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第80話 国境への道

 ローデンブルグの朝は冷たい風が吹いていた。防壁の上にかかる薄雲が、国境の町としての静かな緊張感を空に映している。


 宿の前では、レオンたちが手際よく出発の支度を整えていた。馬車の荷台にまとめられた木箱と袋が順に積み込まれ、セリナは手綱を確認しながら、馬の足元に目をやっている。


「……道、整備はされてる。でも油断しない」


 レオンは頷きながら、後方から積み込み状況を確認する。旅慣れた行動の中にも、どこか全員の動きに張り詰めた空気があった。目的地が国境沿い――それだけで、普段の依頼とは違う。

 サフィアが地図の巻物を手に、馬車の横から顔を出す。


「今回は東の街道沿いを抜けて国境寄りの峠道に入るわ。その辺りは魔物も少しは活発でしょうね。特に朝夕は……」

「了解」


 短く返したセリナは、馬の腹帯を締め直し、鼻先を軽く撫でていた。


 その様子を見ていたミリーが、ふっと小さく深呼吸する。

 彼女の顔には、いつもより少しだけ引き締まった表情が浮かんでいた。指先は微かに震えていたが、それを抑えることなく、胸の前でそっと両手を組んでいる。


「わたしも……がんばります。少しでも、役に立てるように」


 その声に、セリナがちらりと視線を向けた。だが、すぐに前を向いたまま、短く言葉を返す。


「……無理しないで。力、使えるなら、なおさら」

「はい」


 ミリーは素直に頷き、口元にほんのわずかな笑みを浮かべた。

 記憶の一部が戻ったことで、彼女はこれまでに学んだ魔法――詠唱を伴う、回復や支援補助に使える術式――を思い出していた。


 それをレオンに話したとき、彼は迷うことなくこう言ったのだ。


「じゃあ、次の旅で試してみようか」


 その一言が、彼女の背を押していた。

 レオンはミリーのすぐそばまで歩み寄り、少しだけ肩を寄せて声をかけた。


「焦らなくていい。……仲間が隣にいるってことだけ、忘れなければな」


 はっとしたようにミリーが顔を上げる。その目には、緊張の奥に小さくとも確かな意志の光が宿っていた。


「……はい」


 その返事に、もう迷いはなかった。


 馬車の荷積みが終わると、レオンは御者台に乗り、宿の主人に軽く会釈する。

 セリナたちもそれぞれ馬車へと乗り込み、石畳を転がる車輪の音とともに、ローデンブルグの門を目指した。




 ローデンブルグを発って数時間。

 馬車は東の街道を進み、周囲にはなだらかな丘と一面に広がる草原が連なっていた。気持ちの良い爽やかな風が背後から吹き、車輪が乾いた土を転がる音が穏やかに続いている。


 御者台にはサフィアが座り、遠くを見ながら魔力の流れと風の気配を探っていた。セリナは荷台の後方で尾をたゆたわせながら、視線を常に周囲へと巡らせている。


 旅路の中では珍しく、空は晴れ渡り、外敵の気配もない。そんな穏やかな午後の時間を、馬車の中にいる者たちはそれぞれに過ごしていた。


「はーい、おやつの時間ですよー!」


 明るい声と共に、リリアが布包みを広げる。中には手作りの麦団子が並び、その中に干し果実と柔らかく溶けたチーズが詰められていた。


「はい、干し果実とチーズを詰めた麦団子です! ちょっと潰れちゃいましたけど……どうぞ!」


 手渡されたミリーは、少し遠慮がちに受け取る。


「……いただきます。……ん、ふふ、温かい味……」


 どこかほっとしたような声音に、リリアも満足げに頷いた。


「そう言ってもらえると、頑張ったかいがあります!」


 レオンはその様子を横目に見ながら、手元の地図を広げる。古びた羊皮紙の端を押さえながら、馬車の揺れに合わせて細かく位置を確認する。


「あと半日ってところか。途中で一泊できる宿場町があるから、今日はそこで休もう」

「分かったわ」


 御者席から、サフィアの落ち着いた声が返ってくる。

 その横では、ミリーが少しぎこちない手つきで同じ地図を覗き込み、自分なりに現在地を確認しようとしていた。


「えっと……ここがさっき通った分かれ道……で、たぶん、こっちに曲がったから……」


 指を動かしながら、ひとつひとつ確認する姿は不器用ながらも真剣で、隣に座っていたリリアがそっと応援するように笑みを向ける。


「うんうん、合ってるよ。ミリー、地図読むの上手くなってきたね」

「……ほんとですか? よかった……」


 ミリーの頬がほんのり赤くなり、再び地図に視線を落とす。その横でレオンは微笑みを浮かべ、再び視線を前へと向けた。


 ゆるやかな丘を越えた先に、旅の夜が待っている。

 だが今はまだ、その柔らかな陽射しと、穏やかな午後の時間を――静かに進んでいく、馬車の揺れに預けていた。




 馬車の車輪が小さく跳ねた瞬間――不意に、風が変わった。

 乾いた空気に混じって、獣の気配。次の瞬間、道脇の藪が音を立てて弾け飛び、黒い影が飛び出した。


「ッ……来たか!」


 レオンが地図を押し込みながら立ち上がり、腰の剣を抜く。その刃が陽を受けて煌めいたのとほぼ同時、馬車の左側から三体の魔狼が疾駆してくる。牙を剥き、喉を鳴らしながら迫ってくる動きは、まさしく狩りのそれだった。


「五体。左、三体引きつける!」


 セリナが先に飛び出した。地面を蹴る音すら軽やかに、片手の短剣が鮮やかな弧を描き、最前の魔狼の喉元を切り裂く。

 もう一体が飛びかかろうとする瞬間、風が鋭く裂けた。


「空を裂く刃よ、我が敵を刻め――《エアカッター》!」


 サフィアの詠唱とともに、風の刃が一直線に突き抜け、右側から回り込もうとしていた魔狼を叩き落とす。

 しかし――。


「……あっ、後ろからも来てます!」


 ミリーの叫びが響いた。馬車の後部から、さらに二体が現れ、ぐるりと挟み込むように展開していた。

 レオンは馬車の脇に飛び降り、後方の狼を睨み据えた。


「よく見てた! 下がって、ミリーは安全確保に集中だ!」


 剣を振り下ろし、一体の魔狼の肩口を斬り裂く。激しく跳ねる血飛沫。後方に控えていたリリアが叫びかけるが、それを遮るようにミリーが前へ出た。

 震える手を胸の前に掲げ、小さく、しかしはっきりと口を開く。


「聖なる守りよ、罪なき者の身を包みて守れ――《プロテクション・シェル》!」


 淡い光が走り、ミリーとリリアの周囲に小さな結界が展開された。目に見えるほど強固なものではないが、咄嗟の攻撃を受け流すには十分な護り。


「……すごい……守られてる、わたし」


 リリアの呟きに、ミリーは小さく、だが確かに頷いた。

 魔狼の一体がなお突っ込んでくる。


「下がれッ!」


 レオンが間に割って入り、振るわれた刃が魔狼の動きを断ち切った。跳ね飛ぶようにして後退した魔狼が、呻くように唸ってから、草むらの奥へと逃げていく。


 その背を見送りながら、レオンは剣を構え直した。


「――まだ終わってない。全員、注意を緩めるな!」


 風が再び静かになった。が、その静けさは、決して安堵のそれではなかった。

 丘を越えたその先に、さらなる脅威が潜んでいる可能性がある。


 レオンは前を見据えたまま、剣を握る手に力を込めた。




 陽が沈む頃、レオンたちは街道沿いの小さな宿場町に辿り着いた。

 宿と呼ぶには質素な一軒家で、旅籠というよりも農家の離れのような造りだったが、屋根は雨風をしのぎ、簡素ながら温かな夕食を提供してくれる。

 囲炉裏を囲む形で据えられた木製の食卓に、五人は並んで座っていた。湯気の立つ雑穀入りのスープと、野菜と干し肉の煮付け、それに焼いたパンが籠に盛られている。


 ミリーはスプーンを握る手がどこかぎこちないまま、慎重にスープを口に運んでいた。頬には疲労の色が濃く、肩もわずかに下がっている。

 それでも――時折見せる視線の奥には、小さく灯る自信の光があった。


 それを見逃すはずもなく、レオンは穏やかな口調で声をかける。


「無事でなによりだ。ミリー、今日は……よくやったな」


 ミリーはぱちりと目を瞬かせたあと、顔を赤らめて視線を逸らした。


「そ、そんな……ほんの少し、見えただけで……」

「その少しが命を分けるのよ」


 サフィアが静かに言葉を添える。

 カップを手にしながらも、その声にはいつもより柔らかい温度があった。


「焦らず、積み重ねていけばいいわ。魔法も、判断も、どちらもね」

「うんうん!」


 元気よくリリアが相槌を打つ。


「ミリーの魔法、すごかったです! 私、あの光に包まれた時、ほんとに守られてるって感じました」


 ミリーは顔をさらに赤くしながら、嬉しそうに小さく笑った。


「……ありがとうございます。少しでも、役に立てて……よかったです」


 セリナは何も言わず、スープの器を傾けたままだったが、その耳がわずかにぴくりと揺れたのをレオンは見逃さなかった。彼女なりの同意の仕草だったのだろう。


 囲炉裏の火が、ぱち、と音を立ててはぜた。


 旅はまだ半ば。だが、こうして一人ひとりが役目を果たし、支え合いながら進んでいく。

 それが仲間というものだと、レオンは改めて実感していた。


 温かな空気と、明日への静かな決意を胸に、夜はゆっくりと更けていく。



 ◆◇◆◇

 夜風が吹き抜けるたび、桶湯の水面がわずかに揺れる。

 宿場町の簡素な宿――その裏手に設けられた、木板で囲まれた小さな湯場。風呂と呼ぶにはほど遠いが、それでも旅の疲れを拭い、身体を清めるには十分な温もりがあった。


 ミリーは大きな木桶の縁に腰を下ろし、白い湯気が昇る中で浴巾を絞る。肌寒い空気の中、湯の温かさがまだじんわりと皮膚に残っている。


「こうしてお湯を使えるだけでも、ありがたいですね……」


 恥ずかしげに笑いながらそう呟くと、隣で髪をまとめていたリリアが頷いた。


「ええ、でも風が冷たくてすぐ冷えちゃうね。ほら、髪まだ濡れてるよ」


 リリアの指先がふわりとミリーの濡れた髪をつまむ。慌ててミリーはタオルを取り、頭を押さえるように拭いはじめた。


「……ごめんなさい、慣れてなくて」


 タオルの下から漏れる声には、どこか申し訳なさと照れが混ざっていた。

 リリアはそんな彼女を見ながら、優しく笑う。


「大丈夫。私も最初はぎこちなかったんだから。こういう宿場町の桶湯を使うのって、ここ最近になってからだし……」

「……リリアさんでも、ですか?」

「もちろん。旅って、思ったよりずっと泥だらけになるし、髪もすぐごわごわになるし……でもね」


 リリアはふと目を細め、星空の方を見上げた。


「それでも、今日みたいに誰かと一緒に『ああ、疲れたね』って言い合える夜があると、それだけでちょっと救われる気がするの」


 ミリーは、ふと動きを止める。手の中のタオルはまだ湿っていたが、それでもどこか温かかった。


「……はい。わたしも、そう思います」


 そう言って微笑んだミリーの髪から、一滴の水がぽたりと落ちる。

 夜の空気は冷たいが、二人の間に流れるものは静かで、穏やかだった。


 明日もまた、厳しい旅路が待っているかもしれない。けれど――いまこのひとときが、たしかに彼女たちを繋いでいた。



 ◆◇◆◇

 宿の部屋は静かだった。

 壁の厚みは薄く、外を吹く風がわずかに木枠を軋ませている。寝息も聞こえず、隣室の音もない。まるで世界が息を潜めているようだった。


 レオンは一人、窓辺に立っていた。

 半開きの窓からは、ひやりとした夜気が流れ込み、頬をかすめる。それでも彼はその冷たさを拒まず、両手を窓枠に添えて、じっと夜空を見上げていた。


 漆黒の空に、星がいくつも浮かんでいる。まばらに、だが確かに、そこに在る光。


 ――交易路。

 ――ベリスカとの国境。

 ――巡回。


 ひとつひとつの単語が、脳裏に静かに浮かんでは重なり、沈んでいく。

 どれも断片。偶然と言われれば、それまでの話だ。

 だが、どうしてもその中に「意図」を感じてしまうのは、ただの勘ではない。


 レオンは目を細めた。


(……国境、交易、巡回……偶然か? それとも……必然か?)


 依頼主の名は伏せられ、巡回路は曖昧。

 だが、危険の予感だけは確かに存在していた。


(……俺たちに何かを見せたいのか。はたまた、探させたいのか……)


 小さく目を伏せる。指先に力がこもり、窓枠のざらつきが掌に伝わってくる。


 下調べをしていた誰かがいる。

 レオンたちが依頼を選ぶのを待っていたような気配。

 そして今、彼らは確かにその道を選び、動き始めてしまった。


 ――意図か、偶然か。


 どちらにせよ、流れはすでに生まれている。


 星の光が、彼の瞳に映る。その奥には、研ぎ澄まされた静かな闘志が宿っていた。


 ……始まっている。


 レオンはゆっくりと目を閉じ、深く息を吐いた。明日、その先に何が待つのか――それを見極めるために。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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