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第一章:湯けむりの町(8)


僕の目の前には、およそ一人前とは思えないほど豪華な料理が並んでいた。

地元で採れたばかりであろう瑞々しい山の幸、そして、この山奥とは思えないほど鮮やかな色味の刺身。

立ち上る湯気の向こう側で、一品一品がまるで芸術品のように輝いている。


「……すごいな」


思わず、感嘆の声が漏れた。


異能の調査という名目はあるが、僕も一人の旅人だ。

これほどのもてなしを前にして、心が踊らないはずがない。


「でしょ? 京介、口が開いたままだよ」


向かい側に座った琴葉が、クスクスと笑いながら箸を割る。

彼女はすでに戦闘態勢、といった様子で、目の前の前菜に狙いを定めていた。


風呂上がりだからか、彼女の肌はいつも以上に艶を帯びているように見える。


「いただきます!」


琴葉が、宝石のような煮物を口に運ぶ。


その瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。


「……っ! なにこれ、信じられないくらい美味しい!」

「そんなに?」

「そんなになんてレベルじゃないよ。口の中で、素材の味が弾けるっていうか……疲れが全部、溶けていくみたい」


僕は黒い手袋を嵌めた手で、そっと箸を取った。

まずは、透き通った出汁の汁物を口にする。


(……!)


衝撃だった。


喉を通った瞬間、温かな奔流が五臓六腑に染み渡っていく。

単なる「美味しい」という言葉では、この感覚を表現しきれない。

まるで、細胞の一つひとつが歓喜の声を上げているような充足感。


「いやあ、うますぎる」


僕は、自分でも驚くほど陶酔した声を出していた。


「お口に合いましたでしょうか」


襖が静かに開き、館主の湯本が姿を現した。

その手には、追加の料理と思われる小鉢が乗った盆がある。


「これ、本当に素晴らしい料理ですね。驚きました」


僕がそう伝えると、湯本は柔和な笑みを深めた。


「恐縮です。当館の料理は、この地の『恵み』を最大限に活かしておりますから。お客様のように、旅で心身を摩耗させた方には、特に格別な味わいになるはずですよ」


淀みのない所作で、小鉢を机に並べていく。


「さあ、遠慮なさらず。明日には、今の悩みも、すべて夢だったかのように軽くなっているはずです」


彼の視線が、一瞬だけ僕の手袋に留まった。

その瞳の奥にある、観察するような鋭さ。


「叔父さん、次の料理、運んできたよ」


背後から、少年の声がした。

昼間、泉源で見かけたあの少年――翔太だ。


彼は大きな盆を抱え、緊張した面持ちで部屋に入ってきた。

その瞬間、僕の手が手袋の中で激しく脈打った。


(……近い)


彼が近づくにつれ、空気の密度が目に見えて変わっていくのが分かった。


それは、食事の香りをかき消すほどの、圧倒的な「生の気配」。


琴葉は気づいていないのか、それともこの多幸感に呑まれているのか、無邪気に翔太へ笑いかけている。


「ありがとう、翔太君。君も、この料理作ってるの?」

「あ……。僕は、手伝ってるだけです」


翔太は視線を泳がせ、逃げるように僕の横を通り過ぎた。


「さあ、翔太。次がありますよ。――それでは、ごゆっくり」


二人が去った後、再び静寂と、芳醇な料理の香りが戻った。

けれど、僕の胸の中には、消えないよどみのような感覚が残っていた。


「ねえ、京介」


琴葉が、満足げに腹をさすりながら僕を見た。


「ここ、本当に最高の宿だね。帰りたくなくなっちゃいそう」


彼女の瞳は、温泉に入ったときと同じように、どこか陶然としている。


「……そうだね」


その夜、京介は布団に寝そべりながら手袋越しの自分の右手をじっと見つめた。


この過剰な「癒やし」の源泉。

そして、あの少年が纏っていた、異常なエネルギー。

パズルのピースが、僕の脳内で不気味な音を立てて繋がり始めていた。


襖を隔てた向こうには琴葉の「うーん、もう食べられないよう」というベタな寝言が聞こえる。


フッと静かに笑いながら京介は眠りについた。


日常×異能×ヒューマンドラマ、みたいなのが好みです。


評価のほど宜しくお願いします。

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