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第71話 領主館での朝

 厚みのある掛け布団を押しのけて、レオンはゆっくりと目を開けた。

 上質なシーツに包まれた身体は、いつもの野営や宿の寝床とは違う安らぎを感じていたはずなのに――心のどこかが落ち着かない。


(……贅沢すぎる寝具に、まだ慣れないな)


 重厚な天蓋の向こう、窓際から差し込む朝の光がカーテンを透かして床を照らしていた。部屋に漂うのは、香料か、それとも庭木の匂いか。王宮の記憶がふと胸をかすめる。


 軽く背伸びをし、寝間着のままベッドの縁に腰を下ろす。外の空気は澄んでいて、鳥の声が遠くからかすかに聞こえる。


(……辺境伯領で迎える朝、か)


 感傷とも違う、どこか身が引き締まるような感覚が、胸に静かに根を張っていた。王都を離れてから、多くの場所を歩いた。だがここは、何かが違う――直感がそう告げていた。


 隣の部屋の扉の向こう、微かに布擦れの音がする。サフィアとセリナが支度を始めたのだろう。二人の気配を感じるだけで、不思議と心が落ち着く。

 そこへ、廊下側から控えめなノック音が響いた。


「レオンさん、朝食の用意ができたそうです」


 リリアの声だった。昨日の緊張が嘘のように、声色は落ち着いている。既に身支度を整えたのだろう。彼女の律儀さに、レオンは小さく笑みを漏らした。


「ありがとう。……みんなも、準備できたら行こう」


 声を返しながら、立ち上がる。新たな一日が始まろうとしていた。



 ◆◇◆◇

 リリアがレオンを呼びに行く少し前。


 ミリーが執事に案内されて着替え室の扉を開けると、ちょうど中から出てきたのは――リリアだった。

 ふんわりとした桜色のドレスに身を包み、胸元には小さな花飾りが添えられている。その姿に、ミリーは思わず立ち止まった。


「わ……すごく、綺麗……」


 リリアは照れたように笑いながら、スカートの端をつまんで小さく一礼した。


「えへへ……ありがと。少し派手かと思ったけど、エリザベート様が『絶対似合うから!』って勧めてくださって。ミリーも、楽しんでね?」

「は、はいっ……!」


 そう答えたミリーの声に、ほんの少し緊張が混じっていたのを、リリアはすぐに察したようだった。

 すれ違いざまにそっと肩を叩き、囁く。


「大丈夫。ね? みんな一緒だから」


 そして、ふと振り返りながら、笑顔で付け加えた。


「ミリーの準備が終わった頃に、レオンさんを呼んでくるね。きっと、驚くと思うな」


 リリアはくすっと笑って軽やかに廊下を去っていった。

 その言葉に背を押されるように、ミリーは静かに頷きながら部屋の中へ足を踏み入れた。


 目の前には三人のメイドが並び、背後ではさらに数人が準備に動いていた。

 広く磨かれた鏡の前、ミリーは緊張で背筋をぴんと伸ばしたまま、まるで展示された人形のように立ち尽くしていた。


 場所は、ラウレンツ領主館の一角――客人用の着替え室。

 エリザベートの「せっかくだから、格式あるお洋服もぜひ」という微笑とともに、華やかな衣装の数々が並べられたのだった。


「これはどうかしら?」


 隣で鏡越しに見守るサフィアが、淡いクリーム色のドレスをそっと差し出した。ふわりとした襟元と、上品なレース。派手すぎず、それでいて可憐な印象の一着だった。


「淡い色は肌の色とも相性がいいし……あなたには、よく似合うわ」


 サフィアの言葉に、ミリーは思わず目を見開いた。


「に、似合って……でしょうか……?」

「……似合ってる」


 セリナが簡潔に言い添える。いつも通りの無表情だったが、その言葉には迷いがなかった。


「ミリー、可愛い」


 その一言に、ミリーの顔がぱあっと赤く染まった。


「こ、こんな……っ、格式あるお召し物なんて……わ、わたくしにはっ……」

「じゃあ、レオンに見せて、褒めてもらえば?」


 唐突にセリナが小さく首を傾けながら言うと、ミリーの思考が一瞬止まった。


「~~っ、それはっ……」


 頬を押さえ、思わずしゃがみ込みそうになる。

 くすくすと笑いがこぼれるなか、今度はメイドの一人がセリナのほうへと、そっと青銀のドレスを差し出した。


「もしよろしければ、こちらを。貴女にもぜひ、一着……」


 セリナはぴたりと動きを止め、じっとそれを見つめた。

 シンプルながらも高級な布地に、飾り気を抑えた落ち着いたデザイン――まるで彼女の性格を映したかのような仕立てだった。


「……動きづらい」


 短くそう返したセリナに、ミリーが思わずくすっと笑った。


「でも、似合うと思います。……すごく」

「私も見てみたいわね、セリナのドレス姿」


 サフィアの言葉に、セリナは一瞬だけ耳を動かした。それでも断ろうとはせず、視線を逸らしながらぽつり。


「……少しだけ、なら」


 その様子を見ていたミリーは、鏡の中の自分とセリナを交互に見ながら、心がじんわり温かくなっていくのを感じていた。

 きっとこれは――女の子だけの、小さくて優しい時間。レオンの前ではきっと見せない、誰にも見せない、ほんのひとときの秘密。


 ミリーは胸に手を当てながら、少しだけ誇らしく微笑んだ。



 ◆◇◆◇

 朝の光が差し込むラウレンツ領主館の食堂――。長く磨かれた楕円形のテーブルには、銀食器と花の香りがさりげなく並び、並べられた皿の上には王都顔負けの食材が品よく盛られていた。


 席の中央には、堂々たる風格のグスタフ・フォン・ラウレンツ辺境伯。

 その隣にはブルーグレイのドレスを纏ったエリザベートが柔らかく微笑み、レオンたちを迎えていた。


 レオンは端正に並んだ皿を前に、姿勢を正しながらも、どこかぎこちない様子でフォークを手にしていた。


「ふふ、やっぱり。レオン様、朝は少し弱いのかしら?」


 エリザベートが湯気立つ紅茶を手に、からかうように言葉を投げかける。


「……こういう席は、まだ慣れないんです」


 レオンが苦笑交じりに答えると、辺境伯が重々しく頷いた。


「形式は抜きで構わん。そなたらの働きは、既に娘からも報告を受けておる」


 その一言に、セリナとサフィアも軽く頭を下げる。ミリーはやや緊張しながらも、丁寧な所作でスープを口に運んでいた。

 エリザベートはふと、視線をテーブルの向こう側――ミリーに向けて細めた。


「それにしても、ミリー嬢。どこかで見たような気がするのだけれど……誰かに似ているような……」


 レオンの手がぴたりと止まった。銀のフォークを持つ手が、わずかに硬直する。

 隣のミリーはスープ皿の向こうで、小さく首を傾げている。


(……今の言葉、少し気になるな)


 まさか、とは思う。だが――誰かに似ているという言葉は、心の奥に深く沈めていた記憶を静かに揺らすものだった。


「……そうでしょうか? 私はあまり、そう言われたことは……」


 ミリーが控えめに微笑む。

 エリザベートはそれ以上詮索する様子もなく、優雅にカップを傾けた。


「きっと、可愛らしい人は皆、誰かに似ているものなのね」


 レオンはその言葉を胸に留めつつ、再び食事へと意識を戻す。

 


 ひとしきり会話が落ち着いたころ、辺境伯が席を正し、真っすぐにレオンへと視線を向けた。


「さて――君たちには、正式に依頼を出したい。例の遺跡について、娘のエリザベートが向かうことになた。そこで遺跡の調査と娘の護衛を任せたい」

「……遺跡の調査、ですか」


 レオンが姿勢を正すと、隣でサフィアがそっと息を整えた。

 辺境伯は頷き、傍らの側近に目配せを送る。


「詳細は執務室で渡すが、すでに古代術式の痕跡が確認されている。危険の可能性もあるが――君たちなら、任せられると信じている」

「承知しました。引き受けましょう」


 レオンはきっぱりと答え、グスタフは満足げに目を細めた。


 朝の陽光の中、食卓の空気は静かに引き締まっていく。何気ない会話の裏に潜む予感を、レオンだけが、ほんのわずかに感じていた。




 静かな足音が、大理石の床に控えめに響いていた。

 朝食を終えたレオンは、サフィアと並んで館の長い廊下を歩いていた。窓の向こうに広がる庭園には、白い花が柔らかな陽光に揺れている。心なしか、歩調はゆったりとしていた。


 しばらく無言のまま進んでいたサフィアが、ふと視線を前に向けたまま、ぽつりと呟いた。


「……彼女、あなたのことを様づけで呼んでいたわね」


 レオンは肩をすくめ、苦笑を交えた声で答える。


「まあ、なぜかは分からないが、俺も戸惑っているんだ」

「そう」


 サフィアはそれ以上言葉を続けなかったが、その口元は少しだけ引き締まっていた。普段は穏やかな彼女にしては、珍しく感情の色が滲んでいるようにも思えた。


「……少し、気になるわ」


 静かなその言葉は、風に流されるように小さかった。

 レオンは言葉を探すように口を開きかけたが、その後ろからもう一つの気配を感じて、ふと振り返る。


 数歩後ろを歩くセリナが、じっとレオンの背中を見つめていた。耳は僅かに伏せられ、瞳はどこか読みづらい。だが、彼女なりに何かを感じているのは確かだった。


(……セリナも、あのやり取りを聞いてたな)

「……何か知ってるか?」


 レオンが少し振り向いて声をかけると、セリナは小さく首を横に振った。


「……別に。でも」


 言いかけて、言葉を飲み込む。

 そのままセリナは再び黙って歩き出した。尾だけが、わずかに揺れている。

 

 そのさらに少し後ろ――。


 リリアは控えめな足取りで彼らの背中を見守っていた。レオンとサフィア、そしてセリナの間に流れる空気。自分が簡単には入っていけない領域があることを、少し寂しげに、けれどしっかりと受け止めていた。


(私は、私にできることを……)


 彼女の瞳に揺れるものは、遠慮でも劣等感でもなかった。ただ、等身大の自分であり続けようとする意思だった。

 

 春の陽が差す廊下。


 言葉少なに歩く四人の姿を、遠くからメイドたちがそっと見送っていた。




 軽やかなノックの音に、レオンは椅子から身を起こした。


「どうぞ」


 返事をすると、扉が静かに開かれる。

 そこに立っていたのは――ミリーだった。


「レオン様。あの……少しだけ、お時間をいただけますか?」


 レオンは自然と目を見開いた。

 普段より少しだけ背筋を伸ばしたミリーが、今朝の淡いクリーム色のドレスを身にまとっていた。柔らかく広がるスカート、繊細な刺繍、そして彼女の雰囲気を引き立てる落ち着いた色合い。


「……それ、今日のために?」


 レオンがそう訊ねると、ミリーは恥ずかしそうにうつむいた。


「はい。エリザベート様のご厚意で……その……似合っているか、不安だったのですが……」

「似合ってるよ。すごく。……っていうか、可愛い」


 ミリーの頬が、みるみるうちに朱に染まっていく。


「か、可愛い……!? い、いえっ、そんな……わ、わたくしなどには……」


 しどろもどろになりながらスカートの裾をぎゅっと握りしめるミリーの仕草が、さらに可愛く見えて、レオンは思わず小さく笑った。


「本当のことを言っただけだ。……自信、持っていい」


 ミリーはしばらく俯いたままだったが、やがて小さく深呼吸をして、レオンを見上げる。


「……ありがとうございます。わたくし、少しずつでも……レオン様の傍にふさわしい人になれるよう、努力します」


 そのまっすぐな言葉に、レオンは少しだけ言葉に詰まり――そして、静かにうなずいた。


「無理はするな。でも……その気持ちは、嬉しいよ」

 

 ドアの外、陽の光が差し込む廊下へと戻っていくミリーの後ろ姿を見送りながら、レオンはふっと息をついた。


(……頼もしくなったな)


 その背中には、確かな決意の光が宿っていた。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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