第6話 冒険の準備
ブルーヴェイルの冒険者ギルドで正式登録を終えたレオンは、まず自分の剣をどうにかせねばと思い至った。
元は王宮で支給された高品質の剣ではあるが、刃はところどころ鈍り、薄く錆が浮いている。このまま戦えば、命取りになりかねない。新米冒険者としての第一歩を踏み出す前に、しっかり武器を整えておくべきだと考えた。
ギルドホールの片隅には、 石壁を背にするようにして重厚な扉が設けられている。そこに小さく「鍛冶屋バルド工房」と書かれた木の看板がかかっていた。
ギルドに併設された鍛冶屋は、冒険者たちが装備をすぐに整備できるようになっているらしい。ちらほらと扉の向こうに出入りする冒険者の姿が見える。
レオンは少し緊張しながら扉を押し、中へと入った。
工房の中は意外と広かった。
煤けた天井から複数のランプが吊るされ、赤黒い炉の熱気がじんわりと漂っている。壁際には大小さまざまな武器が掛けられ、奥では火花を散らしながら金床を叩く人影があった。
「いらっしゃい。何か見繕うか?」
煙にむせるような、低く響く声。
作業をしていたのは筋肉質の大柄な男――年のころは四十代ほどだろうか。顎にはしっかりとした髭が生え、鋭い目つきと無骨な雰囲気が印象的だ。
ギルドの冒険者たちには「バルドの親方」と呼ばれているらしい。
「ええと……この剣なんですが、少し錆びているのと、刃こぼれがあるので見てもらえますか?」
レオンは外套の下げ緒から鞘を外し、剣を少しだけ抜いて親方に見せた。バルドは乱暴にならない程度に剣を受け取り、柄から切っ先までじっくりと眺める。
鋼の質感、鍔の刻印、刃先の微妙な傷――それらを確かめるように指でなぞると、鼻を鳴らして言った。
「おお、こりゃ使い込まれてるな。だが、悪くない剣だ。しっかり鍛えられた鋼だし、下手に改造せんほうがいい。錆び落としと研ぎ直しくらいなら十分可能だ。磨けばまだまだ戦えるさ」
その言葉に、レオンは少しだけ胸を撫で下ろした。
もし修復不可能と言われたら、新しい剣を買うしかない。だが、懐事情を考えると、それはできるだけ避けたい選択肢だった。
「よかった……助かります。お願いします」
「すぐ仕上げてやるよ。銀貨一枚でどうだ? 砥石の分も含めてな」
「はい、お願いします。……ありがとうございます」
レオンは銀貨を取り出し、親方に渡す。
登録料や宿泊費、そしてこれまでの諸々の出費でだいぶ減ってしまったが、武器は命に関わる。ここはケチるべきではない。
「おうよ。そんじゃ、そこらで待ってろ。火花が飛ぶし、近くに寄らんほうがいい」
バルドは剣を手に金床の前へ戻っていく。
レオンは彼の背中を見守りながら、工房の隅にある長椅子に腰を下ろした。
炉の赤い火がぱちぱちと燃え、金床を叩く甲高い音が響く。ときおり、水桶に刃を浸すジューッという音が混じる。
その光景を眺めているうちに、レオンの中に妙な高揚感が芽生えてきた。
自分の剣が職人の手によって蘇る――それは、まるで自分自身が戦う準備を整えていく過程のようにも思えた。
しばらくして、バルドが無骨な声で言った。
「待たせたな」
レオンが近寄ると、剣はまるで新品のような輝きを取り戻していた。刃先は艶やかに光り、柄の部分も丁寧に汚れが拭き取られている。
「磨きは最低限だがな。研ぎ直しと錆取りはしっかりやった。これで実戦でも困らんはずだ」
バルドはそう言いながら剣を返す。
レオンは受け取ると、柄の感触を確かめながら鞘に収め、深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます。こんなに早く仕上げてもらって……」
「ま、あんたが冒険者なら、どうせ今後も武器の手入れは必要になる。気が向いたらまた来いよ。金次第で何でもやってやる」
不器用な笑みを浮かべるバルドの言葉に、レオンも微笑を返した。
親方が再び金床に向かう背中を見送りながら、職人としての頑固な誇りを垣間見た気がする。
ギルドを出る頃には、剣だけでなく、レオン自身も少し冒険者らしくなったような気がした。
次に向かうのは道具屋だ。
ブルーヴェイルのメインストリートには、さまざまな店が並んでいる。
雑貨屋、食料品店、宿屋、武器防具専門の露店など――観光客や冒険者向けの店が多いため、通りには活気が満ちていた。
レオンは、リリアが勧めてくれた「マルダのお道具屋」を目指し、メインストリートを歩き始めた。
しばらく歩くと、「マルダの道具屋」と書かれた看板が目に入る。
木造の素朴な店構えで、ガラス戸はなく、開け放たれた扉の奥にはずらりと並ぶ道具やポーション類が見えた。
レオンは少し緊張しながら店内に足を踏み入れる。薄暗いが清潔感のある店内。壁に掛けられたランプが商品を照らし、どこか温かみのある雰囲気を醸し出している。
「いらっしゃい。……おや、新顔だね?」
カウンターの向こうにいた女性が、値札を書いていた手を止め、レオンを見てにこやかに声をかけた。
年のころは五十手前くらいだろうか。ずんぐりとした体形にシンプルなブラウスとロングスカートをまとい、腰にはエプロンを巻いている。親しみやすい笑顔が印象的だ。
「冒険者かい?」
「ええ、先ほどギルドに登録したばかりで……」
「へえ、そうかい。そりゃあ、まずは道具が要るね」
レオンが頷くと、店主は軽く手を打ち、カウンターから出てきた。
「初めての採取依頼に行く予定なんですが、何を揃えればいいのかよくわからなくて……」
そう言うと、店主は「なるほどねえ」と顔をほころばせ、棚の方へ歩きながら手慣れた様子でいくつかの商品を取り上げる。
「じゃあ、これとこれがあると安心だよ。ポーションは基礎回復用のもの。傷を負ったときに使うんだね。それから救護セット。包帯や消毒液、簡単な止血道具が入ってる。初心者なら、まずはこのくらいで十分さ」
そう言いながら、店主はポーションの小瓶と、白い布袋をレオンに示した。布袋の中には包帯や軟膏、手当用の簡易マニュアルが入っているらしい。
王宮での経験上、薬や道具の価格はピンキリだと知っていたが、実際にこうして買い物をするのは初めてだった。
「両方でいくらになりますか? できるだけ出費を抑えたいんですが……」
レオンが硬貨を入れた皮袋を取り出すと、店主はにっこり笑いながらポーションと救護セットの値段を告げた。
「大銅貨五枚だよ」
思ったより高くはない。ほっと安堵するレオンに、店主はおまけのようにして簡単な地図を取り出した。
「ほら、これも持っていきな。大した地図じゃないけどね。ブルーヴェイルの周辺で採取できる薬草の分布がざっと描かれてる。冒険者の初仕事なら、応援しないとね」
「え? 本当ですか?」
レオンは目を丸くして店主を見た。
地図は質素な紙に手書きで描かれたもので、主要な森や草原の位置、川の名前、採取できる植物のマークがいくつか記されている。
初心者にとって、こうした情報は何よりも重要だ。
リリアも「情報があるかないかで生存率が変わる」と言っていた。
「そんなに驚くことかい? 新人が続けてくれた方が、うちも商売になるんだからね」
店主は笑いながら肩をすくめる。
「最初のうちは赤字かもだけど、長い目で見れば、お客さんになってくれるだろうし。……それに、あんた、なんだか真面目そうだしね。応援したくなるのよ」
その言葉に、レオンは自然と笑みをこぼした。
王宮を出てから、いろんな人の世話になっている気がする。こうしてまた、誰かに助けられるとは思わなかった。
「重ね重ねありがとうございます。ちゃんと稼いで、またここで買い物しますよ」
「期待してるよ。……それと、ポーションの使い方だけどね」
店主は指を一本立てる。
「飲むだけじゃなくて、傷に直接かけると効果が早いよ。まあ、そんな余裕がないときは口から飲むしかないけどね」
「なるほど……覚えておきます」
レオンが深く頷くと、店主はカウンターに戻り、代金を受け取った。
レオンはポーションと救護セットを背負い袋に詰め、地図は折りたたんで外套の内ポケットにしまう。
「これで安心……とは言い切れませんけど、一先ずは整いました。ありがとうございます」
「ううん、気をつけてね。困ったらまたおいで」
店主は手を振りながら、別の仕事に取りかかっている。
レオンは軽く会釈し、店を後にした。外に出ると、街の陽光がまぶしく、心地よい風が頬を撫でる。
あらためて装備を確認する。磨き上げられた剣、最低限の道具と薬……そして、おまけでもらった地図。
どれも、冒険者としての初仕事を支えてくれる大切なものに思えた。
(よし。これで大丈夫だ……)
レオンは深く息を吸い、依頼書を取り出す。
初めての仕事。緊張と期待を胸に、彼は採取地へ向かうべく、歩き出した。
正午を過ぎ、太陽は頭上に高く昇っていた。少々暑いが、風は爽やかで心地いい。
ギルド前の広場は、活気に満ちている。駆け出しの冒険者らしき若者、手紙を配達する少年、商人風の男たち――様々な人々が行き交い、街の営みを感じさせた。
その中を歩きながら、レオンは自分がまた一歩、王宮とはまったく違う世界へ踏み込んでいるのだと実感する。
腰で揺れる磨かれた剣。背負い袋の中には、ポーションと救護セット、そして道具屋の店主からもらった地図。
どれも、己の手で手に入れ、整えた装備だ。王宮にいた頃の自分には想像もできなかった準備の数々。しかし、これこそが冒険者としての第一歩に違いない。
(あとは、実際に動いてみるだけだ)
レオンは胸の内でそうつぶやき、改めて気を引き締める。これから向かう先には、どんな景色が広がっているのか。
どんな植物が生い茂り、どんな動物や魔物が潜んでいるのか――未知の世界が待ち受けている。
不安はある。だが、それ以上に胸の奥にあるのは、期待だった。
新米冒険者として、一歩ずつ着実に進む。そう誓いながら、レオンは城壁の外へと続く大通りへ向かい、足早に歩き出す。
――この準備が、どれほど自分を救うのかは、まだわからない。
だが、手にした装備、そして周囲からの助けを受けて得た道具の数々は、きっとこの初めての冒険を支えてくれるはずだ。
レオンの胸には、小さな自信と安堵が確かに芽生え始めていた。
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