第一章:湯けむりの町(9)
京介は、畳に落ちる光の粒で目を覚ました。
障子越しの朝日は柔らかく、春特有の淡い明るさを帯びている。
(……朝か)
身体は、驚くほど軽い。
それが良いことなのかどうか、判断しかねるまま、京介は天井を見つめる。
昨夜の記憶が、ゆっくりと浮かび上がる。
湯守を名乗った少年、翔太。
館主の穏やかな笑顔。
そして、あの過剰なまでの「癒やし」の味。
(……考えすぎ、か)
そう結論づけようとした、そのとき。
――す、と。
襖が、音を立てないように静かに開いた。
「京介、起きてってば」
朝の光を背に、琴葉が立っていた。
京介の思考が、そこで止まる。
彼女の肌は、新雪のように白かった。
白というより、光を透かす色だ。
朝日を受けて、血の気さえ淡く滲む。
髪も、睫毛も、眉も、すべてが白。
瞳は薄い水色で、光を映して静かに揺れている。
――アルビノ
それは、この古びた旅館の一室に舞い降りた、一体の彫像のようだった。
あるいは、朝露だけで形作られた精霊か。
京介は、無意識に息を止めていた。
「……人の顔見ながら固まるのやめてくれる?」
琴葉の声で、現実に引き戻される。
「ごめん。……あまりに現実離れしてたから、美術館の展示品かと思った」
「褒めてるの? それ」
「最大級の褒め言葉だよ。……少し、ヴァンパイアっぽくもあるけど」
「失礼だよ」
琴葉は軽く肩をすくめ、京介の視線から逃れるように一歩部屋に入る。
「寝てる間はどうしても、こうなるんだよね。」
彼女の淡々とした口調。
「…日光に弱いからすぐ赤くなるし、ひどいと火傷みたいになる」
京介は頷いた。それも、以前に彼女から聞いたことがあった。
琴葉は小さく息を吐き、自分の手を顔の前に持ち上げる。
「だから、普段はこうしてる」
指先から、空気が歪むように揺らぐ。
白が、裏返るように変わっていく。
髪は黒へ。
肌は、健康的な褐色へ。
色だけでなく、存在そのものが”反転”したかのようだった。
彼女の異能「反転」
色、質感、状態――触れたもの、あるいは自分自身の性質を、裏返すことができる。
それは単なる変装ではない。世界の“表と裏”を、意識的に行き来する力。
「反転」の異能によって、普段は肌と髪の色を褐色に変えているが、無意識の状態――睡眠中には、その力は解けてしまう。だからこうして毎朝、自身の異能を使って変身しているのだ。
琴葉にとって、それは歯を磨くような、朝の支度の一部に過ぎなかった。
「……元の姿は、どうしても目立つしね」
少し含みを持たせた、彼女なりの処世術。
「まあ、朝から廊下であの白さの人が歩いてたら、宿泊客全員が二度見するだろうね。芸術的すぎて」
「それ、褒めてるの?怖がってるの?」
琴葉は苦笑し、軽く髪を整える。
「さて」
琴葉が振り返る。
「朝ごはん、行こ。お腹空いちゃった」
「了解」
京介は立ち上がり、黒い手袋を整える。
二人は襖を閉め、廊下へ出た。
宿は、もう完全に目を覚ましている。
朝の匂い。食堂から漂う、炊きたての米と出汁の気配。
二人は並んで、食堂へ向かう。
何も知らない、幸福な客のふりをしたまま。
日常×異能×ヒューマンドラマ、みたいなのが好みです。
評価のほど宜しくお願いします。




