表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/84

第63話 それぞれの想い、交わる場所で

 夕日が傾き始めたブルーヴェイルの街は、昼の喧騒を残しながらも、どこか落ち着きを取り戻していた。冒険者ギルドを後にしたレオンたちは、ゆったりとした足取りで石畳の道を進んでいた。

 その中に混じって歩くミリーの姿は、どこかまだ遠慮がちだった。少しだけ距離を空けて、レオンたちの背を追うように歩いていたが、顔には深い考えの色が浮かんでいる。


(……わたし、もう決めたはずなのに)


 心に決意はある。けれど、孤児院の子どもたちの笑顔が頭をよぎるたび、胸の奥がきゅっと締め付けられる。


「……あの場所にいて、自分が場違いに思えました」


 ぽつりと、ミリーが口を開いた。

 前を歩いていたリリアが立ち止まり、振り返る。穏やかな笑みを浮かべながら問いかける。


「ギルドのこと?」

「はい。皆さまは……そこにいるのが当然のように見えて、でも私は……」


 ミリーは指を胸元でそっと組み、言葉を探すように視線を落とした。


「わたくしが、そこにいてもいいのか……わからなくなりました」


 リリアは少しだけ目を見開いたが、すぐに柔らかな声で応じた。


「ミリー、それはね……きっと誰でも、最初はそう感じるものなのよ」

「……そう、なのですか?」

「うん。でも、大丈夫。『いていい場所』はね、自分で見つけるものなの。誰かが決めることじゃないから」


 その言葉に、ミリーはふと目を上げ、リリアの笑顔を見つめた。


「……ありがとうございます」


 続けて、サフィアが風にそよぐ髪を押さえながら呟く。


「ふふ……いい風ですね。明日からまた、忙しくなりそうです」

「じゃあ、今夜はちょっとしたお祝いしよっか。ミリーが仲間に加わった記念に!」


 そう言ってリリアが笑うと、通りを照らす夕日が一行の影を長く伸ばしていく。

 その影の中に、自分の影が並んでいることに気づいたとき――ミリーはふと、胸の奥のもやが少し晴れた気がした。


(あの子たち……きっと、待ってる。でも……この人たちとなら、前を向ける気がする)


 まだ決意は揺らぎながらも、ミリーはそっと歩幅を合わせて、一歩だけ前に出た。


 それは小さな歩みだったが、確かに――彼女自身の意志で踏み出した、未来への一歩だった。




 日が傾き、教会の鐘が一日の終わりを告げる頃――ブルーヴェイルの教会併設の孤児院では、静かな別れの時間が訪れていた。

 ミリーは一人、教会の門をくぐり、白い石造りの廊下を歩く。その足取りは迷いなく、それでいてどこか名残惜しげだった。扉を開けると、子供たちの笑い声が止まり、ぱっと彼女に視線が集まる。


「ミリーお姉ちゃん!」


 一番に飛びついてきたのはマリーだった。元気な声に、ミリーは思わず微笑む。


「マリーさん……もう夕ご飯は済んだのかしら?」

「うん! でも、今日は特別に残してあるの! お姉ちゃんの分!」


 そう言ってはにかむ顔が愛おしくて、ミリーはしゃがみ込むと、そっとマリーの頭を撫でた。


「ありがとう……でも、今夜は、もう行かなくてはならないの」

「……もう、戻ってこないの?」


 マリーの目が潤みかけた瞬間、後ろから現れたシスター・マリナが、そっとミリーの肩に手を置いた。


「この子たちは分かっているのよ。あなたがここにずっといないと、きっと最初から……」


 ミリーは静かに頷くと、立ち上がり、子供たちを見渡す。


「……短い間でしたが、本当に……ありがとうございました。皆さんのおかげで、私はまた歩き出せそうです」


 その声に、ざわざわしていた子供たちも、自然と静かになる。

 シスター・マリナが、少し寂しげな、それでも誇らしげな微笑みを浮かべた。


「あなたのような方がここを離れるのは寂しいけれど――それ以上に、誇らしいのよ。あなたは、自分の足で進もうとしている。だから……私たちは、笑顔で送り出さないとね」


 すると、マリーが必死に涙をこらえながら、ミリーの手を強く握りしめた。


「ミリーお姉ちゃん……いっぱいありがとう。お外でも、ちゃんと元気でいてね……!」


 ミリーはその小さな手を両手で包み込み、柔らかく微笑んだ。


「……もちろん。あなたたちの笑顔を思い出せば、私……どこでだって頑張れます」


 その言葉に、マリーはようやく涙を一粒だけこぼした。


 外の空気は冷え始めていた。教会の門を出た先で、レオンが待っていた。ミリーは一度だけ振り返り、灯りのともる孤児院にそっと頭を下げる。


 そして、静かにレオンの隣へと歩き出した――。




 暖かな光が灯る食堂の一角。揺れるランプの下、丸いテーブルには簡素ながら温かみのある夕食が並べられていた。

 レオンとリリアが宿の主人と部屋の確認に出ている間、ミリーはセリナとサフィアと共に席についていた。


「……マリー、寂しがってた?」


 セリナが湯気の立つスープをかき回しながら、ふとミリーに尋ねた。


 ミリーはスプーンを止め、少し間を置いてから小さく頷く。


「ええ。でも……最後には笑って送り出してくれました。『いってらっしゃい』って……強がってたのかもしれませんけど」

「ふぅん……あの子、強いね」


 セリナはそれ以上何も言わず、静かにスープをすする。その姿勢はどこか優しさを秘めていた。


「……ミリーも、ちゃんと誰かにとって大切な人になってるのね」


 隣で座っていたサフィアが、少し微笑みながら言った。グラスを軽く揺らしながら、その視線はミリーの横顔を見つめていた。

 ミリーは一瞬、言葉を失ったように伏し目がちになる。そして、ふわりとした微笑みを浮かべ、静かに答えた。


「……今は、皆さまがその存在なんです。わたしにとって」


 短く、けれど真っ直ぐに紡がれたその言葉に、セリナとサフィアはそっと視線を交わした。返す言葉はなかったが、テーブルの上には、確かな想いがひとつ置かれたような、そんな静かなあたたかさが広がっていた。


 ――そしてその時、階段を降りる足音が響いた。


 ミリーが振り返ると、レオンとリリアが並んで一階の食堂に戻ってきた。宿の主人との打ち合わせを終えたばかりの様子だ。

 リリアはそのまま厨房へと小走りに向かい、しばらくして小さな木のトレイを手に再び現れた。


「お待たせ! 今日はミリー加入のお祝い、ちゃんと準備してきたよ!」

「……加入、祝い……?」


 ミリーは驚いたように目を瞬かせる。


「うん。もう仲間なんだから。お祝いくらいさせてよね」


 そう言ってリリアがトレイをテーブルの中央に置くと、そこには小さくカットされたベリータルトと焼きリンゴの蜂蜜がけが並んでいた。焼きたての香りに、シナモンと果実の甘さがふんわりと混ざり、心までほどけてしまいそうな匂いが漂う。

 セリナがそれをじっと見つめたまま、ぽつりと一言。


「……甘い匂い、する」


 サフィアは優雅に笑いながら、小皿にタルトを取り分けた。


「ふふ。確かに。冒険者の食事で、こういう贅沢はなかなかないわね」

「せっかくだから、今日だけは特別ってことで!」


 リリアがそう言うと、レオンも苦笑しながら頷いた。


「悪くないな。こういう時間も、大事だ」


 ミリーは、そっと自分の前に置かれた焼きリンゴを見つめ、そして小さく微笑んだ。


「……ありがとうございます。わたくしのために、こんなに……」

「遠慮しないで、ほら。食べて」


 リリアに背中を押されるように、ミリーは焼きリンゴを一口運ぶ。ふんわりとした果肉が舌に広がり、甘く温かな風味が口いっぱいに溶けていく。


「……おいしいです……」


 ぽつりと呟いたその声に、誰もが微笑んだ。

 レオン、セリナ、サフィア、リリア、そしてミリー。


 ブルーヴェイルの夜――その食卓の輪に、もうひとり分の居場所が、確かに加わっていた。




 静まり返った部屋の中、寝息だけが穏やかに響いていた。

 二つのベッドには、リリアとミリー、そしてセリナとサフィアがそれぞれ身を横たえている。どちらも背を向け合うように眠っていたが、ブランケット越しに温もりが伝わる距離感だった。


 部屋の片隅、ソファーに横になっていたレオンは、わずかな気配に目を開けた。薄暗い月明かりが差し込む窓辺に、誰かの影がある。


 ――ミリーだった。


 薄い上掛けを羽織ったまま、窓際の椅子に腰掛け、外の景色を静かに見つめている。


「……眠れなかったか?」


 レオンが声をかけると、ミリーは少しだけ肩を揺らし、振り返った。


「すみません、お気を遣わせてしまって……」

「気を遣ってるわけじゃないさ。たまたま目が覚めただけだ」


 そう言いながら身を起こすと、レオンはソファーの端に腰掛け、ミリーのほうへと視線を向けた。


「……何か、考え事か?」


 ミリーはしばらく黙ったままだったが、やがて小さく首を縦に振った。


「……『私』が何者なのか、やはり思い出せないままで……でも、それなのに皆さまは……私を迎え入れてくださって……」


 言葉の端々に、戸惑いと不安が滲む。指を組んだまま俯くその姿は、誰よりも気丈に見せようとする少女の無防備な一面だった。

 レオンは少しだけ微笑んで言った。


「君が『君らしく』いてくれるなら、それでいいよ」


 その言葉に、ミリーは目を見開いた。


「……無理に思い出すことはない。今の君が、ここにいてくれること。それだけで、十分なんだ」


 窓の外、夜の空にはいくつかの星が、静かに瞬いていた。


「……そんなふうに、言ってくださるなんて……」


 ミリーは震える声でそう呟き、小さく目元を拭った。こぼれた雫は、頬を伝い、膝の上に落ちた。けれどその表情は、どこか柔らかく、少しだけ安らいでいた。


 静かな夜のなか――少女の胸に溜まっていた想いが、ひとしずく、こぼれ落ちた。




 ミリーの涙が静かに乾いたころ――。


「……あれ? 何やってるの、ふたりとも」


 そんな声とともに、ベッドからもぞもぞとリリアが起き上がってきた。髪が少し乱れたまま、半分眠そうな顔をしている。


「起こしちゃったか?」


 レオンがそう問いかけると、リリアは首を振りながらストレッチするように伸びをした。


「ううん、目が覚めちゃって……って、ミリーも起きてたのね」

「はい……すみません。少しだけ、考えごとをしていて……」

「そっか。でも、レオンと話してたなら、きっと元気出たんじゃない?」


 くすりと笑うリリアは、そのままレオンの隣に腰を下ろす。ミリーは恥ずかしそうに目を伏せつつ、小さく頷いた。


「……はい。レオン様のお言葉に、救われました」

「ふふ、でしょでしょ? レオンって、こう見えてほんとはすごーく優しいんだよ」

「……はい、わかります」

「おいリリア、からかうなって」


 レオンが苦笑まじりに眉をひそめると、リリアは「えへへ~」と軽く肩をすくめてみせた。


「ほんとのこと言ってるだけだよ」


 穏やかな空気が、深夜の部屋に広がる。ミリーはそんなふたりのやりとりを見ながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


(こういうのを……他愛のない会話、って言うんですね)


 それは、自分にはなかった時間。けれど今、ここにある確かな一瞬。

 レオンの横顔が、何気ない微笑みを浮かべる。気取らず、飾らず、それでもどこか照れくさそうなその表情に――ミリーの心が、不意に揺れた。


 遠くのベッドでは、セリナがブランケットに包まったまま、ちらりとその様子を見ていた。

 目を閉じながらも、口元にごく小さな笑みを浮かべる。サフィアもまた、静かにまぶたを閉じながら、微笑みだけを夜に溶かしていた。


 こうして、柔らかな時間が静かに流れていった。




 再び寝静まった部屋の中、かすかに聞こえるのは誰かの寝息と、外をかける風の音だけ。


 ミリーはそっと目を開けていた。隣のリリアは穏やかな呼吸で眠っており、部屋の片隅、ソファーに目を向ければ、レオンが腕を枕に静かに休んでいる。


(――眠れない、わけじゃないのに)


 眠ろうとしても、胸の奥に小さな光が灯ってしまって、それが瞼を閉じさせてくれなかった。


(……今日一日、たくさんのことがありました)


 初めてのギルド、初めての出会い、初めての別れ。そして――誰かのそばにいるという時間の、あたたかさ。


 ほんの数日前までは、真っ暗な洞窟の中で、ただ生きているだけだった。

 名前も、過去も、すべて失った少女が今――ベッドの中で、微かな胸の鼓動を確かめるように息を吸い込む。


(たとえ記憶が戻らなくても……)


 心の中で、ゆっくりと言葉を繰り返す。


(私は、私なりに――歩んでいける気がする)


 不安はまだある。怖さも残っている。

 けれど、それでも。


(今を、大切にしてみたい)


 だって、今の自分には、見てくれる人がいる。

 手を伸ばせば、届く場所に、心を寄せ合える誰かがいる。


 だから――。


(……わたし、ここにいてもいいんですよね)


 ブランケットを胸元まで引き寄せながら、ミリーはそっと目を閉じた。その顔には、確かなものを抱きしめるような、静かな微笑が浮かんでいた。


 夜明け前の薄闇の中、小さな決意が、確かに彼女の中に芽生えていた。

ご一読くださり、ありがとうございました。

続きが気になる方は是非ブックマーク登録を

お願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ