第81話 残された痕跡
山間を抜けた先、小さな谷に抱かれるようにして、その村は静かに佇んでいた。
周囲を取り囲む低い木々と、所々苔むした石垣。街道沿いの村にしては、やけに沈んだ空気が流れている。煙は上がっていても、子どもの姿は見えず、家々の扉や窓も固く閉じられていた。
レオンたちの馬車が村の入口へと入ると、すでに待機していた男が一人、ゆっくりと歩み寄ってきた。
年の頃は五十を越えたあたりか。褐色に焼けた顔には深い皺が刻まれ、灰色が混じる短髪の下から鋭い眼差しが覗いている。村の古びた外套を身に纏い、手には曲がった杖を持っていた。
「遠路ご苦労だったな」
村長だった。ギルドから通達を受けていたらしく、すぐに名乗りを上げる。
「交易路の護衛と聞いていたと思うが……実際は、少し込み入っておってな」
馬車を降りたレオンは、軽く礼を返しながら問い返した。
「内容は、現地で説明を受けるということでしたが……何か問題でも?」
村長は一瞬言葉を選ぶように視線を落とし、そして低く答えた。
「――ああ。若い娘が、……人知れず消えるのだ」
その言葉に、馬車の後方から降りてきたサフィアとセリナの動きがわずかに止まった。リリアが怪訝そうに眉をひそめ、ミリーはそっと手を口元に当てる。
レオンの瞳が細くなる。
「誘拐、ですか? それとも、逃げたと?」
「……わからん。最初は駆け落ちか、村を出たがっていただけかと思っていた。だが、今ではもう四人目だ」
村長の声には苛立ちよりも、怯えのような響きがあった。
村は静かだった。だがその沈黙の奥には、確かに――何かが潜んでいる気配があった。
レオンは、ちらりと仲間たちの顔を見渡し、短く頷いた。
「案内をお願いします。まずは、話を詳しく聞かせてください」
村長は黙って背を向けると、ゆっくりと村の中へと歩き出した。その背に続く道の先に、何が待っているのか――それを知る術は、まだない。
村の空は重かった。曇天の下、色を失った家並みと無言の人影が、空気そのものを沈ませているようだった。
レオンたちは三手に分かれて、村人たちから事情を探りはじめていた。
レオンはリリアとともに、村の奥手へと歩く。家々の軒先を訪ね、礼を尽くして声をかけるが、返ってくるのは遠回しな言葉か、かすかな頭の下げだけ。表情の読めない瞳ばかりがこちらを見返してくる。
「……この村、何かを隠してる」
リリアがぽつりと漏らしたその言葉に、レオンは無言で頷いた。
村の一角、木塀の隅に腰かけた一人の老婆が目に入る。背を丸め、編み物をする手も鈍く、ただ虚ろに空を見ていた。
レオンが軽く礼をして声をかけると、老婆はその手を止め、ぼそりと呟いた。
「……あの道だよ。あの夜も、黒い馬車が通った……音だけだったけどね……」
レオンは膝を折って視線を合わせる。
「その馬車は、どちらへ向かっていましたか?」
老婆の目は虚ろなまま、遠くを見ながら答える。
「東の林の奥だよ。あっちはもう、ろくに人も通らんのにねえ……」
その言葉に、レオンの背筋が冷たくなった。
――夜の馬車。人気のない林。
重なる点が、またひとつ。
立ち上がったレオンは、礼を述べてその場を離れる。リリアも沈黙したままついてくる。
二人が道を折れ、畑のそばを通りかかったとき、不意に低い声が背中に届いた。
「……あんたら、真面目に調べてるみたいだな」
振り向けば、鍬を傍らに置いた若い男が、木陰に腰を下ろしていた。麦藁帽子を深くかぶり、顔は半ば影に隠れている。
レオンは一歩近づき、少し身を乗り出すようにして問い返した。
「何か、知っているのか?」
男は周囲をちらっと見渡し、肩をすくめるようにして言った。
「……あんたら、知らないのか? この辺り、表じゃ違法だが……娘を売る親もいる。……食っていけないからさ」
リリアが思わず息を呑んだ。
「そんな……! 王国では奴隷制度は廃止されてるはず……!」
「……ああ、表向きはな。でも買う連中はいる。裏組織だよ。馬車で夜中に迎えに来る――それで、終わりさ」
レオンの手が、ゆっくりと拳を握った。
(売られた? ……そういう連中が、この国にまだ……)
怒りではない。だが、胃の奥に冷たい鉄のようなものが沈む感覚。そうだ――これは、ただの護衛任務なんかじゃない。
村が黙っていたのは、恐怖のせいだけではない。もうすでに誰かがこの闇と通じている。
レオンは静かに、目を細めた。その先にある闇が、少しずつ形を取りはじめていた。
◆◇◆◇
村の中央を流れる細い水路のそばで、ミリーは足を止めた。
通りを挟んだ先、腰を下ろして遊んでいた三人の少年たちの会話が、ふと耳に入ったからだ。
「だから言っただろ、馬車に乗ってたんだよ」
「うそだよ。あれは夜だったし……お前、見間違えたんじゃないの?」
「ほんとだって! だって泣いてたもん、お姉ちゃん!」
ミリーは思わず近づき、しゃがみ込んで声をかける。
「ごめんなさい、少しだけ聞いてもいいですか?」
少年たちは一瞬驚いた顔を見せたが、ミリーの穏やかな表情にほっとしたようにうなずいた。
「さっき言ってた『お姉ちゃん』って……誰のこと?」
一人の少年が手のひらで目をこすりながら答えた。
「えっと……前の週の夜だったかな。見たことない服着てたけど、泣いてて……馬車に乗せられてたんだ」
ミリーの表情が凍りついた。指先がわずかに震える。
「その子……髪の色とか、わかりますか?」
「うーん……暗かったけど……栗色っぽかったような、そんな感じだったと思う」
ざわり、と胸の奥が波立った。記憶の底に、言葉では形容できない感覚が揺らめく。誰かの声、誰かの手、誰かの涙――。
「ミリー」
すぐ隣で、セリナの声がした。
いつの間にか戻ってきていた彼女は、じっとミリーの顔を見つめている。金の瞳がわずかに細められた。
「……匂い、変わった。……思い出す?」
ミリーは震える息を一度飲み込み、ゆっくりと首を振る。
「……まだ、全部じゃない。でも……心が、ざわざわするんです」
セリナはそれ以上は問わなかった。ただそっと肩を貸すように寄り添い、ミリーの歩調に合わせて一歩、また一歩と歩き出す。
夕暮れの空が、村の屋根の向こうへと沈んでいく。その下で、微かな記憶と予感が、静かに一つに重なろうとしていた。
◆◇◆◇
夕暮れ時。
日が西の山に沈みかけたころ、村の門の前に一騎の馬が現れた。
細身の男が鞍から降り、埃を払ってレオンたちのもとへと急ぐ。背負ったギルド印入りの鞄と、胸元の銀の証。ギルドの使者であることは一目で分かった。
村長の許可を得て案内された納屋の裏手で、使者は周囲を確認してから口を開く。
「任務中、失礼します。王都からの正式な命ではありませんが、ギルド本部より補足通達が届きました」
レオンは軽く顎を引き、使者に続きを促す。
「……今回の任務、表向きは『交易路の巡回と護衛』。だが、実質は極秘調査です」
やはり――そうか。
サフィアが腕を組みながら、目を細める。
「つまり、護衛任務に見せかけて、調査に入らせたと……」
使者は無言で頷き、鞄の中から簡易な地図を取り出す。そこには周辺の村々が赤い印で示されていた。
「ギルド内でも確証は掴めていない。だがこの地域では、若い女性の失踪が密かに続いている。複数の村で、類似の報告が上がっているんです」
リリアが小さく息を呑み、ミリーは手を胸元に置いたまま動きを止める。
セリナは視線を逸らさず、黙ったまま耳を傾けていた。
レオンは一歩、使者の前に出る。
「……これまでの動きは?」
「いくつかの村に調査員が入ったが、表立った成果は上がっていません。裏組織と繋がっているという噂はありますが、決定的な証拠がない。下手に動けば、情報源ごと潰される可能性が高い」
「それで、護衛任務に偽装して俺たちを送った……そういうことか」
レオンの声は低かったが、怒りは含まれていなかった。むしろ、何かを確信したような静けさがあった。
そして――短く頷く。
「それでいい。俺たちはすでに動いている。続けよう」
その言葉に、使者は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに頭を下げた。
「ご武運を。……くれぐれも、お気をつけて」
レオンは仲間たちの方を振り返り、一人ひとりの目を見る。
誰も言葉は返さなかった。だが、その視線には覚悟が宿っていた。
――名ばかりの護衛など、最初からやるつもりはない。行く先に待っているのが闇であっても、そこに手を伸ばすのが、自分たちの役目なのだから。
村のはずれにある、小さな宿の一室。
壁は薄く、床板は軋むが、囲炉裏の余熱がほんのりと室内を温めていた。明かり代わりの油灯が揺れ、壁に伸びる影が静かに揺らめいている。
その中央、粗末な木机を囲んで、レオンたちは地図と記録を広げていた。
「……夜道。馬車は、東の林へ向かってる。古道がある」
セリナが鼻をひくつかせながら、地図上の一点を指す。指先は村を出て東へ伸びる林道、そのさらに奥――地図にもかろうじて記されているだけの、細い破線の上に置かれた。
「昨日の雨の後、土の匂いが変わってた。……木炭の残り香も。火を使ったか、焚き火か、あるいは……」
サフィアが続けて、机に置いた自作の魔力検知板を指でなぞる。淡く反応している小さな箇所が、彼女の見つけた痕跡だった。
「魔力痕跡は薄いけど、確かに何か術が使われた形跡があるわ。抑制系か、遮蔽系……いずれにせよ、隠そうとしていた何かがあった」
リリアが紙束をめくりながら、まとめるように言葉を重ねた。
「農夫の話、ギルドの通達、村での証言……全部を合わせると、やっぱり消えた娘たちは連れて行かれた可能性が高いです。それも、おそらくあの林の奥へ」
部屋の空気が重くなる。誰もがその結論をわかっていたが、言葉にされることで現実味が増していく。
レオンはしばし地図を見つめたあと、短く頷いた。
「森の奥が怪しいな。明日はそこに向かおう」
誰も異を唱えなかった。
光の届かぬ場所で、何が起きているのか。それを突き止めるために――彼らは、進むしかない。
◆◇◆◇
夜はすっかり更けていた。
宿の部屋には仲間たちの静かな寝息がかすかに響き、灯りを落とした空間はぬるく沈黙している。
その一角、窓辺に佇む影がひとつ。
ミリーは薄い肩掛けを羽織ったまま、窓をわずかに開けていた。そこから入る夜風はひんやりとしていたが、不思議と冷たくはなかった。
目の前に広がるのは、透き通るような星空。無数の光が天を埋め尽くし、まるで何かを見守るように瞬いている。
ミリーはその光に向かって、そっと名を呼んだ。
「……リゼット……」
風に乗って溶けていくような、小さな声。
彼女は胸元に手を添え、微かに震えるその鼓動を感じる。
「あなたが一緒にいた、あの夜のこと……わたし、思い出したの」
優しい手のぬくもり。守られていた日々の静けさ。
けれど、あの夜――混乱と恐怖の中で、何も言えず、ただ手を伸ばして、届かなくて。
連れていかれようとするリゼットは、最後まで私を気遣ってくれた。そして、あの時を最後に彼女の姿はもう見えなくなった。
ミリーはそっと目を伏せ、震える唇から小さく、けれど強い声で呟く。
「……あなたがどこにいても、必ず迎えに行きます」
その言葉には、迷いなどひとつもなかった。
細く繋がった記憶の糸が、確かに導いている。
今も、どこかで――あの人が、自分の名を呼んでいる気がする。
だからもう、俯かない。怯えない。取り戻す。大切なものを。自分自身の誇りを。
ミリーは夜空から目を逸らさず、静かに拳を握った。
次の夜は――きっと、進む先にある。
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