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第72話 封じられた遺跡へ

 朝霧が薄く晴れ、陽光がゆっくりとラウレンツ領の石畳を照らし出す。

 領主館の正門前には、荷を積んだ馬車と数頭の騎乗馬が揃い、調査隊の出発準備が進められていた。


「ふふ、レオン様とこうしてご一緒するのも、先日の護衛以来ですわね」


 エリザベートが旅用の質素なマントを軽く揺らしながら微笑む。


「皆様とお出かけするのって、ちょっとわくわくしますわ」

「今回は調査任務ですからね」


  レオンは苦笑しつつも、彼女の言葉に頷いた。


「遺跡まではおよそ二日。初日は平地を進むが、明日は丘陵帯だ。途中一泊して、明後日の朝に到着予定だそうだ」

「油断、できない」


  セリナがきっぱりと断言する。


「……この辺り、夜に動く魔物がいる。野営のとき、交代で見張りしたほうがいい」

「魔力の流れも乱れやすい地形ですものね」


 サフィアが軽く地図をめくりながら応じる。


「古代遺跡周辺は特に、眠っている魔素が刺激されやすいわ。準備は万全に」

「では、わたしはその分、生活面の支援を頑張ります!」


 リリアが笑顔で胸を張ると、隣のミリーも小さく頷いた。


「……わたくしも、少しでも皆さまのお役に立てれば」


 レオンは馬車の手綱を引き、振り返る。


「じゃあ、行こう。今日のうちに谷を越えた辺りまで進んで野営する。明日が本番だ。気を引き締めていこう」

 

 馬車が石畳を鳴らしながら進み出すと、広がる草原の先に、ゆるやかな丘の連なりが見え始める。


 陽はまだ高く、風は涼しく穏やかだった――。




 一行は予定通り、一日目の野営地に無事到着した。

 草原の中央に設けた仮設の焚き火は、夜の冷気を柔らかく退け、何事もなく朝を迎えることができた。




 そして、二日目の午前――。

 道はやがて丘陵地帯へと入り、見通しの利かない斜面が続くようになった。風が草を揺らす中、先頭を歩いていたセリナが、突如として立ち止まる。


「……何か、匂う。血と、油と、獣臭……ゴブリン」


 レオンは反射的に腰の剣に手をかけた。


「群れか?」


 セリナはこくりと頷く。


「ただの群れじゃない。……リーダーがいる。あれは、殺し慣れてる匂い」

「リーダー種……この辺りでそれは厄介ね」


 サフィアが低く呟き、杖を前に構える。


「っ……!」


 ミリーが声を上げたと同時に木々の間の茂みが激しく揺れ、緑の影が飛び出してくる。


「囲まれるぞ、構えろ!」


 レオンの指示が飛ぶ。馬車は道の傍らに下げ、サフィアがすぐさま詠唱に入ろうとしている。

 リリアとエリザベートは車輪の陰へと身を寄せ、ミリーは震えながらも回復の準備に入った。


「キギャアアア!」


 奇声とともに現れたのは、十数体のゴブリンたち。

 だが、その中でもひときわ目立つ、筋骨隆々の一体が、斜面の上からゆっくりと姿を現した。身長はセリナより頭ひとつ分高く、全身に無数の傷痕。肩には分厚い鉄の肩当てを付け、右手には巨大な棍棒。その握りはぶ厚く、重たげな一撃が一振りで命を奪うことを予感させた。


「ゴブリン・リーダーか……ただの魔物とは訳が違うな」


 レオンは一歩前へと出て、剣を抜いた。

 ゴブリン・リーダーが唸り声を上げ、地を踏み鳴らす。


「セリナ、右翼を頼む! サフィアは後方支援、ミリーは無理せず回復に集中しろ!」

「任せて」「了解」「は、はいっ!」


 ゴブリンたちが、吠えながら雪崩れ込んでくる。


「……まとめて相手してやる!」


 レオンが吠えた瞬間、戦場に剣閃が走った。


「ハァッ!」


 鋼の刃が一閃、レオンの剣が一体のゴブリンの首を跳ね飛ばした。刃を振り抜いた勢いのまま、体を回転させ、次の敵の胸を蹴り飛ばす。


 二体目、三体目――容赦はない。


 だが、その動きに呼応するように、茂みの奥で、鉄棍を携えたゴブリン・リーダーが唸り声をあげる。

 地面を蹴る音が重く、踏み込み一発。

 巨大な棍棒がレオンの目前を唸りながら薙いだ。


「ッ……速いな!」


 咄嗟に剣で受け止めるも、その重さに足が土を滑らせる。

 リーダーの一撃は、他の下位種とは比較にならない。筋力、踏み込み、すべてが違う。


 だが――レオンは一歩も退かなかった。


「……こいつを倒すのが、俺の役目だ!」


 その頃、戦線の後方――。


 セリナは左右を飛び回り、鋭い短剣で一体ずつ仕留めていた。その動きは迷いなく、まるで舞うように、敵の急所だけを突いていく。


「……次」


 サフィアも魔法の詠唱を短く抑えつつ、風魔法を使い正確に数体を切り裂いていた。


「……っ、数が多い……!」


 しかし、彼女たちの動きとは裏腹に、敵の一部が別の狙いへと動いていた。


「きゃあっ――!」


 甲高い叫び。リリアが尻もちをついて、慌てて身構える。

 その視線の先――残りの数体のゴブリンが、馬車の陰にいた彼女たち三人へと向かって突進していた。


「……くっ!」


 エリザベートの護衛達が剣を構えて立ちはだかるが、すでに満身創痍。護衛の一人が必死に弓を引くも、矢は残りわずか。

 リリアとミリー、エリザベート――守るべき者たちが、追い詰められていた。

 

「――見えてるぞ!」


 レオンの視線が一瞬で切り替わる。

 背後で棍棒を振り上げようとしていたゴブリン・リーダーに、ぎりぎりの距離で背を向ける。


 レオンの剣に風がまとい、踏み込みと同時に爆発的な推進力を得る。疾風のごとく一歩、二歩――そして、三歩目の踏み込みと同時に、刃が風を切り裂いた。


「おおおおおっ!」


 風の刃を纏った斬撃が、リーダーの胸を斜めに断ち、風圧とともにその巨体が宙を舞った。ぐらりと揺れ、どさりと地面に倒れる。


「――終わりだ」


 息を整える暇もなく、レオンは振り返り、馬車の方へ駆け出す。


 

 リリアたちへ向かっていたゴブリンの一体が、護衛の矢を受けてたたらを踏む。だが残る二体が牙を剥いて跳びかかった、その刹那――。


「下がれ!」


 レオンの怒声とともに、爆風のような斬撃がゴブリンをまとめて吹き飛ばす。

 剣を振り抜いたまま立ちふさがったレオンの背に、風が舞う。


「レオンさん……っ!」

「もう大丈夫だ。ここからは、俺がやる」


 震えるリリアの前に立つと、レオンは一つ息を吸って、残る敵に剣を向けた。


「――全員、下がってろ。最後の一匹だ」

 

 最後に残っていた一体のゴブリンが、口から泡を吐きつつ、棍棒を振り上げて突っ込んでくる。


「無駄だ」


 レオンは剣を腰元に構え直すと、一歩前へ踏み込む。風の気配が刃に集まり、瞬時に放たれた斬撃が、ゴブリンの首元を一閃した。


「……終わりだな」


 乾いた音と共に、ゴブリンの身体が崩れ落ちた。


 息を整えながら剣を納め、振り返る。リリアは倒れたまま手をつき、息を詰めてレオンを見上げていた。

 ミリーは顔を蒼くしつつも、手を合わせて祈るように立っており、エリザベートは護衛に支えられながらも、しっかりとこちらを見ていた。

 

 レオンは一歩、また一歩と近づくと、まずはリリアの肩にそっと手を置いた。


「リリア、大丈夫か? 怪我はないか?」

「……はい……っ。ありがとうございます……レオンさん……」


 潤んだ瞳で答える彼女の声は、震えていたが、確かだった。

 次に、ミリーの前に膝をつく。


「ミリーも、無事でよかった」

「……わたくし……怖くて……何もできませんでした……」

「それでいい。無事でいることが、一番大切だ」


 レオンの言葉に、ミリーの目にぽろりと涙が浮かぶ。だが、それは安堵の涙だった。

 最後に、エリザベートに目を向ける。


「エリザベート様も……申し訳ありません。護りきれずに、危ない目に……」

「いいえ、レオン様。あなたが来てくださらなければ……私たちは……。今はただ、心から感謝を……」


 彼女の微笑みには、真摯な想いが滲んでいた。

 

 レオンは立ち上がると、周囲に目を向ける。セリナとサフィアは、既に周囲の魔物の死体を確認しながら後処理に入っていた。

 護衛たちも軽傷ながら立ち上がり、護衛としての役割を続けようと動き始めている。


「セリナ、サフィア。片づけが終わったら、先に進もう。目的地はもう近い」

「了解」「……うん」

「リリア、ミリー。馬車の中で少し休め。揺れが落ち着く頃には、落ち着けるはずだ」

「……はい」「わかりました、レオン様……」

 

 旅はまだ続く。脅威はある、迷いもある。それでも、守りたいものがある限り――剣を置くことはできない。


 ゴブリンの群れとの戦いを終えたあとは、静けさだけが残った。

 夕陽が丘の向こうに沈み、風の音が野営地を優しく撫でていく。


 護衛たちが警戒のため交代で見張りにつき、サフィアとセリナも輪番で休みを取る。

 リリアとミリーは少し疲れた様子を見せつつも、安堵した表情で寝袋に身を包んだ。

 エリザベートも、護衛のそばで目を閉じていた。

 レオンは最後に焚き火の火をくべ直し、剣を手元に置いたまま、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

──そして、夜は何事もなく明ける。

 


 朝。まだ薄い陽光が地平から顔を出す頃、一行は再び準備を整えて出発した。森を抜け、なだらかな丘陵地帯を越えていく。

 乾いた風に吹かれながら、レオンは遠くを見据える。その視線の先、やがて地表の影に埋もれかけた構造物の輪郭が浮かび始めていた――。


 半ば地中に埋もれた石造りの建造物。角の取れた柱や崩れた階段、風化した装飾が、ここがかつて荘厳な施設だったことを物語っている。


「……これが、遺跡か」


 レオンは手綱を引き、馬車を止めた。皆が馬車を降り、慎重に足を運ぶ。

 正面には大きな石扉。表面には見慣れない文様が刻まれており、かすかに魔力の残滓が漂っていた。


「見た目以上に保存状態がいいな。あの扉、開けられるか?」


 レオンが問うと、サフィアが前に出て、扉に手をかざす。


「魔力反応は……弱いけど、封印の痕跡があるわ。古い防御術式ね。鍵はもう失われてるみたい。……力技で開けるしかないかも」

「破壊じゃなく、慎重に押し開けるぞ。中に何があるか分からないからな」

「はいっ!」


 リリアが頷き、荷から筆記具を取り出してあたりを記録し始めた。


「ふふっ、こういうのって、ちょっとロマンがあって素敵ですわよね」


 エリザベートが手袋を外して、扉の文様にそっと指を這わせる。目がきらきらと輝いていた。


「……少しだけ、胸がざわつきます」


 ミリーがぼそりと呟いた。肩をすぼめ、扉を見つめる彼女の目が揺れている。

 レオンは一歩前に出て、空気を吸い込んだ。湿った石の匂い。かすかに混じる、古の魔力の匂い。


「……行くぞ。中の空気は悪いかもしれない。油断せずに、慎重に調査しよう」


 扉の前に、仲間たちが一列に揃った。かつて神殿だったのか、研究所だったのか――その真実が、今、扉の向こうで静かに眠っている。




 扉を押し開けると、重い石の軋む音が遺跡の内部に吸い込まれていった。

 中はひんやりとした空気が満ち、湿った石の匂いが鼻を突く。長い年月を経た空間の静けさは、まるで時間そのものが眠っているかのようだった。


 サフィアが腰のポーチから、手のひらほどの小さなランタン型の魔道具を取り出す。


「――灯りますよ」


 そう言って手のひらにのせ、そっと魔力を流し込むと、魔術式が淡く輝き出す。やがて、温かな灯りがランタンの内部から広がり、暗がりを穏やかに照らし始めた。

 《魔力灯》――魔力を注ぐことで光を発する魔道具だ。


「助かる。これがなきゃ、何も見えないな」


 レオンは手元の剣を軽く構え直し、慎重に第一歩を踏み出す。

 通路はなだらかな下り坂になっており、壁にはかすかに古代語のような刻印が並んでいる。

 リリアが目を輝かせてそれを見つめ、筆記具を取り出していた。


「これは……かなり珍しい文様ですね……。一部は儀式用の構文にも似てるような……」


 サフィアが遺跡の構造を確認するように、壁を撫でながら進む。


「建築様式からして、やはり神殿か研究施設の類ね」

「……保存状態はいいが、油断はできないな」


 レオンがそう呟いた直後だった。彼が先頭で進み、足を一歩踏み出した瞬間――。

 カチリ、と小さな音。


「下がれ!」


 レオンの警告と同時に、壁の隙間から矢が数本、鋭い音を立てて飛び出す。彼は即座に身をひねり、矢の間をすり抜けるようにして後退した。


 床の一部がわずかに沈んでいた。古びたとはいえ、未だ作動する罠の存在に一同が息を飲む。


「……罠が残ってる。みんな、足元に注意しろ」


 セリナが無言で矢の出た壁をじっと睨み、足元の仕掛けを確認する。


「踏む前に気づいた。……でも、危なかった」


 ミリーは目を見開き、杖を強く握りしめる。


「すみません……私……」

「落ち着いて。ミリーさんがいてくれるだけで、安心できますから」


 リリアが矢の破片を拾いながら笑顔で言うと、ミリーは顔を赤くして小さく頷いた。


「……は、はい。万一のときは、任せてください……!」

「先へ進もう。慎重にな」


 レオンは前を見据え、再び先頭に立って歩き出した。

 背後から、皆の足音が静かに続いてくる。


 静寂と冷気、そして古の影が満ちる遺跡の中へ――彼らは、確かに歩を進めていた。



 ◆◇◆◇

 静まり返った遺跡の中、微かに響く皆の足音の隙間に――ふと、何かが流れ込んできた。


 壁に刻まれた模様。それは渦を描くような、けれどどこか花のようにも見える装飾だった。


(……この模様、どこかで……)


 胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。理由もなく、手が動いていた。ミリーはそっと、壁の文様に指先を添える。


 その瞬間――。


 ズン、と地面が揺れたような錯覚。目の前の景色が、一気に歪んだ。


「――っ……!」


 頭の中に、何かが流れ込んでくる。

 声。

 とてもやさしい、懐かしい声。

 男の人の声……でも、名も顔も思い出せない。


 ――『……兄さん……』


「っ……!」


 反射的に手を引いた。背筋が震え、吐息が浅くなる。

 誰のこと……?

 どうして兄なんて――私には、そんな人……。


「ミリー?」


 肩に手が添えられた。サフィアが、心配そうにのぞき込んでいる。


「顔色が悪いわ。どうしたの?」

「……だ、大丈夫です。少し、目眩がしただけで……」


 視界はすぐに戻ったけれど、胸の奥がざわざわしていた。

 涙が出そうになる。けれど、悲しいわけじゃない。怖くもない。


 ただ――。


(……わたし、どうして……)


 指先がまだ、さっきの模様の感触を覚えていた。熱でもない、寒さでもない。心の深くを震わせる、確かな何か。


(なぜ……涙が……止まらない……)


 頬に触れた水に、ミリー自身がいちばん戸惑っていた。

 それでも彼女は、涙を袖で拭い、足を止めなかった。進まなければならない。その先に、いつか答えがある気がして。



 ◆◇◆◇

「……今日はここまでにしよう」


 レオンは足を止め、後ろを振り返って仲間たちを見た。

 壁の崩れた階段の先に、さらに奥へと続く闇が口を開けていた。だが、太陽はもう傾きかけている頃で、戻るにはぎりぎりの時間だった。


「無理に進めば、誰かが怪我をする」


 レオンの言葉に、セリナが小さく頷く。


「賛成。全員、無事で帰る。それが一番」


 サフィアは魔力灯をかざしながら周囲を見回し、静かに付け加えた。


「この遺跡……空間が歪んでるわ。下手に進めば、通路が崩れるかもしれない」

「じゃあ、明日また来ればいいんですね!」


 リリアは筆記具をしまいながら、前向きな声を上げた。


「戻って記録を整理しますっ。魔法陣の痕跡、興味深いですね!」


 そんな中で――レオンの視線が、ふとミリーに止まった。

 彼女は杖をそっと胸に抱えて、小さく息をついていた。その目元はわずかに赤く、まるで――ついさきほどまで、涙を流していたかのように見えた。


「ミリー、何かあったの? 少し様子が……」


 サフィアが声をかけると、ミリーははっとしたように顔を上げ、軽く首を振った。


「……いえ。きっと、ただの疲れです。すみません、ご心配を……」


 その微笑みに、ぎこちなさはなかった。けれど、どこか――何かを抱え込んでいるような、そんな印象がレオンの胸に引っかかる。


(……何かを思い出しかけたのか?)


 だが、それを問いただすのは違うと思った。今はまだ、そのときじゃない。


「……よし、戻ろう。陽が沈む前に地上に出るぞ」


 レオンは肩にかけていた荷を直し、一歩を踏み出す。

 その背に、仲間たちの足音が次々と続いていった。


 まだ、この遺跡のすべては明かされていない。だが、道はある。進むべき理由も、仲間も――。


 それなら、迷うことはない。


 明日、もう一度この扉を開くと決めて。レオンは、かすかな胸のざわめきを押し込み、振り返らずに歩くのだった。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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