
簡易机に広げていた報告書類を投げ出し、ジェスルが部下へ向き直ると青い瞳がランプの明かりに照らされて光った。
「はぁああ」
上司の天幕を出たエクレムはため息をつき、すぐ隣の自分たちの天幕へ向かうと中にいたメールトを引きずるようにして連れ出した。
「本当はユミットが良かった」
「悪かったな戦力にならなくて」
自分達の中で一番腕の立つユミットはずっと最前線にいたため今は別の天幕で治療中だ。ユミット程ではないがメールトも怪我をしており、右腕は治療術の効きを維持するため布で吊って固定されている。
二人は暗視用の法術を目に施すと他の天幕に気付かれないよう気配を消して歩いていく。
「それで、くろやみ国のところから飯を分けてもらってくればいいのか?」
本来はもうこの島から引き上げている予定だったが、演習が混戦状態となって長引いてしまった上に怪我人が想定以上に出たため、結局島全体に水除けの結界を敷いて野営用の天幕を張り、一晩過ごすことになった。
その事もあって手持ちの食料はあまりなく、事後処理にかかりきりで夕食を食いっぱぐれたジェスルは船に戻るのも面倒になり、裏技として演習相手に夜食を交渉してくるよう命じてきた。
「簡単そうに言うなよメールト。でもあそこが用意した魚のやつ、あれ美味かったなあ」
「あの素揚げか。確かにあれは人気だったよな。色んな香辛料が効いて癖になる味だった」
夕食時にくろやみ国側が差し入れとして用意した料理は、新鮮な食材に素朴な味付けのものと大胆な味付けのものがあり、どちらも評判が良かった。とりわけ人気だった魚料理の味を思い出し、二人の足取りは軽くなる。
「“くろの騎士”はまあなんとか話せそうだったし、あの人は敵対していなければ大丈夫だ」
「出たエクレムの“大丈夫”。まあお前がそう言うなら“くろの騎士”は安全枠なんだろうな」
ジェスルの部隊は隊長が騒動に巻き込まれたり、巻き込んだり、頭から突っ込んでいってしまうため、とにかく付いていけるよう生存能力に特化して選ばれている。ユミットは戦闘能力、メールトは観察能力、そしてエクレムは危険への嗅覚が鋭い。
「他に警戒する奴はいるのか?」
「確か隊長が『銀髪は絶対に近寄るな』と言ってた。何かあればとにかくヴェールを被っている代表者を探せって」
「その両方がいた場合はどうしたらいいんだ?」
「えっ」
「話しかけてみ……うわっ」
メールトが指差す先を見ようとした瞬間エクレムは考えるより先に身体が動き、メールトの左腕を掴んで岩陰に隠れるようにかがみ込む。
「どうした」
「いや……なんか隠れたほうが良い気がした」
メールトほど上手く法術を使えないエクレムは暗視を強める。確かに波打ち際に二つ人影が見えた。一人は頭から布を被っており、もう一人は髪の短い女で、さらに両肩や足元に合計六つの小さな影も見えた。
二人は明かりも無しに並び立って会話している様子だったが、何故かどちらも海の方を向いている。
「なにか話し込んでるっぽいな。どうする?」
「……話し終わるまで少し待とう。その方が良い気がする」
エクレムの声に警戒する響きを感じ取り、メールトは大人しく従うことにした。
声はかすかに聞こえるが内容は聞き取れない程度の距離で、二人はくろやみ国の様子を伺う。
会話は途絶えることなく続いており、これは出直した方がいいかと二人が考え始めた頃、女の方が身をかがめ、震えだした。
「あれ……もしかして笑ってるのか?」
わずかに漏れ聞こえる低めの声は楽しげで、女はヴェール姿の使者の隣で身を捩り、ひとしきり笑うとゆっくりと姿勢を戻し、そして突然振り返った。
「まずい、バレてたか!」
メールトが慌てて逃げようとエクレムの襟を掴むが、突然背後を見えない壁のようなものに遮られ逃げ道を塞がれてしまう。
法術での解除を試みるが、どうしてだかその法術すら使えない。
そうするうちに背後で明かりが灯され、砂利を踏む足音が近づいてくる。
闇夜の下、銀髪の女の唇は弧を描いていた。
「お前ら、ちょうど良いところにいたな」