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第82話 森の向こうへ

 朝霧が、村の屋根と畑をうっすらと包んでいた。


 村の裏手、低い柵を越えた先に広がるのは、どこか時を忘れたような森だった。

 鬱蒼と茂る木々は、まるで人を拒むように無言で立ち並び、風も音も吸い込んでいくような静けさを漂わせている。鳥の声すら聞こえず、ただ足元に積もった落ち葉が、歩を進めるたびに微かに鳴る。


 レオンたちは森の入口に並んで立っていた。

 村人たちは、この森を「古道の森」と呼んでいた。だがその名を口にする者は少なく、地図にもはっきりとした記載はなかった。


 ――昔から、この森には人攫いの噂がある。


 夜中に叫び声がした。黒い馬車の影を見た。誰かが消えた。

 それらの話を笑う者はいなかった。ただ、誰も近づかない。ただ、それだけだった。


「……まるで、何かを拒むような空気ですね」


 リリアが呟くように言い、肩にかけたマントをきゅっと握る。

 セリナは数歩森に踏み込み、静かに鼻を動かしていた。風向きが変わったのを感じ取ると、木の根元に手を置き、再び地面の匂いを確かめる。


「けど、通ってる。……最近じゃない。けど、道はある」


 セリナの金色の瞳がレオンを振り返る。

 レオンはその視線に短く頷き、手袋を直しながら剣の柄に軽く触れた。


「行こう。俺たちが探るべき向こう側が、この森にある」


 その言葉に、誰も異を唱えなかった。


 サフィアは杖を軽く握り直し、ミリーは一つ息を吐いて胸元に触れた。リリアは小さく拳を握り、セリナは無言のまま一歩、森へと足を踏み入れる。

 音を立てぬように、静かに。


 かつて誰かが消えたというその道を、今――レオンたちは、自らの意志で進んでいく。




 木々の合間を縫うようにして、レオンたちは進んでいた。

 獣道ですらない地形は、踏みしめるたびに枝が割れ、枯葉がざくりと音を立てる。陽の光はほとんど届かず、頭上を覆う枝葉が昼間であることを忘れさせるほどの薄闇を作っていた。

 だが、セリナの導きは確かだった。


「ここ……下が、違う」


 そう言って彼女が足元の地面を指すと、そこには一部だけ苔が薄く剥がれたような跡があった。レオンがしゃがみこみ、手で枯葉を払うと、下から黒ずんだ石が姿を見せる。


「……石畳の名残か」


 斜めに崩れかけたその石は、かつてここに道があったことを物語っていた。


「ここも」


 少し先にいたサフィアが、指先で苔むした岩の一部をなぞるように拭い、小さな石片を拾い上げた。灰色の表面には、肉眼では判別が難しいほど淡い文様が刻まれている。


「この石……術式の痕跡がある。封印結界、あるいは……転移の補助かもしれないわ」


 その声に、レオンは視線を向ける。


「つまり、何かを隠していたってことか」


 サフィアはわずかに頷いた。


「たぶん、簡易結界の基礎式。継続して力を供給するタイプではなく、瞬間的に空間を遮断したり、特定の方向からの視認を防ぐものね」


 リリアが思わず眉をひそめる。


「それって……人を隠すためにも、使えるってことですか?」

「ええ、十分に」


 そのやり取りの傍らで、セリナが足を止め、地面にしゃがみこんでいた。落ち葉を避けながら、泥の上にうっすらと残る複数の痕跡を見つめる。


「……足跡。大人のものと、小さいもの」


 その声に、レオンも膝を折って確認する。たしかに、重さの違う二種の足跡が、同じ方向へと向かって伸びていた。


「……三日、前くらい」


 セリナの金の瞳が森の奥を鋭く見据える。

 風が、枝を鳴らした。


 どこかで、誰かが確かに歩いた痕跡――それは、この森がただの古道ではなく、今も“使われている道”であることを、何よりも雄弁に語っていた。

 レオンは立ち上がり、剣の柄に軽く触れながら仲間たちに目を向ける。


「……進もう。この先に何があるか、確かめる」


 誰も返事はしなかった。だが、それは沈黙の同意だった。


 森の奥へと、一行は再び足を踏み入れる。

 失われた道の先――そこに、真実があるはずだ。




 森が開けた先、そこだけぽっかりと空間が削られたように草が短くなっていた。


 中心に立っていたのは、崩れかけた木造の廃屋だった。

 屋根は半ば朽ち、苔と蔦が壁を這い、扉は外れて傾いたまま。だが、完全に自然に還ってはいない。誰かが、あるいは何かが手を入れていた痕跡があった。


 レオンは足音を抑えながら中へ入る。

 土の床に落ちた木屑と埃、乾いた藁の山、かまどの跡、壊れた寝台――人が住んでいた。あるいは、しばらく留まっていた。


 奥の隅、床板がめくれかけた場所で、何かが引っかかった。


 レオンがしゃがみ込んで拾い上げたのは、布の切れ端だった。縁が焼け焦げ、端が裂けたそれには、見覚えのある刺繍がかすかに残っていた。


 ――双頭の獅子を模した意匠。ベリスカ王国軍が使用する正式な紋章によく似ている。


 レオンはその布をじっと見つめながら、拳をゆっくりと握った。


「……ベリスカ王国の……意図か。いや、少なくとも繋がっているのは確かだ」


 そのとき、部屋の奥でしゃがんでいたセリナが顔を上げる。鼻をひくつかせ、床を指でなぞるようにして確認していた彼女の目が鋭く細められた。


「焦げ跡と……血の匂い。薄いけど、残ってる。……ここで、誰かが処理された。生きてはいない、と思う」


 リリアが思わず口元を押さえ、青ざめた表情で一歩後ずさった。


「……どうして、こんなことを……」


 誰に向けられた言葉でもなく、ただ漏れ出た感情だった。

 部屋の空気が、重く、よどむ。


 ミリーは何も言わず、ただ布の切れ端に視線を注いでいた。その瞳は、不安と確信の狭間で揺れていた。


 レオンは立ち上がり、布を懐に収める。


 ここは通過点ではない。何かが行われ、そして何かが消された場所。


 まだ終わっていない。その奥に、さらなる闇が続いている――。


 レオンは、廃屋の奥に伸びる獣道を見据えた。歩む先に光はない。だが、それでも進まなければならない。




 廃屋の裏手は、鬱蒼と茂る低木と枯れ枝で覆われ、一見するとただの茂みのようにしか見えなかった。

 だが、セリナが地面に鼻を近づけ、静かに息を吸い込んだ瞬間、その奥に異なる気配を察知した。


「……ある。道、ある」


 レオンたちが声に導かれて近づくと、木々の間にわずかに踏み均された獣道のような細道が見えた。草は踏みつけられて土がむき出しになり、低い枝は鋭利な刃物で切られている。


「この道……向こう側に通じてる。風の匂いが違う」


 セリナが立ち上がり、森の奥に目を向けた。風に混じる土の香りが、それまでとはわずかに変化していた。


「何人も、通ってる。……一度じゃない。繰り返し」


 ミリーがその言葉に反応し、不安げに声を漏らす。


「向こうって……まさか、国境を?」


 サフィアは腰に手を当て、地形を確認するようにあたりを見回す。


「この森が続いている方角と高低差を考えれば……確かに、境界線を越える抜け道の可能性が高いわね」


 リリアがはっと顔を上げ、ミリーと目を見交わす。

 レオンは細道の入り口に立ち、土に刻まれた痕跡と、刈り取られた枝の切断面を見下ろした。誰かが、確実に意図を持ってこの道を使っている。


「だとすれば、これは重大な情報だ」


 声に力がこもる。


「王国法に触れる、越境誘拐……!」


 沈黙が広がった。誰も軽々しく口を開けなかった。

 目の前にあるのは、もはやただの森の道ではない。


 ――王国の掟を越え、命を弄ぶ者たちの通い路だった。


 レオンの拳が、無意識にわずかに震えた。だがその震えは恐れではなく、静かに煮えたぎる怒りによるものだった。


 やがて彼は、道の先に視線を向ける。


「進もう。この先に、奴らがいる」


 その一言が、仲間たちの背筋を伸ばした。覚悟は、すでにできている。




 細道の先は、再び林の中へと潜り込むように続いていた。

 低木が生い茂り、風さえも通り抜けできないような圧迫感。足元は次第に湿り気を帯び、わずかにぬかるみはじめていた。


 しばらく進んだ先、木々が切れたところに、苔に覆われた石積みの構造物が現れた。

 地面に半ば沈み込んだような四角い窪み。屋根は崩れ、正面の扉も引きちぎられたかのように壊れている。


「……隠し倉庫、か」


 レオンが低く呟き、剣を抜いたまま中へと踏み込む。中は暗く、土の匂いと焦げた臭気が混ざっていた。

 片隅には崩れかけた木箱、切れた鎖、焼け焦げた布の残骸。無造作に放置されたそれらは、長い時間が経過していることを物語っているが――そこに込められていた意図までは消えていなかった。


「これ……」


 リリアが小さく声を上げ、足元に散らばっていた板の一部を拾い上げる。その内側には、淡く光の痕跡が残る魔術式の模様。


「輸送用の魔封箱の残骸です。ギルドでも見たことがあります。……人や魔物を一時的に封じて、移送するための専用の箱……」


 その言葉に、ミリーの体がびくりと震えた。


「……ここで、誰かが……閉じ込められていた……?」


 かすれた声が静かな空間に落ちる。


 サフィアは無言で焼けた布に手を触れ、セリナは倉庫の隅に残る泥の層を見つめたまま動かない。

 レオンは、拾い上げた鎖の断片を手のひらで握った。冷たい金属の感触に、胸の奥がじわじわと熱を持っていく。


「奴らは……人を物として扱っていた」


 低く、押し殺した声だった。


「……許せることじゃない」


 握った鎖が軋む。だが、それを床へ静かに戻すと、レオンは一度だけ深く息を吐いた。


 ギルドの通達、村の証言、セリナの嗅覚、サフィアの魔力感知、リリアの知識。

 そして、ミリーの記憶が引き寄せたすべての点が、今この場所で線となり――一つの確信に変わった。


 レオンはゆっくりと立ち上がると、奥へと続く通路らしき影に視線を向けた。


「まだ終わっていない。……この先に、繋がっている」


 その声に、仲間たちは無言で頷いた。


 闇の道は、確かにここにあった。そして、それを暴く時が近づいていた。




 村の夜は静かだった。

 外の通りには人影ひとつなく、月明かりが淡く地面を照らしている。そのなかで、宿の一室にはかすかな灯りがともっていた。


 探索から戻ったレオンたちは、最低限の食事と休息を取り、再び地図と資料を囲んでいた。

 簡素な木机の上には、今日発見した抜け道の方角、廃屋の位置、倉庫の構造――あらゆる手がかりが記されている。


 レオンは椅子に座りながら、地図の一点を指でなぞった。そこには、今日発見した獣道の先、国境を越えた先の何かがあるはずだった。


「明日、再び森に入る」


 言葉は静かだったが、部屋の空気がすっと引き締まる。


「まだ確証はない。だが、もし――もし、あの道の先に誰かがいるのなら……放っておくことはできない」


 ミリーが息を呑み、目を伏せる。

 その肩に、そっと触れるような声が届いた。


「……レオン行くなら、行く」


 セリナだった。いつもと変わらぬ、短く静かな口調。だが、その瞳には揺るぎのない決意が宿っていた。


「危険だけど……私も賛成」


 サフィアが背筋を伸ばしながら言う。


「きっと、何かが待ってる。そして、それを見逃して帰るわけにはいかない」


 リリアも、隣で無言のまま頷いた。彼女の手元には今日拾った魔封箱の破片が置かれている。


 ミリーはゆっくりと顔を上げ、机に置かれた地図を見つめる。


「……行かせてください。私も……知りたいんです」


 その言葉に、レオンはしばし黙ったまま彼女を見つめ、やがて穏やかに頷いた。


「……分かった」


 レオンの視線が、仲間たちをひとりひとりと確かめていく。

 誰も、目を逸らさなかった。迷いも、不安も、ある。それでも、進む理由がある。だからこそ――選ぶのだ、この道を。


 レオンは立ち上がり、窓の外を見た。


 夜風が吹き抜ける。森の向こうに潜む闇が、こちらを見ている気がした。

 だが、恐れる必要はない。明日、その闇に、自らの意志で足を踏み入れるのだから。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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