第49話 新しい契約
その夜、伯爵家で自然発生した祝勝会は、大いに盛り上がった。
戦争には各所の指揮官として伯爵家の親族たちも多く参加しており、駆けつけた彼らによってリュシオンもクライブも揉みくちゃにされていた。
葬儀の時とほぼ変わらない顔ぶれなのに、空気は完全に逆転していた。
私も、奥様方やご令嬢方に囲まれてそれはそれは弄られた。
復活後のリュシオンの態度は目撃者の口伝てで瞬く間に広まり、長年ずっと女性っ気がなかった彼の変貌ぶりは、親族の女性陣にも大きな衝撃を与えたらしい。
冥婚からの経緯を事細かに何度も説明させられ、次第にどうやって彼を射止めただの、逆に彼のどんなところが気に入ったのかだのという話題になっていき、私は恥ずかしさで顔から火が出そうだった。
リュシオンが割り込んで救出してくれなければ、そのまま魔法が無くても自分で自分を焼くことができたのではないかと思う。
なお、リュシオンは割り込んできた際にも当たり前のように私を抱き込んできたので、余計に場が盛り上がってしまったのは言うまでもない。
宴会は夜通し続きそうな勢いだったが、さすがに私と、生き返ったばかりの病み上がり(?)なリュシオンは、疲労を考えて休ませてもらえることになった。
客間に下がった私はシャワーを浴びて温まり、リュシオンの薬草茶を飲んで就寝前のひとときを安らいでいた。
そこに、控えめなノックの音が響いた。
「モニカ、まだ起きてるか? 俺だ」
今まではいつでも扉をすり抜けて入ってきていたのに、身体があるとそうはいかない。
これまた新鮮な気持ちで、私は扉を開けた。
さっき就寝の挨拶を済ませたはずのリュシオンが、静かに微笑んだまま、私を見下ろしている。
私は少しだけ緊張したが、なにも言わずに身体をずらして、リュシオンを部屋に迎え入れた。
テーブルの上に何気なく視線を留め、漂うお茶の残り香を嗅いだリュシオンが呟く。
「またあの薬草茶を飲んでたのか」
「ええ、すっかりお気に入りです」
「もう瓶がほとんど空だな。そんなに気に入ったなら、またいくらでも作ってやる」
減っていくばかりだった茶葉の瓶を満たしてくれるという、小さな約束。
たったそれだけのことが、私の胸を締め付けるように温めた。
「リュシオンも飲みますか?」
「いや、今はいい。もう腹一杯でなにも入らん。再生したてだって言うのに、あいつらしこたま飲み食いさせやがって……」
いつものように我が物顔でソファに腰掛けながら、リュシオンは恨み節をぼやいていた。
重みでソファがかすかに軋む音や、彼の下の座面が沈んでいることにも、小さな感動を覚える。
私もその隣に腰を落ち着けた。
「あんなのより、お前が焼いたパンを食べたいな。ずっと食べてみたいと思ってたんだ」
「そんなに大層なものではありませんよ。このお屋敷のパンの方がずっと美味しいです」
「お前のがイイんだよ」
迷いなくそう言うリュシオン。調子が狂うような、いつも通りで安心するような、くすぐったい気分になる。
相変わらず遠慮もてらいもないが、復活直後の高揚した様子に比べればだいぶ落ち着いてきたようだ。
「いきなりあんなに動いて、体調は問題ありませんか?」
「大丈夫そうだな。前と変わらず飲み食いしても異常はないし、ちゃんと肉体として機能してる」
リュシオンは手のひらを開閉して感触を確かめながら、自分の身体を診断して言った。
私も改めてリュシオンの全身を眺めてみるが、今まで見ていた魂状態の姿と、ほとんど変わりがない。
ただ、ひとつだけ違いに気が付いた。
「その首……痕が残ってしまいましたね」
ボタンを二つ外して楽に着崩していたシャツの襟元から、リュシオンの首筋が見えていた。
その首には、一部だけ皮膚が引きつり盛り上がった線が、首輪のようにぐるりと一周している。
首の断面だった部分だ。
「ああ……まあ、お前を守りきれた勲章みたいなものだと思えば、悪くない。触ってみるか?」
「え……」
思いがけないことを言われ、一瞬戸惑う。
しかし傷痕に嫌悪感があるわけでもないし、断る理由もないので、私は指先で慎重にその傷痕に触れた。
正常な皮膚より柔らかい、独特な感触がする。
「……痛みは、ありませんか?」
「それはまったく。ちょっと感覚が違って、くすぐったいな」
「あっ、ごめんなさい」
慌てて手を引っ込めようとしたが、まるで読んでいたように、リュシオンの手が重なって私の手をそこに留めた。
「いいんだよ。……触れてもらえて、嬉しい」
微笑んでこちらを見つめるリュシオンから、目が離せなくなる。
そのまま沈黙で満たされた部屋に、私の高鳴る心臓の音が響いてしまうのではないかと心配になった。
けれど、押し当てられた指の下で脈打つ彼の拍動も、なんだか早くなってきている気がする。
「今更になって悪かったが、ちゃんと言わせてくれ」
沈黙を破ったリュシオンの低い声が、彼の喉を揺らす。その振動を感じながら、私は続きを聞いていた。
「モニカ、愛してる。冥婚の妻はここで終わりにして、今からは俺の本当の妻になってほしい」
ぶわり、と顔が熱くなる。
喜びで胸が苦しくて、目に涙が滲むのを感じる。
重ねている手にも汗が浮き、気になってしまう。
言葉にされることが、こんなに満たされるものだとは想像がついていなかった。
私の中でもいろいろな言葉が一気に込み上げてきて、喉の奥で渋滞を起こす。
しかしこういう時に限って、私の口は素直ではない言葉しか通してくれない。
「……正直、安心しました。このまま、ずるずると雰囲気で進んでしまうのかと心配だったので……」
復活後のリュシオンの態度のせいで、伯爵家の家族や親族の間でも、私は“なんとなくリュシオンの嫁”扱いされてしまっていた。
自分でもリュシオンと生きることを望んで後悔はなかったが、どんどん英雄様のペースで進んでしまう諸々に、凡人の心が追いついていなかったのも事実だ。
「それは、本当にすまなかった!」
リュシオンは慌てて謝罪してきた。
「本当はもっと早く言いたかったんだ。だが、生首と魂だけの死にかけ状態で、そんな無責任なこと言えないだろう?」
数々の言動で彼の想いは十分伝わっていたが、リュシオンはリュシオンなりに、一線を引いていたらしい。
「俺も正直に言うが、本当は怖かったんだ。もし元に戻れなかったら。またお前を傷付けて、失ってしまったら。ずっと怖かった。今だって、こんなに好き過ぎておかしくなりそうなのに、“仕事が終わったのではいさようなら”なんて言い出すんじゃないかと……」
それを聞いて、私は自分を省みた。
家を回す歯車でしかなかった私は、それ以上の価値など自分にはないと思い込んで生きてきた。
母親代わりで、家政婦で、家臣。
家を一歩出てしまえば、誰にも必要とされない行き遅れ女。
自分で選んだと偉そうに言いながら、必要に迫られた仕事や役割にしがみつくことでしか、自分を支えることができなかったのだ。
本当はずっと、こんなふうに誰かに一途に愛されて、支えてもらったり、甘えたりしたかったのに。
だから、いざそれを与えてくれる人が現れたら、戸惑ってしまい、どう受け止めていいのかわからなくなってしまった。
最初はお金目当てだったという負い目もある。
こんな打算的でつまらない人間が、この人の隣に居ていいのかという迷いもある。
その結果が、素直に本音で返せないあの態度だ。
リュシオンは首に添えていた私の手を外させると、そのまま控えめに力を込めて、懇願するように握り込んだ。
「俺は、お前の強さが、真面目すぎて不器用なところが、愛おしくて放っておけなくて仕方ないんだ。だが俺もお前には、格好悪いところも情けないところも全部見られた。だからお前の意思で、改めて選んでほしい」
引き抜こうと思えば簡単にできる力加減に、彼の誠意と優しさを感じた。
私も彼も、いい歳をした大人だ。
今更、生き方や考え方を変えるのは簡単ではない。
それでも彼は、そんな私がいいと言ってくれる。
私の格好悪いところ、つまらないところまで、愛して求めてくれている。
彼に依存しているのは、私の方だ。
私はしっかりと目を開けて、彼を正面から見つめた。
普段は自信満々で、ひとりでなんでも解決できてしまう実力も行動力もある英雄様。
それなのに、肝心なところでは臆病になってしまう人。
その強さと不器用さが愛おしくて、放っておけないから。
「……それを私に見せてくれたのは、あなたですよ。私は、そんなあなたの生き方が好きだから、側に居たいんです。私も……あなたを愛しています」
ようやく言葉になった私の想いを聞き、リュシオンは握る手の力を反射的に強くして、瞳を見開いた。
しばらく我慢するように引き結んでいた口元が奇妙に歪み、徐々に笑みの形を作る。
なんだか複雑で珍しい表情を観察していると、リュシオンはふいと顔を伏せてしまった。
「……あー……破壊力すご…………」
耐えきれないといった声色で、ボソリとそんなことを呟いている。
そんなに喜ばれると余計に恥ずかしいが、私も今後はもう少し頻繁に、素直になる努力をしよう。
リュシオンはすぐに表情を持ち直して、穏やかな笑みで顔を上げた。
「……選んでくれて、ありがとう。じゃあ、契約更新だ」
リュシオンと繋いでいる手がささやかな光を放ち、温かい温度に包まれる。




