第7話 夫人との朝食
パンひとつにすっかり夢中になっていたことが恥ずかしくなり、顔が熱くなった。
「す、すみません……私、パンが大好物で……」
縮こまりながら、消え入るような声でそう言うと、夫人は興味が湧いた様子でさらに話しかけてきた。
「まあ、そうなの? オルトス子爵領も小麦の産地ですものね。美味しいパン屋さんでもあったのかしら」
「いえ、その……」
恥ずかしい話だが、嘘をつきたくもないので、私はおずおずと答えた。
「自分で、毎朝パンを焼いていたのです。家族の朝食用に。それで、焼いているうちにだんだん、こだわりが出てきまして……」
仮にも貴族の令嬢が毎日家事をしているなど、他所様に明かすには恥ずかしい事情だ。
だが、毎日家族の世話をして目まぐるしく働いていた私にとって、深夜のパンの仕込みと、早朝の窯焼きの時間は、落ち着いて一人になれる貴重な時間だった。
膨らんだ生地の感触も、焼き上がる香ばしい匂いも、私には何よりの癒しだ。
夫人は馬鹿にする様子もなく、優しく微笑んでくれた。
「そうなの……モニカさんは、早くにお母様を亡くされたのだったわね」
「ええ、私が十五歳の時です」
「それからずっとご家族のお世話を?」
「ええ、まあ……下のきょうだいも幼かったもので」
「そう……」
しみじみとした顔で頷く夫人の優しさが逆に居た堪れなくなり、私は焦って言葉を重ねた。
「使用人を雇う余裕もなくて。本当にお恥ずかしい話です」
「そんなことないわ。とても立派なことよ」
夫人は僅かに身を乗り出して、言った。
「冥婚の花嫁を迎えた家は、花嫁をできる限りもてなすことが慣わしよ。ここにいる間は遠慮せず、必要なことがあれば何でも言ってちょうだい。ちょっとした休暇だと思って、目一杯羽根を伸ばしてね」
「奥様……お心遣い、ありがとうございます」
感激して頭を下げると、夫人は笑顔で首を振った。
「とんでもないわ。こちらこそ、モニカさんが来てくれて心から感謝しているのよ。家族だけで塞ぎ込むしかなかったところに、こんなに素敵でしっかりした女性が来てくださるなんて。本当に勿体ないわ……もっと早く出会えていたら、ぜひ生きているあの子とお見合いさせたかったわ」
「そ、それは……」
返答に困ったが、私の戸惑いには気付かれずに済んだので良かった。
『誰がこんな、小うるさい女……』
渋顔で腕組みしながら、リュシオンがボソリと呟く。珍しく同意見だ。
それからも夫人との会話は弾み、朝食が済む頃には、だいぶ打ち解ける事が出来た。
今なら聞いてもらえるかもしれないと思った私は、夫人にリュシオンのことを打ち明けることにした。
席を立った夫人の前に進み出て、真正面からその顔を見つめ、私は言った。
「奥様、実は、大事なお話が……」
「まあ、なあに?」
「驚かないで聞いていただきたいのですが……実は私、昨日から、リュシオン様の幽霊が見えるのです」
私が言うと、夫人は大きく目を見開いた。
横でリュシオンが『だから幽霊じゃない!』と騒いでいるのは無視して、夫人の反応を待つ。
さすがの夫人も、すぐに飲み込むことはできなかったのか、戸惑ったように首を傾げた。
「あの子の、霊が見えるの?」
「はい。埋葬の後、墓地に居るところで出会って……それからずっと私の側にいらっしゃいます」
『気が付いたのは葬式中からだがな。参列者に片っ端から手当たり次第に声をかけたが、俺が見えるのはあんただけだった』
夫人の目の前でリュシオンが手を振ったり、軽く手を叩いたりしているが、やはり夫人にはまったく見えていないようだ。
「……そうなのね。あの子は、何か言っているの?」
夫人は固い表情でそう訊いてきた。
信じてもらえそうな雰囲気に、リュシオンは表情を明るくして、身を乗り出して答えた。
『母上! 俺はまだ死んでないんだ!』
「……まだ自分は死んでいない、と仰っています」
私も真剣に通訳する。
しばらく沈黙していた夫人はやがて……瞳を潤ませて、包み込むような優しい笑顔を私に向けた。
「……モニカさん。あなたは、本当に優しい方ね」
「え、あの……?」
私は夫人の反応に戸惑ったが、夫人はハンカチを取り出して涙を拭いながら続けた。
「私たちが悲しんでいるのを見て、そんなことを言ってくれたのね。そうね、たとえ死んでしまったとしても、あの子は私たちの中で生き続けているのよね」
『いや待て、違う! そういう意味じゃない!』
慌ててリュシオンが食い下がっているが、もちろんその声は届かない。
夫人は私の両肩に手を添えて、目線を合わせてきた。
「あ、あの……」
「ありがとう、モニカさん。あの子に伝えてくださる? 私たちのことは心配しないで、どうか安らかに眠ってちょうだい、と。向こうでルチアナも待っているはずだから……」
なんとか訂正しようと考えたが、不意に出てきた知らない名前に一瞬思考が止まる。
思わずリュシオンの顔を探ると、彼は何も読み取れない無表情でじっと夫人を見つめていた。
私が返答に困っていると、執事がやってきて、これからの夫人の予定を告げた。泊まっていた親族の見送りや、葬儀後のあれこれの采配など、夫人も暇ではない。
「じゃあ、モニカさん。なかなかお相手できずに申し訳ないけれど、ゆっくり寛いでちょうだい」
また温かく微笑んで、夫人は行ってしまった。
◇ ◇ ◇
仕方なく、私たちも食堂を出て、廊下を歩き始めた。
「どうします? これ以上誰かに話しても、今度は私が信用を失くすだけだと思いますよ」
『むぅ……お袋まであんなに頭が固いとは……』
「いえ、当たり前どころか、むしろ柔軟なほうの反応だったかと」
頭のおかしい人間扱いされても不思議ではなかったのに、夫人の解釈は私にとってもありがたかった。
「それで、“ルチアナ”とはどなたのことですか?」
思い切って私が訊くと、リュシオンはぶっきらぼうに答えた。
『だいぶ昔に死んだ妹だ。俺とクライブの間にもう一人いた』
続きを待ってもそれ以上彼が語ることはなかった。
触れてほしくなさそうな雰囲気を感じたので、私もそれ以上は掘り下げなかった。
『そんなことより、あんた、どうせ暇なんだろ。誰かに信じてもらうにも、俺が生きている証拠を見つけなければどうにもならない』
「今さら気付いたんですか」
そもそも最初から勘だけで押し切っていることに無理がある。
リュシオンの気が済むまでやりたい事に付き合ってやれば、諦めて楽園に行ってくれるかもしれない。
幽霊が生きている証拠など、そう簡単に見付かるとも思えないが……。
『とにかくまずは現状把握だ。俺の部屋に、手がかりになる資料があるかもしれない。今の俺じゃ本一冊すら開けないから、あんたに手伝ってもらうぞ。こっちだ』
返事を聞く間もなく進み出したリュシオンを、私は呼び止めた。
「待ってください。付き合いますけど、勝手にお部屋に入るわけにはいきませんよ。執事さんに許可をいただいてきます」
『ああもう、俺が許してるのに面倒くさいな……』
せっかちとも取れるが、即断即決の行動力は、確かに英雄らしいかもしれない。
もどかしそうにぼやくリュシオンを尻目に、私はきちんと許可を取りに行った。




