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第9話 因縁の芽

 ブルーヴェイルの朝は、まだ涼しさが残る風が街並みを吹き抜けていた。かつて王宮にいたレオンにとって、この街の早朝はいつも慌ただしい活気を伴っているように感じる。行商人が荷馬車を仕立て、門番が通行手形をチェックし、冒険者たちが武器を揃えてそれぞれの目的地へ出発していく。

 そんなざわめきを背に、レオンはいつものように冒険者ギルドへ足を運んだ。昨夜は診療所で簡単な治療を受け、宿屋でしっかり休息を取ったおかげで、肩の痛みもだいぶ和らいでいる。まだ多少の違和感はあるものの、動くことには支障がなさそうだ。



 ギルドの扉を開けると、朝の空気が入り混じった独特のにぎわいがレオンを迎える。受付カウンターでは、リリアが複数の冒険者を相手に忙しく書類を処理しているらしく、手元の紙束をさばきながらも笑顔を欠かさない。

 ふとリリアがレオンに気づき、「あっ」と小さく声を上げると、先に応対していた冒険者たちに「少し待ってくださいね」と丁寧に頭を下げてから、レオンのほうへと足早にやってきた。


「おはようございます、レオンさん。昨日は、かなり大変だったでしょう? ちゃんと休めましたか?」

「ええ、診療所で少し治療してもらって、宿屋でぐっすり寝ました。おかげで、肩の痛みもだいぶ良くなりましたよ」


 レオンは軽く腕を回してみせる。まだ本調子とは言えないが、動作にはあまり支障がない。リリアはその様子を確認し、ほっと胸を撫で下ろした。


「それならよかったです。でも無茶は禁物ですよ。クラインヒルズのゴブリンが増えているって、ほかの冒険者さんも言っています。あまり奥に入りすぎないようにしてくださいね」

「わかりました。昨日、リリアさんが言ってくれた魔石や討伐証明部位の話もすごく役に立ちました。冷静に対応できたのは、そのおかげですよ」


 レオンは深々と頭を下げる。彼にとって、リリアのアドバイスは単なる受け答えではなく、自身の生死を左右する重要な指針となった。だからこそ、感謝の気持ちは大きい。


「お礼なんていいですよ。冒険者を守るのも私たち受付の役目ですから。……それにしても、レオンさん、昨日は結構無茶しましたね」


 リリアはやや困った顔をして言う。確かに二匹のゴブリンを相手に強引に立ち回ったのは事実だ。危なっかしい場面も多かったはずで、今こうして無事に帰れたのは運が良かったとも言える。

 そのとき、横合いからどこか悪意を孕んだ声が飛んできた。


「へっ、何が『無茶しましたね』だよ。痛い目見るのは当然だろ。新入りが調子に乗ってんじゃねえぞ」


 レオンとリリアの間に割り込むように、五人組の冒険者が姿を現した。皆そろいの粗末な革鎧を着ており、どこか柄の悪さを感じさせる。リーダー格らしき男はガサツな目つきでレオンを見下すようにしている。

 その男は、明らかに敵意をこめた態度で言葉を投げつける。


「おい、新入り! 調子に乗るなよ。お前みたいなのがギルドにいると迷惑なんだよ」

「迷惑って……何を言っているんですか?」


 レオンが戸惑いながら問い返すと、男の背後の仲間たちもニヤニヤと笑いを浮かべる。どうやら、この五人はブルーヴェイルでの初級依頼を主な稼ぎにしているらしく、最近、売り出し中のレオンが目障りなのかもしれない。

 リリアが冷静な口調で口を挟んだ。


「規定に反する威圧行為は認められていませんよ。ギルド内では、他の冒険者への暴言や脅迫は処罰対象になります。それ以上続けるならギルドの警備隊を呼びますが、それでもよろしいですか?」


 その言葉に、男は一瞬たじろいだが、すぐに舌打ちして仲間たちをうながした。


「チッ……受付嬢のくせに偉そうに。おい行くぞ、おまえら。こんなとこにいちゃ時間のムダだ」


 そう言い残すと、彼らは乱暴な足取りでギルドの出口へ向かっていく。周囲の冒険者たちが冷ややかな視線を送る中、誰一人として彼らを止めようとはしない。

 リリアが去っていく背中を見やりながら、小さく息を吐き出した。


「……あの人たち、最近依頼がうまくいってないみたいで、ちょっとイライラしてるんですよね。気にしないでください。何かあってもギルドが対処しますから」

「ありがとうございます。なんだか嫌な感じでしたが……」

「レオンさんが余計な手出しをしないでくれてよかったです。下手に挑発に乗ると逆恨みされることもあるので、注意してくださいね」


 そう言って、リリアは再び柔らかな笑みを浮かべた。先ほどの毅然とした態度とのギャップに、レオンは少し驚きつつも安心感を覚える。彼女は本当に冒険者を守るため、受付としての責務を全うしているのだろう。



 ギルドを出ると、レオンは道具屋へ向かった。昨日の戦闘で救護セットを大幅に消費してしまい、今後のことを考えると補充が必要だ。

 扉を開くと、店主のおばさんが「あら、いらっしゃい。今日も来てくれたのね」と笑顔で迎えてくれる。


「昨日の戦闘で救護セットを使い切ってしまって……補充をお願いできますか?」

「もちろん。昨日も頑張ったみたいだね。でも、命は大事にしなよ。無理はしちゃダメ」


 店主はレオンの肩の包帯に気づいて、小さく首を振るようにして呟いた。レオンは苦笑しながらもうなずく。


「ええ、昨日痛感しました。もっと上手く動けるように、ちゃんと準備してから出発しようと思います」

「いい心がけだわ。冒険者は無茶してなんぼ、みたいに言う人もいるけど、ちゃんと対策できる人が生き残るのよ」


 そう言いながら、店主は包帯や薬品、消毒液などの補充品をてきぱきと揃えてくれる。レオンはその手際に感謝しつつ、「昨日の分の報酬で支払いは大丈夫そうだな」と、内心ほっと胸を撫で下ろした。

 店主が計算を済ませたところで、レオンは銀貨と銅貨を渡し、再び背負い袋に道具を詰め直す。店を出る前に、おばさんが少しだけ声を低くして忠告してきた。


「最近、ギルド周辺でトラブルが増えてるって噂よ。ほら、初級の依頼が被って衝突が起きるとか……。あなたも気をつけて」

「はい、ありがとう。肝に銘じておきます」


 五人組の冒険者と遭遇したことが脳裏をよぎる。彼らがトラブルを起こす相手が自分になる可能性も、ないとは言い切れない。

 軽く頭を下げて店を出たレオンは、ギルド内での嫌な空気を払うように、大きく息をついた。



 装備を揃え、救護セットを補充し終えたレオンは、再びクラインヒルズへ向かう。昨日、採取が途中になってしまったセルフィーユの数をきっちり集めたいのだ。

 街道を抜け、なだらかな丘の連なる景色が見えてくると、風の匂いが変わってくる。ほんのり青い草の香りと、遠くから運ばれてくる花粉の甘い匂い。昨日はゴブリンと立て続けに戦って、自然を堪能する余裕もなかったが、こうして見るとクラインヒルズは穏やかな風景だ。


「セルフィーユ……あった。今日は順調だな」


 レオンは腰を落とし、昨日とは違う斜面のあたりに生える薄紫の花をじっくりと探す。根を傷つけないように丁寧に抜き取り、花と葉が潰れないよう布にくるんで背負い袋へしまう。

 昨日の反省を活かし、茂みや草むらの奥に迂闊に入り込まないよう警戒しながら行動する。もしゴブリンが出ても、すぐに対処できるように、視界の確保も意識している。

 結果として、採取作業は思った以上にスムーズに進んだ。痛む肩を庇いながらとはいえ、怪我の具合は昨日よりはるかに良い。心にも余裕があるおかげで、手際が随分と良くなった気がした。


(これで昨日分も取り戻せそうだな。あとは……)


 必要な量を集め終え、もう少しだけ確認しようと周囲を見回したとき、急に茂みががさりと揺れた。レオンは反射的に身を低くし、剣に手をかける。


「……またゴブリンか?」


 一瞬、空気が張り詰める。レオンは息を呑んで、茂みの揺れを凝視する。しかし、その後ろからは特に気配を感じない。ゴブリンの囁きや足音も聞こえない。

 しばらく待ってみたが、もう茂みが揺れることはなかった。風のいたずらか、小動物が逃げ出しただけかもしれない。レオンは安堵の息をつきつつも、改めて警戒の大切さを思い知る。


「警戒しすぎか……いや、何事も備えは大事だな」


 小さく呟き、彼は剣から手を離す。そういえばリリアも「慎重過ぎるくらいがちょうどいい」と言っていたっけ――そんなことを思い出しながら、レオンは自分の足元を見下ろす。

 いま抱えている依頼のノルマはすでに十分こなせた。わざわざリスクを冒してまでここに留まる必要はないだろう。今日は怪我を増やすことなく無事に帰還し、リリアに報告したいという思いが強い。



 丘を下り、街道へ戻る途中、レオンは遠くの小道に人影らしきものを見かけた。だが、こちらに気づいている様子はないので、あえて深追いはしない。夕方になるまでにはブルーヴェイルに戻るつもりだ。

 ふと、朝ギルドで因縁をつけてきた五人組の姿が頭をよぎる。もし、あの連中が近くに潜んでいたら――そんな不安が一瞬脳裏をかすめる。しかし幸い、今のところ人影は遠くにしか見当たらない。レオンは足を速めて街へ向かった。


 やがて、陽光が西へ傾きはじめた頃、ブルーヴェイルの城壁が見えてくる。近づくにつれ、門番の姿や行き交う荷馬車が目につき、レオンの胸に安堵感が広がる。怪我人が出た様子もなさそうで、門番と挨拶を交わしてから城壁の中に入ると、いつもの街の喧騒がそこにあった。

 冒険者ギルドに報告すれば、今日の採取依頼分の報酬が手に入るだろう。昨日よりもしっかりとした成果だし、肩の痛みも悪化せずに済んだ。

 ただ、先日のゴブリン連戦といい、ギルドでの因縁、そして道具屋のおばさんの忠告――不安の種は少しずつ増えているようにも感じる。新米冒険者としては、まずは日々を着実にこなし、あまり目立たないように動くのが得策だろうか。

 しかし、レオンが冒険者である以上、トラブルから完全に身を引くことは難しい。いつかは避けられない対立や、厳しい試練が訪れるのかもしれない。それでも、いまは歩みを止められない。

 王宮を出てきたのは、ただ平凡に生きるためではなく、自分の意志でこの世界を知り、自由を手にしたかったからだ。たとえ目立たないようにしても、いつかは自分の力で切り拓かなければならない道がある。

 そんな決意を胸に抱えたまま、レオンは夕闇の街を進み、冒険者ギルドへ足を運ぶ。リリアはまた笑顔で出迎えてくれるだろう。あの五人組がいるかもしれないが、彼はもう後ずさりしたくないと思っていた。

 この先に、どんな因縁が芽生えていくのか――まだ何も確かなことはわからない。だが、レオンは一歩ずつ、着実に前へ進むことを選ぶ。それは、王宮という檻を出た自分が望んだ道であり、冒険者として自らに誇りを持てる生き方だと信じているから。


 そして夜の気配が街を覆うころ、レオンは無事にギルドの扉を開け、今日の採取の成果を報告する。リリアが誇らしげに彼の手を取り、「おかえりなさい、レオンさん」と微笑む。その瞬間、彼の心にはやはり暖かな安堵が満ちるのだった。


 だが、そのギルドホールの陰には、まだ見ぬ脅威や因縁の芽が潜んでいる。彼がそれらとどう向き合い、乗り越えていくのか――本当の試練は、これからだ。

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