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第59話 少女とブルーヴェイル

 二日間の旅路を経て、ついにブルーヴェイルの城門が見えてきた。


 国境近くの村を出発したレオンたちは、馬車を走らせながら慎重に移動し、その日の夕方には安全な場所で野営を行った。

 夜の森は静かだったが、少女の容態を考慮し、交代で見張りをしながら慎重に休息を取った。


 翌朝、森を抜ける途中、セリナが小川を見つけた。少女の身体を清めるには好都合と判断し、レオンたちは一時停車する。


 人目の届かぬ静かな水辺で、セリナとサフィアが少女の身支度を手伝いながら言葉を交わしていた。はっきりとは聞き取れないが、穏やかな会話の響きが時折風に乗って届き、見張りに立つレオンの胸に静かな安堵をもたらしていた。


 水浴びを終えた一行は、ブルーヴェイルを目指して馬を進め続け、昼過ぎになってようやく町へと帰還したのだった。


 馬車の車輪が石畳を踏みしめ、ブルーヴェイルの城門が視界に入る。昼下がりの陽射しが町を照らし、城門の周囲には商人や冒険者たちの賑やかな声が響いていた。


「……帰ってきたな」


 手綱を握るレオンが、城門をくぐりながらぽつりと呟いた。


「やっと、休める……」


 セリナは馬車の荷台で小さく伸びをしながら、どこかほっとした表情を浮かべる。一方、サフィアは隣でフードを少し整えながら、ため息混じりに微笑んだ。


「思ったより、疲れたわね」


 その言葉に、レオンは苦笑しながら頷く。


 荷台の端に座っていた少女は、ゆっくりと顔を上げた。陽射しを浴びながら、初めて目にするブルーヴェイルの景色をじっと見つめる。


 青い瞳が、広がる光景に驚いたように揺れた。


 目の前には、活気あふれるブルーヴェイルの街並みが広がっていた。冒険者たちが行き交い、商人が店を開き、町のあちこちから楽しげな声が響いてくる。

 村とは比べものにならないほどの人の多さに、少女は少し戸惑ったように目を瞬かせた。


「……人が、たくさん……」


 小さな声で呟く彼女の横顔には、不安とも興味ともつかない複雑な感情が滲んでいた。


「ここがブルーヴェイル」


 レオンは馬車を進めながら、少女の様子を確認しつつ静かに言った。


「しばらくはここで落ち着くといい」


 少女は一瞬、何かを考えるように視線を伏せた。そして、不安げに揺れる瞳のまま、小さく頷いた。


「……はい、レオン様」


 その声はどこか頼りなく、けれど、確かにレオンたちを信じようとしているようにも感じられた。


 昼下がりの賑わいの中、一行は馬車を走らせ、ブルーヴェイルの町へと足を踏み入れていった。




 ブルーヴェイルの冒険者ギルドは、昼を過ぎても変わらず活気に満ちていた。ギルドホールの扉を押し開けると、中では数人の冒険者たちが談笑している。


「レオンさん!」


 カウンターの奥から、元気な声が響いた。リリアがこちらへ駆け寄り、目を輝かせる。


「セリナさん、サフィアさんも……無事に戻られたんですね!」


 彼女の目には、心配していた様子が色濃く残っていた。

 レオンは軽く頷き、穏やかな口調で答える。


「ああ。なんとか無事に帰ってきたよ」


 そう言いながら、腰のポーチから簡易伝言石を取り出し、リリアに手渡す。

 リリアはそれを両手で受け取り、安堵したように息をついた。


「よかった……コボルトの巣の討伐、お疲れさまでした。帰還途中、何か問題とかありませんでした?」

「伝言石で伝えた通り、大きな問題はなかったよ。細かいことは後でギルドマスターに報告するよ。でも、一つ、直接伝えておきたいことがあるんだ」


 そう言って、一歩後ろにいた少女に視線を向けた。

 リリアは驚いた表情で少女を見つめる。


「えっ……この子は?」


 少女はリリアの視線を受け、戸惑ったように小さく体をすくませた。

 そんな彼女を庇うように、セリナが短く説明する。


「コボルト、巣にいた」

「えっ……! じゃあ、この子が……!」


 サフィアが小さく頷く。


「記憶を失っているみたいなの」


 リリアは少女をじっと見つめ、穏やかに微笑んだ。


「……怖い思いをしたよね。でも、もう大丈夫ですよ」


 少女はまだ不安げな表情を浮かべていたが、リリアの柔らかな声に、わずかに表情を緩めた。




 ギルドマスターの執務室に通されると、レオンたちは大きなデスクの前に並んで立つ。

 ギルドマスターは椅子に腰を下ろしながら、レオンたちを見渡す。


「さて……詳しい報告を聞こうか」


 レオンは背筋を正し、淡々と報告を始めた。


「コボルトの巣は壊滅しました。巣の内部では、通常のコボルトに加え、指揮を執る隊長格と、魔法を操るシャーマンと護衛役のウォーロードが確認されました。加えて、巣の最深部には祭壇が設置され、コボルトが儀式の準備をしていました」


 ギルドマスターが眉をひそめる。


「祭壇? まさか、ただの巣ではなかったのか?」

「はい。その可能性が高いと考えています」


 レオンは懐から一本の杖を取り出し、机の上に置いた。


「この杖は、シャーマンが使用していたものです。見たところ、単なる呪具ではなく、何らかの儀式に関係していた可能性があります」


 ギルドマスターは杖を手に取り、表面をじっくりと観察する。杖には奇妙な刻印が刻まれており、それを見たギルドマスターの表情がさらに険しくなった。


「……この刻印、どこかで見たことがある気がするな」


 レオンは静かに頷いた。


「私もそう思いました。実は以前、貴族の護衛任務で遭遇した術者が使用した魔法陣に、これと同じような刻印が使用されていました」


 ギルドマスターが顔を上げ、目を細める。


「……それは確かなのか?」

「ええ。模様の形状や配置がほぼ一致しています」


 サフィアも杖を覗き込み、静かに言葉を添える。


「これは、ただのコボルトの習わしとは思えません。何者かが裏で関与している可能性が高いです」


 ギルドマスターは腕を組み、しばらく考え込むように目を閉じた。


「……その術者とコボルトの巣の事件が繋がっているとしたら、これはただの魔物討伐の話では済まんな」


 レオンも重く頷く。


「そうですね。ただし、今の段階では確証がなく、ただの偶然という可能性も否定できません。しかし、この杖は調査する価値があると思い、持ち帰りました」


 ギルドマスターは杖を机に置き、静かに息を吐いた。


「なるほど……では、これはギルドで預かり、専門家に調査を依頼しよう。辺境伯にも報告しないといかんな。もし何か分かったら、お前たちにも知らせる」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 ギルドマスターは報告をひと通り聞き終えたあと、レオンたちを改めて見渡した。


「それで……そこにいる少女についても話してもらおうか」


 レオンは少女に目を向けながら、慎重に言葉を選ぶ。


「はい。コボルトの巣の最深部にある祭壇で、この少女が囚われていました」


 ギルドマスターの顔がさらに険しくなる。


「……生贄か?」

「その可能性が高いです。ただし、なぜ彼女だったのか、どこから攫われたのかは分かりません。身元の手がかりになるものも何もありませんでした」


 ギルドマスターは腕を組み、難しい顔をする。

 机の上には、レオンたちが持ち帰った報告書が広げられていた。


「……身元が分からんとなると、ギルドでの扱いも難しいな。誰かが保護するにしても、一時的なものだろう」


 沈黙が流れる。

 少女は所在なさげに、そっとレオンの袖を握った。その時、リリアがふと顔を上げ、明るい声で提案した。


「それなら、教会の孤児院なら預かってもらえるかもしれません!」


 ギルドマスターが少し驚いた顔をし、リリアを見やる。


「教会か……確かに、身寄りのない子供を保護するなら適しているかもしれんな」


 レオンも考え込むように少女を見た後、小さく頷いた。


「その案が良さそうですね。すぐに向かってみます」


 少女はレオンの言葉を聞き、少し不安そうに彼を見上げたが、やがて小さく頷いた。


 レオンたちはギルドを後にし、少女を連れて教会へ向かうことにした。




 ブルーヴェイルの教会は、町の外れに静かに佇んでいた。白い石造りの建物に夕陽が差し込み、ステンドグラスが淡い光を放っている。

 鐘楼からは小さく鐘の音が響き、厳かな空気が漂っていた。


 レオンたちは教会の扉を押し開け、中へと足を踏み入れる。室内には祈りを捧げるシスターたちの姿があり、そのうちの一人が彼らに気づいて近づいてきた。

 彼女は落ち着いた顔立ちの女性で、肩までの栗色の髪を白いヴェールで包み、柔らかな微笑みを浮かべていた。


「いらっしゃいませ。何かお困りでしょうか?」


 シスターの穏やかな声が響くと、少女はわずかに肩をすくめた。

 レオンは軽く会釈をしながら、静かに口を開く。


「急なお願いで申し訳ありません。彼女をしばらくの間、ここで預かっていただけないでしょうか?」


 シスターは一瞬驚いたように少女に目を向けた。


「この方を……?」

「はい。彼女はコボルトの巣の奥で捕らわれていました。ですが、記憶を失っており、どこから来たのかも分かりません」


 シスターの表情が曇る。


「……まあ、それはさぞお辛かったでしょう」


 少女はシスターの視線を受け止めながらも、姿勢を崩すことなく、慎ましく両手を組んでいた。それでも、不安は隠せないのか、レオンのすぐ傍に立ったまま動こうとしない。


 それを見たシスターは、静かに少女の横に立ち、優しく声をかけた。


「どうか、心配なさらないでくださいね。ここは、安全な場所です。あなたが少しでも落ち着けるよう、私たちがお手伝いします」


 少女は迷うように視線を揺らしたが、やがて深く息を吸い、小さく頷いた。


「……ご厚意に感謝いたします。お世話になります、シスター様」


 その言葉遣いの丁寧さに、シスターはわずかに驚いたように瞬きをしたが、すぐに優しく微笑んだ。


「まあ……礼儀正しいお嬢さまですね。大丈夫ですよ、ここでゆっくり休んでくださいね」


 少女は静かに頷き、わずかに表情を和らげた。だが、レオンが一歩後ろへ下がると、不安げに彼を見上げる。

 その様子を見たリリアとサフィアが、安心させるように微笑みかける。


「大丈夫ですよ。この教会のシスター方は、とても優しい方ばかりですから」

「何か思い出せたら、また教えてくださいね」

「……また来る」


 セリナもぽつりと呟いた。

 少女はリリアやサフィア、そしてセリナの言葉を聞いて、少しだけ表情を和らげた。

 レオンは少女の肩にそっと手を置き、優しく声をかける。


「また様子を見に来るよ」


 少女はレオンの言葉を聞き、小さく頷いた。


「……ありがとうございます、レオン様、皆様」


 こうして少女の一先ずの居場所が決まる。


 レオンたちは教会を後にし、夕陽に染まる町並みの中へと歩き出した。




 ブルーヴェイルの宿の食堂には、暖かな灯りが揺れていた。久々に落ち着いた空気の中で、レオンたちは食事をとっていた。


 道中での戦闘、コボルトの巣での戦い、少女の救出と、一連の出来事がようやく一段落したことで、誰もが少しばかり疲れを感じていた。


 カウンターの奥では宿の主人が静かに食器を洗い、他の冒険者たちの会話が時折耳に入る。

 リリアがふと微笑みながら口を開く。


「あの子、少し落ち着いたみたいだったね」


 レオンはスプーンを持ったまま、ゆっくりと頷く。


「ああ。教会の人たちなら、安心できる」

「でも……今後どうなるのかしら」


 サフィアがスープを口に運びながら、少し考え込むように言う。


「記憶が戻れば、彼女がどこから来たのかわかるけれど……それがいつになるのか皆目見当もつかないから、今は待つことしかできないわね」

「……レオン見て、不思議な顔してた」


 セリナが小さく呟いた。

 レオンは少女が自分の容姿に反応したことを思い出す。しかし、思い出せそうで思い出せない様子だった。


(俺の顔に何か心当たりがあったのか……?)


 そう考えたが、今の時点では答えを出せるはずもなかった。


「ここにいる限り、また会いに行けばいいだけですよ」


 リリアがほほ笑みながら言う。

 レオンはしばらく無言で皿の上の食事を見つめた後、ゆっくりと頷いた。


 静かに夜が更けていく中、それぞれの心の中に、少女との関わりがこれからどうなるのか、ぼんやりとした疑問が残り続けていた。


 その答えが見つかるのは、もう少し先のことになりそうだった――。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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