第64話 冒険者としての一歩
薄明かりがカーテン越しに差し込み、静かな朝の気配が部屋に広がっていた。ミリーは目を覚ましたあともしばらくブランケットの中でじっとしていた。耳を澄ませば、隣のベッドのかすかな寝息と、反対側の窓辺に立つ誰かの足音が聞こえる。
(……今日から、冒険者としての生活が始まる)
軽く深呼吸して身体を起こす。昨日までは「レオン様たち恩人に連れられてきた少女」だった自分が、今日からは仲間の一員として共に歩む。どこかふわふわしていて、まだ実感がない。
「……おはよう、ミリー。もう目は覚めた?」
小さな声で問いかけてきたのはサフィアだった。銀髪をゆるく結い、まだネグリジェ姿のまま、穏やかにこちらを見ていた。
「……はい、おはようございます」
寝ぼけた声が出ないように注意しながら返す。すると、反対側のベッドからセリナがむくりと起き上がった。毛並みの整った耳がピクリと動く。
「……寝相、悪くなかった。優秀」
突然の評価に少し戸惑うが、思わず笑ってしまう。
「ありがとうございます……?」
「ふふっ。セリナなりの褒め言葉よ」
サフィアがフォローを入れてくれた。
その後、着替えと支度を済ませてから、五人で食堂へと降りた。木製の椅子が並んだ素朴な空間には、朝のパンとスープの香ばしい香りが漂っている。朝食をとる冒険者たちの姿もまばらに見える中、五人はいつものテーブルに腰を下ろした。
「……こうして皆様と一緒に朝を迎えるのは、なんだかほっとします」
パンをちぎりながら、ミリーはそっとつぶやいた。
「そうか……でも、これからはいつでも一緒に朝を迎えられるさ」
レオンが優しく笑う。その笑顔を見て、胸の奥にほんのりと温かいものが広がった。
「緊張してるか?」
レオンが問いかけると、ミリーは少しだけうなずいた。
「……はい。でも、それよりも……楽しみです」
「それなら大丈夫だ。無理だけはするなよ。俺たちがいるんだから」
その言葉が、何よりも心強かった。
「焦らなくても大丈夫です。ミリーはミリーのままでいれば」
リリアが紅茶のカップを口元に運びながら言うと、セリナが静かに続ける。
「……不安なら、手、握る」
その言葉にミリーはまた小さく笑った。不思議だった。ほんの少し前まで、誰を信じていいのかも分からなかったのに。
今はこの人たちとなら、歩いていける気がする。
(私は、冒険者としての一歩を踏み出す――)
◆◇◆◇
ガンッ――鍛冶屋の扉を押し開けると、鉄を叩く音が一瞬だけ止まった。中から火花と熱気が漂い、炉の赤がぼんやりと揺れている。
「おう、来たか。……っと?」
鋼の腕と丸太のような体をした男――バルドが、ミリーの姿に気づいて眉を上げた。顔には灰色の煤が薄く付着し、分厚い前掛けの下からは筋肉の塊が見える。
「……嬢ちゃんも戦うのか?」
一歩後ろに下がりかけたミリーの肩に手を置きながら、レオンが静かに答えた。
「いえ、基本は後ろで回復と支援担当です。でも、必要な装備は持たせたいと思いまして」
「ふむ……なるほどな」
バルドは腕を組んで一拍考えると、焚き火の奥をちらりと見て頷いた。
「だったら、見せたいモンがある。ちょい待ってろ」
ごそごそと奥の棚を漁り始めた彼が、やがて持ってきたのは――ふわりと揺れる、淡いピンクと白を基調にした布装束だった。
「こいつは特注の在庫でな。布だけど、魔術師用の補助結界が仕込まれてる。軽いし動きやすい。……ついでに見た目も可愛いらしい仕上がりだ」
「……かわ……っ!」
ミリーが顔を真っ赤にして固まる。
上衣は襟元に白いフリルがあしらわれ、腰にかけてふんわり広がる薄布のチュニック。下は同色のレギンスに、膝丈のスカートが重ねられていた。
「後衛なら、防御より機動性と魔力の流れを優先したほうがいい。……これは、そのための装備だ」
「こ、これを私に……? ……ありがとうございます……!」
彼女が両手でそっと装束を受け取ると、布の柔らかな質感に目を細めた。バルドが奥の更衣室を指差す。
「着てみな。サイズが合わなきゃ手直しする」
「は、はいっ!」
ミリーが小走りに奥へ消えると、隣でセリナがぽそりと呟いた。
「……可愛い。ミリー、似合う」
「そうだな」
レオンが素直にうなずいたそのとき、サフィアが目を細めて口元を押さえる。
「ふふ、レオンって、意外とこういうの弱いのよね」
「……ちゃかすな」
そして扉が開き、ミリーが姿を現す。
淡い色合いの装束は、彼女の雰囲気にぴったりだった。柔らかな布地が軽く揺れ、本人の緊張を和らげているようにも見える。
「……どう、でしょうか……?」
「似合ってる」
セリナの即答に、ミリーが目を見開き、そして照れながら微笑んだ。
「ありがとうございます……!」
「これで完璧ってわけでもないが――ほら、こいつも持ってけ」
バルドが次に差し出したのは、小さな銀の飾りがついた短杖。長さは腰まで、魔力の流れを補助する設計らしく、手に馴染むような滑らかな造りだった。
「回復系なら、これがあると魔術の制御が楽になる。補助用だが、実戦でも十分使えるぞ」
ミリーは短杖を両手でそっと受け取った。細身の指がしっかりと柄を握り、目に宿る光がわずかに強まる。
「それから――護身用に」
最後に手渡されたのは、小ぶりの短剣。鞘付きで、腰に吊るせるよう工夫されていた。
「魔術師だって、近づかれたら何かしなきゃならん時もある。これはお守り代わりだ。軽いし、手の小さい子用にバランスも調整してある」
「……私のために、ここまで……ありがとうございます」
レオンが一歩近づき、静かに言った。
「ミリー。これで装備は整った。あとは……依頼を受けに行こう」
その言葉に、ミリーが強く頷いた。もう、迷いはなかった。
そのまま冒険者ギルドに移動した途端、耳に馴染んだ喧騒が広がった。朝の受付前ということもあって、まだ人の数はまばらだ。
レオンは、隣を歩くミリーの様子に目をやった。
ピンクを基調とした布装の軽装、腰に帯びた短杖と小ぶりの短剣。新しい装備に包まれた彼女の歩みは、少しぎこちない。けれど、確かに前へ進んでいた。
「緊張してるか?」
そっと声をかけると、ミリーは小さくうなずいた。
「……はい。でも、大丈夫。リリアさんがいるので……」
そのリリアは、既に受付カウンターに向かっていた。専属受付嬢の制服姿は、ギルドの中でも目立つ。
リリアは受付のミーナに声をかけ、手早く書類を受け取る。
「この子、今日から私たちのチームに加わるの。冒険者登録、代理でお願いできる?」
「もちろんよ。身元保証がリリアなら何の問題もないわ」
レオンは会話を聞きながら、ミリーの肩越しに彼女の反応を確認する。
ミリーは不安そうにしていたが、それでも逃げようとはしていなかった。ギルドの空気――あの独特のざらついた活気――にも、少しずつ慣れようとしている。
書類にリリアが代筆しながら、ミリーに確認を取っていた。
「名前……は、これでいいわね?」
「……はい。ミリー、で……」
「得意分野は回復魔法。武器は短杖、サブに短剣。魔力量は……私の評価で中の上ってとこね。実戦経験は少ないけど、素質はあるわ」
「ふぅん。じゃあ実力は高そうね。役割は支援職扱いにしとくね」
ミーナがそう告げ、登録証を手早く作り始めた。リリアがその横で依頼掲示板を眺め始める。
「レオンさん、クエストを選びますね。日帰り圏内で、適度に緊張感あるやつ……あ、これにしましょう」
彼女が手にしたのは、『古井戸周辺の魔物調査兼討伐依頼』。
「野営なし、街道沿い。危険度もCランク相応。レオンさんたちと一緒なら初心者でも慣れるには最適の案件です」
リリアがそう説明すると、ミリーは登録証を受け取ったばかりの手で、そっとそれを握りしめた。
「……分かりました。私、できるだけ……頑張ります」
その言葉に、リリアはふと柔らかく微笑んだ。
「頑張らなくていいの。自分でいられれば、それで充分」
ミリーが目を丸くして、それから小さく笑った。
それを見届けてから、レオンはゆっくりと視線を掲示板に移す。 ――今日からこの場所も、彼女のスタート地点になる。
その思いが、じわりと胸に残った。
扉を開けると、鈴の音が店内に軽やかに響いた。
マルダ道具店――ブルーヴェイルではすっかり馴染みの店で、必要な道具が一通り揃う小さな名所でもある。
棚には保存食や携帯用ランタン、麻袋、水筒、薬草を詰めた小瓶、火打ち石などがきれいに並び、店内には薄荷の香りがほんのり漂っていた。
「おやまぁ、新顔ね!」
カウンター奥から顔を出したのは、ふくよかな体格にシンプルなブラウスとロングスカートをまとい、腰にしっかりとエプロンを巻いた店主、マルダだった。両手を腰に当てて破顔一笑。
「この子が噂の新入りかしら? あら可愛いわ、これは初陣かしら?」
ミリーはびくっと肩を揺らしたが、すぐに小さく会釈を返す。
「……はい。まだ、右も左も分からないのですが……」
「いいのいいの。しっかりした仲間がいれば、それだけで十分よ。ねぇレオンさん?」
レオンは「はいはい」と苦笑を浮かべつつ、セリナとサフィアに視線を送る。セリナは棚を眺めて何やら匂いを嗅ぎながら、サフィアは薬瓶のラベルを読み取っていた。
「保存食と水袋を多めに。あと、小型の解毒薬と……ミリー用に簡易魔力回復剤、頼めます?」
「了解。はい、これがうちの特製セット。保存食は干し肉と野菜のクラッカー入り、水袋は軽量タイプにしておいたわ」
マルダは手慣れた動きで布袋に品を詰めていく。
ミリーがその様子をじっと見ていると、彼女がふと手を止めて、にっこりと笑いかけた。
「初めての冒険ってね、不安もあるけど、わくわくもするのよ。――楽しんでらっしゃい」
「……はい」
ミリーの返事は小さかったが、はっきりしていた。
セリナがいつの間にか傍に立って、手に取っていた火打ち石の袋をレオンに差し出した。
「……いつも、火はレオン。でも、一応……ね」
「……備えあればってやつだな」
サフィアは肩をすくめながら、銀貨を数枚、マルダに渡す。
「薬品類は私のほうで管理しておくわ。分量は戦闘後に回せるだけで充分かな。無理に使わなくても」
「了解」
必要なものを受け取り、道具袋に詰めながら、レオンはもう一度ミリーに目をやる。――動きはまだ硬いが、顔つきがほんの少し変わっていた。
緊張だけじゃない、何かを期待しているような――そんな目だった。
窓の隙間から差し込む月光が、宿の部屋を淡く照らしていた。ロウソクの灯りはすでに消され、あたりは静まり返っている。
レオンはベッドの端に腰を下ろし、革のベルトをゆっくり締め直していた。明日に備えた準備はすでに終えているのに、身体が妙に落ち着かない。
部屋の隅、静かに座っていたミリーがふと口を開いた。
「……窓の外、月が綺麗です」
「そうだな」
彼女の声はいつもより静かで、どこか深いところから響いてくるようだった。小さな肩には薄手の上着が掛けられているが、それでも頼りないほど細い。
「明日、いよいよだな」
そう言うと、ミリーは少しだけ頬を緩めた。
「……はい。でも、不思議と怖くはありません」
レオンは驚かなかった。昼間の彼女の目に、確かな芯を感じたからだ。
「ミリーが信じてくれるなら、俺たちが必ず守る」
その言葉に、ミリーはゆっくりと頷いた。そして、そっと視線を合わせる。
「……はい。心強いです、レオン様」
様――その呼び方にわずかな距離があることを感じつつ、レオンは何も言わなかった。今はそれでいい。彼女なりの敬意であり、信頼の証なのだから。
風が静かに窓を揺らし、カーテンがふわりと舞った。レオンはそのまま、窓の外を見やる。明日、この町の外で何が待っているのか。それはまだ分からない。
だが、ミリーは今、仲間としてこの場所にいる。その事実だけが、静かな夜に灯る確かな火だった。
――そして、その火は、すぐに試されることになる。
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