第83話 迫る闇
朝霧の名残が薄く漂う森の奥を、レオンたちは再び進んでいた。
昨日見つけた抜け道――枯葉と枝に覆われたその細道は、今日もなお、無言で彼らを誘うように続いていた。だが、足を踏み入れるその一歩一歩が、昨日とは確実に違っていた。
森の深部に近づくにつれ、樹々の間隔は広がりはじめ、空がちらりと覗く場所も現れる。だがそれと引き換えに、鳥のさえずりも、虫の声も、風の音すらも失われていった。
辺りは――異様なまでに静かだった。
足元には踏み均された土。明らかに複数の人間が定期的に通った痕跡。
そして、半ば地面に埋もれるようにして立っていた、苔むした石造りの門。
高さは人の背ほど。装飾も紋章もないその小さな門の奥には、まるで地下施設の入り口のような――人工的な通路が続いていた。
レオンは門の前で足を止め、周囲を見渡した。
「……空気が、変わったな」
その言葉に、セリナが耳を動かす。森の静寂を切り取るように、その金色の瞳がすっと細められた。
「……静かすぎる。誰かいる、けど……気配隠されてる」
リリアとミリーが思わず足を止める。サフィアが無言で杖を強く握りしめた。
レオンは剣の柄に手をかけ、腰の重心をわずかに落とす。
「隠れてるってことは、歓迎されてないってことだ」
ミリーは不安げに門の奥を見つめ、小さく首をすくめる。
「……ここ、やっぱり嫌な感じです。足が……重い気がする」
「結界の余波かもな。残留魔力は感じないが……嫌な気配は残ってる」
レオンは一歩、石門の前へと進み出る。
そこにあるのは、人の手で造られた空間。
だが、それは人を迎えるための場ではない。
明らかに隠すために作られた構造だ。
この先に何があるのかは分からない。
だが確かに、闇の本流が、ここに繋がっている。
レオンは振り返らず、静かに言った。
「……行くぞ」
仲間たちの足音が、続いて鳴った。
裂け目のように口を開けた石門の奥へと、彼らの影が吸い込まれていく。
石門を越えた先は、再び木々が茂る狭い林道だった。
だが、その空気は明らかに違っていた。
湿った土の匂いに混じって、何かが焦げたような鉄臭さ。空気の緊張が肌を刺す。
レオンが気配を感じ、剣に手をかけたその瞬間――。
木立の陰から、黒衣の男たちが一斉に姿を現した。
顔を黒い布で覆い、無言のまま駆け寄ってくる。
「来たか……!」
武器の構え、足の運び。動きに無駄がない。
ただの野盗や素人の賊ではない。戦闘訓練を受けた、私兵の動きだ。
サフィアが素早く後退しながら、冷静に声を上げる。
「戦い慣れてる……普通の賊じゃないわ」
リリアが後方で叫ぶ。
「注意してください! 横からも来てます!」
レオンはすぐさま状況を読み、短く指示を飛ばす。
「囲まれる前に突破する! セリナ、右を頼む!」
「了解」
セリナが低く返すと同時に、風のような動きで右へ飛び出す。短剣を構え、木の影に潜んでいた一人に向かって斬り込んだ。
レオンは前方の私兵に踏み込み、剣を一閃。鋼と鋼がぶつかり、火花が散る。
敵は数こそ多くはないが、明らかに連携と戦術を心得ている。
サフィアが詠唱を開始し、ミリーとリリアは指示に従い、周囲の視認と味方の補助に集中していた。
鋼が交差する金属音が、森の奥に響き渡る。
前線を駆けるセリナの動きは、まさに風のようだった。
敵の間をすり抜け、短剣で脚を狙い、刃を抜くと同時に体を回して次の一手へ移る。獣人特有の柔軟性と本能的な間合いが、訓練された私兵すら翻弄していた。
「――っ!」
一人、叫ぶ間もなく膝をつく。そこに駆け込んだレオンが迷いなく剣を振り下ろし、その動きを止めた。
背後で風の唸りが起きる。
「空を裂く刃よ、我が敵を刻め――《エアカッター》!」
サフィアの風刃が横合いから飛び、別の私兵の武器を弾き飛ばす。レオンはそれを見逃さず、一閃――敵の肩口から胸元へと刃を滑らせる。
「……動きに無駄がない。やはり、軍属か、それに近い訓練を受けてる」
互いの動きが交錯し、敵の陣形が崩れ始める。
「追い詰めて。言葉を引き出すなら、今よ」
サフィアが魔力を練りながら告げる。
セリナはすでに三人目の敵を制圧し、背後から迫る一人に踵を突き込んで転ばせた。
レオンは周囲を見渡し、全体の数と動きを確認する。
倒れた私兵は既に五人――だが、一人だけ違った。身なりは同じ、だが周囲を見ながら指示を飛ばしていた男。
彼だけが武器を持たず、斜めに後退しようとしていた。
「指示役は……貴様か」
レオンが一歩踏み込み、剣先を突きつける。
男は歯を食いしばっていたが、もはや反撃する余力はなかった。背中にはサフィアの魔術で崩された衝撃の跡、腰に下げていた小太刀も、すでに彼の手から離れている。
レオンは無言のまま、その男の肩を踏みつけて地に伏せさせた。
残る敵兵は沈黙し、誰も立ち上がる者はいない。
その場に生き残っているのは――このリーダーと思しき一人だけだった。
風が止む。
刃が引かれ、森の一角に静寂が戻る。
レオンはその男を見下ろしながら、低く呟いた。
「さて……お前には、話してもらうぞ」
その言葉と共に、次の局面――真実の引き金が、ゆっくりと引かれようとしていた。
静寂を切り裂いたのは、低く嗤う声だった。
レオンが剣先を突きつけた男――戦闘中、指示を出していた私兵の一人が、地面に伏したまま口元を歪める。唇からは血が滲み、呼吸は荒い。それでも、その目には確かな嘲りがあった。
「……お前ら、遅いんだよ」
かすれた声。それでも、その響きは残酷な確信に満ちていた。
「――あの娘はもう売れた……高値でな。もうベリスカの中だよ……貴族のお得意様にさ……」
レオンの眉がぴくりと動き、手に持つ剣に力がこもる。
背後でミリーが息を呑む音がした。セリナは無言のまま、金色の瞳を鋭く細めている。
「誰が裏にいる」
レオンの声は低かった。
だがその一言に込められた怒気と殺気は、寒気をもって伝わるほどに冷たい。
だが――男はそれを嗤いで受けた。
「……教える義理がどこに……あると思ってる……?」
そのまま、男の目が閉じられた。意識を手放すようにして、深く、暗い眠りへと落ちていく。
レオンはしばし、剣を構えたまま動かなかった。
だが数秒後、ゆっくりと刃を引き、鞘に納める。
重い音が、森に沈んだ。
誰も口を開かない中、ミリーだけがその場に立ち尽くしていた。
小さな手が震えていた。言葉にできない感情が、喉元まで込み上げているのが見て取れる。
レオンはその様子に一瞬目をやると、再び全員を見渡した。
何かが、確実に繋がりはじめている――。
そしてそれは、想像していたよりも遥かに深い闇の中だ。
だが、それでも。
見過ごすわけにはいかない。
まだ、終わっていない。
森を抜ける帰路、木々の間から差し込む夕陽が淡く道を照らしていた。
だがその光は、誰の顔も照らさない。
レオンたちは言葉少なに並び、ただ静かに歩いていた。
先ほどの戦闘と、あの男の残した言葉が、それぞれの胸に重く沈んでいる。
リリアは羊皮紙に震える指で戦闘の記録と敵の発言を淡々と書き留めていた。筆跡は整っていたが、その手元はどこか力が入りすぎていた。
サフィアは黙って、布に包んだ証拠品――敵兵の胸に縫い込まれていた奇妙な紋章と、小太刀の鍔に刻まれた文字を何度も確認していた。
木々の葉を揺らす風すら、いまは気配を潜めているかのようだった。
そんな中、ミリーがぽつりと呟く。
「……レオン様……『あの娘』って……」
小さな声だった。風にかき消されそうなほどの問いかけ。
レオンはすぐには答えなかった。
歩みを止めることもなく、前を見据えたまま、少し俯いて――。
「……まだ分からない」
その声には、自分にも分からない焦りと、明確な意志の両方があった。
「でも……行かなきゃいけない場所が、確かにできた」
ミリーの手が、わずかに震えながらも、胸元に添えられた。
その横で、セリナが短く言い切る。
「見つける。必ず」
金色の瞳が前方を射抜くように見つめていた。
「王国法を犯しているのは確実です」
リリアが顔を上げて言う。声は静かだが、そこにあったのは怒りに近い決意だった。
「証拠を固めれば、ギルドも、王国も無視できません。動かせます」
レオンはその言葉に、ゆっくりと頷いた。
敵の正体はまだ見えない。
だが、手がかりは確かに掴んだ――ならば、進むべき道はひとつ。
その先に、囚われた誰かがいるのなら。
声を上げられない者がいるのなら。
それを見なかったふりはできない。
レオンたちは、夕暮れの森を越え、再び村の影へと歩を進めた。
帰還は、終わりではない。
始まりを告げる鐘の音が、確かに心に鳴っていた。
村の宿は、夜になると静まり返る。
その一室――灯火の下、レオンは地図と依頼書の写しを机の上に並べ、黙々と思考を巡らせていた。地図には今日の行動範囲、抜け道の位置、廃倉庫の周辺、そして私兵と交戦した地点が記され、線で繋がれている。
火の揺らめきがその線を照らすたび、浮かび上がるのは――確かに計画された闇の輪郭だった。
そこへ、控えめなノック音が響く。
「レオンさん、入っても……いいですか?」
リリアだった。
レオンが返事をすると、彼女はそっと扉を開け、軽く頭を下げてから静かに部屋へと入ってくる。手には数枚の紙束。目元に疲れは見えるものの、その歩みに迷いはなかった。
「……明日、一度ギルドに戻りましょう。ここで得た情報を整理して、報告を」
レオンは頷き、地図の端を指でなぞりながら返す。
「ああ。正規の報告を挙げれば、ギルドも正式に動きやすくなるはずだ」
リリアは机の空いた端に腰を下ろし、先ほどまで整理していた資料を差し出す。
「この装備、あの私兵たちが身に着けていたもの……細部に細工がありました。ギルドで照合すれば、どこかの派閥や貴族に繋がる可能性もあります」
「それが分かれば、次の一手が打てる」
レオンの言葉には、迷いはなかった。
「俺たちは……ただの冒険者だけど、無力じゃない」
その言葉に、リリアがふと目を細めて微笑んだ。
「……その言葉、好きです。レオンさんらしくて」
レオンは少しばかり照れたように肩をすくめた。
「ありがとう。……明日は早めに出よう。できるだけ早く、次に進むために」
リリアは黙って頷いた。もうそれ以上、言葉は要らなかった。
静かな時間。小さな灯火が揺れるだけの空間に、二人の間の信頼だけがしっかりと根を張っていた。
言葉以上の意思疎通――その確かなつながりが、次の一歩を静かに、しかし確実に導いていた。
夜の静けさに包まれながらも、レオンたちの戦いは、すでに次の局面へと動き始めていたのだった。
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