第22話 喧嘩
屋敷に戻ると、クライブは視察の報告を上げるべく、すぐに伯爵のもとへ行くことにしたようだ。
「我儘を聞いていただいたうえ、危ないところも助けてくださり、本当にありがとうございました」
私が心から礼を言うと、クライブは遠慮がちに首を振りながらも微笑んだ。
「いいえ、これも仕事のうちです。それに、ほとんど兄が守ったようなものですよ。僕らが勝手に整えた、形式的な冥婚ですけど、兄の魂はきっと、あなたを気に入っているんだと思いますよ」
クライブの優しい言い分に、先程の悲痛な表情のリュシオンが思い起こされ、私は胸が痛くなった。
荒れ地で別れてから、リュシオンの姿は私の近くになかった。
これまでも時たまふらりと居なくなることはあったが、あの様子を見たあとだ。
どこへ行ったのか、何をしているのか、心配でたまらなくなる。
しばらく部屋で待ってみたが、何も手につかない。
やがて天気が崩れはじめ、雨が降りそうな空模様になっても帰ってくる気配がないので、私は屋敷の中だけでも捜索してみることにした。
食堂に、リュシオンの部屋。
その他心当たりがある場所も片端から探していく。
使用人に案内してもらい、クライブが言っていた“一族の杖の間”にも行ってみたが、リュシオンの姿はなかった。
「こちらが、リュシオン様が使われていた杖です」
杖の間を管理している使用人が教えてくれた。
たくさんの杖に交じり、横たえて壁掛けされている杖の下には、リュシオンの名と生没年が記された小さな板が付いている。
先程見たクライブの杖は、真っ直ぐで塗装もされており、繊細な装飾が施されていた。
対してリュシオンの杖は、長い木の棒を軽く磨いて、先端や石突を鈍色の金属で覆っただけのような、簡素な造りだ。
全体的に深い色合いの杖だが、先端部を装飾する媒介石には明るいタルカイ石が中心に使われていて、華美ではないが芯のある美しさを感じた。
こんな杖を使い捨て扱いしていたのかと勿体ない気分になるが、そこもまたリュシオンらしいと思う。
現実主義なのに、細かいところに理想やこだわりがあって。
軽やかに見えて、他人には見せない重いものを背負っている。
あらかた屋内は探し尽くしてしまい、私は最後に残していた場所、彼の墓前へと足を向けた。
厚い雲の向こうですでに日は傾き、敷地の外れの林に抱かれた墓地はいっそう薄暗い。
その中で、浮かび上がるような白色の真新しい墓の上に、リュシオンは居た。
「こんなところに居たんですか」
自分の墓だから構わないのだろうが、罰当たりにも墓石の上に座り込んでいたリュシオンは、私の声にのそりと顔を上げた。
しかし、黙ってこちらを見つめたまま、リュシオンは何も言わない。
「どうしたんですか? 先程から様子が変ですよ」
私が問うと、リュシオンはようやく口を開いた。
『もう、やめにする』
唐突なその言葉を、私はすぐに理解できなかった。
「ええと……何を、でしょうか?」
『もう、あんたに付き纏わない。……俺は、死んだ』
そう言って、リュシオンは顔を逸らして目を伏せる。
私は、反射的に首を振っていた。
「なに、を……言ってるんですか。あんなに、ご自分は死んでいないと、何度も仰っていたではないですか」
リュシオンは反応せず、俯いたまま。
そんな彼の態度が、私は信じられなかった。
リュシオンの言っていることは正しい。
彼は身体を失っていて、どう見ても死んでいて、私にしか見ることができない幽霊だ。
私だって、いつか彼自身がそれを受け入れる時が来るはずだと思って、今まで付き合ってきた。
それなのに、これはなんだろう。
この、胸の中で荒れ狂う感情は、何なのだろうか。
「そうだ、記憶……!」
私の口は衝動に任せて、リュシオンの言葉をなんとか否定しようと動き出す。
「先程の戦場跡で、何か思い出したんですよね? それで、急にそんなことを言っているんですよね?」
私が魔族に襲われる直前、彼は何かを言いかけていた。あの時の彼の表情は、こんなに暗くなかったはず。
しかし、リュシオンはきっぱりと答えた。
『そうだ。全部思い出した。俺はあの時、首を刎ねられて間違いなく死んだ。それがすべてだ』
リュシオンはこちらを見向きもせず、明後日の方向に身体を向けたままそう言った。
ぽつり、と、ついに落ちてきた雨粒が私の頬に当たる。
しかし、そんなことに構っている余裕はない。
「じゃあ、これからどうするつもりなんですか」
『どうもしないさ。死人なんだから、自分の墓に居ておかしくないだろ』
「それで本当に、楽園へ行けるんですか」
『知らん。黙って大人しく待っていれば、そのうち行けるんじゃないのか?』
ふたつ、みっつと雨粒が増えてきて、私の顔を濡らしていく。
瞼に落ちた邪魔な雨粒を、私は手の甲で拭った。
「そんないい加減、困ります。私は、冥婚の妻として聖堂で誓いました。“あなたの魂が楽園へ昇るまで、あなたを支え、導く”と。私の仕事を奪うんですか」
『それこそ、あんたの勝手だろう。そんなこと俺は頼んだ覚えがない』
リュシオンが座る墓石も、どんどん斑に濡れていくが、身体がない彼にはなんの影響もない。
リュシオンは林のほうを眺めながら、淡々と言った。
『俺本人が死んだと認めたんだから、あんたの仕事もこれで終わりでいいだろう。うちの家族もあんたの仕事ぶりには十分満足したさ。鉱脈が見つかって、あんたももうはした金にこだわる必要はない。さっさと実家に帰って、自分の家族と仲良く暮らせよ』
リュシオンは、そう言ってひらひらと片手を振る。
別れの合図であり、追い払う仕草でもあり。
投げやりなその動きを見て、私はとうとう、自分の胸を満たす感情にひとつの名前を付けた。
「……言いたいことは以上ですか」
『ああ』
私は拳を握りしめた。
「全然、まったく、納得いきません」
強くなってきた雨が前髪を濡らし、額に貼り付かせる。
垂れてくる雫に目を眇めながら、私はリュシオンを見据えた。
「あんなに自信満々に“死んでいない”と言い張っていたのに、そんなに簡単に納得してしまうんですか? あなたの勘は外れないんでしょう?」
『うるさいな。自分が死んだ場面を思い出したんだ、さすがの俺でも諦めるのは当然だろう』
「本当にそうですか?」
リュシオンは膝に頬杖をついて、こちらを見向きもしない。
私は、そんなリュシオンの態度に既視感があった。
「あなたの言動は不自然です。……私に、何か隠していますね?」
『ああもう、知ったふうな口を効くな。うるさいって言ってるだろ!』
図星だったのか、リュシオンは叫びながらついに私の顔を見た。
その表情が、一瞬だけぎょっと怯んだように歪むが、私は視線を逸らさない。
これでも、手のかかる妹弟を四人も育て上げたのだ。
目を逸らしてはならない時がどんな時かは、心得ているつもりだ。
それは、彼らの心が、軋んでいる時。
私は声を張って、リュシオンに語りかける。
「先程の戦場跡で、あなたは確かに死の際の記憶を取り戻したようでしたね。でも、あの時のあなたはまだ冷静でした。むしろ、どこか嬉しそうですらあった。あなたの様子が急変したのは、その後です」
リュシオンは口を噤んだまま、苦々しい表情をしていた。
「私が、野良の魔族に襲われた後。あの時、あなたは別の何かを思い出したんじゃないですか?」
私の問いかけに、リュシオンは答えない。
距離が空いた二人の間で、雨音だけがうるさく響き渡る。
やがて、リュシオンは俯きながらゆっくりと立ち上がり、
『……ハッ』
鼻で嗤った。
『仮にそうだとして、あんたになんの関係がある。人の記憶を根掘り葉掘り聞き出そうだなんて、悪趣味な女だな』
リュシオンが浮かべる笑みは、今まで私に向けてきたどんな表情よりも冷たかった。
『もううんざりだ。これ以上俺に関わるな。失せろ』
告げられたのは、明確な拒絶。
彼の言葉がナイフとなって、私の喉に突き刺さるような痛みが走った。
しかし、その奥で煮え滾るものが、怯みそうになる私の足をその場に縫いつける。
「わかりました」
私は顎を上げて、リュシオンを見据えた。
「もう関係ないと言うのなら、私は私で勝手にします」
『……?』
睨みながらも怪訝そうに眉を寄せたリュシオンには構わず、私は啖呵を切った。
「私は自分の、“冥婚の花嫁”の仕事を最後まで納得いくまでやり通します。意地でも契約期間満了まで居座ってやりますからね」
『はぁ!?』
すると、リュシオンはここで初めて、表情を焦りで崩した。
『おい、どうしてそうなる! もう迷惑だから、さっさと帰れって言ってるんだぞ?』
「知りません。関係ない幽霊の声なんて聞こえませんし、姿も見えません。私は私のやりたいことをやります」
『お前……いい加減にしろ! もういいからどっか行け!』
どうやら、リュシオンにとって、私が伯爵家に居座ること自体に問題があるようだ。動揺のあまりなのか、私の呼び方すら余裕なく変わっている。
突付けば簡単にボロが出てくるあたり、英雄様もまだまだ甘い。
「伯爵家との契約ですもの。仕事が終わるまでどこかへ行く必要なんてないでしょう」
『だからってお前、ここに居てももう、何もすること無いだろ!?』
「あります。私には証明しなければならないことがあるんです」
私はリュシオンに背を向けて、その覚悟を口にした。
「“あなたはまだ死んでいない”。それを証明するんです」
『なっ……だから、それはもう……』
背後で、狼狽えるリュシオンの声がする。
私は横顔だけで振り向いて、言ってやった。
「私も半信半疑です。……ですが、“英雄様の勘は外れない”そうなので」
屋敷に向けて歩き出すが、リュシオンがついてくる気配はない。
やがて、遠くなった墓のほうから雨音の隙間を縫って、怒鳴る声だけが届いた。
『……頼むからもう、放っといてくれ!』
もちろん、無関係な幽霊の声など、私には聞こえないのだ。




