表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/84

第74話 封じられし台座

 夕暮れの気配が空を染める頃、遺跡の入口から少し離れた斜面に、火の灯った小さな野営地が広がっていた。

 周囲は岩と草木に囲まれており、自然の地形が風を防ぐ。魔物の気配もなく、慎重に選ばれた今夜だけの拠点だった。


「……このへん、魔物の気配……ない。今夜は、静か」


 セリナが地面に手をついて目を細め、空気を嗅ぐように言った。焚き火の明かりが、彼女の銀の耳をやさしく照らす。


「遺跡の結界が作用しているのかもね。逆に、不気味だわ」


 サフィアは静かに呟きながら、膝の上に開いた日誌に羽ペンを走らせていた。手元には遺跡内部の壁のスケッチと、術式の断片的な構造が書き込まれている。


「ふふっ、でも今はご飯の時間ですよ。お焦げになっちゃいます」


 リリアの声が明るく響き、鍋の蓋をそっと開けると、煮込み料理の匂いが辺りに広がる。慣れた手つきで器を並べるその横で、セリナが無言で警戒の目を周囲に向けていた。

 レオンは焚き火を見つめながら、背後で揺れる仲間たちの影に目を細める。


 そして、ふと――視線がミリーに止まった。


 焚き火の向かいで、ミリーは両手を膝に置いたまま、微笑を浮かべていた。けれど、その仕草はどこかぎこちなく、視線は仲間のひとりひとりをゆっくりとなぞっていた。

 その表情に、どこか拭えない影が差しているように見えたのは――気のせいではない。


「……皆さん、こうして過ごすのって、なんだか……家族みたいですね」


 ミリーがぽつりと呟いたその声に、場の空気が柔らかく揺れた。


「家族……か」


 レオンは木の枝を火にくべながら、炎を見つめる。


 ――家族。


 手放したもの、失ったもの、いまだ知らぬもの。だが今、手の届くところに確かにある。


「ああ。きっと、悪くない」


 レオンの言葉に、火の粉がふわりと舞い上がる。その瞬間――ミリーの微笑が、ほんの少しだけ深くなった気がした。




 冷たく、湿った空気が肌を撫でた。

 朝の陽光を背に、レオンたちは再び遺跡の奥へと足を踏み入れる。昨日と同じ通路を進みながら、慎重に罠の有無を確認しつつ、未探索の分岐へと進路を切った。


 《魔力灯》――魔道具の灯りが照らす先、複雑な装飾が刻まれた石扉が現れる。


「……開くか?」


 レオンが扉の表面に手を添えると、石の隙間から鈍い音が鳴った。


「力技は避けたいけれど……この鍵は、もう動かないみたいね」


 サフィアが術式を探るも、反応はない。


「仕方ない、押すぞ」


 レオンが押し出すように扉に力を込めると、重々しい音と共に石扉がゆっくりと開いた。

 その奥に広がっていたのは、広間だった。天井は高く、壁には苔が這い、年月の重みを感じさせる。

 しかし、中心に据えられた 巨大な石台――その存在だけが、異質だった。


「……これは、明らかに何かの祭壇だな」


 レオンの声は自然と低くなった。

 石台の周囲には、幾重にも重なるような術式の痕跡。魔力が今も微かに残っており、空気がほんのり震えているようだった。


「術式の密度が違う……っ」


 サフィアが眉をひそめ、祭壇に近づく。


「ここは、特別な空間よ。ただの祈祷の場じゃない……転移か、封印か……それとも――」


 セリナが周囲の空気を嗅ぎ取りながら、眉間に皺を寄せる。


「変な匂い……少し、残ってる。……魔物の、血……? いや、それだけじゃない……」


 ミリーは無言で石台の縁に指先を触れ、僅かに震えた。その目が遠くを見つめている。


「……ここ、なんだか……とても懐かしいような、気が……」


 その言葉に、レオンの胸に冷たいものが走る。


「(まさか――)……皆、気を抜くな。ここには、まだ何かがある」


 レオンの声に、場の空気が一段と引き締まった。


 石台に刻まれた古代文字。封じられた術式。そして、ミリーの心が――揺れている。


「……術式は相当古いわね。階層構造が複雑で……」


 サフィアが台座に近づき、周囲の紋様を慎重に観察していた。空中に漂う微かな魔力の流れに、彼女の感覚が反応する。

 レオンは一歩後ろで周囲を警戒しながらも、その様子を見守っていた。


「セリナ、念のため周囲の気配を……」


 言いかけたときだった。


「……ミリー?」


 誰の声でもなかった。ただ空気がざわついた気がした。

 次の瞬間――ミリーの足取りがふらりと乱れ、誰よりも早く、台座の前に立っていた。


「待て、ミリー! 触れるな――!」


 レオンが声を上げた瞬間、ミリーの手が、台座の表面にそっと触れた。


 ドンッ――。


 目に見えない力が波紋のように広がり、空間の空気が一変する。ミリーの体が震え、目を見開いたまま、力が抜けるように膝を折った。


「ミリー!」


 駆け寄るレオンの声も届かぬまま、彼女の意識は――遠のいていく。



 ◆◇◆◇

 あたり一面、白い霧に包まれていた。

 重力も、痛みもない世界。ただ静かで、温かくて……どこか懐かしい。


(ここは……どこ……?)


 足元がふわふわと揺れ、目の前には、誰かの姿があった。


 ――揺れる髪。優しい笑い声。


「……エミリアお嬢様、外は危険です。また怪我なさったら、私……っ」


 その声に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


(リゼット……?)


 名前を呼ぼうとした瞬間、目の前の映像がふっと切り替わった。今度は、誰かの背を追いかけている自分の視点。

 広い背中。微かに笑う声。あたたかい手。


(……兄さん?)


 知らず口をついて出たその言葉に、自分自身が驚く。


 そして、次の瞬間――。


 足元が崩れたように、意識は再び暗闇へと引きずり込まれていった。それでも、胸の奥に残る感情だけは確かだった。


 懐かしい。愛しい。 ――そして、帰りたい。


 その想いだけが、ミリーを強く包み込んでいた。



 ◆◇◆◇

 レオンが台座へと駆け寄ったとき、ミリーの体は完全に崩れ落ちていた。その肩を支えながら、すぐにサフィアが膝をつき、手をかざす。


「……脈はある。意識は……まだ戻らないけど、魔力が少し乱れてるだけ。命に別状はないわ」


 サフィアの声に、レオンは静かに息をついた。


「よかった……」


 だが、その安堵の隙間に――ぽつりと、ミリーの唇が動いた。


「……兄さん……」


 レオンの目が見開かれる。


「今、なんて……」


 言葉にならない問いに、サフィアも顔を上げる。セリナが低く、しかしはっきりと言葉を繋いだ。


「……聞こえた。兄さんって……」

「ミリーさんに、お兄さん……いたんでしょうか?」


 リリアも、膝をついてミリーの髪をそっと払った。だが、その顔には戸惑いが浮かんでいた。


 レオンは――動けなかった。ミリーの肩に手を置いたまま、頭の奥で鈍い衝撃が広がっていた。


(兄さん――)


 夢で、幾度となく呼ばれたあの声。名も知らぬ少女が、泣きながら繰り返した言葉。


(……まさか、そんな……)


 目の前のミリーは、その面影とは違っていた。髪の色も、声の調子も、何もかも。


 それでも――。


 「兄さん」という、たった一言が、胸の奥に深く刺さっていた。


(……偶然、なのか?)


 いいや、とレオンは自問する。そう思いたいのは、自分のほうだ。


 彼女の手はまだ冷たく、意識の戻る気配はない。だが――その指先が、かすかにレオンの袖を掴んでいた。

 まるで、何かを確かめるように。何かを、伝えようとするように。


 レオンはそれを、そっと包み込んだ。


「……まだ分からないことだらけだ。だが……お前の声に、俺は応えるよ」


 小さく、呟くようにそう言って、レオンは立ち上がる。

 仲間たちの視線を感じながら、静かに言った。


「今日はここまでにしよう。ミリーを休ませたい」


 サフィアが頷き、セリナとリリアも無言で荷をまとめ始める。


 深く沈黙した台座の前、誰もが言葉にできない疑問と、不安と、かすかな希望を胸に、遺跡を後にした。




 夕暮れの風が草原を撫でていた。

 遺跡から少し離れた野営地――昨日と同じ場所に、再び焚き火の明かりが灯っていた。


 ミリーは、寝具にくるまれて静かに寝息を立てている。頬はやや蒼白で、まつ毛が揺れるたびに、夢の中の何かと向き合っているようだった。


 レオンは、その傍らにしゃがみ込んでいた。


(……もし、ミリーが……あの夢の少女だったら。もし、そうなら……)


 思い出すたび、あの声が胸を貫く。


 ――兄さん。


 柔らかく、震えるような、どこか切なげなその呼び声。ずっと、理由も分からず夢に現れ続けていた少女の面影。


(なぜ俺は……気づかなかったんだ)


 ミリーはその面影とは少し違う。けれど、目を伏せたこの横顔を見ていると、なぜかそれを否定できなかった。


 言葉だけが、同じだった。心の奥に染み込んで離れなかった、あの一言。


「レオン」


 背後から、静かな声が降ってきた。

 サフィアだった。灯火の外に立ち、淡く揺れるマントの裾を風に踊らせながら、じっとこちらを見ていた。


「……あなたが悩んでいるのは分かる。でも、答えは焦らずに。彼女が目を覚ましたときに……きっと何か、分かるわ」

「……ああ」


 言葉が重かった。だからこそ、絞るように短く返すしかなかった。

 サフィアの隣には、いつの間にかセリナも立っていた。


「……ミリー、大丈夫。……今は、眠らせてあげて」


 焚き火に照らされた彼女の横顔は、どこか母親のような柔らかさを帯びていた。


「……ありがとう、二人とも」


 レオンはそう言って、そっとミリーの髪に指先を添えた。撫でるでもなく、確かめるように。

 その髪は、夢に見た少女と違っていた。けれど、心は――どうだったろうか。


(答えが出るには……まだ、早い)


 だがもう、目を背けるわけにはいかない。この出会いが偶然だったのか、あるいは運命だったのか――。


「……もう少し、待ってみよう」


 レオンは、焚き火に背を向けて立ち上がった。空は深く藍に染まり、星のひとつが、瞬いた。

ご一読くださり、ありがとうございました。

続きが気になる方は是非ブックマーク登録を

お願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ