第30話 二人の魔法
『ああもう、魔法が使えたら、あんなサル一瞬でバラせるのに……!』
もどかしくぼやくリュシオンに、私は状況を伝えた。
「林の外に、クライブさんたちが居ます! そこまで戻れば……」
『外だな!? 遠回りだが、このまま道を進めば出られる! 今ちょうど折り返しのあたりだ』
墓地とはいえ手入れされた庭の一部だ。周遊できる構造になっているらしい。
このまま逃げ切れば……と思ったところで、水たまりを避け損ねた私の足がもつれた。
「……!」
『モニカ!!』
立て直そうとする努力も虚しく、道の窪みと泥に足を取られた私は、その場に膝を付いて転んでしまった。
『立て! 早く!』
リュシオンの悲鳴が聞こえるが、思うように身体が動かない。
一度止まってしまった手と足が、恐怖に震えている。
身体を捻って振り返ると、迫ってくるサル型魔族の顔をまともに見てしまった。
小さな頭部の中央には、顔面を覆い尽くすほど大きな赤い目玉がひとつ。鋭く長い牙をのぞかせる口は額の位置にあり、よだれを垂らしている。
もはや声も上げられない私に、魔族は再び飛びかかる。
リュシオンの透けた身体が、私を庇うように正面から覆い被さってきた。
その瞬間、奇妙なことが起こった。
リュシオンと重なった身体が、燃えるように熱くなったのだ。
その熱は一瞬にして私の全身を駆け巡ると、やがて頭の後ろの方の一点に凝集し、フッと消える。
そして、それとほぼ同時。
目前に跳び迫っていた魔族の身体が、一瞬で八つ裂きとなり、肉片と化して地面に落下した。
魔物がびたびたと地に落ちる音を最後に、辺りは再び静寂に包まれた。
「あっ……え……?」
私は戸惑い、言葉にならない声を上げることしかできない。
すると、私を抱きしめる格好になっていたリュシオンがそろそろと身体を離した。
至近距離に浮かぶその表情は、私を見つめたまま、驚きに呆けている。
ゆっくりと唇を動かし、彼は言った。
『魔法…………使えた』
自分でも信じられないといった様子で、リュシオンは魔物の残骸を振り返った。
『なんだ、今の感覚……まるで俺の杖みたいな感触だったぞ』
「あ、あなたの杖なら、ここに」
私は首を曲げて、簪にしていた杖がリュシオンに見えるようにした。
リュシオンはまた目を丸くした。
『俺の杖だ! え、髪に挿してるのか? なんだそれイイな……じゃなくて、待て、ちょっと検証したいから、立てるか?』
「は、はい」
研究者の顔になったリュシオンに勢いよく急き立てられて、私は言われた通り背筋を伸ばしてその場に直立した。
私から一歩距離を取ったリュシオンは、両手を上げてどこにも触れていない格好になる。
『…………』
「…………」
そのまま、静止して見つめ合うこと数秒。
『……駄目だ。となると……』
リュシオンは口の中で呟きながら、今度は私の背後に回る。
黙ってその行動を見ていると、なんとリュシオンはおもむろに、背後から私の肩を抱くように両腕を回してきた。
急に距離を詰められた私は、驚きで心臓が跳ねる。
「え!? ちょっと……ふあっ……」
途端、背中がかっと熱くなり、先ほどと同じ感覚が全身を走る。
そして、目の前に大きなつららが忽然と現れ、地面で土塊になりかけていた魔獣の身体に追い討ちをかけて突き立った。
衝撃で、魔族だったものは完全に粉塵と化した。
『やっぱり……どうやら、お前に触れてると、杖を通して俺も魔法が使えるみたいだ。契約のせいでお前が俺の肉体の代わりになってるのか? 興味深いな……』
私を抱きしめたまま、静かに興奮した調子のリュシオンの声が耳元で響き、私はぞわぞわと落ち着かない気分になった。
「あ、あの、この格好、恥ずかしいのですが……」
『待て。もう少しこのまま……』
真剣な口調でそう言われ、緊張に身を固くしていると、再び背中が熱くなった。
「あぅ……んっ」
慣れない感覚に思わず震えてしまうと、リュシオンも小さく唸った。
『お前……その声なんとかしてくれ。こっちまでヘンな気分になるだろ』
「そ、そんなこと言われましても……」
自分の身体を通して魔法を使われるという人間離れした感触に、耐えろと言う方が無理がある。
まるで、質量をもった熱いものが自分の血管を逆流して、内側で暴れまわるような感じがするのだ。
しかも、決して嫌な感覚ではないという認めたくない事実も恥ずかしい。
必死で我慢したが、今度は魔法が発動することはなかった。
『……ふむ。さすがに殲滅級魔法は使えないか……この林、丸刈りにして更地にしようと思ったんだが』
「ひ、人の身体でそんな物騒なことしようとしてたんですか!? 今!?」
『いや、この林の見通しが悪いのがいけないと思って……』
リュシオンは至極真面目にそう言ったあと、ふ、と微笑む気配がした。
『だが、ちゃんと、お前を守れた』
誇らしさと、安心が滲む声。
感触はない。
それなのに、リュシオンが私を抱く腕の力が、強くなった気がした。
「私を、守りたかったんですか」
『ああ』
「それで、私を遠ざけるために嘘をついたと」
『そうだ』
私の問いを、静かに肯定するリュシオン。
その平静な声に、私の心は乱れた。
「あなたは……大事なことほど、自分一人で背負いこんでしまうのですね」
『ん?』
震えそうになる声を耐え、私は俯いた。
「呪いの内容も話さず、自分が辿った最期すら、私に明かさないまま……」
『悪かった。……その口ぶりだと、見当はついたのか?』
謝罪し、問いかけてくるリュシオンの声は優しい。
その声を聞くと、どうしてか涙が込み上げてきた。
「あなたは、族長の呪いを受けて……味方を守るために、自死を選んだのですね?」
『……正解だ。よくわかったな。一人で考えたのか』
「いいえ。クライブさんやミーシアさんと、一緒に考えました」
『クライブたちは信じたのか。さすがモニカだ』
肩に回されていた手を思わず掴もうとして、私の手が空を切る。
そのまま握りしめた手を胸に押し当てると、その奥から痛みがせり上がった。
「みんな、あなたを愛しているんです。大切に思っているんです。あなたはそれを知っているはずなのに……どうして一人になろうとするんですか」
とうとうこぼれた涙が、彼の手をすり抜けて私の拳に落ちていく。
尋ねると、リュシオンは自嘲するようなため息をついた。
『悪いな。もう、そういう生き方が染み付いてるんだよ。……お前と同じで、自分でそう選んだんだ』
リュシオンは私の肩を抱いたまま、遠い日の出来事を語りだした。




