庭掃除 3
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枯れているようにしか見えない草が生えた大地は乾燥しきっており、暗い色の海は波がほとんど無く鉛板のように見える。目に見える範囲に生き物は存在しておらず、あたりに漂う瘴気と僅かに流れる気脈は停滞したように淀んでおり、ローデヴェイクに息が詰まるような感覚を覚えさせる。
鉄鉱石のような無骨な王城以外何もない。ほとんど死んでいると言って良い土地だ。大陸で様々な生き物に満ちた世界を見てきたローデヴェイクにはこの国の異様さが理解できるようになっていた。
異様で、たいして愛着も無い。だがそれでも彼はここを守ることに疑問を感じていなかった。マルハレータがいるからというのもあるが、加えて今いるこの惑星にとってこの国が必要であり、消すわけにはいかない事も理解していた。
《マスター、結界の起動を確認したぞ》
「そうだな」
フツヌシが報告するのと同時にローデヴェイクもあたりの気脈が結界に引きずられ緊張するのを肌で感じ取った。
「……ん?」
結界とは違う流れを感じて空を見上げると、灰色に覆われた空から無数の白っぽいものがひらひらと落ちて来るのが見えた。手で受け止めると灰色の雪のようなものだった。
それはローデヴェイクの手のひらの上であっという間に溶けるようにして消える。通常の雪とは違って液体にならないのは、それがマルハレータによって作られた雪に似た別物だからだ。
空から降ってくる灰色の偽雪は音も無くどんどん量を増していき、地面に積もる事は無いが視界を埋め尽くしていく。
そんな中でローデヴェイクはフツヌシを地面に突き立て、海のある方角を向いてじっと立っていた。
「赤麗国船と余計な海賊とかいう船のビーコンはどんな感じだ?」
《あと二つ……今、全て起動した。信号も捕らえたぞ》
「ならそろそろ動くか」
報告を受けてローデヴェイクは組んでいた両腕をほどき、左手でフツヌシの持ち手を掴む。
「範囲と、出力の加減はわかってるな?」
《もちろんだとも。銀鏡海全域、ビーコンのついた船は除外して、生命反応があるものは排除し残りはすべて処理であろう? 逆ならあの方が得意であっただろうに》
「……まあな」
物を壊さず人間だけを消す条件だとマルハレータの方が得意だ。
《再起動後の環境でこの規模は初めてだが、まあ上手くやってみせよう》
「別に全力でやるわけでもねぇし、慣らしはもう充分やっただろ。怖気づいてるのか?」
《これでも繊細な造りなのでね》
フツヌシの言葉にローデヴェイクは片眉を動かすが、足元から伝わる振動に気付いてフツヌシを引き抜くと振りかぶり、地面から飛び出してきた大型の昆虫型精霊兵器に叩きつけ、頭部らしき信号を発している場所を潰す。
反対側からももう一体飛び出してきたので、右手で掴んで地面に叩きつけ左手のフツヌシを同じように突き刺して動きを止める。
「地中に潜んでる場合もあるのか。下方向にも少し範囲を広げるか……」
ローデヴェイクはそうつぶやきながら再び地面にフツヌシを突き刺した。
「接続開始しろ」
《了解した》
次の瞬間、大地と海が漆黒に飲み込まれた。
◆
突如として地面が漆黒に染まると、岩に腰掛け頬杖をついてぼんやりしていたマルハレータが立ち上がる。
『空にお連れしますわ』
「ん? ああ。そうだな」
地表の異変を察知し、肩にとまっていたブルムが飛び立つと両足の爪を広げてみせるので、マルハレータは手を差し出してそれを掴む。ローデヴェイクの攻撃がマルハレータを巻き込むことは無いだろうが、それはそれとして小さな竜の善意を受けることにした。
金属のように輝く翼と、竜脈によって風を起こし、ブルムはマルハレータを連れて空中に力強く飛び上がる。
「ずいぶんと力があるんだな。しばらくこのまま飛べるか?」
『軽いもんですわ』
「そうか。なら頼んだぞ」
軽々と人間一人を持ち上げたブルムに声をかけると、銀の竜は誇らしそうにキュウと鳴いた。
マルハレータは足元に広がる漆黒を眺めた。島はおろか周囲に広がる銀鏡海全域が同じ黒に染まっている。影も無く光も反射しない、混じり気のない純粋な黒。唯一染まっていないのは結界で守られている王城だけだ。
「さあ、お前の存在を世界に見せつけてやれ」
◆
◆
「……反応が完全に途絶えました」
「そりゃどういうことだ?」
大空騎士団と共用で出した船が偵察から逃げ帰ってきてしばらく時間が経過した頃、突如として銀鏡海内に灰色の雪が降り始めた。続いて海が一面黒色に染まったのを黒堤組のカラノス達は外海から目撃していたが、始めその現象を理解できなかった。
「“探知”も“遠視”もまるで使えない……信じられませんが、法術が使えないんです!」
本来ならありえない現象を前にして顔を青くして震えている組員の肩にカラノスが手を置く。
「落ち着け。つまり気脈が消えたって事か? そんな事あり得るのか?」
法術には気脈が必要だ。そしてありとあらゆる生き物、土地や風、水、空気、光の中にさえ気脈は存在する。
「おいコトヒト! オマエ何か知ってるみたいだが説明できるか?」
カラノスは背後に立つコトヒトに問いかけた。コトヒトは先ほどからずっと漆黒に染まる銀鏡海を見つめ続けており、時折傍らに座るシシの毛並みを撫でている。
「気脈は消えていない。あの空間では法術も精霊術も使えないくらい弱められているだけだ」
「何が起きているってんだ?」
カラノスの質問にコトヒトは灰色の三つ編み髪を揺らし、微笑んだ。
「……あれは大昔に存在したとある兵器が起動しているんだ」
「くろやみ国が動かしたって事か?」
「いいや、あれはあの時代の天才が自分の全てを注いで作成した、たった一人のための兵器。持ち主が起動させたんだろう」
「……言ってる意味がわからん。その言い方だと大昔の人間が生きてその兵器を操ってるって事になるぞ」
「そのあたりはあまり突っ込まずに、とにかくそういった兵器が動いているという点だけ理解してくれ」
カラノスが眉間にしわを寄せて睨むが、コトヒトは寂しそうに笑うだけだった。
「あれを見るといい」
これ以上説明するつもりは無いらしく、コトヒトは空のある一点を指さす。カラノスがその先を見ると強い光を放つ点が見えた。
「……あんな所に星なんてあったか?」
この海域の星座に詳しいカラノスだが、この時間帯のあの位置にあんなに目立つ星は存在しないはずだ。
「あれは精霊だ。空の彼方、ずっとずっと高い位置に存在し、地表の様子をいつも観察している種類の。いつもは別の場所にいるが……」
「まさか、この現象を観測するためにわざわざ移動したってのか?」
信じられない場所に精霊が存在する事を聞かされ、混乱しつつもカラノスが問いかける。
「組頭の理解が早くて助かるよ」
「あの灰色の雪と黒い海にそこまでする価値があるってことか?」
「価値というより……雪の方は通信妨害と気脈の整理をしているだけのようだから別にいいんだが、問題はあの島と海を覆う漆黒の方だ。あれがこの時代どこまで危険な存在になり有るのか世界中の精霊で見極める必要がある。あの兵器を実際に目にした事のある者は少ないから。だから代表して何名かが様子を見に来ているんだ」
「オマエもその一員って事か?」
「さあてね」
そう言うとコトヒトはシシの背中を撫で始め、カラノスは質問を続ける事ができなくなった。コトヒトは不安を覚えていたり、落ち着かない時にシシを触る癖がある。
「くろやみ国の精霊は何も言わないのか?」
「ベウォルクトの方はずいぶんとだんまりを決め込んでいるし、レーヘンは一応は様子を見てるだろうけれど……どうだろうな」
「組頭、この変な音何ですかね?」
「ああ? 音?」
不安がる部下に言われてカラノスが耳をすますと、カリ、カリ、カリ、カリと硬いものを引っ掻くときのような音が聞こえる。海の上では聞かない系統の音だ。
「……あの黒い海から聞こえるな」
「音の発生源は玄執組の船だ。くろやみ国本島と銀鏡海に広がった漆黒が船や精霊兵器を喰らっているのさ」
コトヒトの言葉に、理解が追いつくよりも先にカラノスは黒堤組の船を銀鏡海からさらに離すよう指示を出した。遠くに見える玄執組船から発生した音がここまで聞こえる現象からして得体が知れない。
「そこまで下がらなくても大丈夫だろう。あれの範囲は銀鏡海までで収まっているし、彼も錆精霊も動いていないし」
コトヒトが示した先をカラノスが望遠鏡で見てみると、黒堤組と同じ外海にいるくろやみ国の竜騎士と、先日の会合での騒動でくろやみ国の身内になったらしい未知の精霊がいた。竜騎士は黒竜に乗って上空を舞い、精霊の方は意味不明なことに海の上に直接立っている。遠目からしかわからないが、どちらも銀鏡海の外から中の様子を伺っているようだ。
「黒いのが船を喰ってるってのはどういう意味だ?」
「そのままの意味じゃないかな。先ほどから見ていると玄執組の船はどんどん小さくなっている。どういった原理かわからないが、まさしくバリバリと食べられているんだろう」
カラノスの質問に答えたのはそれまで黙って海を見つめていた大空騎士団長のエシルだった。彼は偵察船が銀鏡海から戻ってきた際に様子を聞きに黒堤組の船へとやって来て、そのままだった。
「銀鏡海と外海の境界に展開していた海賊船も朱家の船も無事のようだし、何らかの手法で船を識別しているらしいな。先ほど“くろの騎士”が飛び回っていたのはそれの為かな」
面白そうに首をひねりながらエシルが言うが、コトヒトは紫の瞳をちらりと見るだけで何も言わなかった。
「おいコトヒト、あれだと積み荷は一切残らないんじゃないか?」
玄執組の本体である黄稜国の生き残り集団が総力をかけてくろやみ国を乗っ取りに来ていたのだ。相応の品が積まれていたに違いない。
「そうだろう。そういう物だからあれは。だが今回人間は残しているようだ」
コトヒトの言った通り、あれほど数が多かった玄執組の船影がすっかりなくなると、平らな漆黒の面の上に玄執組員であろう人間達が途方に暮れた様子で立ち尽くしているのが見えた。
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カラノスは目の関係で普段から法術ではなく望遠鏡を使ってます。