第6話 朝の攻防
窓から差し込む朝日の明るさと鳥の声で目を覚ます。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、ベッドの横からこちらを覗き込む、透けたリュシオンの顔だった。
『おー、早いな、もう起きたか。おはよう』
私は言葉にならない悲鳴と思いつく限りの罵詈雑言を叫びながら、枕を取って、すり抜けるリュシオンの虚像をひたすらに殴り続けた。
「なんで居るんですかあああああ!! 入るなって言ったじゃないですか! 変態! 変態童貞! 変態アシダカグモ!」
『ハッ! 残念だったな! ちゃんと夜が明けて朝になってから入ったぞ!』
「屁理屈をぉーーーー!」
『だから魔法使いとの約束は慎重にって言っただろ?』
幽霊とはいえ、男性に寝顔を見られた恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
愉快そうに笑うリュシオンは、どうやら私をからかう事に味を占めてきたらしい。
これで私より年上だというのだから信じられない。
英雄のくせに十歳くらい逆サバを読んでいるのではないだろうか。
こうなったら、なんとしてでも早いところ楽園へ昇ってもらわなければ、私の身が持たない。
この厄介な幽霊をどう相手したものか、私は内心で頭を抱えた。
寝起きからどっと疲れながらも身支度を済ませ(もちろんリュシオンは追い出した)、祈りの祭壇が設えられている居間へ向かった。
今日から早速、“妻”としての祈り役が始まる。
居間に居たのは伯爵夫人だけだった。
伯爵とクライブは、朝早くから魔族の族長を探す哨戒に出ているらしい。
リュシオンが欠けた穴は大きく、領兵にも動揺や怒りが広がっている。
深手を負わせた族長が回復しきる前に見つけ出し、この戦いを早く終わらせたいのだという。
魔族とは、古来から人間を襲い続けている敵対生物だ。
通常の生き物とは異なり、何もないところからポンと自然発生する。
魔族には様々な姿形のものがいて、普通は知能が低く、個体の習性以上に群れて行動することはない。
自らを強くするという本能に従って、その糧となる人間を襲うが、冒険者や傭兵など、戦いの心得がある者ならば少人数でも対処が可能だ。
しかし、“族長”と呼ばれる個体が現れると、話が変わる。
族長というのは、魔族の中でも特殊な突然変異個体だ。
人間の、部族の長を指す族長とは意味が異なるが、便宜的にこう呼ばれている。
族長は高い知性と統率力を持ち、近隣の魔族を支配して操り、数百から数千体規模の巨大な群れを作る。
できた群れはやがて、人間が多く住む大きな町や村を狙って襲い始めるので、人間側も軍隊で迎え討つのだ。
ある程度の人口が集中している地域ということ以外、族長がいつどこで発生するかはまったくの予測不能で、発生すればそこが戦場になる。
古来から人間を悩ませる災害のようなものだった。
実際に、四百年前に現れた史上最強の族長によって大陸が蹂躙され続けた、百年間の暗黒時代という歴史がある。
その族長を倒したとされる英雄の冒険譚は、おとぎ話のような脚色をされながらも、現在まで伝説として語り継がれている。
リュシオンもその活躍から現代の英雄と呼ばれていたが、その立場は、誰にも仕えていないただの独立個人傭兵だ。
魔族の群れが現れたと聞けば西へ東へ飛んで行き、その強大な魔法で敵を屠っては、次の戦場へと渡り歩く。
似たようなことをしている傭兵が居ないことはないが、名門貴族の嫡男だというのにこんなことをしていたのは、リュシオンくらいしか聞いたことがない。
今回たまたま地元のジェイム伯爵領で群れが発生したため、戻ってきて戦った結果、命を落とすことになってしまったという経緯だ。
祈りの時間に家族が揃わないことに、伯爵夫人は申し訳なさそうにしていた。
「本来なら、家族でゆっくり祈りを捧げるべきなのだけれど……」
「いえ、お忙しい皆様の分まで、私がしっかりお役目を果たします。……ところで、ミーシアさんは?」
「あの子、朝は弱くて起きて来られないのよ。本当にごめんなさいね」
心底呆れたようにため息をつく夫人。
ミーシアの奔放さはリュシオンに似ている気がするな……と私は密かに思った。
祈り自体は、朝晩こなすものなので単純だ。
まずは祭壇の花や蝋燭を取り替えて、果物や菓子、お酒などを供える。
使用人があらかじめ隣に用意してくれているので、私は配置するだけだ。
『俺は葡萄酒より麦酒か蒸留酒が好きなんだがなぁ。だが朝はミルクを入れた煎り豆茶の気分だ!』
うるさいのは無視して、あとは決まり文句の文章を読み上げて祈る。
「どうか、魂が迷うことなく、楽園への道を昇りますように」
幽霊だったら、真剣に祈れば多少は効くのではないか。
昔、悪霊が出てくる恐怖小説を読んだことがあるが、神官の唱える聖句に苦しんで悪さをやめる場面があった。
あんなふうに大人しくなっていないだろうか……と思って横目でリュシオンを盗み見たが、本人は何も響いていない様子でけろりとしていた。
やっぱりあれは創作か、私の信心が足りないのか。
今ほど神官になりたいと思った時はない。
その後、しばらく黙祷しなければならないのだが、そこが一番の苦痛だった。
『俺は死んでない俺は死んでない俺は死んでない……』
宣言通り、リュシオンは本気で精神攻撃してきた。
震えそうになる身体を必死に抑え、心を無にしてやり過ごす。
『俺は死んでないー、俺は死んでーないー』
歌うな!!
◇ ◇ ◇
なんとか祈りの時間を終えて、伯爵夫人とともに朝食をいただくことになった。
ミーシアはまだ起きてきそうにない。
実家ではお目にかかれない、豪華な朝食が私の目の前に並んだ。
朝から大きな腸詰め肉が皿の中央に鎮座している。
こんなもの、実家では収穫祭の時にしか食べられない。
さらに、半熟の炒り卵に、生野菜のサラダ。
どちらも食材の鮮度が良くて、綺麗な水が豊富にないと食べられないものだ。
温室でなければ育たない野菜もある。
朝食のメニューだけでも、伯爵家の豊かさと、実家との格差がよくわかった。
そんな朝食の中で、私が特に気になっていたのが、傍らの籠に盛られたパンだ。
さっきから微かな湯気と、香ばしい匂いが漂っていて、空っぽの胃を刺激する。
昨日、葬儀の日は朝から慌ただしかったため、好きな時に各自つまめるように、チーズや魚のパテを挟んだパンが用意されていた。
その時いただいた際にも衝撃を受けたのだが、今日はついに焼きたてを食べることができる。
私はウキウキしながら、手のひら大の丸いパンを手に取った。
温かくカリッとした表面を指でそっと割ると、綿のように柔らかく、絹のようにしっとりした内側がのぞく。少し熱いくらいの湯気が立った。
小皿にたっぷり用意されたバターやジャムを見て、一瞬迷ったが、まずは何もつけずにそのまま一口頬張る。
噛み締めた瞬間、口の中に広がる小麦の甘み。そして鼻に抜ける酵母の香り。
これは何の酵母を使っているのかしら。食べたことのない風味だ。
あまりの美味しさに、私はうっとりとしてしまい、無意識に頬に手を当てていた。
「うふふ。ずいぶん美味しそうに食べてくださるのね」
伯爵夫人が笑いながら声をかけてきて、私はハッと自分がいる場所を思い出した。




