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第79話 繋がる糸

 朝の領主館。曇り空の下、澄んだ空気が庭先の草花に薄く露を残していた。石畳の中庭には馬車が一台、既に荷を積み終え、いつでも出発できる状態で待機している。


 屋内では朝食の席を終えたばかりの一同が、広間の奥の扉を背に並んでいた。

 レオンは深く一礼すると、静かに口を開いた。


「このたびのご厚意、心より感謝申し上げます。閣下、エリザベート様。次にお会いする日を、楽しみにしております」


 いつものように背筋をまっすぐ伸ばしながらも、言葉にはどこか名残惜しさが滲んでいた。

 その隣では、セリナが無言で軽く頭を下げている。銀色の耳が少し震えていたのは、風のせいだけではなかったかもしれない。


 そして、ミリーが一歩前へ出る。

 軽装の冒険者服に身を包んだ彼女は、これまでよりも明瞭な所作で腰を折り、礼をした。


「本当に……ありがとうございました」


 声は小さく、だが確かに響いていた。

 その姿を見て、エリザベートはふんわりと微笑んだ。

 今日の彼女は水色の上着に白いレースのついたスカートという装いで、季節の移ろいを映したかのような柔らかな雰囲気を纏っている。


「またお会いできるのを、楽しみにしておりますわ。レオン様、そして……皆様も」


 レオンの隣で、ミリーが小さく、けれども穏やかに微笑む。


「はい……必ず、また……」


 名乗りこそ控えているが、エリザベートの視線には何かを見抜いたような、やさしい眼差しがあった。


「ふむ」


 立ち上がったグスタフが一歩前へ出る。武人然とした体格に、黒い礼服がよく似合っていた。


「道中、気をつけたまえ。君たちなら、任せて安心だ。……何かあれば、ローデンブルグを訪ねるといい」

「心強いお言葉、感謝します」


 レオンはそう応えながら、グスタフと固く握手を交わす。

 その手を離すと、グスタフはふと、サフィアの方に視線を向けた。

 深いフードの影に隠れていた彼女の顔を、鋭い灰色の眼差しがしっかりと捉える。


「……君が、魔術の支援をしていたと聞いた。王宮にいた者の身のこなしだな」


 一瞬、空気が張りつめた。だがサフィアは、怯まず前に出て、一礼する。


「面識はございませんが……王都では、魔術の研鑽を積んでおりました。今はただ、旅の一行として力を尽くすのみです」

「ほう、そうか……」


 グスタフは顎を撫でながら目を細め、興味深そうに彼女を見やった。


「ならば、レオンのそばにいてやってくれ。君のような者が支えているなら……心強い限りだ」


 サフィアの視線が一瞬、レオンの背中に向けられた。

 そして――静かに微笑む。


「……もちろんです。彼の力になれるよう、尽くします」


 その表情は、フードの奥でも確かに見て取れた。グスタフの表情も、それに応えるようにわずかに緩んでいた。


 最後にエリザベートが、ミリーの手を軽く握った。


「どうか、無理なさらないでくださいませ。……でも、少しずつ、ご自身を信じて」

「……はい」


 馬車の前に立ったレオンが手綱を確認し、一同に軽く頷く。


「じゃあ、行こう」


 セリナが無言で馬車に乗り込み、その後ろを追うようにミリー、リリア、そして最後にサフィアが静かに乗り込む。

 全員が乗ったのを確認し、レオンは御者台へと登り、手綱を握った。


 軽く馬を叩くと、車輪がきしみを上げて動き出す。馬車はゆっくりと領主館の門をくぐり、静かに出発した。




 領主館を後にした馬車は、午前のうちにローデンブルグの市街地に入った。

 街の中心へ近づくにつれ、石造りの建物が並ぶ通りは賑わいを増し、行き交う人々の服装も多様になっていく。商人、旅人、冒険者、衛兵。都市としての顔を色濃く感じさせる活気がそこにあった。


 馬車は市街の外れにある馬車宿へと入った。郊外とはいえ、石垣に囲まれた小綺麗な施設で、旅の荷を一旦下ろすには申し分ない。レオンは馬を預けると、馬車の荷台を点検しながら周囲をざっと見渡した。


「宿は……領主館の執事が勧めてくれた場所にしよう。確か、中央通りの近くだったな」


 荷を手分けして担ぐと、一行は市街地の中心部へ向けて歩き出す。

 目指すのは、中央広場の手前にある三階建ての石造りの宿屋。高級すぎず、だが品のある佇まいで、旅の冒険者にも貴族の使者にも対応できる柔軟さを備えていると聞いていた。


 午前中のうちに宿に到着した彼らは、空き部屋を確認しようと受付に近づく。

 受付に立っていたのは、歳の近そうな青年だった。丁寧な口調で挨拶を交わし、レオンが人数と滞在希望を伝えると、彼は帳簿をめくりながら少し困ったように眉を寄せた。


「現在、五人部屋の空きはなく……二人部屋と三人部屋でのご案内となりますが、よろしいでしょうか?」


 一瞬の沈黙のあと、セリナが静かに口を開いた。


「……ミリー。今日、あなたがレオンと一緒。二人部屋、使って」


 穏やかな口調だった。ミリーが戸惑ってセリナを見つめると、彼女は柔らかく目を細めた。


「……ミリーは、レオンと一緒の方が安心できる。そう思っただけ」


 それにすかさず、リリアが声を上げた。


「うん、それいいかも。私たち三人なら、なんとかなるよね?」

「ええ。女三人、今夜は静かにおしゃべりでも」とサフィアも微笑を添える。


 ミリーは視線を揺らしながら、小さく頷いた。


「でも……わたしなんかが、いいんでしょうか……?」


 レオンはそんな彼女に向き直り、優しく尋ねる。


「ミリー。嫌なら無理にとは言わない。でも……一緒の方が安心できるなら、俺は歓迎するよ」


 しばしの沈黙。やがてミリーは、耳まで赤く染めながら、そっと目を合わせた。


「……はい。レオンさんと一緒なら、安心……です」


 それを聞いたセリナは、小さくうなずいて鍵を受付から受け取り、ミリーの手にそっと渡した。


「じゃあ、お願い。……大丈夫。レオンとなら安心して眠れる」


 その声には、やわらかな思いやりがにじんでいた。


 一行は二つの鍵を手にし、それぞれの部屋へと向かって階段を上がっていった。


 二階の廊下に並ぶ扉の前で、二組に分かれて鍵を回す。

 ミリーは緊張した面持ちのまま、手にした鍵を差し込み、扉を開けた。


 中は清潔な木目調の内装に、大きめのベッドがひとつ。窓際に小さな机と椅子があり、壁には旅人向けの棚や荷物掛けも整っている。


「……きれいなお部屋……」


 ミリーが思わず口にすると、レオンは淡く笑いながら荷物を床に下ろす。


「……こういう宿の空気も、悪くないな」


 隣の三人部屋からは、リリアの「こっちもいい感じ〜!」という声が漏れてくる。

 セリナは荷物を机に置いたあと、すぐにベッドの硬さを確かめているようだった。


「ふふ、セリナさん、毛並みがふわふわだから布団の柔らかさなんて関係なさそうなのに」


 リリアの言葉に、「うるさい」とそっけなく返す声が聞こえた。

 そんなやりとりにくすりと笑いながら、レオンは窓辺に視線を向けた。


 日はまだ高く、街はこれからが本格的に動き出す時間帯だ。

 再び一階へと降りた一行は、宿の前で自然と輪になった。


「午後は行動を分けよう。俺、ミリー、リリアの三人でギルドに報告。セリナとサフィアは、市場の確認と買い出しを頼めるか?」


 レオンが口を開き、そう提案した。

 サフィアは軽く頷き、セリナと顔を見合わせる。


「食料品と日用品、魔導具の店もいくつか回ってみるわ」

「……布と保存食、忘れないで」


 セリナは小さく確認するように言いながら、腰のポーチを叩いた。

 そんな中、リリアがふと、街路の向こうに広がる石造りの町並みに目をやる。


「それにしても、ローデンブルグって、思ったよりずっと綺麗な街なんだね。ちょっと緊張しちゃうくらい」


 ミリーも同じように視線を巡らせながら、頷いた。


「はい……建物も人も、すごくきれいで賑やかで……。どこを見ても目移りしちゃいそうです」


 その様子を見ていたレオンが、穏やかに笑みを浮かべる。


「国境を守る要の街だけど、見た目は意外と整ってるだろ? 防衛拠点って言うと、もっと無骨な場所を想像するかもしれないけど……ここは、領民の暮らしもきちんと守られてる」

「たしかに……防衛拠点って、もっと兵士だらけかと思ってた」


 リリアがそう言って笑うと、サフィアがその横でふっと微笑んだ。


「北側の門の方に行けば、それっぽい雰囲気が味わえるかもね。駐屯地や演習場もそっちに集まってるらしいから」

「わ、ちょっと見てみたいかも。あとで寄り道しようよ、ミリー!」


 突然話を振られたミリーが戸惑いつつも、小さく笑みを浮かべる。


「……はい。リリアさんが一緒なら、きっと楽しいです」


 レオンは二人を見守るように頷いている。


 こうして二手に分かれた一行は、それぞれの目的地へ向けて歩き出した。


 午前の陽射しに照らされたローデンブルグの街が、まるで何かを歓迎するかのように、その喧騒と活気を広げていた。




 ローデンブルグの冒険者ギルドは、領都の南寄りに位置する大通り沿いの建物だ。城壁を意識したような重厚な石造りの二階建てで、裏手には訓練用の広場も備わっている。


 レオン、リリア、ミリーの三人は、正面の扉をくぐって中へ入った。

 ギルド内は昼前にもかかわらず、既に十数人の冒険者が受付や掲示板前で立ち話をしており、どこか慌ただしい空気が流れている。


 レオンは受付カウンターの端にいた中年の男性職員に声をかけ、前日の遺跡調査の完了報告を行った。必要な書類を提示し、あとは所定の報酬と手続きの確認のみ。

 それらを済ませたあと、リリアが手慣れた動きで依頼掲示板の前に立ち、しばらく掲示内容を眺めてから何枚かを抜き取って持ってくる。


「推薦ランクに見合う依頼の中から、比較的早めに対応できそうなのをいくつか選んできました」


 手渡された依頼書をレオンは順に目を通す。いずれも、街道の安全確保や物資の護衛、魔物の掃討といった内容で、危険度は中程度といったところだ。

 だが、その中に――一枚だけ、奇妙に浮いているものがあった。


「ベリスカとの国境沿いの交易路にて、特定の巡回と護衛」


 日付は最近、場所の詳細な記載は無し。依頼主の名も伏せられている。


「……これは、少し妙ですね」


 リリアが紙を覗き込みながら、眉をひそめた。


「依頼主が明かされていません。通常、こういった護衛系の依頼は、出発地か発注者が明確であるべきなのに……これは曖昧すぎます」


 レオンは紙を手にしたまま、軽く頭を振った。


「国境沿いの交易路……場所が漠然としてる。ミリー、なにか心当たりは?」


 ミリーは少しの間目を伏せてから、首を横に振った。


「……いいえ。でも……なぜか、胸がざわざわするんです。嫌な感じがして……」


 その言葉に、レオンは視線を落とし、再び依頼書を見つめた。紙の端を軽く指でなぞりながら、口元を引き結ぶ。


「――受けよう。この依頼、放っておけない気がする」


 リリアが驚いたように目を見開いたが、すぐにその決意を察して、うなずいた。


「わかりました。準備は早めに整えておきます。日程は……早ければ明後日出発ですね」


 ミリーも一歩下がって、レオンの隣で静かに言った。


「……わたしも、頑張ります」


 レオンはふたりの顔を見渡し、確かめるようにうなずいた。


 交易でもなく、観光でもなく。これは――防衛の最前線を見に行く旅になる。


 そして彼の直感は、今までも何度も正しかった。


 彼は依頼書を強く握りしめ、受付へと向かうのであった。



 ◆◇◆◇

 受付の奥、関係者しか立ち入れない裏手の文書室。その一角、分厚い依頼記録の棚を前に、リリアは一人、束ねられた帳簿の山に向き合っていた。

 騒がしいギルドの表とは打って変わって、ここは静寂と紙の匂いに包まれている。リリアの目は鋭く、指先は迷いなく古い依頼の束をめくっていく。


 ──気になる。

 あの曖昧な護衛依頼、そして依頼主不明という不自然な構成。


 彼女は、専属受付嬢としての特権を使い、過去の記録へと潜っていた。

 やがて、数冊目の帳簿を開いたとき、その中に埋もれていた数枚の依頼書の写しが目に留まった。

 場所は違う。名義も異なる。だが――。


「……出た」


 紙を抜き取り、順に目を通していく。



 ◆◇◆◇

 戻ってきた彼女は、ギルドの外に出ていたレオンのもとへと歩み寄り、手にした資料を差し出した。


「やっぱり、似た依頼……あるんです。対象地も交易路も少しずつ違うけど、主旨は同じ」


 レオンは手渡された資料の束を目を細めながら眺めた。文章の調子、形式、曖昧な地名の記載方法――意図的な共通点があった。


「ここ、一ヶ月の間に三件。同じような国境沿いの交易路での護衛依頼。どれも詳細は曖昧で、依頼主の名は伏せられたまま」


 彼は唇をわずかに引き結ぶと、ぽつりと呟いた。


「点が線になる――そういうことか。これは、動いてるな。誰かが」


 ミリーが小さく息を呑み、レオンの隣に寄り添うように立つ。


「……何か……起こるんでしょうか……?」


 レオンは、ミリーの不安げな声に対して、迷いなく言い切った。


「起きる前に、止める。それが俺たちの役目だ」


 その言葉に、リリアの目が静かに光を宿す。

 ミリーもまた、ぎゅっと拳を握りしめ、うなずいた。


 表に見えている情報はわずかでも、裏で動く糸がある。それを切る覚悟を、今――レオンは持っていた。




 ローデンブルグの夜は静かだった。

 防衛の都らしく、日が落ちれば商いも早々に店を閉じ、門番と見回りの衛兵の姿が目立つ。宿の食堂も、客の声がまばらに響く程度で、外の喧騒はほとんど届かない。


 五人で囲む夕食は、野菜と肉を煮込んだスープに、温かい黒パンと干し果物を添えた簡素なものだった。だが、それでも誰一人文句を言わなかった。旅の合間に、仲間とこうしてゆったり同じ席を囲める時間は、何よりの贅沢だったからだ。


「私は先に部屋で支度をしておきますね」


 リリアが空になった器を重ねながら言い、笑顔を残して立ち上がる。


「……私も、そろそろ」


 サフィアが静かに席を立ち、それに続くようにセリナも身を翻した。ふとレオンの方を見て、一瞬だけ視線が合ったが、言葉はなかった。ただ、その尾が揺れる音だけが、彼の耳に残った。


 やがて食堂には、レオンとミリーの二人だけが残された。

 が、レオンはその沈黙を長く続けることなく、椅子を引いて立ち上がる。


「……戻ろうか」


 ミリーははっとして顔を上げ、静かに頷いた。


「はい……」


 二人は並んで食堂を出て、階段を上がり、自室の扉をくぐる。


 部屋の中には淡いランプの灯りが揺れ、カーテンの隙間から月の光が差し込んでいた。ミリーはそっと窓辺に近づき、レースのカーテン越しに外を見つめる。

 そして、ぽつりと呟いた。


「……レオン様。今度の依頼……ベリスカとの国境付近ですよね?」


 レオンは荷物を整理していた手を止め、振り返って彼女を見る。


「ああ。気になるのか?」


 ミリーは目を伏せ、両手を胸の前で組みながら言葉を継いだ。


「……はい。私の侍女――リゼットのこと……気づけば、ずっと考えてました。彼女がどこかで、苦しんでいるかもしれないって……」


 声はかすかに震えていた。

 レオンは何も言わずに椅子を引き、静かに彼女の隣に座る。


「大切な人、なんだな」


 ミリーは、ぐっと唇を噛みしめながら、小さくうなずいた。


「……ええ。小さな頃から、ずっとそばにいてくれた人です。母のようで、姉のようで……でも、私だけが助かって、生き延びて……」


 レオンは彼女の横顔を見つめ、柔らかく微笑んだ。


「――君は、君の役目を果たしたんだ。それに、まだ終わったわけじゃない」


 ミリーははっとして顔を上げる。


「……!」

「今回の依頼で、何か手がかりが見つかるかもしれない。だから一緒に探そう。君がそれを望むなら、俺は協力する」


 その言葉に、ミリーは涙をこらえながら、小さく頷いた。


「……ありがとう、レオン様。わたし……あなたに救われてばかりです……」


 レオンはそっとその手を取り、真っすぐに言葉を重ねる。


「なら今度は、君の大切な人を救いに行こう。俺たちで――必ず」


 その誓いに、ミリーはこらえていた涙を静かに零し、だがその瞳には、確かな決意が灯っていた。


 淡い月光が、静かにふたりの影を壁に映す。


 その夜。

 誰にも気づかれぬまま、ローデンブルグの北門から一人の影が、風に紛れるように出ていった。


 ベリスカとの国境――その向こうで、静かに何かが始まろうとしていた。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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