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冥婚の契約妻と、『まだ俺は死んでない!』と言い張る幽霊な旦那様の一ヶ月  作者: 船田かう


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第12話 追いつかない気持ち(リュシオン視点)




 モニカの元を離れ、屋敷の屋根をすり抜けたリュシオンは、ひとまずそのまま、行ける所まで上昇してみることにした。


 リュシオンは飛行魔法が使えたので、高い所に浮かぶことには抵抗がない。


 しかし、飛行魔法は地表の位置に依存する魔法のため、飛べる高度には限界があった。

 魔力が地面に届く距離までしか飛行することができないのだ。


 普段なら自分の体内に巡る魔力を感じ取れるのに、今は何も感じられない。

 それなのに、普段の自分の限界だった高度をやすやすと飛び越え、ぐんぐんと上昇していくのが不気味だった。


(本当に、生身の身体じゃないんだな)


 鳥が飛ぶ高さを超え、雲が漂う高さを超え。

 やがて、地表で感じる暖かさなど嘘のように威圧的に輝く太陽と、青黒さを増した空しかない所までやってきて、リュシオンは改めて自分の異常な状況を思い知った。


 遥か遠くになった地表は美しいモザイク画のよう。

 見渡す地平線はゆったりとした弧を描いて、空との境界が曖昧にぼやけている。


 圧倒される眺めにリュシオンはしばし見入っていたが、同時に押しつぶされそうな孤独感にも襲われた。


 ここは、人間が来れる場所でも、来ていい場所でもない。


(これ以上行っても何もなさそうだし、戻ろう)


 もっと先にどんな光景があるのか、心の片隅では気になったリュシオンだが、ここまで上ってくるのにも随分時間が掛かったため、割り切って戻ることにした。


 少なくとも、こんなに寂しい場所に“楽園”などあるはずがないだろうとリュシオンは思った。




 普段の飛行高度まで戻ってくると、リュシオンは街の外周に沿って漂った。


 農地帯と防風林の向こう側、先日の戦場となった西の荒れ地の辺りを眺めてみるが、戦闘の爪痕が大地に残るのみで、魔族の群れの姿は見えなかった。


 自分が散った戦場の方まで見に行ってみるべきかと頭をよぎったが、なんとなく嫌な予感を感じ、それ以上進むのを躊躇った。

 こういう時も、リュシオンは自分の勘に従うことにしている。


 万全のリュシオンなら、この場からかなりの広域まで群れの存在を感知する索敵魔法を使用することができるのだが、今は魔法も使うことができない。


(くそ、不便だ……)


 心の中で毒づくと、リュシオンの中にはたちまち不安感が湧き上がってきた。


 モニカの前では平然と振る舞っているが、リュシオンは未だ自分の状況に戸惑っていた。

 しかも時折、居ても立っても居られないほどの焦燥感に掻き立てられるのだ。


 昨夜、モニカの部屋を追い出されたあと、リュシオンは家族や使用人たちの会話を盗み聞いて回った。

 そして、あの戦から既に二週間が経過していることを知った。


 リュシオンには、その二週間分の記憶がない。

 気がついたのは葬儀の、冥婚の儀式の最中だ。モニカが自分の遺体の手をそっと棺に戻すのを、少し離れた位置からぼんやりと眺めていた。


 曖昧だった意識がはっきりしてくると、今度は真冬のような肌寒さと、強烈な焦燥に襲われた。

 ここまでの経緯を何ひとつ思い出せないのに、“このままのんびりとしていてはいけない”という、強迫めいた焦燥だ。


 リュシオンはひどく混乱して葬儀会場を飛び回り、目に付いた知り合いから知らない一般庶民まで片っ端から声をかけていったが、彼の声が届く者は誰も居ない。


 絶望感に苛まれていると、茫洋としていた感覚が、鈍い温かさを覚えた。


 どうやら、家族の近くに居ると、寒気がましになるらしい。

 そう気付いたリュシオンは、もはや何を考える余裕もなく、ただふわふわと漂って家族のあとをついて回っていた。


 葬列が屋敷へ戻り、自分の遺体が墓に埋められるのを、リュシオンは信じられない気持ちで眺めていた。


 “自分はまだ死んでいない”。

 そんな感覚が、沸々と沸き上がってくる。


 目の前で見せられている光景と、自分の意識が合致しなかった。

 リュシオン本人から見ても、自分の身体は間違いなく死んでいるのだ。


 それなのに、彼の心はまだ“終わっていない”と感じている。そして、こんなことをしている場合ではないと叫んでいる。

 一分一秒すら惜しんで、何かをしなければならないのに……。


 その時、リュシオンはようやく、自分を見つめる人物がいることに気がついた。

 墓の前で立ち尽くし、こぼれそうなほど見開いた目でリュシオンを見つめる、一人の女だ。


 冥婚の花嫁として呼ばれたらしい、見知らぬ女。

 ここに至るまで、リュシオンは混乱と動揺で彼女の存在を気にする余裕がなかった。


 しかし、彼女の存在に意識が向いた瞬間、リュシオンの中に感情の嵐が巻き起こった。

 先程から感じている焦燥感と、身を刻まれるような恐れと、深い安堵……様々な感情が渾然となって、リュシオンの中で暴れまわる。


 なんとかそれを押さえつけ、リュシオンは女に確認した。


『あんた……俺が見えるのか!?』


 こわごわと頷いた女を見て、リュシオンは自分でも驚くほどの喜びに包まれた。

 考える間もなく、リュシオンはその女の元まで文字通り飛んで行った。


 近付いたことで、リュシオンはようやく気づく。

 先程から感じていた、寒気を和らげる暖炉のような温かさの熱源は、家族ではなくこの女であることに。


 間近で、しっかりとこちらを凝視するその女の顔を見ると、思わず抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。

 泣きたくなるほど懐かしい気持ちがこみ上げる。


 初対面の女相手に、なぜこんなにも心が動かされるのか、リュシオンにもわからず彼はまた混乱した。


 それでも、リュシオンは彼女と言葉を交わした瞬間に確信した。

 理屈も状況も抜きにして、戸惑いが消え去った。


 自分はまだ、生きている、と。


(モニカ……不思議な女だ)


 街の上空を漂いながら、リュシオンは屋敷の方向に意識を向けた。


 モニカから離れるほど、リュシオンを包む肌寒さは強くなる。

 しかし、胸の中心に灯った温かさが消えることはなかった。まるで、失った心臓の代わりに、暖炉から分けてもらった種火が静かに燃え続けているようだ。


 モニカと出会ってから、リュシオンは自分の制御がまるで効いていなかった。


 普段のリュシオンは、自他共に認める一匹狼で、戦場以外で必要以上に他人と馴れ合うことなどなかった。


 戦勝後の酒場で寄ってくる面倒くさい傭兵仲間や、女たちも相手にしなかった。

 ここ数年は、たまに実家に帰るのも研究や資金の整理だけが目的で、家族と会話することさえほとんどなくなっていた。


 それがどうだろう。

 モニカを前にすると、そんな自分などまるで嘘だったように、彼女を構いたくて仕方なくなってしまう。


 あのお固そうな表情を自分の言動で崩して、慌てさせたり怒らせたりするのが、楽しくてどうしようもない。

 楽しい、なんて、感じたのは一体何年ぶりだろうか。


 髪をほどいた姿には正直見惚れてしまったし、朝方つい見に行ってしまった無防備な寝顔も、このまま永遠に眺めていたいとまで思った。


 今朝の、幸せそうにパンを頬張る表情など、まるで飼い始めた小動物が初めて餌を食べてくれたような、得も言われぬ感動と庇護欲を掻き立てた。


 もちろん、今までの淡白だったリュシオンなど、早々にどこかへ行ってしまった。

 もし普段の彼を知る者が今のリュシオンを見ることができたなら、その変化に目を疑っているだろう。


(どこからどう見ても、なんてことない普通の女だ。彼女は魔法も魔族も戦場も知らない。はなから俺とは住む世界が違う人間だ。昨日初めて会ったばかりの女。なのに、どうしてこんなに気になるんだ……どうしてこんなに、大切にしたいと思うんだ?)


 先程、モニカが梯子から落ちた時も、無い身体から一気に血の気が引いた。

 助けてやれなかったことももどかしかったし、彼女を危険に晒した自分の行動を激しく後悔し、自己嫌悪に陥った。


 戦場で味方を失った経験など数知れないのに、彼女一人がほんの少しでも傷付くことが、今の自分には何よりも耐え難いことなのだと、リュシオンは先程の一件で痛感した。


 モニカの顔を見るたびに、リュシオンは自分が何か、とても重要なことを忘れている感覚に苛まれる。


(記憶が飛んでる二週間の間に何かあったのか? だが、モニカがうちに来たのは葬式の前日だというし、それ以前に知り合った記憶もない。……くそ、俺は一体何を忘れているんだ)


 リュシオンとて子供ではない。

 モニカに向いているこれが、ただならぬ感情であることは既に理解していた。


 しかし、理解できることと、受け入れられるかどうかは別問題である。

 制御できない自分の感情に、リュシオンは僅かながら恐れさえ抱いていた。


 (この俺が、女一人にここまで形無しになるなんて情けない……あの女のことも、もっと知らないといけないな)


 考え事をしながらも、今の身体で試したいことは一通り試したリュシオンは、暮れてきた日を眺めて屋敷へ帰ることにした。


 まるで吸い寄せられるように、あの暖炉のような温かさを求めて。




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