第84話 決意の報告
朝靄の残る街道を、馬車の車輪が静かに転がっていく。
ローデンブルグの城壁が見えたのは、太陽がちょうど東の空を赤く染めはじめた頃だった。高くそびえる城門の上、見張りの兵が朝陽に照らされながら交代の準備を進めている。
レオンたちは、前日の朝に村を発ち、行きと同じく途中の宿場町で一泊を挟んでいた。幸いにも道中に危険はなく、天候にも恵まれ、馬車は順調にローデンブルグへとたどり着いた。
表向きには、任務を終えて戻ってきた冒険者の一行。だが、その胸中にあるものは、行きとは比べものにならないほど重く沈んでいた。
敵兵が最後に漏らした言葉――「あの娘はもう売れた」。
その言葉が意味するものが、もし――。
レオンは、静かに手綱を引きながら前方の門を見据える。
「……ローデンブルグだ。無事に戻ってこれたことを、まずは感謝しよう」
誰に言うでもなく呟いた言葉に、背後からリリアの声が返ってくる。
「……こうして戻ってくると、あの村がいかに異常だったか、よく分かりますね。空気が違います」
レオンはわずかに頷き、視線を門の向こうへ移した。
「それだけじゃない。あの通路、あの私兵……そして、あの男の言葉」
拳にわずかに力が入る。
「裏で動いてる奴らがいる。放っておけば、きっとまた同じことが起きる」
「……必ず、止めないと」
ミリーの声だった。
馬車の中、膝の上で拳を握りしめたまま、彼女は顔を伏せている。
「……リゼットを……見つけなければ……」
その声は震えていたが、迷いはなかった。
セリナは黙ったままミリーの隣に座り、そっと手を伸ばして彼女の肩に触れた。
言葉はなかった。ただ、それだけで十分だった。
城門が開き、馬車が石畳の上へと入り込んでいく。
目の前に広がるのは、いつもの町並み。だが、彼らが持ち帰ったのは日常ではなかった。
ローデンブルグの空は、今日も変わらず晴れていた。
けれど――そこに向かう彼らの心は、確かに戦いの真っ只中にあった。
夕刻のギルド内は活気を帯びており、依頼板の前にはまだ冒険者たちの姿が数名ほど残っている。受付周辺では報酬のやり取りや報告の声が飛び交い、昼間とはまた違った熱気が漂っていた。
そんな中、リリアが前に出て受付へ歩み寄る。胸元の徽章を示し、カウンターに立つ受付嬢に確認を促すと、抑えた声で話しかけた。
「Cランクパーティ専属受付嬢、リリア・アルベールです。緊急報告事項があります。ギルドマスターに面会をお願いできますか?」
受付の女性が目を瞬き、リリアとレオンたちを見比べたあと、すぐに神妙な面持ちで頷いた。
「かしこまりました。少々お待ちください」
ほどなくして通されたのは、ギルド奥にある応接室だった。
簡素ながらも整えられたその空間には、堅牢な木製の机と書棚、そして観葉植物の鉢が並んでいる。
そこに座っていたのは、壮年の男――無精髭に鋭い目つき。だがその中には理知的な光を湛え、長年の実務と判断を積み重ねてきた風格があった。
「ふむ……君たちが、件の報告者たちか。私はこのギルドのマスター、カルロス・ハインベルクだ」
初対面の名乗りに、レオンは軽く会釈しながら一歩進み出る。
「レオンです。ローデンブルグでの調査依頼の報告に参りました」
それだけ言うと、懐から証拠品を一つずつ取り出して机に並べた。
現地で押収した敵兵の装備の一部、簡易地図に書き込んだ抜け道と廃屋の位置、そして手描きの紋章の写し。
「私兵は明らかに訓練されていた。動きに無駄がなく、盗賊のような粗暴さもなかった」
カルロスは黙ってそれらを見つめ、特に紋章の写しに目を留めた。
「……なるほど。これは王都の一部貴族が私兵に与える護衛装備に、確かに酷似している。細工も精巧だ」
「国外との密輸や人身売買にも通じる痕跡です」
サフィアが静かに補足する。
カルロスは顎に手を当て、深く息を吐いた。
「……やっかいな話になりそうだな」
そのつぶやきに、リリアがそっと口を開く。
「この件、ギルドとして正式な調査に進めますか?」
「表立った動きは……できん」
その答えは、慎重でありながらも明確だった。
「貴族の関与が疑われるなら、こちらとしても軽々に動けない。ただ……私の方でも調べは進めよう。密かに、な」
レオンはその言葉にわずかに口元を引き締め、静かに頷いた。
「それで十分です。俺たちは俺たちのやり方で進めます」
カルロスはレオンの眼差しを見据えた後、低く頷いた。
「……気をつけろ。敵は、想像よりも深く、広い場所に根を張っているぞ」
レオンは深く頷き、机の上に並べた証拠品を改めて整え直すと、静かに言葉を添えた。
「これらは、ギルドにお預けします。必要であれば、照合や精査に使ってください」
カルロスはひとつひとつを確認するように見回し、静かに受け取った。
「責任を持って保管しよう。……必ず、役立てる」
レオンはその言葉に再び小さく頷いた。
次の行動は、すでにその手に――確かに握られていた。
ギルドを後にし、ローデンブルグの石畳を踏みながら、一行は無言のまま宿への道を歩いていた。
辺りはすでに夜の帳に包まれている。
灯のともった街灯が通りに淡い輪を落とし、窓明かりの漏れる家々からは、夕餉の香りと小さな笑い声が聞こえてくる。
行商人たちはすでに店をたたみ、往来を行き交う人影もまばらだ。
だが、それは確かにこの街の日常で――今、彼らが抱えている非日常とは、まるで別の世界のように思えた。
その静けさのなか、ぽつりと声が落ちた。
「……リゼット……生きてる。わたし、そう思うんです」
口を開いたのはミリーだった。
暗がりに沈んだ表情は見えなかったが、声には震えるような不安と、それ以上に強い想いがにじんでいた。
レオンは歩みを止めることなく、少しだけ顔を傾けて返す。
「……そうか。なら、俺たちが探しに行く理由は――それで十分だ」
その言葉に、ミリーが小さく息を飲むのがわかった。
セリナが黙ってミリーの肩をそっと叩く。
その仕草には、なにひとつ飾りのない肯定があった。
背後からサフィアが、静かに声をかける。
「個人の感情で動くには、危険が大きい」
淡々とした声。それでも、その瞳はどこか温かかった。
「でも――個人の信念で動ける人は、強いわ」
その言葉に、誰も異論を挟まなかった。
レオンは空を見上げる。
雲ひとつない、透き通る空。
だがその青さの奥に、自分たちの進むべき道は――確かに続いている。
助けを待つ声が、きっとまだ、届いていないだけなのだ。
ならば、その声を掴むために。
この歩みを止めるわけにはいかない。
石畳を踏む音が、また一歩、静かに響いた。
宿の二階にあるレオンたちの部屋には、すでに夜の静けさが降りていた。
宿に戻った一行はすぐに食堂で簡素な夕食を済ませ、いまは皆、二階の部屋に集まっている。
セリナは窓辺に腰掛け、サフィアは机の椅子に背を預けている。ミリーは静かにベッドの端に座っている。リリアは資料の束を整えつつ、そっと視線を上げた。
レオンは部屋の中央に立ち、静かに仲間たちへと向き直った。
「……話があるんだ」
声は穏やかだが、芯のある響きを持っていた。
皆の視線がレオンに集まる中、彼は僅かに息を吐いて言葉を継ぐ。
「俺は、ギルドへの報告で終わらせるつもりはない」
その言葉に、リリアの手が一瞬止まり、サフィアの視線が鋭さを帯びた。
「……敵兵の言葉を信じるわけじゃない。だが、ベリスカ王国の貴族に『娘を売った』という情報がある。仮にそれが本当なら――リゼットが、そこにいる可能性はある」
誰も口を挟まない。灯火が静かに揺れる音だけが、会話の隙間を埋めていた。
「ギルドの判断を待っているだけでは、間に合わないかもしれない」
レオンは、ゆっくりと皆を見渡した。
「……だから、俺はギルドとは関係なく、ベリスカ王国へ向かうことを考えてる。無茶は承知だ。けど――それでも、行くべきだと思ってる」
そこで一度、言葉を切る。
「……どう思う?」
沈黙の中で、最初に動いたのはセリナだった。
「……なら、群れとして、当然ついていく」
短い言葉。だが、その声には一切の迷いがなかった。
金色の瞳が、まっすぐレオンを見返していた。
続いて、サフィアが目を細めながら微笑む。
「あなたの決断に異論はないわ。私も一緒に行く。もし王国外に踏み込むなら、魔術師としてできる限りの準備はしておく」
そしてリリアが、小さく拳を握りしめながら、立ち上がった。
「専属受付嬢としても……いえ、私個人としても、レオンさんを支えたいです! 規則とか枠なんて、関係ないです!」
言葉の端に熱がこもる。
その目には真剣な色が宿っていた。
誰もが意志を示したあと、ベッドの端に座っていたミリーが、ぽつりと声をこぼした。
「……みなさん……っ」
顔を伏せていた彼女の頬を、透明な涙が一粒、すうっと伝って落ちる。
堪えていた感情が、決壊のように溢れ出した。
「こんな……私のために……本当に……ありがとうございます……」
震える声。言葉を繋げようとするたびに、嗚咽が込み上げてくる。
セリナがそっと隣に腰を下ろし、無言でミリーの背を撫でた。
リリアも黙って膝をつき、彼女の手を包み込む。
サフィアの視線はやさしく、ただ見守っていた。
レオンは小さく微笑みながら、灯火の下でその様子を静かに見つめていた。
この戦いは、依頼ではなく、信頼の上に成り立つもの。
そしてその中心に、確かに想いがあった。
仲間たちの眼差しは、今や同じ場所を見据えていた。
それは迷いではない。誓いの共有だった。
一人の想いが、群れの力となり、やがて――ひとつの刃となろうとしていた。
窓の外には、夜の空が静かに広がっている。
星々のきらめきは、まるで彼らの行く先を見守るように瞬いていた。
そして、運命の糸は静かに動き出す。
名もなき村の奥に隠されていた真実は、やがて、国境を越え――王国の深層へとつながっていく。
少女を巡る闇と、人の欲望に塗れた取引の痕跡を辿る旅が、いま、静かに幕を開けようとしていた。
次なる舞台は、ベリスカ王国――。
そこに待つのは、ただの敵か、それとも更なる真実か。
レオンたちはまだ知らない。
この決意が、幾つもの運命を動かし始めていることを。
だがただひとつ確かなのは、彼らが、進むべき道を選んだということ。
そしてその道の先で――再会が、待っていること。
物語は、新たな章へ。
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